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鬼が出るか、蛇が出るか(6)

 午前九時。

 ドォォォォンと、地響きにも似た重低音が響き、森から鳥が一斉に飛び立った。


 音の伝わり方からして、そう近くはない。


「至急、戦線を後退させよ。」

「ハッ。」


 伝令係が天幕を去っていく。グレイ侯爵は机いっぱいに地図を広げた。


 エリザベス達の乗ったであろう馬車を見失ったのは北東方面だったし、まだ半刻しか経っていない。


 いくら彼女が公国軍に助力を求めに行ったとしても、直ぐに公国軍が自分の後方、南西方面に動くとは考えにくい。


(・・・・・・焦れて、市民の一部が暴徒と化したか?)


 市民が暴徒と化したのであれば、エリザベスの身が危うくなる。


(彼女を死なせるわけにはいかない。)


 ベアトリスの娘に、傷一つ、負わせるつもりはない。

 

「グレイ侯爵閣下!!」


 と、伝令の兵士が駆け込んでくる。


「どうした? 騒がしい。」

「先程の攻撃で、退路を断たれました!!」


 グレイ侯爵はそれを聞くと不快そうに眉根を寄せた。


 先程の爆発音は、後方部隊として置いていた南西側の部隊を攻撃されたものらしい。


 「エリザベスの保護」という大義名分もあり、昨夜のうちに決着を付けられなかったことが悔やまれる。


 と、また一人、別の者が報告にやって来た。


「失礼します、閣下。中央広場にエリザベス様が姿を現したと、連絡が入りました。」

「中央広場? たしか、ここから東に2km程の位置だったか?」

「はい、左様でございます。」


 用意していた退路を断たれた今、新たな退路を作らざるを得ない。

 だが、中央広場にエリザベスが姿を現したとあらば、東に展開している軍を動かすのも悪手だ。


(・・・・・・彼女からの招待状といったところか。)


 どうやらエリザベスは、昨夜、少しも動かなかった公国軍の心を掴んだ上、こちらの退路を断ち、中央広場まで戻ってきたらしかった。


 武者震いが起こる――。


「・・・・・・東だ。」


 これが彼女の思惑だと言うなら、戦として大敗を喫しても構わない。


 彼女の思惑に乗り、ギリギリのところで彼女を捕らえれば、他の者の命などどうなろうと構わない。


「全軍、東に動かせ。退却する者達にも伝えよ。」

「で、ですが、それでは大公家の邸の包囲が緩まります。」

「構わん。我らの目的は正教会の信徒どもとは異なる。我らの目的はプリンセス・エリザベス、ただ一人だ。彼女を陛下の前に連れて行くことこそ、我らの役割。彼の御身の保護を最優先とせよ。」


 そういうと、グレイ侯爵は「馬を用意しろ」と指示する。そして、中央広場の状況を伝えてきた兵士に「抜かるな。姫君には傷一つ、付けてはならぬ。正教会より先に彼女を保護せよ」と告げた。


「公国軍の動きが、思っていたより数段早い。乗ってきた船を拿捕されないように退路の確保も進めよ。」

「ハッ、承知しました。」


(今度こそ、彼女を手に入れる・・・・・・。)


 彼女の父親であるエドワードとの話もついている。


 陽に透けるとストロベリーピンクの髪、春を思わせるようなエメラルドのような瞳。


 グニシア王家の血を引きながらも、ベアトリスと瓜二つの娘。


 その『器』にベアトリスの魂を呼び戻したら、それは限りなく『ベアトリスを生き返らせる』ことに近くなるだろう。


 そうして、彼女が生き返ったなら――。

 一体、ベアトリスは何を思うだろう。


 瀕死のルーカスの姿を嘆くのか、自らを切り捨てたエドワードを恨むのか、それとも犠牲になった自らの娘に涙するのか。


(いずれにせよ、ビーに言ってやろう。)


 執着もまた、ひとつの愛のカタチだと――。


 ◇


 午前九時少し前。

 エリザベスは、丘の上の本部からマーサーズギルドのある中央広場に戻ってきていた。


「どうやら、グニシアの武装兵みたいですね。」

「正教会の狂信者やノーランドの武装兵じゃなくて良かったわ。」

「お嬢、気を抜くのは早いです。狂信者が紛れてるかもしれないって言うのに。」

「それもそうね。」


 一触即発。

 ヴィットーリオがそう話したとおり、マーサーズギルドの一室から見下ろした中央広場は人影がなく、代わりに自警団が作り出した木箱によるバリケードが、扇形に展開していた。


「ギルド長も、ご協力ありがとう。」

「いえ、この街を守るのは、街の一員として当然の事ですから。」


 ヴィットーリオの声掛けもあって、シェルターにはこの一時間足らずで結構な人数が避難していると聞かされる。


「それもこれも、ギルバート殿下とエリザベス妃殿下のご機転のおかげですから。」

「ギルの?」

「はい、私はこのマーサーズギルドのギルド長をしておりますが、真なるギルド長は殿下に他なりません。」

「・・・・・・真なるギルド長って?」

「ええ、といっても『パトロン的なお立場』という方がより正しいですね。」


 ギルバートが運営するギルドは、マーサーズだけではなくいくつもあるのだと、ヴィットーリオは話す。


「正直、この規模で複数のギルドが連携して動くのは難しいんですが、殿下が本件に関してはマーサーズに指揮権を与える委任状を添えてくださいまして。普段は反目し合うギルドも、このシェルターの開放の件については、スムーズに受け入れていただけました。」

「つまり、前代未聞ということかしら?」

「ええ、そうですね。」


 ヴィットーリオの話を聞きながら、これまでも色々とチートな夫だと感じていたのもあって、「そう」としか答えられなくなる。


「どんな方があの方の奥様になられるのかと思っておりましたが、ものの三十分で妃殿下がこちらにお戻りになられて腹落ちいたしました。」

「・・・・・・へ?」

「頭の固い軍人の方々をあっという間に味方につけられたのでしょう?」


 エドガーやら、グロースター辺境伯やら、はったりにも程があるものの、使える名前を使い倒してきた結果、かなり早い段階で決着がついたのは助かった。


「幕僚長がお話のわかる方だったのよ。」

「そう仰るのは、妃殿下だけだと思いますよ?。」

「そうなの?」

「ええ、商人仲間で幕僚長の気難しさは有名ですからね。」


 と、それまで黙っていたジョーンズ少尉がくつくつと笑った。


「まあ、幕僚長を始め、お偉方はスペンサー将軍に助けられた人達ばかりですからねぇ。それなのにその孫娘に『自分たちの仕事をしろ』だなんて言われたら、ぐうの音も出ないでしょう。」

「・・・・・・ちょっと、JJ? 私、そんな言い方した覚えないんだけど。」


 ギルバートを助けだせ、でも、自分を匿えでもない。


「いやいや、『公国軍が公国民を守るのは真っ当なこと』って仰ったら、同義じゃないですか?」


 それを言われて断る術など、公国軍本部は持ち合わせてないだろう。


 それにはヴィットーリオも「たしかに。それを大公妃に言われたら、幕僚長もぐうの音が出ないでしょうね」と笑った。


「で、でも、公国軍の初動が早くて、正直、驚いているんだけど。」


 戻ってきた途端、南西の川下のあたりで、いく筋か煙が上がっていることを指摘すれば、ジョーンズ少尉は「ああ、あれはレジナルドの海兵隊ですよ」と話した。


「オルメス大尉にお願いしておいたんです。潜伏中の海兵隊に旗を使って、連絡をしてほしいって。」


 少しでも大公家から、敵軍の気が逸れるように『騒ぎを起こせ』と送ったらしい。


「あれでグレイ侯爵の部隊は、少し数を減らしたはずですよ。」

「そう、なら、次はこちらに陽動と言うことかしら?」

「そうですねぇ。そして、向こうがこの辺りに来る頃には、公国軍が包囲網を敷きたいところですが・・・・・・。」


 グレイ侯爵が全軍を東に移動してくれるかは、一種の賭けだ。


 トムとホーキンスは、大公家側の部隊の手伝いをしつつ、各班の配備を誘導すると話していた。


「ところで、サムはこっちで良かったの?」


 エリザベスが訊ねれば、サムは「ギルの旦那公認のお嬢のお目付け役ですからね」とため息混じりに答える。


「だいたい、お嬢、こんな無茶をして、後で殿下に叱られますよ?」

「そこは上手く取り成してよ?」

「お嬢が怪我したあとの、旦那の猛吹雪ぶりを、もうお忘れなんですか? 俺、二度も、三度もあんなの再現されたくないんですけど?」

「あら、私が烈火の如く怒るのはいいわけ? サム、お前、ギルが軍事クーデターも視野に入れていたこと、知ってたんでしょ?」


 行きがけにジョーンズ少尉から話を聞かされた時、眉根を顰めたトムやホーキンスと違って、サムは少しも顔色を変えなかった。


「お嬢、『お前』とか言っちゃダメですよ? お里が知れますよ?」

「知れても構わないわよ。全く。ギルと言い、サムと言い、都合が悪いことは私に伏せるんだから。」


 ぎろりと睨み付けるエリザベスの様子に、サムは「おお、怖ッ!」と一歩後退りする。一方、ジョーンズ少尉は、そんな二人の様子に「おふたりは仲がよろしいのですね」と笑った。


「これは仲がいいわけではないの。腐れ縁よ、腐れ縁。サムも、厄介事はさっさと片付けに行くわよ?」


 サムは「へーい」といつもと変わらぬ調子で答えつつも、ヴィットーリオに「お嬢が少しでも危ないと思ったら、公国軍がなだれ込んでくる手筈になっている。催涙弾を投げつける予定だから、自警団には風上に逃げるように話しておいてくれ」と話した。


 階段に向かっていると、ジョーンズ少尉に「軍事クーデターの件ですが」と声をかけられる。


「殿下は妃殿下をお守りしたい一心だと思うので、手加減してやってくださいね。」


 ジョーンズ少尉は心配そうに眉尻を下げた。


「それは聞けないお願いだわ。」


 ギルバートは「そばにいてくれ」と言った舌の根も乾かぬうちに「エリザベスだけでも」とその身を犠牲にしようとする。


 いっそ一緒に死んでくれといってくれたなら、いいのに。


「・・・・・・ギルが腹を決めているのは、昨日の時点で何となく察しているわ。私を逃がそうとして、ホーキンス船長のところにもサムを走らせたのも分かるけれど。でも、それで自分の命を粗末にしていい理由にはならないでしょう?」

「妃殿下のこの作戦も、十分、命の危険がありますよ?」

「分かっているわ。問題はそこね。また、一ヶ月くらい、部屋から出して貰えないかも。」

「それで済めばいいですけどねえ・・・・・・。」


 ジョーンズ少尉は「妃殿下を止めなかった罪で護衛役を外されるだけならいいけど、物理的に首を切られるかも」と苦笑いをする。

 エリザベスはジョーンズ少尉にエスコートを受けると、マーサーズギルドの一階に降りた。


 結い上げていた髪を解き、ストロベリーブロンドの髪を靡かせる。


「グレイ侯爵がこちらに軍を移動させてくれれば良いのだけれど。」


 サムが階段を降りてきたところで「まさか裏口を使わずにこの店を出るのが、今だなんてね」と苦笑しながら、観音開きに開く立派なドアの方へと進む。


「ご健闘をお祈りしております。」

「ええ、グレイ侯爵に出来る限りこちらに人員を割いて貰えるよう、囮役、頑張ってくるわ。」


 周囲を警戒をしながらジョーンズ少尉が中央広場に面した出入口から外に出る。エリザベスもその後に続いて、足を踏み出した。


 中央広場の北東側。

 マーサーズギルドのある辺りは、自警団と、彼らが築いた木箱のバリケードがある。

 エリザベスは、マーサーズギルドの正面玄関を出ると、自警団の団長をしているというロジェに挨拶された。


「こうして力を貸してくださって、心強いわ。」


 エリザベスがそう応じれば、ロジェは「光栄の極みにございます」と、芝居がかった挨拶を返してくれる。

 しかし、その眼差しはどこか侮りを含んでいたから、内心「またか」と思いながら、背筋を伸ばして「団長様」と声を掛けた。


「私は私の身を案じる者たちから、よく忠告を受けて参りましたの。命の危険があるから、武器を持った群衆の前に出るのは気をつけよ、と。」


 と、その言葉に警戒の色を滲ませた自警団に微笑みかける。


「ですが、私はあなた方に自信を持って申しましょう。私はこの公国の大公妃です。どうして私の忠実かつ愛すべき民を疑って生きられましょう?」


 耳をそばだてていた者たちも、その笑みに惹き込まれたかのようにエリザベスを見る。

 エリザベスはエメラルド色の瞳を細めると「そのような事はグニシアの暴君におまかせしておきましょう?」と軽口を叩いた。


「私がこうしてこの広場に来たのは、遊びでも、冷やかしでもありません。ここに来たのはあなた方の愛するこの国の尊厳と、子供たちに与える幸せな未来のため。私はあなた達と生き、あなた達と戦い、あなた達と死ぬために、ここにいるのです。」


 そう告げるとエリザベスは笑顔引っ込め「私は不名誉を打ち払うために立ち上がります」と口にする。

 そして、ジョーンズ少尉が用意してくれたエラルド公国の旗を手にすると、棒に巻き付くようにしてあったエラルド公国の旗を振るって広げた。


「新たな白百合姫として、この旗に誓いましょう。」

 

 そういうと、バリケードの間を抜けて、広場中央のルイ三世とマーガレット妃の彫像前まで歩んでいき、階段を上る。

 その姿に誰もが息を詰めて、エリザベスの歩みを見守った。


(・・・・・・静か、ね。)


 南西に抜ける道のところにグニシア兵が(ひしめ)いているものの、向こうも様子見しているのだろう。

 辺りに人影は少なく、堂々と歩いているのはジョーンズ少尉とエリザベス、それからサムの三人だけだ。


 グニシア兵は先頭に立っていたものが、勢いよく槍の先端をこちらに向けて警戒してくる。

 エリザベスはジョーンズ少尉とサムが歩みを止めたのを確認すると、一歩だけ余計に前に進んだ。


 ストロベリーブロンドの髪が風を孕み、靡く。


「グニシアの民よ、我が故郷の民よ。私の身を案じてここまで来たのなら、その槍を下げ、後退なさい。」


 それから、腹一杯に息を吸い込むと「私は決して『囚われの姫君』ではない」と伝えた。


「そなたらの王が何と言おうが、私の後見人は祖父のエドガー=スペンサーであり、私は母の私生児であり、父なし子だと認識している。今更、そなたらの王を父と呼ぶ気はつゆほどもない。」


 風が、今一度、白百合の紋章と、マーガレット妃が好んだという竪琴が描かれた、エラルド公国の旗をはためかせる。


「この国は『グニシアの属国』ではない。」


 エリザベスは自警団達にも聞こえるように声を張り上げると「この国は独立した国であり、我が夫の国」と話す。


「私の身は武芸のひとつも出来ぬ、か弱いものだ。だが、私の心は常勝将軍と名を馳せた祖父と同じく、鋼の如し。そなたらの王が何と言おうが、私はそなたらの王に傅くつもりはないし、この国の尊厳を踏み躙らせるつもりもない。」


 その姿は凛として、まるで孤高に咲き誇る大輪の白百合のよう――。


 エリザベスは、ルイ三世とマーガレット妃の彫像の前、花壇の柔らかな土に、深々と公国の旗を突き立てる。


 そして、これは歴然とした挑発行為だ。


 こんなことをすれば、正教会やノーランド兵に、弓で射抜かれる可能性がある。


(・・・・・・だけど、グニシア兵は動けない。)


 本物か、偽物か、恐らく指揮系統は、今頃、混乱が生じているだろう。


 一方、自警団からは「わあああ」と歓声が上がる。


 対して、グニシア兵からは戸惑いの声が上がり、隊列が乱れた。

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