夜明け前(2)
一方、エリザベスは部屋に戻るや否や、真っ直ぐバスルームに誘導された。
「眠いんだけど・・・・・・。」
「ダメです。ギルバート様から、湯浴みをさせて体を温めるようにと仰せつかっております。西の翼棟の焼け跡を見に行かれるだなんて仰っておりませんでしたのに。」
レベッカは問答無用と言わんばかりに、ぐいぐいと背中を押して、温かなお湯の張られた湯船に入るように促す。
「熱ぅ・・・・・・。」
「熱くありません。妃殿下の身体が冷えきっているんです。」
そうピシャリというあたりも、アンを彷彿とさせるから、エリザベスは口を尖らせて「レベッカがアンにそっくりになってきた」とボヤけば、「しっかり習ってますからね」とくすりと笑われた。
「ほら、肩まで浸かってください。お髪から洗いますね。」
「・・・・・・うん。」
泡立てた石鹸で髪や身体を洗ってもらうと心地よく、ほうとため息が漏れる。そして、浴槽の縁を枕にゆったりと身を預けると、ウトウトとしながらレベッカにマーガレットやアニエスのことを訊ねた。
「二人ともどう? 初日にこんな事に巻き込まれて、私付きの侍女なんて嫌だって、嫌がってなかった?」
と、レベッカは「アニエスの方はあの演説を聞いて以降、すっかり妃殿下に心酔しきっておりますよ?」と苦笑する。
「ただ、マーガレットの方は困惑気味でしたね。火事場では上手く取り仕切ってくださいましたが、思っていた仕事とは違ったようでして。」
「そうね、本当なら私の話し相手に来たのだもの。」
それがこの状態だ。侍女を辞したいと言われても仕方ない。
「いえ、逆です。妃殿下。裁量が大きいことに困惑なさっていたようですよ。」
「そうなの?」
「普通、侍女長がいて、その指示に従うスタイルですから。」
それにはエリザベスも「確かにそっちの方が普通だものね」と納得する。
「なので、それとなく小伯爵様にも確認したのですが、『そこは慣れてもらうしかない。妃殿下の侍女は特殊部隊のようなものだ』と言われてしまいました。」
「特殊部隊?」
「ええ、旦那様がお許しにならないだろうとも。」
「ああ・・・・・・。」
大公妃を仕える仕事を三名で回すとなると、正直、ギリギリの人数だ。
しかも、単に大公妃に仕えるだけではなく、複雑な出自のエリザベスの背景を知り、支え、補える人材でないといけない。
身体が温まると浮かび上がってくる無数の傷痕や、比較的新しくできてしまった喉や手首、足首に出来た痣の痕。
事情を知っているレベッカとて、未だに痛々しくて慣れないのだ。新人のマーガレットやアニエスが見たら騒ぎ立てするだろう。
「ギルが考えると、ハードルは高そうね。ロバートが基準になりそうだもの。」
「そうですね。普通に政務代行まで任されているロビンを見ると、私は妃殿下付きで本当に良かったと思っています。」
しみじみと話すレベッカの様子に、エリザベスはくすくすと笑い、「そろそろ出ないとこのまま気持ちよくて寝てしまいそう」と話す。
レベッカは髪を濯いで「もう少し頑張ってくださいませ」と、エリザベスに話し掛けた。
髪を乾かして、香油を馴染ませて。
レベッカも眠たいだろうに「美容は一日してならず」と言いながら、ケアをしてくれた。
「・・・・・・ギル?」
部屋に戻るとギルバートが先にベッドにいて、書類に目を通している。
「お帰り、リジー。温まった?」
「ええ。ギルも入ったの?」
「いや、夜も遅いし、浸かるまではしなかった。傷に障るといけないからね。」
書類をサイドボードに置いて、頬のガーゼを指差すと「ロバートに体を拭くのを手伝ってもらって、包帯を換えてから来たんだ」と話すから、エリザベスは「私ばかりお湯に浸かってしまったのね」と眉尻を下げた。
「あんなに冷えきっていたんだ。リジーは浸からないとダメだよ?」
そして「ちゃんと温まったか確かめるから、こっちにおいで」と自分の横に上がってくるように促してくる。
「もう、確かめなくても、ポカポカよ?」
そう話しながら「そういえばレベッカは?」と思って振り返ってみると、レベッカはいつの間にか控えの間の扉近くにいて、「御用がございましたら、枕元の呼び鈴でお呼びくださいませ」と一礼して下がっていく。
エリザベスはそのそつのない対応に「本当、よく出来た侍女だわ」と肩を竦めた。
「どんどんアンの対応に似てくるの。」
「それを狙ってレベッカをリジーの傍に置いたからね。」
「そうなの?」
「ああ、レベッカはリジーと年が近いっていうのもあったけど、良くも悪くも公爵家に馴染む前だったし、メアリーに聞いても、ミセス・ラッセルに聞いても、機転の利く、信頼のおける子だって聞いたから抜擢したんだ。」
特殊部隊。
どうやらレベッカの言った通り、ギルバートの侍女選定はとても厳しいらしい。
「今回はフィルに候補を上げさせて、二人選定したんだけど。どうだい?」
早速、探りを入れてくるギルバートに、エリザベスは「下手なことを言ったら、二人の立場が危うくなるわね」と思いながら「マーガレットもアニエスも素晴らしい方よ」と笑顔で答えた。
「私が連れ去られずに済んだのは、マーガレットの機転があっての事だし、この本邸が延焼しなかったのも、彼女がいち早く指摘してくれたからだわ。」
ギルバートの安否や、医師団の手配、パーティー客の誘導。
考えないといけないことが一気に押し寄せてきて、それぞれに手配したところで「恐れながら妃殿下。風向きを考えると、本邸まで延焼する可能性があります。防火の事もお考えを」と言ってくれなかったら、きっと今頃、本邸も延焼していたことだろう。
「なるほど。では、アニエス嬢の方は?」
「アニエスは場の雰囲気を明るくするわ。朗らかで、社交的。それに人の采配が上手いわね。公爵閣下からの連絡もあって、侍従の方が手伝いに来て下さったんだけど、あっという間にそれぞれの特技を聞き出して、適材適所になるように仕事を割り振っていたわ。」
アニエスは「実家が商売に明るいから、誰をどこに配置するかはよく任されるから慣れているだけだ」と話していたものの、あまりに鮮やかな采配だったから、医師団と侍従の橋渡しについて、エリザベスはアニエスにほぼ丸投げをしてしまった。
「そうか、どうやらフィルの見立ては悪くなかったらしい。」
そういうと満足したのか、エリザベスの腰を引き寄せるようにして、こめかみに唇を押し付けるだけのキスをする。
「リジーも疲れただろう?」
それから、ベッドに潜り込むようにすると、エリザベスを抱き着いたままゴロンと横になる。その途端、張り付けたような微笑みが外れて、浮かない表情に変わった。
(ギルも無理してたのね・・・・・・。)
エリザベスは疲れきった様子のギルバートを見ると、少しでも労わって上げたくなって、そっとブルネットの髪に触れた。
「・・・・・・リジー?」
何度か撫でていると、鳶色の目が気持ちよさそうに細められる。
エリザベスはギルバートの傷付いた頬に「頬の傷、痛むの?」と訊ねた。
「そうだね、少し痛い。だけど、足の方がもっと痛いかな。結構酷く捻挫してしまったみたいなんだ。慰めてくれるかい?」
酷く気弱なことを言うギルバートの様子に、エリザベスにきゅんとして「良いわよ」と答えた。
「痛いの、痛いの、飛んでけ。」
髪を撫で、最後にそっと覆い被さるようにして口付けた。
唇を解き、目を開ければ、飢えるような鳶色の眼差しと視線が合う。
と、離れようとしていた項に手を掛けられて、再び引き寄せられると、今度はギルバートから唇を塞がれた。
「ん?! ふぅ・・・・・・ッ。」
ギルバートは半身を起こし、飴玉を転がす時と同じ要領で深く口付けてくる。
(待って、なんで・・・・・・。)
いつもと違う角度での口付けだからだろう。普段とはまた違う感覚に、背筋がぞくぞくとさせられる。
「んん・・・・・・ッ。」
ギルバートの手はお風呂に入って温まった自分よりも熱くて、腕を引かれて体勢が崩れると、あっという間に引き寄せられる。
熱い指先が背筋に沿って撫で下りていく。
身体は電気が走ったかのようにびくりと身震いした。
「・・・・・・もう少しだけ。『生きてる』って信じさせてくれ。」
そこには、先ほどまで甘えたことを話していた彼ではなく、もっと切実なギルバートの眼差しに息を飲む。
二度の爆発に、アンリとジュリエットの死。
自分だって燃え盛る火を前に恐怖したのだ。普段の彼がいくら冷静沈着、熟慮断行な性格とはいえ、ギルバートは命からがら助かったのだ。近づいてくる死の匂いに恐怖したことだろう。
「こうしてリジーに触れていても、どうも生きた心地がしないんだ。」
今にも泣きそうな、そんな声で囁かれると、エリザベスも「ダメ」とは言えなくて、ギルバートのことを抱き締めた。
胸元にギルバートの吐息がかかる。
「分かった。今夜はギル専属の抱き枕でいてあげるわ。」
「今夜だけ?」
「まだ問題解決、できてないんでしょ? 部屋に籠るのはなしよ?」
「そんなの、フィルとロビンが何とかするって。」
「もう・・・・・・。」
疲れてはいるのだろう、何度か髪を撫でていると、うっそりとした表情で目を伏せる。
「リジー・・・・・・。」
ああ、そんな声色で名前を呼ばないで欲しい。
普段よりワントーン低い声色が頭の芯を揺らすかのようで、ひび割れだらけの理性が崩れてしまいそうになる。
「朝、早いんでしょう?」
窘めるように口にしても、ギルバートは首筋や胸元に口付けるようにして誘ってきた。
「ああ、早いよ。」
捻挫していない方の足が絡み付いてきて、引きずり込まれるようにして毛布の中に収められる。と、同時に少しの隙間も嫌だと言わんばかりにギルバートの腕の中に閉じ込められてしまう。
「ギル、答えて明日何時に起きるの?」
「抱き枕・・・・・・。」
「一日中はダメよ? 今夜だけ。」
「・・・・・・つれないなあ。」
本音を見え隠れさせながら軽口を叩き、「夜明けは七時半だからそれまでは甘えさせて?」と甘い声色で擦り寄られると、エリザベス自身、自然と期待に胸が高鳴ってしまう。
しかも、エリザベスの形を確かめられるようにして、背筋や脇腹、腰とやわやわと触れられると、もどかしさに堪らず吐息が漏れた。
「夜が明けたら・・・・・・。」
まどろみの中にいるのだろう、ギルバートの口調はゆっくりで腕の重みが少し増す。しかし、「夜が明けたら」の先を待っても返答がない、
「ギル・・・・・・?」
そっと囁いてみると、瞼は閉じられて、長いまつ毛が少し震えて見えた。
夜が明けたら、新しい時代が来る――。
(東の翼棟と温室にみんなを移しはしたものの、正門が張られているんだもの、東門も張られていると考えた方が妥当よね。)
たとえ今日の騒ぎを聞き付けて、援軍が来てくれたとして、早くて明日の朝、遅いと昼過ぎにならないと援軍は来ないだろう。
「今は袋の鼠だし、食料も三日もすれば底を尽きてしまうだろうし。」
ましてや、贅沢に慣れている貴族階級が閉じ込められている。彼らがそう呑気に待ってくれるとも思えない。
(・・・・・・朝になったら、もう一悶着ありそうね。)
眠気が限界で目を伏せる。そこからは気が遠のくようにして眠りに着いた。
◇
朝七時。身体はまだ寝ていたいと思うものの、まだ気を張っているせいか、ギルバートの起きた気配にエリザベスも目を覚ました。
「・・・・・・悪い、起こしちゃったみたいだ。」
「ううん、まだ気が抜けてないだけだと思う」
現に身体は思うように動かなくて、関節に油を差して欲しいくらいだ。
「もう、起きるの?」
「ああ、打開策を考えなくちゃいけないからね。」
ギルバートは「東の森を抜ければ、リンスター公爵家があるから、少人数なら篭城作戦もありなんだけど、如何せん、人が多すぎる」と悩ましげだ。
「リンスター公爵家?」
「ああ、そうだよ。あの家は僕の祖父のさらにもうひとつ前の時代に公女が嫁いだ先でね、『お隣さん』なんだ。」
亡きブラッドレイ大公からすれば叔母にあたったリンスター公爵夫人は降嫁にあたって、東の森を抜けた先にあった別邸を父親から譲り受けた。
「じゃあ、元々リンスター公爵のお邸は大公家のものだったの?」
「ああ、そうだよ。だから、ここと同じくからくり屋敷だし、リジーを縁付けるには絶好の家だったんだ。」
ルーカスより三つほど年下のリンスター公爵は、権勢はレイ侯爵家より劣るものの、筆頭公爵家であり、レイ侯爵もその判断を完全には無視できない。
それにリンスター公爵夫人は昔からブリジット妃殿下や母親のジェニファーと仲が良く、子宝に恵まれないことを嘆いていたのも知っている。
しかも、祖父の叔母が降嫁した家門で、邸も目と鼻の先とあらば、これ以上にエリザベスの義父母として縁付けるのに良い人達は、他に見つからなかった。
「大公家で何かあっても、東の森を抜ければリンスター公爵家がリジーのことは守ってくれる。今回の件とて、リジーが頼めば、夫人は二つ返事で助けてくれるんじゃないかな。」
「・・・・・・ということは、隠し通路もあったりする?」
ギルバートはそこまで話して「多分ね」と肩をすくめる。
「祖父が幼い頃に教えてくれたことがある。『降嫁した叔母がお酒好きでバーのすぐ近くに出る秘密通路があって、それを使ってよく飲みに連れてってくれた』って。」
「じゃあ、外に出られる仕掛けもあるかしら?」
「あるとは思う。だけど、古い仕掛けだし、きちんと手順を踏まないとグニシアの城と同じように、あらぬ所に通じることも多いとは思う。」
「でも、あるのね?」
出るのは簡単でも、戻るのは大変な道になっている事も多いし入り組んでいるはずと話せば、エリザベスはにこりと笑った。
「もしかして、何か思いついた?」
エリザベスは起き上がると「後は私に任せて」と笑みを浮かべた。




