第849話 包み焼きハンバーグ
桜の花もとうに散り、夏へと着実に近づき始めた。洗濯物が乾かなくてしょうがない、とばあちゃんも母さんもぼやいていた。この季節はどうしてもなあ。
しかし今日は久々の晴れ。もうそろそろ着ないだろうという洋服を一通り洗ってしまおうと母さんが言ったので、今、部屋はずいぶんすっきりしている。あ、あの辺本出しっぱなしだったな。片づけないと。
「あ、しまった」
漫画に紛れて出てきた図書館の本。貸出期限が今日までだ。
「はー、返しに行かないと」
せっかくすっきりしたベッドでのんびりしようと思ったのに。ま、いいや。っと、それなら着替えないと。
「ちょっと図書館行ってくる」
着替えを済ませて居間に向かう。父さんと母さんはソファに座ってテレビを見ていた。母さんが振り返る。
「はーい、あ、どっちの?」
「遠い方」
「了解~」
すると不意に父さんが時計に目をやると、言った。
「せっかくだし、車で一緒に行こうか。お昼、外で食べないか?」
「いいね。お昼どうしようかなって思ってたところ」
「うん、賛成」
というわけで、車で向かうことになった。確かに向こうに着くのはお昼時である。ちょうどいいかもしれない。
「じゃあ、図書館に行ってから、お昼行こうか。どこ行きたいか春都、考えといて」
「分かった」
えー、どうしよう。どこに行きたいかなあ。あの辺、結構いろんなお店あるんだよなあ。
車の中で、のんびり考えるとしよう。
父さんが運転する車の助手席で、ぼんやりと外を眺める。
大きな道は車の往来も多く、平日と何ら変わらないはずの風景も日曜日となると違って見えるのは何だろう。
川沿いの道に来ると、一瞬だけ、車の通りが減る。土手には菜の花が思い思いに咲き、川の流れは緩やかだ。雑草の勢いがすごい。最近、暖かい日も増えたからだろうか。
途中の踏切を通り過ぎていった電車は二両編成。これに乗っていくはずが、車に乗っている。なんとなく不思議な気分がした。遮断機は緩やかにしなり、カンカンカン……と音が響く。やがて電車が走り去ると、ぱたっと音が止まって、遮断機が上がる。
「あら、ここ古い家があったはずだけど、壊れたのね」
「そうみたいだね。きれいに整地されてる」
「また何か建つのかな」
「近くにお店もあるし、駐車場になるかもよ」
父さんと母さんのそんな会話を聞きながら、ここに何が建っていたかを思い出す。確かに古い家はあったけど、どんな家だったっけ。
町の姿はじわじわと、時に突然、変わってしまう。確かにそこにあったはずのものも、時間が経つとすっかり思い出せなくなる。あっという間に忘れてしまうこともある。違和感もいずれ薄れ、初めからそうだったような気さえしてくる。しょっちゅう来るような場所じゃないと、特にそうだ。
でもちょっと部屋の模様替えしたときは、前の配置を覚えているんだよな。ほんの位置とか変えた後は特に思う。体が勝手に動くから、探している本と目の前にある本が違って、混乱する。
再び車通りの多い道に出て、そういえば行きたい店を決めなければと思い出す。
どこがいいかなあ……寿司屋に中華、ショッピングモールの中には蕎麦屋さんにパスタ専門店、カレー屋もある。フードコートもいいなあ。
ファミレスの種類も結構ある……あ、そうだ、あそこがいい。
「お昼、あの店がいい」
「おっ決まった?」
父さんが楽しげに言う。
「うん」
店名を告げると、母さんも「あっ、そうね。せっかくだしね」と嬉しそうに言った。
「じゃあ、そうしよう」
いやはや、あのお店を思い出した俺、さすがだ。
楽しみだな。
ササッと本を返却して、混む前に目的のファミレスへと向かう。一瞬の差で、車も止められなくなるのだが……うん、まだ空いているみたいだ。
「いらっしゃいませ。こちらのタッチパネルで受付をお願いします」
店員さんに説明されるまま操作をし、席に向かう。窓際で、他の席があまり見えないいい席だ。
「ご注文はこちらのパネルをお使いください」
おお、ここでもタッチパネル。便利だな。
「何にしようか」
メニューは冊子のものもある。これを眺めると、ファミレスに来たなあ、と思えるから楽しい。一通り眺めるが、この店に来たからにはこれを食べたいところだ。
「これにする」
「包み焼きハンバーグ? いいね。私もそうしよう」
「じゃあ、父さんも」
やはり、名物のハンバーグの魅力には抗えない。
「春都、ハンバーグ二つじゃなくていいの?」
「……いいの?」
実はひそかに憧れていた、包み焼きハンバーグダブル。母さんに言われるものだから心が揺らぐ。母さんは頼もしく笑って言った。
「いいよ~、好きなの食べなさい」
「じゃあ」
ダブルを頼んでしまった。
包み焼きハンバーグは出てくるまでにちょっと時間がかかる。ふふ、楽しみだなあ。
「お、来た来た」
店員さんと、配膳ロボットが一緒に盛ってきてくれた。猫型の配膳ロボット、見たことはあるけど配膳してもらったのは初めてだ。
「ごゆっくりどうぞ」
「いただきます」
少し重めのカトラリー、膨らんだアルミホイル、熱々の鉄板。思い切りナイフをアルミホイルに突き立てて開くと、ぐつぐつ言ってる中身があらわに……わー、ダブルだ!
一口サイズに切り分け、ソースを絡めて、まずは一口……熱い! いけない、焦るな。そーっと食べないと。やけどしたら味どころじゃなくなってしまう。
ふわっとしたようでいて、それでいてどこかプリッとしたような感じもある、特徴的な食感。コクのあるデミグラスソースが絡んで香ばしく、ジュワッと口いっぱいにうま味が広がる。
うまぁ、これだよ、これ。
次はトロトロに煮込まれた牛肉も一緒に。……なんて贅沢な。とろりととろけつつも確かに牛肉の質感はあって、ハンバーグの食感とのコントラストがたまらない。うま味が増すなあ。
そうそう、丸ごと蒸したジャガイモもな。ガーリックバターが香ばしくておいしい。トロトロでほくっとしたじゃがいもは、スプーンですくって食べる。ソースをつけてもうまいし、ハンバーグと一緒に食べるとまたうまいんだ。
セットはパン。パリッとした表面にもっちもちの中身、ライ麦パンだから、プチプチっとした食感もある。ソースをひたひたにして食べるのがよろしい。添えられたバターもコク深い。
ああ、ハンバーグが二つもある幸せ。一つ食べても、まだ、ある。
インゲンマメも好きだ。くったりとしたインゲンマメ、ソースを和えて食べてなお、青い香りが際立つ。食感もよく、みずみずしい。
たっぷりあるソースも、ハンバーグも、スプーンですくって余すことなく食べきりたい。じゃがいももしっかり食べきる。結構どっしりお腹に来るなあ。
ああ、もう最後の一口。早かった。ここのハンバーグは、もはや飲み物のようだ。
トロトロの玉ねぎに香ばしいデミグラスソース、煮込まれた牛肉のうま味にふわプリッとしたハンバーグ。うま味の塊だ。
はー、食べきった、おいしかった。
ちょっと億劫なはずだった外出が、まさかこんなに楽しくなるとは。
本、ギリギリまで返し忘れてよかったかも、なんて。こういうのを怪我の功名というのだろうか。
……いやいや、余裕をもって、ちゃんと管理しないとな。
でも、おいしかったから、いっか。
「ごちそうさまでした」




