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夜明け前(4)

 時は少し前に遡る。

 午前二時の正門前では武装した兵士が大公家の正門が打ち破られるのを今か今かと待っていた。


(ようやく火が消えたのか?)


 燻る煙の匂いは少し離れた野営地でも漂ってきて、目を傷めるものや、喉を傷めるものが出てきている。

 一方、アランはそんな野営地の中でも、風上の煙の被害を受けにくいテントの下、スキットルに口をつけ、ウィスキーを口にしていた。


「荒れてますね。」


 何とかここまで脱出してきたものの、危うくジュリエットに殺されかけたことを考えると、面白がるような表情のグレイ侯爵を睨み付ける。


「爆弾なんて聞いてないぞ?」

「お伝えしておりませんでしたからね。」


 しれっと応対するグレイ侯爵の様子に、眉を顰める。


「私も殺すつもりだったのか?」

「とんでもない。ここまで大騒動になるとは思っていなかったのです。私にとってあなたは大事な取引相手ですよ。どうして殺意など抱きましょう? 騒ぎに乗じてお助けしに行く予定でおりました。」


 のらりくらりと掴めない回答をするグレイ侯爵に唸るようにして「どうだか」と応じる。


「まあ、良い。だが、そなたは私にエリザベス嬢を献上してくれるのではなかったのか?」

「今もそのつもりでいますよ。今回は殿下が、もう一度、彼女に会いたいと仰せでしたから、サラと一緒に行くことをおすすめしたのです。」


 グレイ侯爵は「ですが、殿下は彼女の全てが欲しいのだと考えておりますが、いかがです?」と意味深長な笑みを浮かべたままで話す。アランは底の見えないグレイ侯爵の灰色の瞳にぞくりとさせられた。


「彼女はエメラルドの原石のような女性だ。」


 美しい青緑色の石は、磨けば磨くほど美しくなる。


『信じるわ。恋も、愛も、彼の全てを。』


 ギルバートの傍に戻ったことで、彼女の中に確かにあった不安は磨かれてしまったのだろう。前回、ベルラガンで会った時とは違い、彼女は少しもぶれる気配がなかった。


『私はあの人を愛しているの。彼以外要らないと思ってしまうくらいに。』


 しかし、その凛とした声色を思い出すと、どうしたって心乱れてしまう。


(『劣るところなどない』と思っていたのに。)


 エリザベスが望むのであれば、ノーランドでの次代の王妃の地位を与えるし、ドレスだろうが、宝石だろうが買い与えようと思っていた。

 それに、彼女がどうしてもと望むなら、敵国の大公位につく男であっても、ギルバートの命乞いを聞き入れるくらいの度量を見せようとも思っていたというのに。


『・・・・・・アラン=マク=クリネインだな?』


 そう言って、視線だけで射殺すような殺気を放ってきた、細身の男のことを思い返す。


 ブルネットの髪に、鳶色の瞳。

 上背もそこまではなく、腕っ節だけなら自分の方が強いだろう。


 それでも、あの時のアランは悠々と近付いてくるギルバートを前に、冷や汗が止まらず、必死に命乞いをする羽目に陥った。


(・・・・・・あのような辱めを受けるとは。)


 あの男だけは、吠え面を拝まないと腹の虫がおさまらない。


「彼女を私に献上すると言ったのはまだ有効なんだな?」

「ええ、そうですね。」

「・・・・・・ならば、寄越せ。」


 ささくれだった気持ちのままに要求すれば、グレイ侯爵はニタリと笑う。


「珍しくご執心なんですね?」

「ここまでコケにされては私の沽券に関わる。」

「『沽券』ですか。ですが、彼女はかのエドガー=スペンサーの孫娘ですから、そう簡単には首を縦には振らぬでしょう。」

「あの女の意思など関係ない。」


 アランはそれが当然だと言わんばかりに「『献上』するつもりなら、それ相応の状態で引き渡せ」と話した。


「それ相応の状態でございますか?」

「ああ、私は恋だの、愛だの、信じぬ。求めるのは『従順さ』、ただ、それだけだ。あの女に家畜のような従順さを身に付けさせろ。薬だろうが、鞭だろうが、手段は問わない。」


 その言葉にグレイ侯爵は目を細めて嬉しそうにすると「承知しました」と恭しく応じる。


「あとは任せても良いのだな?」

「ええ、恐らくあれほどのことをしでかして、公女殿下の命はすでにないでしょう。先程、その旨を前大公妃殿下にお知らせしておきましたから、エラルド公国は内側から瓦解しましょう。」

「そんなに上手くいくだろうか?」

「あの方の背後にはフランク王国が控えております。エラルドがフランクとの争いに気を取られているうちに、エリザベス嬢を奪ってしまえば良い話です。」


 アランは、グレイ侯爵が用意してくれたウイスキーを口にする。

 野営しているテントの中は底冷えしているのに、復讐の火はランタンの火より大きく燃え盛っていた。


「・・・・・・ギルバート=ブラッドレイ=エルガー、せいぜい首を洗って待っているがいい。」


 アランは忌々しげに歯噛みをした。


 ◇


 そのころ、サラは正教会の用意したテントに戻り、ただぼんやりと過ごしていた。

 いつもは喧しく何かにつけて文句を言う彼女が、テントに戻るなり、憑き物が落ちたかのように黙り込んだままだったから、お世話をするための教徒達はビクビクした表情で、食事の準備や寝所の支度を準備していたものの、サラにはその姿も目に入らなかった。


(きっと戦争は止められない。)


 ぐるぐると同じことばかりが頭の中を駆け巡る。


(今はまだいいわ。正教会が後ろ盾になっているし、ノーランドの信徒達も白百合姫を目の敵にしている。)


 だけど、これからは分からない。


(自分を支援してくれている「正教会」は絶大な力を持っている。)


 それは国の垣根を越えるものであり、一度は理由をつけて保留にされていたエリザベスの異端認定を、正式なものとし、軍を動かさせるほどだった。

 しかし、言い換えれば、それはサラを異端認定して排除することも容易だということだ。


(そうなったら、最悪、断罪されるのは私。)


 もし、そんなことになったら、ジャンヌ=ダルクのように生きたまま火刑に処せられるか、貴族の特権を使って情状酌量が認められてもギロチン台行きだろう。


(夜が明けたら、武力で持って地位を得たギルバートとエリザベスは破門される手筈になっている。)


 それに、今はそれに先んじて武装した教徒たちまで使って、大公家の周りを囲って袋の鼠に追い込んでいる。


 それなのに、少しもエリザベスに勝てる気がしない。


(どこで間違えたの?)


 一度、そう思い始めると、今までの自分の行動の愚かしさと、けれど、もう引き返せないところまで来てしまっている現状を悔いることしか出来ない。


 ギルバートは自分ではなくエリザベスを選んだ。

 そして、彼はノーランドではなくエラルドを選んだ。

 これらは決して覆らない、受け入れなければならない事実だ。


「聖女様。お召し物の替えをお持ちしました。」


 そう言って部屋に入ってきたのは、まだ若い信徒で、名前は忘れたが、結構な頻度でお世話をしてくれる青年だった。

 サラがよく当たり散らしていたからだろう、人の良さそうな顔には怯えの影が見える。


「・・・・・・お前、名前は?」


 そう尋ねると、叱責を受けると思っていた怯えは消え、急に目を輝かせた。


「アルフォンソと申します。」


 サラはこの目を知っている。

 これは聖女に期待し、施しを求める目だ。


 そして、その眼差しは何よりも忌まわしいものに思えた。


「アルフォンソ。お前に一つ頼みがあります。この手紙をノーランドのアラン王子に届けてきてください。」


 早く立ち去って欲しい。そう思って渡したのは、アラン宛の手紙だ。


「このような夜更けに、でございますか?」

「ええ、彼はベルラガンに引こうとするでしょうから。その前にお願いをしなくてはなりません。」


 すると、アルフォンソと名乗った青年は「殿下がベルラガンに引かれる? ここまで包囲しているのにですか?」と不思議そうに訊ねてきた。


「ええ、明日の朝になれば、身動きが取りにくくなってしまうもの。」


 フィリップが準備期間を置いて、明日九時から交渉再開と話してきたと聞かされた。

 そして、それを聞いた時、いつも通りのサラなら「今こそ好機なのに。何を甘いことを」と夜襲を仕掛けるようにアランやグレイ侯爵に訴え出たことだろう。


 しかし、今のサラには迷いがあった。


「今は双方、準備期間だと思ってちょうだい。明日の朝には丘の上に公国軍の本部から派遣された騎兵や歩兵が姿を現すだろうし、前大公妃殿下の私兵も動き出すだろうから。」

「では、我らも後退を・・・・・・。」

「いいえ、ダメよ。そんなことをしたら、私たちは人数が多いもの、向こうに気が付かれてしまうわ。」


 動き出すとしたら、夜明け後。あまり準備期間はないが、僅かな時間の隙をついて逃げ出すより他ない。


「仮に信徒を逃がすとしても、空が白み始めてからよ。丘の上に現れる公国軍が、ギルバート大公殿下とカトリーヌ前大公妃殿下、どちらに付くのかで勝負が決するでしょうし、争うのは彼らに任せるつもりよ。」

「では、聖女様は異端者を罰されないと?」

「ええ、罰するのは神の役目。我らの目的はあくまでも同胞の保護だもの。」


 サラが尤もらしく理由を説明すれば、アルフォンソは目を輝かせて「やはりあなたは心優しい聖女様だ」と口にする。


「同胞にはサラ様のお考えをお伝えしましょう。それと、こちらの手紙もアラン殿下にお渡ししてまいります。」


 サラはアルフォンソに、笑顔で「よろしくお伝えして頂戴」と告げる。アルフォンソは「畏まりました」と恭しく手紙を受け取るとテントを出ていった。


(私のことを守れるのは私自身。)


 決してギルバートやグレイ侯爵ではない。


『どいつもこいつも狂っている。』


 アランはそう吐き捨てるように口にしていたが、正直言って、サラも同じ意見だ。そして、だからこそ『彼に賭けるしかない』とも思っている。


(私は私自身の『賞味期限』を上手く使わなくてはならない。)


 彼もまたエリザベスに心を捕われている様子だが、ギルバートのように頑なではない。


 取引をしよう。


 サラは認めた手紙のことを思い返しながら、「伸るか反るか、どちらかしら」と呟いた。

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