第850話 甘いせんべい
校庭からは運動部の威勢のいい掛け声が聞こえてきて、どこからともなく楽器の音色が響く放課後。校門へ向かう人波とは逆向きに進む。
ほんのさっきまで人がたくさんいた校舎も、すっかり静かになってしまっている。どことなくひんやりとしていて寂しいような、せわしなさが無くてほっとするような、放課後の校舎の雰囲気というのは不思議だ。
階段を上る自分の足音が妙に響く。
誰もいない教室はまだ施錠されておらず、いくつかの机の上には荷物が起きっぱなしにされていた。
窓際の席はいいものだが、こういう忘れ物をしたときなんかは不便だな。遠い。
「よし、あったあった」
この用語集、薄っぺらいから資料集と重なるとすぐ分からなくなるんだ。
窓の外を鳥が鳴きながら飛んでいくのが見え、少しのぞき込んでみる。駐輪場にはまだ自転車がたくさん停まっているな。そりゃそうか、部活してるもんな。
おや、何やら足音が聞こえてきた。先生だろうか。
「ん? あれ、春都」
「なんだ、咲良か」
軽そうな鞄を抱えた咲良はニッと笑うと、扉の枠にもたれかかった。
「どうしたの。今帰り?」
「忘れ物だ」
と、用語集を見せれば、咲良は納得したように頷いた。
「それ、すぐどっかいっちゃうよな」
「今回は日本史の資料集に挟まってた」
「あるある~」
さて、これでやっと帰れる。廊下に出ると、咲良は、「じゃあ、次はこっちね」と当然のように言って渡り廊下へと向かった。
「は? なんでそっち?」
「俺も忘れもの。今日までに提出のプリントあってさ」
そう言ってひらひらとプリントを見せる咲良。
「ついてきてよ」
「なんだそれ」
別に断る理由もないし、ついて行くけど。
案の定、咲良は先生に小言を言われていたが、本人は意に介していないようで……というか、慣れた様子であった。
先生はプリントを受け取ると、「ちょっと待ってなさい」と一言言うと、何やら山積みのノートを持ってきた。
「じゃあ、遅れたついでに、これ持って行ってくれ。第一理科室まで」
「えー?」
「頼んだぞー」
咲良のブーイングなど無視して、先生はノートを押し付けた。先生と一瞬目が合ったあたり、俺も運ばなきゃならんのだろうな。
二人してノートを抱えて階段を上り、理科室の教卓の上にノートを置いた。ツンと鼻を刺す薬品の匂いと、窓際に置かれた水槽から聞こえるエアポンプと水の音、あー理科室って感じ。
「はー、早く帰ろ。なんか嫌な予感がする」
「奇遇だな、俺もだ」
こそこそと二人で言いながら廊下に出る。よし、人はいない……
「おっ、いいところに」
「げっ」
階段で、矢口先生と鉢合わせる。矢口先生はプリントの束を抱えていた。
そうして、にっこり笑って言ったのだった。
「手伝ってくれるな?」
それからも行く先々であれやこれやと頼まれごとをされ、最終的に図書館へと行きついた。しかもその図書館でも作業が立て込んでいたようで、その手伝いをしている。汚れた本の掃除である。
「ちくしょう、忘れ物なんてしなけりゃよかった」
咲良は言うが、時すでに遅しである。ちまちまと作業を続けていると、その愚痴も徐々に落ち着いてきた。
「俺、結構こういう作業好きかも」
「意外とマメだよな、咲良」
「意外とは何だ」
山積みの本がすっかりきれいになる頃、外の日差しも緩やかに落ち着いて夕方らしくなってきた。
「手伝い、ありがとうな」
漆原先生は言うと、詰所から手招きをした。
「ほい、お駄賃。ずいぶんとこき使われたようだからなあ」
そう言って先生は机の上にあった菓子箱から二つ、個包装の何かを取って渡してくれた。あ、これ。
「このせんべい、好きです」
「そうか。いっぱいあるから好きなだけ持って行っていいぞ。何なら、ここで食べていくか?」
「えっ、食っていいんすか。俺もう腹減ってしょうがなくて」
咲良が言うと、先生は笑って、「いいぞ。ほら、こっちにおいで」と、衝立の向こう、休憩スペースに通してくれた。
「ちょうどお茶が入ったところでな」
しかも、熱々のお茶まであるとは。やはり頑張るといいことがあるものだ。
「ありがとうございます。いただきます」
このせんべい、ピーナッツが入ってんのがいいんだよなあ。何より、食感がいい。
サクッと、パリッとした、決して薄くはないせんべいの、軽い食感。これが不思議で、癖になる。噛むとジャリッとしていて、甘いのだ。でも、甘すぎない。このせんべいならではの独特の甘さ。カラメルっぽいような、飴を薄ーく伸ばしたような……でもちゃんとせんべいなんだ。
ピーナッツは香ばしく、ほのかに甘い。ゴリッと噛み応えがあるのが、また食感の違いを感じられて面白い。
表面には砂糖か何かで模様が描かれている。その砂糖の部分も好きだな。
これに、熱いお茶。合うんだなあ。香ばしく、ほのかな苦みのある緑茶。それと甘じょっぱいせんべいがよく合う。
これはたとえたくさんあろうと、次々パクパク食べるのは、何か違う。じっくり、しっかり味わいたいものである。
なぜかやたらとこき使われたが、まあ、良しとしよう。
……一個持って帰っても、いいかなあ。
「ごちそうさまでした」




