第四百九十六話:氷狐
海面が異常に冷やされて白い水蒸気が霧のように浮かび、極小の氷が宙に浮かんで光を反射している。
その中心で氷の仮面をつけたような異様な出で立ちの四足の獣が氷ついた海面に立ってこちらを睨んでいた。体長は尻尾を入れなければ8メートルくらいか。狐を想起させる形状のその体は粘性のある水と、それを覆う鎧のような氷で作られており、三本の太く長い尾が陽炎のように揺らめいていた。仮面から覗く無機質な瞳とは対照的にその口元は笑みを浮かべるがごとく大きく開かれ水の歯ぐきから氷の牙がびっしりと並んでいた。
緊張で冷や汗が出る。両の手甲からは【呪拳】の黒いオーラが立ち昇り、心臓がドクドクと胸を打つ。
「氷の化け狐ってところか。フクちゃん……あれ、どのくらい強いかな?」
横で宙にはったハンモックに座る少女姿のフクちゃんも自身の糸で編み上げたレースの長手袋にストッキングを付けている。
ワンポイントに桜色の鱗が飾られていてとても可愛いのだけど、これはフクちゃんが危険を感じた時に纏う本気装備なんだよな。手足の糸を展開する為の戦闘装束というわけだ。
「まあまあ。あいつ、毒でコロせない」
「『まあまあ』……ね」
フクちゃん基準だと『ボチボチ』でも魔王種クラス。『まあまあ』ということは頭抜けた存在というわけだ。しかもあの体には普通の毒は効かないと。厄介だな。
「いつまでも睨み合うわけにもいかないし。行こうか」
「イエス、マスター」
【ふんばり】を強めると固定された海面から波が消える。
合図は必要なかった。一気に踏み込んで距離を詰める。狙いは氷の鎧の隙間。足元から崩す。意図を汲み取ってくれたフクちゃんが、前足に糸を巻き付けて相手の旋回を封じる。
「ナイスフクちゃん。【流歩:撫切り】」
水面を滑るように移動しながら関節に【呪拳】付きの手刀を入れようとすると、狭い場所から一気に何かが噴出する時の甲高い音がして敵が飛び上がった。何だその動きっ!
同時に、尋常でない威力の水流を浴びせられる。海中に沈められる前に一瞬だけ見えたのはそれが三本尾から発射されていたということ。あの尾からジェットのように水を噴射できるってか。結構痛いっつーの!
パキン。目の前が白く染まる。
「は?」
いや、これは何度か経験したやつだ。周囲の海水ごと目の粘膜を凍らされた。
どこが海面かわからない。焦るな、無理やり目を閉じて気を静めて回復を待つ。数秒で目が回復、光を頼りに周囲の氷を砕きながら海面に脱出する。
そうして顔を出すと、あの無機質な氷狐の目がこちらをじっと見ていた。
「チッ!」
回避行動をとる前に、氷狐の顎が外れるほどに口が開き、今度は吹雪が叩きつけられてまた海中に沈められる。目の端が赤く染まっていた。水よりも鋭利な氷のブレスで全身が切り裂かれたのだ。出血したのは久しぶりだな。明確にダメージをもらってしまった。
「ゴホッ」
肺も少し凍ったか。結晶竜のサンドブラストを思い出すぜ。今度は距離を調整しつつ、氷を砕いて海中に戻ってから移動して水面に飛び出る。三本尾の内の一本がこちらを向くが、尾が半分ほどの部位から切り落とされた。水流のバランスが崩れた氷狐が制御を失って横に倒れる。地平線をなぞるような青色の火線。フクちゃんが糸で切断したのだ。
「マスター、ダイジョブ? あわあわー」
宙に巣を張って、移動しつつフクちゃんがこちへやってきた。珍しく肩で息をしている。
僕が海中にいる間にも激しい戦闘をしていたということだろう。回復泡を出して体にかけてくれた。
「かすり傷だよ。氷のブレスに三本尾の水流による移動と牽制、あそこまで徹底的に距離を取る戦いをされると流石にきついな。あと、仕方ないけど相手に死角がないのもきつい」
氷狐自身の目もあるだろうが『もう一つの目』を掻い潜るのは不可能だ。
「あと、治る」
「治る?」
見ると、海面を凍らせて立ち上がる氷狐の切り落とされた尾がボコボコと生えていた。ノーダメかよ。氷息吹、尾を使った水流の操作、再生能力、あと海中を凍らせたのも能力によるものか。となると能力は四つ。【核】も四つか。
「少しズルいけど、攻略的には【魔術核】ってのを破壊するしかないな。再生能力の【核】がわかればいいけど……直感では核の位置はわかるだけでどの能力かはわからないな」
「マスター。それなら合わせ技で一気に決める」
フクちゃんがシュルシュルと糸を撒いてバランスボールほどの糸玉を作った。
「叶さん考案の技其の一か。やってみよう【呪拳:鈍麻】【侵食】【沈黙】」
「コロス【焦熱毒】」
【侵食】された呪いがその場に残ると言う性質を利用して糸玉に呪いを染み込ませていく。そしてフクちゃんも手袋を紫に染めて毒液を染み込ませる。白い糸玉が黒紫に染まり内部が毒で解けてグツグツと音を立て始める。
氷狐の方も尻尾が回復して水流を出し始めた。ただ近寄ることはなくこちらを睨んでくる。構えられるのはきついな。
「僕が引き付ける。タイミングを見て、それを使おう。足場を頼む」
「イエス、マスター」
フクちゃんが宙に張った糸を使い空中から距離を詰める。尾から発射される水流をさけて、顔面の前へ。口が開くが空中で合気の体捌きで狙いを付けさせない。先程のように水流が横に噴射されて高速移動をしようとするが、先にその氷面に手が触れる。
「先着だ。握り潰す」
移動しようが絶対に離さない! 左手で氷面を掴んで呪いを流し込みながら右腕を振りかぶる。
「今度はお前が落ちろ。オラァ!」
全力の下段突きで氷狐が足場にしていた氷ごと砕いて海中に沈める。左手を見ると氷面が外れていた。自切されたか。追撃の為に海中に飛び込むと、尾を使って氷狐が魚のように縦横無尽に泳いでいる。想像ついてたけど水中も対応済みか。水を【ふんばり】で蹴りつけて、追いかける。速度はこっちの方が上のようだ。が、当然三本尾がこちらを向く。面の剥がれた顔を見るとまだまだやる気十分のようだ。
三本尾から水流が発射された。
だが、この場所なら僕だってやれることがある。手刀を中段に置く合気道の構えで迎える。
「【水流捕り】」
【掴む】で水流をとって、そのまま周囲の水と一緒に渦巻きを作る。
「【竜巻天秤投げ】っ!」
渦に氷狐を捕えて海上まで投げ上げる。その場にはフクちゃんが己の巣と共に糸玉を構えていた。
「ナイス、マスター。合わせ技【呪毒紡エル朽縄ノ如シ】」
毬を落とすように少女が落としたその糸玉は一瞬で広範囲に広がり、毒液を振りまき朽ちながら氷狐を包み込んだ。
網のように捕縛するのではない、その糸そのものが凶悪な性質を有する武器である。
氷狐が空中で反応し表皮を凍らせて鎧のようにして自らを包み込むことで、黒い網を防ごうとするがそれが表皮に当たった瞬間にそれは抵抗なく墨で線を引くように体に染み込んでいく。そして朽ちて消える寸前により深くえぐるように熱を放ち、水分が水蒸気となって爆発した。熱による亀裂より【侵食】を持つ呪いが【鈍麻】と共に相手を蝕む。そして再生の遅れた体を熱が削りさらに呪いと交互に相手を蝕んでいく。
粘性を持った体が徐々に弾き飛ばされて【魔術核】が露出した。氷狐は海水で己の身体を再生させようと宙から海面に尾を伸ばすが、その暇を与えるわけがない。
「【ハラワタ打ち:散華】っ!」
飛び上がって渾身の【ハラワタ打ち】を叩き込み、水の身体を通して内部から急所を破壊していく。
四、三、二、一。全ての【魔術核】を破壊して空中で氷狐の身体が四散した。安堵と共に疲労が体に広がっていく。
フクちゃんと一緒に船に戻ると、ファスがパチパチと拍手してくれた。
「お見事です。ご主人様、そしてフクちゃん。今回はやられてしまいましたね」
「強敵だった。良い稽古になったな」
「次はボク一人で戦いたい」
はい、ファスさんによる新しい創生魔術との模擬戦闘でした。模擬っていうかガチ戦闘だけど。
大水球から降って来る魔物達をあらかた狩りつくしたので、ファス渾身の新魔術と稽古をしていたというわけだ。大森林で学んだ【魔術核】を複数個搭載した創生魔法による魔獣と実戦形式での稽古。僕やフクちゃんに相性がいいように徹底的にメタを張ってもらったのは前回の敗北を踏まえてのことである。遠距離戦闘に、普通の毒が効かない相手、呪いも自切で対応されるというかなりきつい相手だった。
「正直悔しいです。無尽蔵に水があり、しかも私は安全な位置からご主人様達を観察し続けているという有利な状況で負けてしまうとは……【魔術核】を使った魔獣はまだ改良の余地がありそうですね」
「……いやいや、調子に乗ってアイデアをファスさんに提供した私が言うのもなんだけどヤバ過ぎるよ! どこのボス戦かと思ったよ! 回復入れとくね【星涙癒光】」
横から叶さんがツッコミを入れてきた。その後ろではポカルが目をキラキラさせている。
「うぉおおおおっす。めっちゃカッコいいっす。あの白い狐さん、ヤバいっす! そんでフクちゃんもお兄さんもカッコいいっす! よくわかんないけど、なんか凄いっす!」
子供的にはヒーローショーのように見えたのだろうか、楽しんでくれたようで何よりだ。
「ファスが他の魔術を使わなかったのはなんでだべ?」
トアが羽ペンでメモを取りながら、ファスに質問する。
「私の未熟故です。本来なら創生魔術はある程度自立した動きが可能であり、術者は別の魔術を使うことが利点なのですが、四つの【魔術核】を同時に制御するとなるとまだ厳しくて、他の魔術を使う余裕がありません。【魔術核】が二つならば他の魔術も使えるので、そちらも考えおく必要がありますね」
「そんなら実戦ではファスは【精霊眼】を使って離れた位置から指示を出した方がいい場合もありそうだべな。むしろ魔獣を尖兵として使う戦い方もできそうだ。連携が取れない時は前衛に魔獣を使うこともできるだろうし、応用ができそうだな。こりゃ、考えがいがあるだよ」
「尖兵っていうなら、先に周囲を凍らせて低温状態で相手を弱らせてから、私達は【星女神の完全祝福】で後から攻めて自由に暴れるとかできそう。ダンジョンでの立ち回りも考える必要があるよね」
「次はオラと叶で、海上での模擬戦闘をしてみるだ。ファス、次はもっと弱い魔獣を出して欲しいだよ」
「わかりました。では【魔術核】一つの魔物に私が援護する形で模擬戦闘をしましょう」
というわけで、旅を中でしっかりと鍛錬をしながら僕等はノーツガルへ向かうのだった。
そういえば、街での交互のデートの件といい距離の近かった女性陣がより距離を詰めてくるようになったのだけれど、何かあったのかなぁ。
海でのファスさんがヤバイ件。もう一話ほど海上での話を挟んでノーツガルに到着します。
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