表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
255/264

夜明け前(5)

 ああ、いい夜だ。

 月は煌々として、空気は冷たく、思わず笑みが溢れてくる。


『あ、私は恋だの、愛だの、信じぬ。求めるのは『従順さ』、ただ、それだけだ。あの女に家畜のような従順さを身に付けさせろ。薬だろうが、鞭だろうが、手段は問わない。』


 アランの激昂はグレイ侯爵の耳に心地よかった。

 そして、彼自身も思った。


 従順さ、ただ、それだけだ、と――。


(・・・・・・彼女は実に美しかった。)


 ベアトリス=スペンサー。平民上がりの男爵家の娘ながら、彼女は自分が欲しいと思う全てを持っていた。

 小柄で庇護欲を掻き立てる容姿、くるくる変わる表情は愛らしく、プラチナブロンドの髪は、陽の光の下では神々しく、月の光の下では清廉に見えた。


(ビー、もうすぐだよ。君の娘が私の手に落ちる。)


 逃げ道は用意しておいた。

 ギルバートであれば、このような事態だ。

 彼女を何としてでも逃がそうと考えるだろう。


(エリントン卿は気が付くだろうか?)


 リンスター公爵家を彼女の養父母にしたのだ。逃げ道が残されていることに、気がついていないわけがない。

 それにおあつらえ向きにすでにリンスター公爵家の正門も塞いである。彼女はきっと隠し通路からの脱出を試みるだろう。


(懸念点はトム=エヴァンズだが、何、あいつも、もういい年だ。)


 二十歳そこそこの全盛期ならともかく、今の年齢なら一人、二人は倒せても、武装した兵士に一気に襲われたら、なすすべもないだろう。

 あとはゆっくりと追い詰め、彼女を捕らえればいい。


 グレイ侯爵は長年振るっていなかった鞭を空打ちすると、ヒュンと空を切る音に耳を澄ませた。


 白い柔肌に赤い鞭の痕がつく。

 打たれる者は背を丸め、必死に歯を食いしばって痛みに耐える。


(それにあの私を蔑んできた目が絶望に変わる。)


 それを想像しただけで、なんとも恍惚とした気分になってくる。


『どいつもこいつも狂っている。』


 アランはそう吐き捨てるように言っていたが、グレイ侯爵に言わせてみれば「誰しも狂気を胸に抱いている」と言ってやりたかった。


(あれは素養はあるが「まだまだ」だな。)


 グレイ侯爵はパシパシッと鞭の感触を確かめた後、簡単に纏めて手にする。そして、草むらの中に座した男に背を向けたまま「守備は上々か?」と訊ねた。


「ネズミが一匹、海の方へ向かっております。」

「丘ではなく、海か?」

「はい。」

「そうか、それは捨て置いて構わない。どうせ、明日の朝には決着する。丘はどうだ?」

「前大公妃殿下からの要請を受けて、事実確認に動き出している模様です。」

「偽の情報は?」

「すでに掴ませております。」

「ならば良い。隠し通路がありそうな水路のところをピックアップしておいた。所定の場所に小隊を配備しておけ。」

「小隊でございますか?」

「ああ、男は殺していい。女がいたら、捕らえてここまで連れてこい。」


 そう話した後、面白くなさそうに「他にも伝達事項はあるか?」と訊ねる。状況報告をしてきた男は「ルーカス=エルガーが危篤」と話した。


「あの悪魔の申し子が危篤? 何があった?」

「西の翼棟の爆発で建物内に閉じ込められた大公殿下を助けに行き、かなり深手の火傷を追ったようです。」


 思わず破顔する。


「はッ、あいつ、ビーは見殺しにしたのに、息子は見殺しに出来なかったというわけか。それで? 息の根は止めてきたのか?」


 と、急に歯切れが悪くなり、「今夜は多く負傷者がおり、最低限の手当しかできないでしょうから、このまま死ぬ可能性が高いかと」と言葉を濁される。グレイ侯爵はその反応に「まさか、そのままにしてきたのか?」と毒吐いた。


「こ、公爵夫人が付きっきりで傍におり、目撃される恐れもございましたので・・・・・・。」

「ならば、公爵夫人ごと消せばよかろう。」


 報告してきた男の、息を飲む気配がする。


「人を一人消すも、二人消すも、そう変わりない。ルーカスが死に、後追いでもさせればそれこそ美談だ。」


 風が吹き渡り、辺りの木々が音を立てて揺れた。


「・・・・・・まあ、良い。今はビーの愛娘の方だ。彼女の様子はどうだ?」

 

 至って穏やかな、貴族然とした口調で話すグレイ侯爵に影の者は肝を潰したのだろう、「大公妃殿下は演説の後、慰問をしておいでです」と声を震わせながら答えた。


「慰問?」

「はい、居合わせた高齢者や妊婦などを東の翼棟の客室でもてなし、軽傷者は広間で炊き出しを行い、スープを振舞っている様子で、概ね好評でした。」

「・・・・・・ほう?」


 炊き出しをしてスープを振舞ったくらいでは、民心は惹き付けられない。それくらいであれば「異国の令嬢による点数稼ぎ」程度で終わったに違いない。


(だが、あの子は弁の立つ子だし、とても聡い。)


『君もそう簡単には決心がつかないと思う。初めは父親代わりと思ってくれても構わない。君を第三夫人として迎えたいと思っているがどうかね?』

()としてではなく、()としてですか・・・・・・?』


 キースは何を言ってもヘラヘラしていたから、彼女も同じようなものだろうと話していたら違った。彼女は()()に自分の意図を汲んで訊ねて来た。


(それがどれほど嬉しかったことか。)


 彼女は私が見つけた。それに自分は最後までベアトリスを認めなかった父母とは違う。侯爵だの、男爵だの、そんなものは関係ない。あの子は「ビー」をこの世に取り戻す『器』になる。それだけでいい。


(もうすぐだよ、ビー。)


 君の娘は、私のものになる。


 ◇


 それぞれに、それぞれの『夜明け』を迎える。


 導きの女神や、惑わしの女神を見つける度、エリザベスは足元に印をつけながら、外へと向かい、やがていつかのように水路へと出た。


「匂いが酷いですね。」

「そうね。でも、ここから戻れば、公国軍を公爵邸に引き込めるわ。」

「その事ですが、外で公国軍を見かけても、簡単には声を掛けないでください。」


 トムは「公国軍、全てを信用出来ません」と言い出す。


「あれは『前大公殿下』および『前大公妃殿下』のための軍です。レジナルドの海軍はギルバート様についておいでですが、丘の上の本部が同じ意見とは限りません。」


 まずはホーキンス船長達と合流した方がいい。そう話せば、エリザベスは頷いた。


「その事はギルにも言われたわ。向こうもこの隠し通路のことを知っている可能性がある。だから、決して信用するなと。」


 トムは頷き「さすが旦那様ですね、お嬢様のことを分かっていらっしゃる」と囁き声で言うと、「ここからは声を潜めて」と水路を進んだ。


 石積みの水路は、今歩いている大きなものと、人一人が通れる位の細道とが細かく入り組んでいる。しばらく、トムの後ろをついて黙々と歩いていたものの、ブーツのつま先は薄汚れてきている。

 と、急にトムが立ち止まり、不思議に思ったところで、唇の前に一本、指を立てられる。それから、細い脇道に入るようにエリザベスに促した。


「四人、いや、五人か? 人が来ます。」


 しばらくしてエリザベスにも、水路を探る男たちの声が聞こえてくる。


「小隊長。戻りましょうぜ? こんなところに、女連れなんかいるわけがねえって。」

「・・・・・・だな。マジ勘弁。出口で待ってましょうって。」

「そうっすよ、ここ、鼻が曲がりそうだし、ご令嬢が耐えられるわけないっすよ。」


 と、三人の取りまとめ役なのだろう、「ポール、ペーター、ディック」と名前を囁く。


「おい、三人とも私語を慎め。向こうに気取られるだろう。」

「ちぇ、ヨハンの奴、また点数稼ぎかよ。」


 と、一人だけ年配の男がイライラした様子で「お前ら静かにしろって言ってんだろう。確かに足音が聞こえたんだ」と話す。三人の若者は「小隊長の耳が遠くなったんじゃないっすか?」と笑った。


「お前ら後で絞めてやる。」


 そう言って毒吐きながら、小隊長と呼ばれた男は年若い反抗期真っ只中の三人に毒吐く。ヨハンと呼ばれた男は「体力バカを連れてきたのは間違いでしたね」と小隊長に話していた。


 早く立ち去って欲しい。

 息を殺していても、ここの匂いは酷いし、トムが盾になってくれているとはいえ、五人も相手じゃ分が悪い。


 けれど、エリザベスの考えとは裏腹に、ヨハンと呼ばれた男は「きっと、ここらの脇道にいるはずだ」と言い出すから肝が潰れた。


 トムがスラリと音もなく、ナイフを抜く。そして、匂いなど意に介した様子もなく、すうと息を吸い、呼吸を整える。


『あら、トム、剣は持っていかないの?』

『そうですね、広いところならまだしも、狭いところでは剣では応対できませんから。今日はこれだけです。』


 それほど大きくないナイフ。試しに持たせて貰った時には、料理で使われる果物ナイフに比べるとふた周りほど大きく、三十センチほどでずっしりと重たかったものの、剣のそれに比べれば断然軽かった。


『これで対処できるとしても、そう長くは持ちません。何か起こったら、来た道を全速力で引き返してください。街道沿いの広いところで素人相手に戦ったり、兵士でも一人、二人なら何とかできるかもしれませんが、狭いところで複数人で襲われたら、私一人じゃ、お嬢様をお助け出来ません。』


 その場を逃がすのが精一杯。

 そして、エリザベスに「逃げる時にはこれを後ろに投げつけてから逃げれば、いくらか時間も稼げます」と筒状の閃光弾を手渡されていた。


(閃光弾の威力は分かっている。きっと投げつければ、五人ともしばらく動けないわ。)


 けれど、それではトムも見捨てることになる。エリザベスは閃光弾を片手に、今にも打って出ようとしているトムの背を見つめていた。

 ジリジリと腰を落とし、タイミングを狙う。

 と、突如、パシャンッと足音が響き、聞き覚えのある声が水路内に響き渡った。


「よお、お前ら、そんなところで何してんだ?」

「ああ?」


 若者の内、一番後方にいた男が振り返る。


「・・・・・・何だよ、サムか。」


 毒気を抜かれたような声が辺りに響き、「ポール、ペーター、ディック」と呼ばれた三人が「お前こそ、なんでこんなところにいるんだ?」と気の抜けたような返事をする。


「あ? 小便だよ、小便。そしたら、お前らがコソコソ水路に入っていくだろ? だから、ついてきたんだよ。」


 しかし、毒気の抜けきった男とは違って、ヨハンと呼ばれた男は「何者だ? 所属を言え」とグニシアの軍服姿のサムを威嚇した。


「誰って、同じ隊のサムじゃないっすか。」


 サムを信用しきっているのか、五人のうち三人が「そうだ、昨日も一緒に飲んだ仲だ」と笑う。


「ヨハンや小隊長は早々に寝ちまったから、知らないかもしれないけどさ。こいつ、結構いける口なんですよ。」

「そうそう、出身はグニシアで。」

「ジョーンズ少尉と懇意にしてて。」


 しかし、小隊長は「ジョーンズ少尉? そんな奴らは知らん。貴様、誰だ」と唸る。

 と、サムは首を傾げた。


「なあ、ディック。お前たち三人はさっさかグニシアに帰りたいって言っていたよな?」

「んあ? まあな。給金が高いから・・・・・・ッ?!」


 と、サムはいきなり話していたディックの胸ぐらを掴み、一本背負い投げで投げ飛ばして、鳩尾に正拳突きをする。

 そして、呆気に取られていた二人目、ペーターに「悪いな、ペーター」と声をかけると、今度は袈裟吊りして足払いし、汚れた排水の中に放り投げた。


「な、お前、何しやがるッ!!」


 我に返った三人目、ポールが大きく振りかぶって来たところを、サムは身をかがめて、最小の動きでみぞおちに肘鉄を食らわせて、くの字で呻いたところを、もう一度、膝蹴りして昏倒させる。


 まさに電光石火。


「あんたがヨハンだっけ? 死ぬか、それとも、気絶するか、どっちにしとく?」


 しかし、その答えを言う前にヨハンはナイフを抜いて飛びかかり、遅れて小隊長もサムに飛び掛かろうとしたところで、トムが横合いから躍り出た。


「な・・・・・・ッ!?」


 トムの姿に小隊長は半身を翻して、ナイフで応戦する。ヨハンは後ろの異変に動きが一瞬鈍る。


 サムはその隙を逃さなかった。


 水路の壁を蹴って飛び、ヨハンが繰り出したナイフをひらりと躱す。勢いを殺せずに、ヨハンがたたらを踏んだところで、サムは事も無げに後ろから近付くと、手首を打ってナイフをたたき落とし、腕をひねりあげて関節を決めた。


「ぐぁッ!!」


 ずしゃッと鈍い音ともに、トムも上から伸し掛るようにして、小隊長の首にナイフをあてがっている。


「トム、殺すなよ? ジョーンズ少尉に『捕虜は丁重に扱え』って言われたんだ。証人がいないと、後々、面倒臭いからって。」


 手際よくヨハンの戦意を喪失させたらしいサムの様子に、トムは「誰が誰に言ってるんだッ!」と怒鳴る。しかし、サムは楽しそうに「俺がトムに言ってんのッ!」というと、ヨハンに腰に下げていた縄をかけた。


「なんだって、こんなところにいるんだ。」


 サムによって次々縄をかけられていく四人の様子に、小隊長も「降参だ」とナイフを放す。トムはナイフを首に突きつけたまま、小隊長のナイフをその手の届かない所まで蹴り飛ばした。


「何って正義のヒーローごっこだよ。トムがここにいるってことはお嬢もいるんでしょ? もしかして、腰抜けて動けないとか言わないっすよね?」


 小馬鹿にするように話すサムの様子にカチンと来て、脇道から顔を見せると、エリザベスは開口一番、「何が正義のヒーローごっこよ」と毒吐いた。


「お、ご無事なようで何より?」


 エリザベスが姿を現すと、小隊長は「やっぱり居たんじゃないか」と悔しそうに唸る。


「うちのお嬢はオタクのところの、おバカ三人組と違って、肝が太いんでね。ほい、一丁上がりっと。にしても、トムは、身体、なまったんじゃねえか?」

「・・・・・・お前、俺が幾つだと思ってんだよ。こちとら、お前の倍以上、生きてるんだ。ちったァ、労れ。」

「そんなお年でした? そりゃ悪いこと言ったな。」

「お前、後で覚えてろよ?」


 と、サムは「助けてやったのに、おっかねぇ」と言うと、ひょいひょいと軽い足取りで、エリザベスの近くまでやってくる。


 そして、「でも、まあ、ジャストタイミングでしたでしょ?」と笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ