2・少女が花開くとき
「起きてやがったのか」
「え……叔父、さ……」
叔父は舌打ちをすると、自身は狭い部屋の隅に寄り手にしたランタンを掲げる。薄い橙色の光が頼りなくゆらゆらと空気を揺らし、部屋の明度を上げる。
叔父の脇をすり抜け近付いてきた男たちに、ユフィーリアは布団をかぶったまま壁の方まで後ずさった。男たちは、たまに村に訪れる街の役人のように小綺麗なスーツと山高帽、立派な外套と暖かそうなストールを纏っていたが、それよりはるかに異質な、ユフィーリアの感じたことのない胡乱な雰囲気を醸し出している。本来なら自分が関わることのない、普通の人間でないことだけは、直感的に理解できた。
「失礼、お嬢さん。顔と髪を、よく見せてもらえますかねェ」
「ひっ……」
男の一人が手を伸ばしてくる。顔はにこにこと笑い、声も決して威圧的なものではなかったが、下がり眉の下の目だけが笑っていない。ユフィーリアが考えるより、体の方が早く反応した。筋肉が一気に硬直し、心臓だけがやけに大きく、どきどきと激しく波打つ。氷水でも浴びせられたのかと思うほど、頭の中が真っ白になった。
男の手は優しく、ユフィーリアのかぶる薄い布団をフードのように下ろす。叔父がランタンをさらに掲げると、男はまるで意外なものを見たかのように、長くほうと唸った。
「驚いた、まーた小汚い田舎娘かと思って来てみたら……いいんじゃない」
「こないだ十六になったばっかなんですがね」
「目もぱっちりしてて、綺麗な海の色だ。髪はちょっと傷んでるが、ふわふわでお人形さんみたいだ。肌はまあ、しばらく美味いもん食わせて、唇には蜂蜜でも塗って舐めさせときゃ、いい客寄せになりそうだな……」
大型の鳥を思わせる、男の長い指がユフィーリアの頬を撫で、親指が固く閉じた唇を割る。そのままうなじを伝い、髪がひとふさ絡め取られると、全身に悪寒が走った。
「ッ……や、……やめてください……」
震える体を布団の下で自ら抱き、やけに渇いた口でそれだけ絞り出せば、男は不気味なほど優しく笑い、頭をぽんぽんと撫でてきた。
「はっきり自分の意見を言えるのも偉いねえ、こんな得体の知れない男に。おじさんはそういう、強い子の方が好きだよ」
「すいませんね、本当に生意気な娘で……」
「――おい」
男は叔父のことなどまるで意に介さず、もう一人の男に声を掛ける。男は見上げてしまうほど背が高く、体格もよい。ユフィーリアがかぶっていた布団をいとも簡単に引き剥がすと、そのままユフィーリアをベッドの上に押しやった。
「あっ……」
倒れ込んだ拍子に薄い寝着のすそがめくれて足が剥き出しになり、ユフィーリアは慌ててすそを払って足を引っ込める。だが笑顔の男はさして興味もないようにあごをさすって、湿っぽい声で続けた。
「あー。体はまあ、可哀想にねえ、ご飯食べさせてもらえなかったんだ。こういうのが好きなのもいるけど、栄養与えると一気に育つ女もいるからなァ。ま、十六なら先は長い。今後に期待ってことで」
男の言葉の端々から感じる、ぬめりを帯びた不穏な色。
「あ……あ、あなた、たち、人買い……ひぃッ」
自分は叔父に売られたのだとようやく理解したユフィーリアがその言葉を発した途端、体格のいい男が素早くユフィーリアの細い首に手を回して、なにか紐のようなものをくくりつけてきた。
一瞬首を絞められると思って息を呑んだユフィーリアだったが、男はあっさりと退く。慌てて首元を触れば、なにか刺繍が施されたもののような、でこぼことした触感が指に伝わった。
「……?」
自身の体の異変に気付いたのは、そのすぐ後だった。
「……!?」
声が出ない。何度試しても、自分では声を出しているつもりなのに、声が耳に届かない。
笑顔の男を見上げれば、男はますますその顔の陰影を深めた。
「特別なまじないかなんかが掛かってるらしいんだよねェ、それ。おじさん、魔法使いとかあんまり好きじゃないから知らないけど。騒がれると仕事の邪魔だからさ。あー、無理矢理取ろうとしても取れないから、無駄なことせず、じっとしててね。どうせ逃げられないから。――んじゃご主人、商談といきましょうか。高く買いますよ。こんなご時世ですから、食い物の方が良ければそっちでも」
「は、いや、ありがとうございます。助かります……!」
「……! ……!」
首を押さえ、透明になってしまった声を張り上げる。叔父さん、と何度も呼びかける。しかし、どうにもならない。
書き付けのようなものをスーツの内ポケットから出しながら、笑顔の男は困ったように下がり眉をさらに下げてユフィーリアを見遣り、自身のこめかみをとんとん叩く。
「お嬢さんも、ココさえ良ければ、身の振り方ひとつで随分幸せになれると思うけどねえ。これから行くところはご飯もお腹いっぱい食べられるし、ああ、お菓子や果物も。あるとこにはあるんだなァー。綺麗な服ももらえるし、どうせ痛い思いするならさ――」
「……ッ」
ユフィーリアは床に落ちていた布団を男たちに投げつけ、男たちの視界を遮る。その隙に、男たちの隙間を縫って物置部屋から躍り出た。
逃げなきゃ、と瞬間的に思い、思ったらそれしか考えられなくなっていた。
背後から叔父が叫ぶ声がする。家の出入口まで走ればそこには叔母が立ちはだかり、木の扉をふさいでいた。
「逃げるんじゃないよ、ユフィーリア! 今まで散々食わせてやったんだから、今度はこっちの役に立ってもらうよ!」
「……!!」
後ろからは男たちの足音が近付いてきていた。ユフィーリアはすぐに身を翻すと、一番近くの窓に向かった。
木の雨戸を目一杯に開き、近くにあった農作業用の木のかごをたぐり寄せる。壊れてしまってもいい、今の一回だけ耐えてくれればいい、とそのかごの上に乗り、窓のへりによじ登る。
「ユフィーリア!」
叔母が憤怒の表情で駆けてきたが、その野太い腕が伸びてくる前に、ユフィーリアは屋外に滑り落ちた。
そのまま背後を振り返りもせず、近所の家まで裸足のまま走る。夜の底冷えする空気に全身がたちまちに冷えたが、なぜか内側は熱く熱く滾っていくようだった。乱れる呼吸を抑えるように祈りのペンダントを握りしめ、近所の家の門扉を叩く。
「……!」
助けて、と唇を動かしながら、何度も何度も扉を叩く。しかし深夜のためか、誰も出てこない。ここは駄目だと次へ、次へと家を回るが、ユフィーリアに応えてくれる家はなぜか一つもなかった。
(まさか――)
すでに叔父夫婦に言い含められているのではないか。あの男が言っていた、金や食べ物と引き換えに――そんな考えが頭を過る。だとしたら、どれだけ扉を叩いても無駄だ。村の結束は強い。今頃息を潜めて、扉を叩く音が通り過ぎるのを待っていることだろう。
何度も固い扉に打ち付けた両手の側面が痛む。無意味だったと思えば、さらに胸が痛んだ。腹の奥から込み上げてくる、吐き気のような息を呑み込み、ユフィーリアは軽く頭を横に振るともう一度前を向く。
(教会……)
あそこならば、こんな世の中であろうと、人買いなんて非人道的な真似は許さないだろう――そうすがるように思って、寒さのせいか震える足を、無理矢理に奮い立たせて歩く。
張り付いたものを剥がすように一歩一歩を重ねて、ユフィーリアはようやく村の中心にある広場に辿り着いた。そのすぐ正面が、村の小さな教会だ。
「……っ!?」
だがそこから一歩を進んだ瞬間、思いも寄らなかった苦痛がユフィーリアを襲った。
「……!? っ、んぐ……ッ」
息ができない。まるで見えない何かに後ろから首を絞められているかのように圧力がかかり、それを引き剥がそうと喉に両手をやったとき、やっとその存在を思い出した。
あの人買いに着けられた、刺繍の紐のようなものだ。それが締まり、ユフィーリアの呼吸を妨げている。
立っていられなくなって、地面を掻きむしりながらうずくまっていると、すぐに上から灯りが照らされて、あの粘っこい男の声が降ってきた。
「――あー、いたいた。だからおじさん言ってあげたのに。逃げられないから、じっとしててねって。ソレ、おじさんたちから一定距離はなれると、締まるんだよ。ほら、おそろいー」
うずくまりながら男を見遣れば、男の手首に同じような紐が結んである。たしかに男が近付いてきた途端に、呼吸が楽になった。しかしそれでもすぐには立ち上がれず、ユフィーリアは涙を流しながら嘔吐き、呼吸が落ち着くのを待った。
「可哀想だけど器量もそこそこいいし、こんだけ度胸がありゃ、どこ行ってもきっとまあまあイイところまで行けるよ。――おーい、いたぞー」
「……ッは、はぁッ……かはっ、はあっ……」
叔父たちが来てしまえば、結果は火を見るより明らかだ。せめて、せめて教会まで辿り着ければ――そう思って広場の向こうを睨むが、しかし呼吸は一向に収まらない。
(熱い……苦しい……!)
ヒビが入ったのかと思うほど体中が軋み、心臓が早鐘を打つ。汗が滲み、その辺りでようやく男も異変に気付いたようだった。
「おい――」
男がユフィーリアの腕をつかみ上げ――しかしその瞬間、信じられないことが起きた。
男の手を遮るかのように、地面からぶわりと植物が湧き出したのだ。
茎が、葉がするすると、季節を忘れたかのように男目掛けて異様に発達して伸びていく。そして男の腕を捕らえると、威嚇するように一斉に花を開かせた。
「……!?」
「うわッ――なんだこりゃあ!?」
むせかえるほどの芳香が、空気を濁らせる。男は堪らずユフィーリアから手を離して、ランタンを放り出すと腕に絡まる蔦を引きちぎった。その手で数回宙を搔き、目や鼻をぬぐうと、ハンカチを取り出して口元を押さえる。
「……?」
一方、なにが起こったのかわからないまま再び地面に放り出されて、おそるおそる男に振り返るユフィーリア。
だが男は口元を押さえた姿のまま硬直し、瞳が割れんばかりに目を剥き出して、自分を凝視している。
呼吸も熱も、あの軋むような痛みも、もうない。
「……」
自分を囲む植物たちは、冬が解けた春野のようにやわらかく萌え、星々のように小さな花をつけて、冷えた足を包みこんでくれている。
ユフィーリアはゆっくりと立ち上がって――そこでようやく、男が絶句するほどの自身の変化に気付いた。
――花が、咲いている。
自身の髪に、肩に、胸に。
肌を撫で、身を戒めるかのように所々に這う細い枝から、手のひらほどの真っ白な花とつぼみ、青く若い葉が伸びて、貴婦人のドレスのようにユフィーリアを飾っている。
暗闇さえ凌駕するその純白の花とつぼみは、咲き初めのみずみずしさを誇るかのように光を帯び、ユフィーリアの肉体に、たしかに宿っていた。




