第五百四話:燃えよ恋心(前編)
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私の剣の師匠はだらしのない人だった。ヨレヨレの道着に剣道袴を着て、いつも無精髭を撫でながら道場に入るような人だった。だけど、剣を振る時だけは綺麗だった。早朝の、氷が並べられたような冷たい板場の道場で、白い息を吐きながら正座し神棚へ合掌。立ち上がり静かに腰を切って抜刀、虚空に刀を振るう。刃引きした模造刀ですら師匠が振るえば空気を切り裂くような気がして、その時から私は剣に魅せられたのだ。
夕日に照らされる訓練場で私の目の前にいる真也は師匠を思い出させた。
冬の道場に入った時に感じる静謐な雰囲気を感じる。真也は開手を中段に置くいつもの構えを取っていた。その構えが剣術の正眼の構えから来ていることは無手の武術に疎い私でも知っている。合わせるように私も正眼に剣を構えた。
それが始まりの合図だった。
「っ!?」
思わず息を飲む。正眼に構えて『先』と呼ばれる攻防の機先を制する為に真也の隙を探った瞬間に、地面に叩きつけられた……ような気がした。思わず前足が数センチ下がる。
冷や汗が流れた。
剣と拳では当然、剣の方が圧倒的に有利。殺傷力も間合いも本来ならば無手側は勝負してはいけないと言われるほどに剣が有利だ。元の世界では格闘技のプロですらナイフを持った素人に倒されたとして驚きがないほどに武器は圧倒的なのだ。先に仕掛ける『先』でもカウンターを構える『後の先』でも剣は無手には絶対に負けないほどのアドバンテージがある。その上で、今の私は『先の先』と呼ばれる攻めようとする気配を完全に抑えられたのだ。仮にそのまま切りかかればイメージではなく、本当に地面に叩きつけられていただろう。
無論これは異世界での戦い。【スキル】も【レベル】もある前提では成り立たない考えではある。
しかし、その上で真也は元の世界の定石を持ち出してきた。無手(武器を持たない方)は武器と戦う時。奇襲以外では『後の先』を取ると言う定石である。武器に対して無手が先制してきても間合いに余裕のある武器側は簡単に対応できる。なので無手は武器による攻撃の速度に合わせて飛び込むことでお互いの速度を合わせて疑似的に加速することで懐へ入る。
それが、あまりに絶望的な対武器との状況を打開するために無手が……かつての弱者達が血道を切り開いて知り得た生きる為の道。真也はその先人の教えに殉じて『後の先』の理合いを持ち出していた。
つまりそれは、笑えるほどにクラシカルな。この世界ですらまず見ないような原始的な剣と拳の戦いへの始まりの提案だった。
心臓が痛いくらいに胸を打つ。何よ、少しはデートの誘い方がうまくなったじゃない。
下がってしまった足を数センチ前に出した。
そのデートプランに乗るわ。
私の返事を受け取った真也は眼だけで笑いつつ、微かに重心を後ろに移動させた。
そうして再び始まる意識上での隙の探り合い。相手の視線、微かな指先と剣の切っ先、お互いの呼吸。傍から見えば構えてから全く動いてないように見えることだろう。それでも私達はお互いの意識の中で何度も切り結んでいた。
ポタリと汗が頬を伝って顎から落ちる。
一分以上にわたる隙の探り合い。すなわち真也が『後の先』を取った立ち合いに置いて……私に勝ち目は無かった。この距離で向かい合ってもなお攻撃の気配を読み取れない。
どの角度から切りかかっても三手先、五手先には不利な状況になる。半端に踏み込めば最初のイメージのように一手で空を見上げることになるだろう。
……この男、少しは女性に花を持たせる気がないのかしら?
完全な手詰まり。だが、これは実戦ではなく試合であり対話だ。
私は剣の切っ先を正中線からほんの五ミリずらす。ピタリと真也からの『探り』が止まった。怪訝な表情でこちらを見る。
私が作り出した隙はあまりに見え透いた挑発だ。『後の先』を捨ててかかって来いという交渉。『先』取り合いではそちらの勝ちでいい。だけど、結果は譲ってもらう。通常ならば一笑に付すような提案だがこれは試合であり対話なのだ。
女の誘いを男が断るの?
微かに息を吐いて、真也が前に出てくる。
二畳の間合いからさらに一歩縮まり、一足の間合いに入って来た。交渉は成立し『後の先』を譲ってくれるようだ。
どうかしら紬、私だって女の子らしい駆け引きの一つや二つくらいできるのよ。
なんて浮かれている場合じゃない。ここからは意識の上でなく本当に切り合うのだ。
この距離で見つめ合い間合いに入り、それでも恐怖はない。
真也の上体がブレ、片手取りで剣を持つ手を取りに来た。小手打ちで切っ先を落とすが、スルリと手を引かれて逆の手が伸びる。下がりながら刃先を相手に向け突きを放つも、馬鹿げた速度のスウェーで躱される。しかし、ここはまだ私の距離だ。つかず離れず。刃から逃さない。
「疾っ!」
振り切ることはせず、常に切り返しながら連続で切りつける。それでも……当たらない。
手甲を用いた防御すらもなく、ひたすら躱される。踵、足指の一本からでも運足を用いた移動をしている。人の二本足が百足のようにヌルヌルとありえない軌道で動く。それでいて、それは慣性を無視したように制動するのだ。目で追っていては錯視のように脳が混乱する。一瞬でも気を緩めれば真也は視界から消えて、死角から私に襲いかかってくるだろう。
遠い……。間合いで優位なはずなのに真也の懐は深く、そこにいるはずなのにまるで届かない。
歯を食いしばる。だからって、諦めるなんてありえないのだから。
「行くわよ真也っ!」
「受けて立つっ!」
叫ぶ返す真也に笑みで応える。この日の為に剣を振って来たのだ。この男に一泡吹かせる為に!
出し惜しみはしない。連続切りの中で、姿勢を整えて膝を脱力。重みを踵に乗せて一気に蹴り込み反動を腰から腕に伝える。下から上に拳の間合いでも威力を以て切り上げられる技。
羽仙一刀流:金鼓鳥。
【スキル】ではない私の流派の奥伝の技を、真也はあろうことか手刀で切り落とす。
弾き飛ばされ、着地をするまでの間に目の前に踏み込まれる。とっさに真也の腿に足を乗せて宙返りをしながら逆手で顎を狙う。首を捻って躱される。まだ剣の間合いにいる。体を捻りながら逆手のまま手首だけで刀を回し、相手の目を狙う逆手切り。
羽仙一刀流:裏山翡翠。
目を狙ったのに、瞬きすることもなく紙一重で躱され剣戟の隙間に入り込まれる。
「まだまだっ!」
順手に持ち替えて刀の柄で突いて間合いを作り、大上段からの振り下ろし。
羽仙一刀流:岩鳥嘴。
これ以上ないタイミングで会ったはずの振り下ろしは石畳を深く切りつけた。
攻撃をギリギリまで引き付けて、バカげた制動による加速で死角に潜り込まれる。視界から消えた真也に追加の攻撃は届かず。このまま寸止めで一本。
と、拳を後頭部に差し込もうとする馬鹿に対し、ノールックで回転切りを浴びせる。
「これで……おっと!?」
甲高い音が響いた。側頭部への攻撃を真也が手甲で防いだのだろう。向き直りお互い構え直す。
「ハァハァ……始めてまともに手甲を使わせたわね」
息が切れる。全力で動き続けて、心臓がドクドクと脈打っている。あぁ、本気で戦えるって本当に楽しい。深呼吸をして指先まで酸素を行き渡らせる。ここからが本番よね。
「完全に見失わせたと思ったけどな」
「私があんたを見失うわけないでしょ……そろそろ体も温まって来たし、ギアを上げるわよ」
魔力を解放し【スキル】の準備をする。悔しいが剣術だけではこの男に届かない。
ならば私の全部を使って、魅せてあげる。
「あぁ、何でもありでいいぞ」
真也の気配が膨れ上がりこの場所全てが【威圧】の中に収められる。
山のように巨大な何かがこちらを見下ろしてくるようだ。人間と相対している気がまるでしない。
これが【死線の英雄】。
これが、私が惚れた男。
「……燃えるわね」
ここからはお行儀悪くいかせてもらうわ。
千早と真也君的には現状はデート中という認識です。
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