鬼が出るか、蛇が出るか(1)
欲しいものはしっかり掴んでいないと、するりするりと逃げていく。
なかなか戻ってこない詮索隊に痺れを切らしかけたころ、川原で発煙弾が上がったと聞いて、幾ばくか期待したものの、それはすぐに糠喜びだと分かった。
「誰も居ない?」
「はい、敵も味方も姿が見えませんでした。あ、足跡はこちらへ向かうものがあったのですが、途中で靴を履き替えたのか、草むらでぷつりと途絶え、その後の足取りが追えておりません。ただ、方向的に港に向かったものと思われます。」
冷や汗をダラダラ掻いて報告する男は、詮索隊を用意した中隊長だ。
「小隊、まるまる戻ってきていないのか?」
「は・・・・・・。もしかしたら行き違いになり、水路の詮索をしているのやもしれません。」
「ならば、何故、発煙弾を使う? 交戦のあとは調べなかったのか?」
「し、調べました。ですが、いくつか足跡はあれど、姿は見えず・・・・・・。捕虜として捕らえられた可能性がございます。」
最後の方が消え入りそうになくらい小声になったのは、グレイ侯爵が黙り込んだからだ。中隊長は黙り込んだグレイ侯爵の様子に不気味さを感じながらも、ひたすら答えを待っていた。
「港か。」
レジナルドの海軍に助けを乞う。普通に考えれば、それが定石だ。
しかし、グレイ侯爵は言葉には上手く表現出来ないものの、何かが引っ掛かった。
「戦線は一区画分下げよ。」
「それだと、商業区に入ります。」
「だから、なんだ?」
「市街戦をなさるおつもりですか?」
「だから、なんだ、と聞いている。この件は国王陛下に一任された事だ。エラルドの一般市民など、どうなっても構わないだろう。『エラルドの大公に捕らわれているグニシアの王女を助ける』というのが、我らの使命なのだから。エリザベス様は陛下がご自身のお子だと認められた方だとそなたも知っているだろう?」
「こ、心得ております。」
歯切れの悪い承諾の言葉を口にして、報告に来た中隊長はその場を去っていく。
一方、グレイ侯爵は忌々しげに「日和見の小賢しい奴らめ」と吐き捨てるようにして悪態を吐いた。
代わりに脳裏に浮かんだのは在りし日のビーだ。
『ヘンリー、もう止してちょうだい。私はあなたと結婚しないわ。』
『それは私の元婚約者が君の友人だからかい?』
『いいえ、そうじゃない。そうじゃないのよ、ヘンリー。あなたが私に求めているのは『愛』じゃない。それは『執着』だわ。』
『ビーはロマンチストだね。なんだい? 恋だの、愛だの、そんなものを信じるというのかい?』
「執着」の何が悪い。
自分は侯爵位を受け継ぐ立場にあり、彼女はしがない男爵家の令嬢に過ぎなかったし、それまでの自分の爵位の高さを理由に、婚姻をゴリ押ししただろう。
『私と結婚すれば、君を選ばなかったルーカスにも一矢報いてやれるし、君を侯爵夫人として社交界の花にしてやることも出来る。何が不満だっていうんだ?』
必要なのは、愛じゃない。
必要なのは、妥協と、従順さと、ほんの少しの愉悦感。
そう話したところでベアトリスはとても悲しい表情になった。
『ヘンリー、可哀想な人。結婚とはそういうものではないわ。』
そう悲しげに話した彼女は、その後、ルーカスの頼みを聞き入れて、エドワードを受け入れ、二児を成した。
(嘘吐き・・・・・・。)
いっそのこと、『相手が国王陛下では敵わない』と、そう思わせてくれれば良かったのに。
結局、彼女はその心を壊してしまい、挙句の果てにはパトリシアに毒を盛られて、呆気なく死んでしまった。
(ビーを苦しめるのも、悲しませるのも自分であったら良かったのに。)
確かにこの気持ちはキレイなものではない。だけど、この執着が愛でないとしたら、一体、何が愛だというのだろう。
(・・・・・・エリザベス=スペンサー。)
グレイ侯爵は、川の上流、発煙弾が立ち上った辺りを、ジュリエットに持ち出された地図で探し、そっと触れる。
「まるで、ビーと『隠れんぼ』していた時のようだな。」
彼女は本気で嫌がっていただけなのかもしれないが、婚約についての話の続きをしようとすると、ベアトリスはルーカスのいる部屋に逃げ込んでいた。
「図書館、運動場近くの木陰、食堂。それから、よくルーカスの立ち寄る店。」
そっと指でなぞりながら、市街地の中央広場にマーサーズギルドがあるのを見つけて、トンと指で叩く。
「さて、焼き討ちとするか、住人を一人ずついたぶるか。あの子にはどちらが『効く』かなあ?」
グレイ侯爵は昏い笑みを浮かべる。手元灯りの蝋燭がジジッと鈍く爆ぜた。
◇
その頃、中央広場近く、マーサーズギルドでは、ギルド長のヴィットーリオが遠い目をしていた。
毎度、毎度、ジョーンズ少尉が運んでくる話にはろくなものがない。
(明け方に若様からSOSが来たと思ったら、今度は『海賊の船長の見てくれを何とかする服をくれ』とか、どうなんだよ・・・・・・。)
しかし、目の前に座る若奥様こと、女商人の「エラ」は、先日より質素な姿はしていたものの、エリントン卿からは『代理人』とみなせと言われているし、適当にあしらってマーサーズとしてエルガー公爵家に手を引かれる方が困る。
そんなわけでヴィットーリオは、併設しているブティックの二階を貸切にして、彼女を饗すことを優先することにした。
「いかがでしょうか。これなら若奥様の美しさがいっそう際立つかと存じます。」
軍の上層部にも顔が利くのか、ジョーンズ少尉に「これから軍本部に向かうから、彼女の着替えも用意して欲しい」と言われたものの、「華美にはせず、質実剛健な感じでお願い」と言われてしまい、高級服飾店としては困ったオーダーをされる。
しかも、明け方に「グニシアの軍服を用意してくれ」と言われた青年も、髪を撫でつけて、不服そうな顔をしながら、今度はエラルド公国の軍人用の礼服に袖を通していて、ジョーンズ少尉に細かくチェックされていた。
「ねえ、JJ、これなら良いかしら?」
ストロベリーブロンドの髪をまとめあげ、控えめに化粧を施し、シンプルにベルベットと黒いレースで仕上げたドレスに身を包んだエリザベスは、ハッとさせられるほど美しく見えた。
高級感はありながら、華美にはならず、頼まれた「質実剛健」を兼ね備えられたように思う。
「いいと思います。さっきのより『ぽい』です。」
「そう、じゃあ、これに決めるわ。」
何が『ぽい』のか聞きたいが、それを聞くともっと大事に巻き込まれそうな気がしてならない。ヴィットーリオは「好奇心は猫を殺す」と自分自身に必死に言い聞かせていた。
(「エラ」が何者かは聞いてはいけない。そして、エリントン卿やエルガー公爵家との関係性も聞いちゃいけない。)
聞けば、きっと後悔するような気がしてならない。
(貴族のことは貴族に任せるのが大事。)
況や、軍人をや――。
「はああ、このクラバットって言うのだけは勘弁してくれ。」
「阿呆、それがないと全裸で歩いているのと同じ扱い受けるぞ?」
「そうなの?」
と、海賊船の船長だという男ではなく、何故かエラが困ったような表情になる。
「もしかして、ギルに恥をかかせてしまったかしら?」
「いや、あれは『若いのは良い』って話ですから。」
トムと呼ばれる大男は、ほんのりと赤面した彼女に「良くお似合いです」と話す。
ヴィットーリオはそんな話を聞かされながら、内心、冷や汗を搔く羽目になった。
(・・・・・・つまり、なんだ。彼女はエリントン卿の情婦か何かってことか?)
着ていた洋服と一緒に、店員が眉ひとつ動かさずに片付けていたから気が付かなかったが、ストールだと思ったあれは、エリントン卿のクラバットだということだろう。
(大口顧客の想い人と、その護衛さんってことか?)
むくむくと大きくなる好奇心に長く息を止めていたようで、息を吐く音が大きくなる。
と、ジョーンズ少尉はそんなヴィットーリオの様子を目聡く見ていたのだろう、気配を潜めて、そばに来ると「言った通りの太客だろう?」と小声で話した。
「いや、どう見ても『ワケアリ』の間違いだろ?」
「分かってくれてるなら話が早い。悪いんだが、俺たちの名前で馬車を呼ぶと、面倒くさいことになるんだ。代わりに頼んでくれないか?」
「ワケありなのは、よぉく分かった。」
「あ、呼ぶついでなんだが、空の馬車と、もう一台。二台、呼んで欲しいんだ。」
「それもエリントン卿にツケていいのか?」
「ああ、ギルはどっかの貴族と違って、そんな事じゃケチらない。」
これ以上は関わらない。
絶対に関わらない。
ヴィットーリオは、今一度、決心を新たにすると、「分かった。表に一台と裏に一台まわす。それでいいか?」と話した。
「いやぁ、さすが、ギルド長をやってるだけあるね。」
「危ないお客はさっさと去ってもらいたいってだけだ。」
「じゃあ、危ないついでに教えておくと、きっとグニシア軍がここに来るぞ?」
「な・・・・・・ッ。勘弁してくれよ!」
「嘘じゃない。今日は店を閉めて、手を出して欲しくない品は倉庫行き。誰か訊ねできても、知らぬ存ぜぬでトンズラしておくのをおすすめする。」
「ああ、分かったよ、皆に伝達しておく。昨日、大公家の方から火の手が上がっていたのは、街の住人なら、子どもでも知ってる事態だからな。」
「ああ、頼むよ、ギルド長。」
本来は高級服飾ギルドのはずなのに、ジョーンズ少尉が入り浸るから、最近は情報ギルドと課している。
しかも、彼から伝えられたことは大抵真実だとヴィットーリオも分かっているから、服を片付けていた店員に「今日はワケあって、この後、臨時休業にする。ほかのギルド関係者にも通達してくれ」と話した。
「で、何をおっ始めるんだ?」
「お、聞く気になったか?」
「いや、皆まで言わないでくれ。この辺りで何が起こるのかだけでいい。」
しかし、こてんと首を傾げたエラは「何って、ノーランドとグニシア軍の侵攻を食い止める防衛戦をするのよ?」と暴露してくれた。
「結構、懐まで入られてしまっているから、少し戦線を押し戻さないといけないの。」
「防衛戦、ですか。」
「ええ、もちろん街の被害は最低限になるようにするわ。でも、そのためにも軍の上層部の方に協力を仰がないといかないの。一時的に戦線が海側に移るように手筈は整えてきたけれど、この人数じゃ、連合軍相手にどうにもならないから。」
ジョーンズ少尉は彼女を止める気は無いようで、否が応でも話を聞かされる。
「多分、順当に行けば、薬草市場からこの辺りは危険になるわ。だから、ギルド長には街の人にはこの中央広場下のシェルターに避難するように促して欲しいの。」
「シェルターって、ルイ三世とマーガレット妃が作ったと言う、シェルターですか?」
「ええ、今も現存していて、商業ギルドの倉庫になっているのでしょう?」
マーサーズが倉庫を開ければ、ドレッパーズも倉庫を開ける。そして、ギルド大手の二社が倉庫を避難場所として開けるのだ。小さいところもそれに続くだろう。
「ギルド長さん、頼りにしているわね。」
ニコリとするエラに「聞きたくなかった」とはいえなくて、ヴィットーリオは頬を引き攣らせながら「お役に立てるなら光栄です」と答えて、腰を折る。
隣でジョーンズ少尉が肩を揺らして笑っているのが気配でわかった。
「でも、戦線引き下げのために、発煙弾を使おうと言い出すだなんて。どうしたらあんな考えが出てくるのか。しかも、サムに『わざと靴痕を残して、撹乱して来い』とおっしゃってましたでしょう?」
「ええ、そうしないと、上流に来られてしまうでしょう? あの五人組を捕虜にするにしても、時間がなかったし。」
しかし、トムは「いや」と言葉を濁すと「普通の奴らはともかく、あの蛇野郎はダメだろうな」と肩を竦めた。
「ダメだったかしら?」
「ああ、多少の時間稼ぎか、戦力分断は出来ても、アイツはここに来ますよ。お嬢様にご執心ですからね。」
そして、ヴィットーリオに「特に女子供とご老人は優先して奥まったところに避難させた方がいい」と話す。
「ヤバい奴なんです?」
「ああ、だいぶな。お嬢様を手にするためなら、住人を見せしめになぶり殺すくらい、朝飯前な奴だと思っておいてくれ。」
トムの発言にヴィットーリオが頬を引き攣らせ、息を飲む。ジョーンズ少尉も険しい顔付きになった。




