誕生日
「そろそろですね」
エーベルは執務室にある小さなカレンダーを見ながらうれしそうだ。
「あと何日ですね——」とひとつひとつ、日にちまでご丁寧に数えている。
えらく機嫌も良い。
んん——————これは——
俺はエーベルが何のことを指して言っているのか、すぐに理解した。
俺の誕生日だ。
スルーしてくれても全然構わないのだが、とてもありがたいことに毎年、多くの方が祝ってくださる。
当日はとても幸せな気持ちになるし、この世に俺を産み落として育ててくれた両親にも、俺を愛しみお世話をしてくれる周りの人々にも、友人や知人、俺に関わってくれた全ての人々にとても感謝する日だ。
話しは少し逸れるが、俺は「殿下業」という仕事柄、人々の大切な日を覚えるのが得意だ。
だから、親族や身近な人の誕生日はもちろんしっかり覚えている。
仕事で関わった官吏たちの中で、何かの話の折に誕生日が話題になってうっかり俺に誕生日を教えてくれた者達の誕生日もしっかり覚えている。
先日も打合せで一緒になる官吏の誕生日を覚えていたので、贈答用の個包装になった焼き菓子をポケットに突っ込んで打合せに行き、帰り際にそろっと、その焼き菓子をお祝いの言葉とともに渡した。
贈答用の焼き菓子?皇太子殿下が?と思われた方もいるだろう。
でもこれは「殿下業」には必須アイテムだ。
実は個包装になった焼き菓子は切らさないようにいつも執務室の棚に常備してある。
それは自分で食べるのではなく、人にお渡しをする専用だ。
城の料理部に注文して、クッキー、フィナンシェやマドレーヌなど日持ちがするものや、季節の果物をドライフルーツにしてラム酒に漬け込みそれらをたっぷりと入れたパウンドケーキを何本か焼いてもらう。
費用は「皇太子殿下」としての予算から出すのではなく、あまり知られていない俺の副業の小遣いからだ。
国交のある王族の誕生日等外交用のお祝い等は「国際交流」として国家予算から支出してもおかしくないが、これはかなり私的だから、小遣いから出しているのだ。
料理部で注文した焼き菓子が執務室に届くと、ひとつひとつを個包装したりラッピングするのは、俺の仕事だ。
ラッピングはセンスが問われる。
上質な紙をマチのついた袋になるように折り、「ハッピーバースデー」と俺が彫った手作りハンコを押し、小さなリボンをつける。
その大きさが上着のポケットにすっぽり入る大きさに仕上げる。
ポケットに入れないで手で持っていると、すぐにバレてしまいサプライズ感が出ないし、大きいものは逆に相手に気を使わせてしまうので、罪悪感のでない「小さめ」にこだわっている。
俺に誕生日を覚えられてしまって、うっかり焼き菓子を手にした者の反応は大体喜んでくれる。
「覚えておられたのですか!」とうれしい反応をしてくれる。
しかし内心は「なんで誕生日を覚えているんだよ。キモっ!」と思われているんだろうなとついつい邪推してしまう俺もいる。
でも、それでも誰かの誕生日を祝いたい。
365日、誰かの誕生日で繋がっている。
だから、毎日お祝いできたらそれはとても幸せなことだと俺は思っている。
そして、ドライフルーツたっぷりのパウンドケーキは持参したり、都合がつかない時は人に頼んで持って行ってもらう。
これは「命日」のためのものだ。
俺が歳を重ねるにつれて、パウンドケーキを届ける本数は少しずつ増えている。
世話になった者たちの命日も、しっかりと覚えている。
故人に思いを馳せ、在りし日の姿を偲び、感謝をする。
ほんの少しの時間だ。
立ち止まって過去を振り返る。
人間は忘れる生き物だとわかっている。
その「忘れる」がないと、人間は辛くて生きていけないとも知っている。
でも「殿下業」は忘れてはならないことは、人より多いと思っている。
そして、「殿下業」は、誰かの大切な日にちを覚えておくことは基本中の基本だと思っている。
その日にちが増えれば増えるほど、「殿下業」はやりがいのある仕事になっていくと俺は考えている。
こんなことを偉そうに語った俺だが、これは現実逃避である。
なんだか今日は「殿下がえらく語っているな」と思っただろう。
その通りだ。
俺の誕生日パーティーを婚約者選びの場にしようと目論んでいる勢力があることにいま気づいたから、実はかなり動揺している。
いまカレンダーで日にちを楽しそうに数えているエーベルの様子から、たぶんエーベルもそっち派だ。
だってそうだろう。
婚約とか、結婚とかしたら「ふたりの記念日」まで増えるんだ。
いまはその類いに興味関心がない俺は、「ふたりの記念日」を覚えている自信は皆無だ。
「ふたりの記念日」がひとつひとつ増えていく恋愛に溺れてみたいとも思ったりもするが、「殿下業」でいま手一杯の俺には、それは恐怖でしかない。
ああ……俺の誕生日、どうしよう。
俺の誕生日、みんな「殿下業」じゃないから忘れてくれないかな。




