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鬼が出るか、蛇が出るか(4)

 フィリップが運び込まれたのは、医師団のところではなく、まだ客間近くの部屋に控えていたエイダのところだった。多くの高齢者や妊婦らは地下室に移動させたあとということもあり、客間は酷く静かだった。


「全く、いい年して、殴り合いだなんて。口を使いなよ、口を。あんたの減らず口は、一体、何のためについてるんだい?」


 エイダは「全く忙しいって言うのに」と言いながらも、悔しくて泣いているフィリップに「気持ち悪いとか、痛むとかないかい?」と訊ねる。


「・・・・・・大丈夫です。食らったのは一発だけですし。」


 フィリップは情けなくて、悔しくて堪らなかった。

 破れかぶれだったのは、むしろ自分の方で、ギルバートにはいなされただけだと分かるから、フィリップは余計に気落ちしていた。


「『覚悟が違う』って言われればそれまでなんですけど、全部自分で背負うようなことを言うから、頭にきてしまって・・・・・・。」


 成り行き任せだった。飛びかかって、殴り飛ばして。それで事態が何か変わる訳でもないのに、ギルバートに八つ当たりしてしまった。


「分かってはいるんです。敵に完全包囲されていて、最悪の事態を考えて置かねばならないことは。」


 だけど、ギルバートが一人で覚悟を決めて、自分を除け者にするかのようにして、エリザベスを自分に託そうとするから許せなかった。


「・・・・・・やっと近付いたと思ったのに。」


 悔しい。

 近付いたと思った途端、突き放されて。


 エリザベスを守ろうと足掻いているギルバートに、こっちだって力になりたいと思って悪戦苦闘しているのに、そんなことはどうでもいいと言われたみたいで、やるせない思いで胸がいっぱいになる。


『フィルには良き幕賓でいて欲しい。』


 よくも、そう言った口で「嫌な役回りを押し付けて済まない」などと言ったものだ。


 エイダは悔し涙を浮かべながら「悔しい」と口にするフィリップに眉尻を下げて「全く、困った子だね」と手ぬぐいを渡した。


「良いかい、フィル。あんたは悪くないよ。今回は全面的にギルが悪い。私が保証してやるよ。あんたは友達思いのいい男さ。」


 エイダの言葉に手ぬぐいに顔を埋めるフィリップに

「ただ、ギル坊はね、フィルと違って、良くも悪くも『次男坊』なんだよ」と苦笑した。


 いつも誰かのスペアとして生きてきて、いつも誰かしらの顔色を伺いながら生きてきた。そんな半生。


「だから、どうも『自分が居なくなっても代わりがいる』、『自分さえ身を引けば何とかなる』って思っている節があるのさ。」


 代わりなど居るはずがないのに――。

 自分が犠牲になれば、あとは何とかなると思っている節がある。


「・・・・・・リジーとくっ付ければ、そういう考え方も、少しは落ち着くと思ったんだけどね。」


 ギルバートには、エリザベスとはまた別の種類の危うさがある。エイダはポツリとそういうと「さて、どうしたもんかねぇ」と呟いた。


「ギルが警備棟に立てこもれないよう、シャルル殿下をこちらで保護してしまうという手もあるけれど。それじゃあ、根本的な解決には繋がらないしねぇ。」


 それから、ぐすっと鼻を鳴らしているフィリップに、エイダは「ほら、しっかりおし。トムも、サムも、リジーも居ないんだ。フランがギルの覚悟を受け入れてしまっているなら、止められるのはあんたとロビンくらいだろ? 体を張ってでも、止めなきゃならないよ」とうち笑った。


「体を張って止めた結果、返り討ちにあったところなんですけど。」

「なんだい、一回やり返されてへこたれるのかい? 情けないねえ。」

「・・・・・・へこたれてなんか、いません。」

「じゃあ、頑張んなよ。泣いても笑っても一刻だしね。若者はキリキリ働くことだよ。」


 エイダに言われると何だか働き蟻かなにかになったような気持ちになる。

 フィリップが「横暴では無いですか?」とボヤけば「働いてりゃ、時間はあっという間にすぎるよ」と口の端を上げた。


 ◇


 一方、ギルバートは軽い脳震盪は起こしたものの、それ以外は大きな怪我もなく、医師団から派遣された医師に「二週間ほど安静にして問題がなければ大丈夫だろう」と言われた。


(二週間、ねえ。)


 思わず「ハハッ」と乾いた笑いが口からこぼれたのは許して欲しい。


(二週間も猶予があったなら、どれほど良かったことか。)


 診断した医師に「そんな暇がどこにある?」と声を大にして八つ当たりしそうになったものの、鎧を脱いで戻ってきたフランシスに「お医者様のおっしゃる通り、しばらく大人しくなさってください」と言われると、静かにしているよりない。


 一刻。普段なら、あっという間に時間がすぎるのに、今はやけに時間が長く感じる。


(それにしても、フィルが怒鳴るとは思わなかったな・・・・・・。)


『なんで、いっつもそうなんだッ! こっちの気持ちもお構いなしでッ!! この大馬鹿野郎ッ!!』


 嫌味のひとつやふたつ、仕方ないとは思っていた。


『大公だか、何だか知らないけど、エリザベス嬢を泣かせる野郎は許さない。』


 その言葉自体は、とてもフィリップらしいと思うものの、普段の彼の言動を考えれば、同じ言葉を吐きながら斜に構えた態度で「ですので、せいぜい生き延びてくださいね」と嫌味混じりに言ってくるだけで、あんな風に飛びかかってくるとは思わなかった。


 唇だけでなく、口の中も切れたし、頬も腫れた。

 冷やしてはいるもの、きっとこの後、頬骨周りは青あざになるだろう。


(昨日は左頬を切るし、今日は右頬を殴られるし。)


 咄嗟に護身術を使って反撃し、身動きが取れなくなるようにみぞおちに一発入れたものの、あのまま、されるがままにしていたら、もう二、三発、喰らったことだろう。

 だから、反撃したことについて謝る気はない。

 みぞおちに入れたのだって、加減した上、フランシスに止められたから、気絶まではさせなかった。


(・・・・・・本当なら、大逆罪で捕まっても可笑しくないんだが。)


 フィリップへの説明を端折っていたのは自分だ。腹を立てられたって、仕方のないことだ。


「殿下、お加減はいかがですか?」

「痛い。人相が変わったら、フィルのせいだと証言してくれ。」


 口調は不服そうに。

 けれど、少し軽口めいた答えを返したから、フランシスは短く「ふっ」と口の端に笑みを浮かべると、「エリザベス様に『ギルバート様とフィリップ様が取っ組み合いの喧嘩をした』なんて話したら、驚くでしょうね」と笑った。


「別にフィリップと取っ組み合いをしたかったわけじゃないんだけど。」

「ですが、見事な回避でしたねえ。鮮やか過ぎて、止めるのが遅くなってしまいました。」


 馬乗りに組み伏せられてから、抜け出すまで十秒以下。

 フィリップの動きがズブの素人の動きだったとはいえ、あの身のこなしなら、簡単には首を切り落とされることはないだろう。


「護身術は王太子教育の際に習われたんで?」

「ああ、それとレジナルド軍にいた時に少し習ったんだ。」

「少し習っただけにしては、随分と板についていらっしゃいましたが・・・・・・。」

「何、友人がランスロット卿で、仕えていたのがオリバー殿下だったからね、基礎体力を付けるのもあって、習ったことを復習して鍛錬していただけだよ。」


 ギルバートは「それでも自分の身を守るのと、誰かを守るのとは違う」と言い、「ヴェールズでのあれこれがあったろう? 僕はリジーを助けられずに危うく連れ去られる所だった」と苦笑した。


「護身術はあくまでも護身術だな。誰かを守りぬく力には遠く及ばない。」


 ギルバートはそう言うと「もう少し剣術も習っておけば良かったと思っているよ」と肩を竦めた。


「それは私にとっては朗報ですね。護衛役で、もう少し食っていけそうです。」

「それは今日を乗り切れたらかな?」


 その返しにはフランシスは「ハハッ」と笑って「違いありません」と応じた。


「フランは、さっきの話、叱らないんだな。」

「叱られたいんですか?」

「いや、『最期までお供します』って言われて、実はあれが一番堪えたから。」


 自分の決定で、命を賭そうとする人がいる。その事実が何よりも胸を突いた。


「ジュリエットのこともそうだ。きっとリジーだったら止めていただろう。」


 「やりすぎは良くない」、「自分は死んでないのだから」と、そう言って。きっと「国外追放くらいに収めて欲しい」と、「命までは奪うな」と言ったところだろうか。


「・・・・・・ジュリエットは僕を恨んでいただろうね。」


 トムに「爆発に巻き込まれたことにして処理してくれ」と話し、既に「刑は執行された」と聞かされているから、彼女はもうこの世にいないはずだ。

 けれど、本来、立ち会うべき刑の執行を、状況が状況だけに人任せにしてしまったこともあって、ギルバートは「恨み言だけでも聞くべきだったろうか」と今更、後悔していた。


「そうですね、殿下と妃殿下のことを酷く罵っていましたよ。」

「直接、話を聞いてやれば良かったかな?」

「いいえ、聞くまでもないですよ。彼女を生かしておけばまずいことになると、トムに伝えたのは私ですから。」


 アンリの返り血を浴びたジュリエットは、嬉々として騎士団長の首筋を狙った。咄嗟にフランシスが横から体当たりし、打ち負かされた彼女が昏倒しなかったら、騎士団長も棺の中に居ただろう。


「裁可が下るまでは警備棟に拘留し、私が見張っておりました。」


 虚ろな瞳でフランシスを見たジュリエットは、狂気に蝕まれているようだった。


『ああ、これ? これはお父様の血よ。神の教えに背いてしまったお父様に救済を施したの。』


 血みどろの格好で、幽鬼のようにして、恍惚とした表情の彼女はただ恐ろしかったと話す。


「ジュリエット公女殿下は、正気ではございませんでした。嬉々としてアンリ大公殿下を弑したことを喜び、爆発する警備棟を背後にしながら、お笑いになったんです。」

「・・・・・・笑った?」

「ええ、『時は満ち、神の国は近付いた。悔い改めよ、さすれば救われん』と。」


 その場に居合わせた四人が呆気に取られている間に、ジュリエットは騎士団長の首元を狙って飛びかかったのだ。


「まるで神の名のもとに狂戦士(バーサーカー)の魂でも宿したようでした。」


 そして、その光景は、かつてカディスの港でスパニア軍の砲撃に味方の船が次々と燃え、一緒に苦楽を過ごして来た船乗りを大勢亡くした時のことを彷彿とさせたと話す。


 燃え盛る船、船、船――。


 多くの仲間を飲み込んだ炎と、迫り来るスパニア軍。あの時の無力感は例えようがなかったと話した。


「フラン?」


 顔色を悪くしたフランシスに、ギルバートが声をかける。フランシスは厳しい表情のまま「私はこの判断は妥当だったと思います」と応じた。


「この件については、何度、問われても答えは変わりません。彼女は生かしておけません。生かしておけば、この国は火の海になります。そして、その判断をしたのは私ですから、業を背負うべきなのは私でしょう。」


 ジュリエットの恨み言は逆恨みも甚だしかった。

 ギルバートを『簒奪者』と罵り、エリザベスを『魔女』と呼んだ彼女は、実の父を殺めても後悔することなく、シャルル殿下の『救済』についても口にした。


「・・・・・・ジュリエットは、シャルルのことも手にかけるつもりだったのか?」


 フランシスは頷くと「彼女は神に心酔してしまったんですよ」と淡々とした口調で答えた。


「神に心酔?」

「ええ、殺しを『救済』と思えるまでに。そして、それは留まることを知らなかったでしょう。」


 そう言うと、フランシスはいつになく深いため息を吐いた。


「そして、神に心酔した者の末路を知っています。」

「神に心酔した者の末路?」

「ええ、私の父母がそうでしたから。」


 そう話すとフランシスは昔語りを始めた。


「プリマスの郊外に暮らす、貧しい小作農の家に産まれました。そして、父は牧師でもありました。父と母は、何よりも熱心に神を信仰していて、私も物心着く頃には入信させられ、清貧を尊び、全てを喜捨し、神に感謝を捧げるように強いられていました。」


 神の教えに則り、避妊や中絶をしなかった結果、最終的に十人以上の弟妹が生まれ、けれど、小作農の父の収入ではとても賄えず、フランシスは幼いながらに畑仕事や物乞いをしながら生活していたと苦笑する。

 ギルバートは黙ったまま、フランシスの話に耳を傾けた。


「殿下が聞いたら驚くことばかりかもしれませんが、シャルル殿下よりも幼い子にワインを飲ませたり、ぶらりと一週間くらい居なくなったり。ようやく家に金銭が入っても、借金に全部もっていかれたり・・・・・・。」


 さらには「改宗しなければ、僅かな小作地を取り上げられるとなった時でも、父や母は宗教を捨てなかった」と話した。


「そんな父母の様子を見かねたのが、母方の伯父、つまり、ジョンの父親でした。」


 ホーキンス船長の父親はプリマス一帯の名士の一人で、海運業を営んでいた。

 牧師の父親から、妹であるフランシスの母を引き離し、隔離するようにして養う傍ら、フランシスや兄弟にも離れを与えてくれて、最低限ながら衣食住を保証してくれたのだと話す。


「亡くなった伯父には感謝してもしきれません。」


 十歳にして、船の下働きを始めて四十年。

 フランシスは「こうして生きていられるのは、ジョンの父親とジョンのおかげだ」と話しながらも、狂信的な父や母の姿を話した。


「父は敬虔なる神の信徒でしたから、伯父を糾弾しました。」


 妻子を奪った人でなしと喚き、それこそジュリエットのように、伯父に様々な嫌がらせをし始めたのだと話す。


「しかし、伯父は歯牙にかけず、父の要求をはねつけ続け、ある日、事件が起こりました。」


 呪われろ。

 そう、邸の壁に真っ赤な血文字で書かれた日。


 その近くには、その数日前から行方知れずになっていた一番下の弟の亡骸が、祭壇代わりにしたのか簡易な机の上に横たわっていた。


 まるで、創世記に描かれた燔祭(はんさい)のワンシーンのように――。


 ただし、父を止める天使はなく、弟はイサクと違い殺されていた。


 フランシスはそこまで話すと押し黙り、「はあ」と深いため息を漏らす。ギルバートが気遣わしげに見つめてくるから、フランシスは「昔の話です」と苦笑した。


「ただ、船に乗った当時の私は、少しも神を信じられませんでしたが、今はどうしてか『神』の存在を受け入れているんです。」


 神などいない。そう思って海に繰り出したはずなのに。


『心貧しい者は救われる。彼らのために天の国がある。』


 その言葉を朝に夕に聞いていた頃は「目に見えぬ神など信じられるか」と思っていたのに、カディスでのスパニア軍による襲撃や、ノーランドとの戦時中など、進退極まった時、フランシスはごく自然に神に祈っていたと話す。


「トムは『もう神を信じない』と言っていますが、一周回って私は『神を信じざるを得ない』と思っているんです。」


 積極的な信仰ではない。ただ、「神を信ずる者に『神』はいるのだ」と、ストンと腹落ちした。そんな心地なのだと話す。


「取り留めのない話になりますけど。結局、本当の意味で人は人を裁けないし、人の生き死について、神はさほど重視していないのだろうというのが私の持論です。」


 神を讃え、神の国を望むのも、神を謗り、天に唾するのも、いずれも『神』を信じていることになる。

 フランシスは「ジュリエット公女殿下のことは、『必要な手段だった』とお思い下さい」と言い、「殿下はエリザベス様とシャルル殿下を救われた。それで良いではありませんか?」と告げた。

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