夜明け前(3)
夜が明けても、十一月も終わりに近いこともあって、気温は思うほど上がらない。
「女商人姿もすっかり板についているね。」
「お陰様で。でも、ここだと浮いてしまうわね。」
ギルバートに耳打ちされて、エリザベスはそう返事をするとくすりと笑った。
ここは東の森を抜けたリンスター公爵家の裏庭で、ナラやサンザシなどの木が植わった雑木林の中だ。
東の翼棟の端から距離にして三百メートルもなかったが、リンスター公爵家の裏庭は、大公家のそれとは違って、幾何学的に作られた庭ではなく、手入れは最低限で遊歩道で散策できるように作られていた。
「歳をとるのは嫌ね。案内役だっていうのに、こんな小路を登るだけで息が上がるだなんて。」
護衛服姿のトムが転ばないようにエスコートして、どうにか森を抜けた様子のリンスター公爵夫人は、「やっと邸が見えてきたわ」と嬉しそうに微笑んだ。
「目印の大岩はすぐそちらにあるわ。だけど、隠し通路を実際に使った事はないから、ちゃんとブラッドレイ大公御用達だったバー近くまで出られるかどうかは定かではなくってよ?」
リンスター公爵夫人の視線の先には確かに大岩がある。
「いかんせん古いから、危ないと思ったら引き返してちょうだい。」
「分かりました。」
「ああ、でも、リジー。本当に行くの? ここはトムに任せて、うちでお茶でも飲んで待っていては?」
と、トムも一緒になって頷いて、「そうですよ、こちらで殿下とお待ちいただければ、ちょっと行って直ぐに帰ってきます」と話す。
「ちょっと、トム。ここまで来て、私を置いていくつもり?」
「置いていっていいのなら、そうしたいですよ。何が起こるか分からないんですから。」
「もう! 言い出しっぺがやらなくて、誰がやるのよ? それにお祖父様も仰っていたでしょう? 偉そうにしていても人はついてこない。一緒に苦しい思いをしてこそ、人は手を貸してくれるって。」
「確かに仰っていましたけども・・・・・・。」
エリザベスの性格がエドガー譲りなのはトムも重々承知しているからだろう、「全く、そんなところまでエドガー様に感化されなくても良いんですよ?」と呆れ口調で諭した。
エリザベスは散々ギルバートと話し合い、説得したところを、トムに断られそうになって口を尖らせる。その様子を見兼ねたギルバートは「トム」と声を掛けた。
「危険を伴うのは確かだけれど、僕もリジーに行ってもらいたいんだ。」
ギルバートの発言にトムは意外そうな顔をする。
「作戦の変更はないよ。ここに来る前に、話した通りだ。この隠し通路が使えるなら、精鋭部隊をこちらに引き入れて、リンスター公爵家の正門前の一団を挟撃する。」
そこさえ突破できてしまえば、パーティー客を逃がすことも、援軍を引き入れることもできるだろう。
「それにトムならリジーの護衛に慣れているし、不測の事態が起きても、ホーキンス船長に顔が利く。向こうにはジョーンズ少尉もいるから手助けしてくれるはずだ。」
トムは「ジョンの奴がお嬢様に甘いのは確かですけど、あいつはそんな殊勝な奴じゃあないですよ?」と苦笑する。
「でも、まあ、殿下がそうおっしゃるなら、仕方ないですね。」
「ちょっと、トム。私には小言だらけなのに、ギルの話なら納得するの?」
「お嬢様。今までの半生、胸に手を当ててよくお考えになってください。『触らぬ神に祟りなし』ってお教えしてきたのに、どうしてノーランドの王子に目をつけられることになったんです?」
「う・・・・・・ッ。」
「よくよく反省を」と叱られたエリザベスに追い打ちをかけるように、ギルバートも「そうだね」と相槌を打つ。
「リジー、行くなら、トムの指示には従うこと。それとリンスター公爵夫人の仰る通り、隠し通路で少しでも危ないと感じたら引き返すように。」
「・・・・・・もう。ギルまで私を子供扱いするの?」
エリザベスが「トムもギルも、本当、過保護なんだから」と口を尖らせる。一方、ギルバートはエリザベスを引き寄せると、耳元で「リジー?」と声を低めた。
「僕との約束、もう忘れたのかい?」
『君が死ぬ時は僕の息の根も止まると覚えておいてくれ。君に殺されるなら本望だ。』
そう口にした時と同じように、ギルバートは「愛情深い」の一線を越えそうな笑みを浮かべる。
「僕は本気だよ?」
その一言で「けして子供扱いじゃない。これは命のかかった約束なんだ」と暗に示してくるギルバートに、エリザベスは「はあ」と小さく息を吐くと「分かったわ」と答えた。
「ギルに死なれちゃ困るもの。トムの指示に従う。」
ごく小さな声で返せば、引き寄せられていた力が弱まる。
「よろしい。」
そう言って満足そうに微笑む姿は、いつものギルバートで、きっと今の短いやり取りでは、リンスター公爵夫人も、トムも、ギルバートの危うさに気が付いていないだろう。
「ちょっと行って、ささっとお願いして、やることやったら急いで帰ってくるわ。」
「うん、そうしてくれると助かるな。」
大岩の近くまで来ると、リンスター公爵夫人が「この辺りに石の蓋がある」と言い、トムが落ち葉を払って、白百合の紋章入りの石蓋を見つける。
開けてみると螺旋階段になっており、地下へと潜っていく。
「中を確認してまいります。」
トムはランタンを持って危険がないか確認をしながら降りていく。
「ところで、殿下。お二人がお出かけの間、こちらでお待ちになっては? 簡単なおもてなしでしたら出来ますわよ。」
「・・・・・・そうしたいところですが、そうも言っていられないんですよ。彼女の作戦通りに動くなら、僕は少しでも敵方との交渉を長引かせなくてはなりませんから。」
アンリの殺害や、ジュリエットの処刑については、公には明かしていない。
彼らが死んだのを知っているのは、フランシスとトム。それから、フィリップとエリザベスだけだ。
「問題なさそうです。」
戻ってきたトムが顔を見せる。エリザベスは「良かった」と応じると、「じゃあ、行ってくるわね」と話した。
「ああ、十分に気を付けて。」
「ええ。」
ギルバートは挨拶のハグをすると、螺旋階段を降りていくエリザベスを見送る。
そして、その姿が地面の下に消えると、ギルバートの顔から笑みが消えた。
(戦いの火蓋が切って下ろされるのは九時過ぎ。)
フランシスとフィリップに頼んで、既に騎士団には動き始めてもらっているが、物資も武器も人員も足りない。
(足止め出てきて、一刻か、もう少し。)
サムが動いてくれているとはいえ、明るくなってしまえば暗躍は難しいだろう。
「戴冠早々、お忙しくていらっしゃるわね?」
「ええ、夜が明けましたからね。」
今日からは『新しい時代の幕開け』で、この国が良くなるにせよ、悪くなるにせよ、ギルバートの双肩にかかっている。
「お茶のお誘いはどうぞ養母であるブリジット妃殿下にお願いします。私の忠義はエラルド公国と大公家の繁栄のために。」
「あら、あなたの白百合姫のためにではなくって?」
と、ギルバートは相好を崩して「彼女には忠義以外の全てを捧げております」と笑った。
◇
エリザベスは、トムと二人で暗い道を進む。
隠し通路は石で組まれたトンネルになっていて、少し埃っぽい。
「参りましたね、ここに来て分かれ道のようです。」
トムが立ち止まる。道はT字になっていた。
「右か左か。単に行き止まりならいいんですが・・・・・・。罠が仕掛けられていると厄介だな。」
一方、エリザベスは見覚えのあるレリーフに目を瞬かせた。
「『導きの女神』?」
なぜ、ここに。そう思いながらトムに場所を変わってもらってレリーフをつぶさに確認する。
(一緒だわ・・・・・・。)
ギルバートとグニシアの王城を抜け出た時に見たのと同じレリーフ。
右を向いた女神が糸を引っ張っている姿も同じだった。
「トム、右が正解の道よ。」
「・・・・・・お分かりになるんですか?」
「ええ、ギルに教えてもらったことがあるの。グニシアの王城にも同じような隠し通路があるんだけど、そこにも目印にこれと同じレリーフがあるの。正しい道を抜ければ脱出できるようになっているけれど、誤った道を進むと地下牢に通じる仕組みだって教えてくれたわ。」
そして、歴代の王太子たちは通路の通り方を遊びを通して覚える旨と、ギルバートは法則性を見抜いて通り方を教えてくれた話をする。
トムは「有智高才な方だとは思っていましたが、そこまでご存知となると些かまずいですね」と難しい表情になった。
「エドワード国王陛下が、お嬢様を実子であると認めた真の狙いはギルバート様の排斥にあるのかもしれません。」
「どういうこと?」
エリザベスが首を傾げたところで、トムは「エドワード国王陛下はギルバート様を謀反人に仕立てあげるおつもりなのでしょう」と話す。
「謀反人って。グニシアはヴェールズとエラルド、三国間で同盟を結んでいるでしょう?」
「ええ、ですから、エドワード国王陛下は『エラルドは属国と見なしている』だの、『ジュリエットを大公女と見なす』だの、内政干渉にあたる内容を通告してきたんですよ。」
もちろんヴェールズとエラルドの二国間で、これ以上、強固な同盟関係を結ばないようにとの牽制の意味合いもあるやもしれない。
だが、ギルバートがグニシアの王城の秘密まで知っているとなると、それ以上に危険視されたというのが正しい見方だろう。
「ギルバート殿下はグニシアについて知り過ぎているんですよ。外交、内政、軍事に、経済。本当ならオリバー王太子殿下の幽閉の一件も、そんな殿下に対しての戒めとする予定で、殿下が折れれば矛を収めるつもりだったのでしょう。」
エルガー公爵家に罪があるように見せかけて、ブリジットとの関係を冷え込ませて力を削ぐつもりだったに違いない。
解放して欲しくば、赦しを請い、忠誠を誓え――。
そう言質をとるために。
「ですが、殿下はご自身の才覚のみで、オリバー王太子殿下を救い出し、ブリジット妃殿下との関係値も取り戻しておしまいになった。」
マウントを取る予定が、大誤算だったはずに違いない。
しかも、ギルバートはエリザベスを連れてエラルドに場所を移し、公世子どころか大公として立つことになった。
「このまま根付かれたとあっては、ブリジット妃殿下を介して介入しようとしていたエラルドへの干渉も出来なくなります。ですから、今回の爆破事件を体良くギルバート様によるクーデターに見せかけて、ジュリエット公女殿下を傀儡に政権掌握しようとなさったと見た方がよろしいかと。」
「・・・・・・つまり、ギル自身が狙われているってこと?」
トムは頷き「そう読んだ方がいいでしょう」と話した。
「ぐずぐずしていると、踏み込まれてしまいます。急ぎましょう。」
そうして、曲がり角を曲がって今度はY字になっているところへ出る。
エリザベスはトムが居てくれて良かったと思った。
『君が見た悪夢のように、もし僕が君に『死んでくれ』と言うとして、その時は、本当、万策尽きて、君に一緒に死んで欲しいと願うようなときだ。』
ギルバートは分かっている。
そして、分かっているからこそ、この隠し通路を使って助けを呼ぶ作戦に賛同したのだと気付いてしまった。
『『ありえない』とは言いきれない。きっとグニシアでは、僕を君の誘拐犯にでも仕立てて、捕らえようとする輩もいるだろうしね。』
(・・・・・・何が不測の事態、よ。初めから、私を海に逃がすつもりなんでしょうに。)
この計画が失敗して、敵に踏み込まれても、その時、エリザベスはホーキンスの船の上。
それならたとえ自分がクーデターの主犯扱いで殺されることになっても、エリザベスは助けられる。
(ギルの事だもの、きっと、そんな考えで私のことを出したんだろうけど。)
腹立たしくて堪らない――。
「お父様がどんなお考えかは知らないけれど、絶対に阻止するわ。」
いっそ『一緒に死んでくれ』と言われた方が、どれほど良かったことか。
エリザベスは歯噛みをしながら、「先を急ぎましょう」と話した。




