1・祝福の砂糖菓子
この国に生まれた赤子は一歳を迎えたとき、健やかな成長を願う祈りの儀式を教会から授かることになる。
司祭から祝福の言葉を受け、国樹である世界樹の葉と花を模した、ペンダントに似たビーズ細工の祈りの道具を頂戴し、最後に甘い砂糖菓子をひとつぶ口に含ませてもらう。
大半の人間はどんな菓子だったか覚えがないが、赤子を持つ菓子職人が再現したそれは白くしゃくりとした食感で、甘い糸で編まれた小さな小さな繭のような見た目をしていた。
一歳の子には退屈極まりない儀式を耐え抜いた、ご褒美のようなものだと大人たちは思っている。癇癪を起こしていた子も、そのひとつぶが口にすべりこんできた瞬間、目をまん丸くして泣き止み、たちまちの笑顔になったものだ。
そこまでは貴族の子も平民の子も貧民の子も、大方同じ人生。ただその祝福の砂糖菓子が、人生で口にする最初で最後のお菓子になる子もいる。
ユフィーリアもそんな子供の一人だった。
(祝福なんて、うそだ)
誕生日の朝を迎えるたびに、覚えてもいない砂糖菓子を憎らしく思い、そんな自分がみじめで悲しくなる。それは祝福どころか、呪いのようだった。
体が勝手に震えるほどの冷気に、薄い布団をたぐり寄せる。首からさげた祈りのためのペンダントを布団ごと握りしめながら、心の中で死んだ両親を何度も呼んで、もう無理だよ、とささやく。もう十年だよ、早くわたしも連れていって、と。
こみあげてくる感情を抑えきれず喉を震わせていたら、薄い壁が向こう側から殴られた。ドンという大きな音に体がびくりと跳ね、思い出からも祈りからも意識が剥がされ、むりやりに叩き起こされる。すぐに激昂し暴力を振るう、大嫌いな叔父のしわざだ。
両親を亡くした幼いユフィーリアは、同じ村に住んでいたこの叔父夫婦の家に引き取られたが、ユフィーリアは何年経っても金食い虫の邪魔者扱いだった。
「いいこになるから」
泣いてそう叔母にすがっていた時期もあったが、叔母が返事代わりに与えてくれたのは野太い腕で振り下ろされる拳骨と亡き両親の悪口、そして家事や農作業、家畜の世話の言いつけだけだった。
砂糖菓子どころか朝食ももらえるか怪しい十六回目の特別な朝、ユフィーリアは着替えを済ませると日課となっている水汲みに出た。まだ辺りは薄暗く、氷をうすぎぬに仕立てたような霧が立ちこめている。鼻の奥がつんと痛み、頬がひりひりと灼けつく。
真冬に生まれた自分への誕生日の贈り物は、毎年少しだけ大きくなっていく手袋やマフラーだった。母がユフィーリアの好きな色で編んでくれたもので、余った毛糸の切れ端を集めて作られたふさふさの玉が可愛らしく、温かい。父も毎年その日は肉や魚など少しだけ豪華な食材を市場から仕入れてくれて、家族みんなでふわふわのパンや具だくさんのパイ、温かいスープやシチューに舌つづみを打った。
いつか大人になったら、今度は自分が老いた両親にそうしてあげたいと思っていた。温かい部屋で、温かい思い出を、別れの時までたくさん作りたいと思っていた。
でも今は、自分の息だけが世界で温かい。
この家で一番最後に食べる残り物の食事はいつだって冷たいし、桶に張った湯も、自分に回ってくるときは水になっている。
自分には小さくなってしまった贈り物も大切にしまってあったのに、叔父夫婦に引き取られるときにどこかへいってしまった。価値のないものとして捨てられたか、でなければ叔父や叔母の見栄で、知り合いの小さな子のいる家にでもくれてしまったのだろう。
近くの井戸と家を数回往復して、台所の水瓶がいっぱいになる頃には、指先が赤く腫れ、ひび割れからうっすらと血がにじんでいた。温かい手編みの手袋が、ユフィーリアの手に届くことはもうなかった。
叔父夫婦の様子が変わったのは、その誕生日を少し過ぎた頃からだった。ふとした瞬間、納屋の裏や台所の影でひそひそと何かを話し合っている。ユフィーリアが近付けば、怒鳴られて追い払われるか、嫌そうな顔をしてどこかへ行ってしまう。肌にまとわりつくような不穏な空気だけが、なにか自分に関するよくないことを相談しているのだとユフィーリアに伝えてくれていた。
その日の昼も、ユフィーリアが納屋の隣にある崩れかけの鶏小屋に卵を見に行けば、叔父たちが密談を交わしている場面に出くわしてしまった。二人はユフィーリアの姿を見ると、顔を歪め舌打ちして畑の方へ行ってしまう。
なにを話しているか、訊く気力もない。ただ毎日の仕事をこなすべく、卵を拾おうと鶏小屋を覗けば、一羽が地面に臥していた。不自然に乱れた羽と、ひしゃげたような足。寒さにやられて死んでしまったのか、餌が食べられなくて、暴れて死んだのか。卵は今にも潰れそうな、薄い殻のものがふたつ落っこちていた。ユフィーリアは知らず知らず胸元の祈りのペンダントを握りしめ、遙か遠くに青白く浮かぶ〝世界樹〟の影を眺めていた。
叔父の怒鳴り声に我に返り、慌てて地面の鶏を指し示せば、叔父は久しぶりに肉を食うぞと上機嫌に喚いてその鶏を持っていった。しかしその日のユフィーリアの夕食は、向こう側が透けて見えるほどに薄く切られた玉葱のスープと、教会から施された固い黒パン一切れだけだった。
もらえるだけ、ましだ。そう心の中で呟きながら、パンを割るように千切って冷めたスープに沈める。
パンが柔らかくなるのを待つ間、ユフィーリアは外に出て、家から洩れる明かりを頼りに、枯れ草に混じるハーブを探した。枯れていても多少は風味がつく。
それらしいものをむしり立ち上がると、やはり遠くに世界樹の影が見えた。昼間とは異なり、青黒い。
(あんなに、大きいのに。枯れるときは、やっぱりこんなふうに、かさかさになっちゃうのかな)
世界に根を張り、あらゆる植物のいとなみを護り、豊穣を司ると言い伝えられている〝世界樹〟。その力が衰え始めていると、教会の神父が語っていた。そのため各国で穀物や作物の不作が重なり、森が枯れ、花が色を失っていると。
「しかし、心配はいりません。新しい世界樹に生まれ変わるときが、必ず訪れますから。だからなんとか皆さんで協力しあって、この厳しい時代を乗り越えましょう。皆さんは歴史の節目に立っている、選ばれし人間なのです」――と。
たしかに、ここ何年かは作物が育ちにくい。病気になりやすく、穀物や野菜も無事に実ったとしても数が少なかったり小さい。春の花も数を減らし、夏には森の木々がまだ青い葉を土砂降りのように落とし、秋を待つことなく冬を迎えていた。
その不作が数年重なったことで農家を営む叔父夫婦の機嫌はさらに悪くなり、ユフィーリアの食事もどんどん減らされていった。
ユフィーリアは手の中で砕けたハーブに気付き、家に戻る。手のひらのそれを落とし、柔らかいというよりどろどろと溶けて粥のようになったスープを啜って、夕食を終えた。
ユフィーリアがようやく物置部屋の自分のベッド――物置にあった木箱を並べ、ぼろ布を敷いただけのものだ――に入れるのは、叔母の言いつけをすべて済ませた深夜のことだった。
空腹で腹が痛む。何度も寝返りを打ったり、両手で腹を押さえながら背を丸めてなんとかやり過ごそうとするが、その晩だけはどうしても我慢できなかった。
(お水でも飲もう……)
立ち上がろうと布団から出した足の冷たさに一度身震いして、鳥肌が収まってから布団を頭からかぶり、ベッドを降りる。
「――え?」
そしてまさにその瞬間、カチャリと物置部屋の扉が静かに開いて、灯りを持った叔父と、見知らぬ男が二人ぬうっと室内に入ってきてユフィーリアを見下ろした。




