大罪(6)
どれくらいの時間、西の翼棟の近くで佇んでいただろう。コートを着ているのに、肌寒さを覚える。
「もしかして、そこにいるの、リジーかい?」
声がした暗闇の方に振り返り、目を凝らしてみれば、軍に支給されているカーキ色のコートを着込んだギルバートが、ランタンを片手に近付いてくる姿が見えた。
「・・・・・・ギル?」
「ああ、やっぱり! 何だってこんなところに?」
辺りを見回しながら、足早に近付いてきたギルバートに「ここには一人で?」と訊ねられる。エリザベスは「ええ」と短く答えたあと、「少し頭を冷やしたくて」と答えた。
サクッ、サクッとギルバートの歩む音が聞こえる。ギルバートは少し離れたところにランタンを置き終えると、ザクザクと音を立てて近付き、エリザベスの両頬を挟むようにする。そして、「はあ」と白い吐息混じりに眉根を寄せると、コツンとおでこをくっつけるようにして抱き寄せた。
「・・・・・・いくら頭を冷やしたかったからって、冷やしすぎじゃないか? 今にも凍ってしまいそうだよ?」
ランタンの薄明かりがギルバートの不満そうな顔を照らし出す。一方、エリザベスはそんなギルバートから伝わってくるの温もりに「そうかしら?」と苦笑混じりに返事をする。
ギルバートはエリザベスの冷たい額に触れるだけの口付けを落とすと「ほら、もう十分冷えているだろう? 部屋に戻ろう?」と囁いた。
「・・・・・・でも、ギルも、何か用があってここに来たんじゃないの?」
温めて貰った端から、冷たい外気が熱を奪うから、ぶるりと小さく震える。ギルバートはそんなエリザベスの些細な動きも見落とすまいとしているのか、親鳥が雛を温めるようにしてエリザベスを抱き込み直した。
近い――。
それなのにランタンの揺れる光に照らし出されるギルバートの表情は暗く、妙に不安にさせられる。
「・・・・・・あったけど、そう大した理由じゃないんだ。」
ギルバートはそう話すと、少し困ったように苦笑する。
「実を言うとね、部屋に戻る前に、この景色を目に焼き付けておこうと思って立ち寄ったんだよ。」
「この景色?」
「ああ、夜が明けたら忙しくなってしまいそうだからね。真っ暗なのは分かっていたんだけど、被害状況の確認をしたくて。」
ギルバートはそう話すと、お気に入りのぬいぐるみを抱き締めるかのようにして、エリザベスに頬を寄せてくる。そして、悲しみを押し殺すようにして「叔父上が亡くなったんだ」と話した。
「それと、ジュリエットもね。」
その言葉に絶句して、ギルバートを見上げれば、彼は酷く憔悴した様子で表情を歪めていた。
「・・・・・・まあ、そんなわけでね、明るくなったら輪をかけて忙しくなりそうなんだよ。先達の叔父上も亡くなってしまったし、助けを仰ごうにも父さんは倒れているし。正直、どうしたらいいか見当もつかなくて。ここに来たら、何か腹が決まるかもと思ったんだ。」
あんなに豪奢で煌びやかだった広間は見る影もない。ロココ調で装飾されていた柱の上部は梁と共に崩れ落ちてしまった。
「本当、今日は散々だよ。」
そう話すギルバートは、そのまま冬の空気に溶けて消えてしまいそうだったから、咄嗟にギルバートの服を掴み、引き寄せる。
「リジー?」
ギルバートとの距離がさらに縮まった。
何と声をかけたら良いだろう――。
答えあぐねいている自分のことを、ギルバートは静かに待ってくれている。
エリザベスは慎重に言葉を選ぶと「夜が明けたら」と口にした。
「そしたら、『新しい時代』が始まるわ。」
「新しい時代?」
「ええ、ギルが率いる新しい時代よ。」
太陽が昇り、西の翼棟の焼け跡が白日の元に晒されて、それがどんなに彼の心を傷付けても、彼はこの国を率いていかなければならない。
「レジナルドで話してくれたでしょう? 『愛する全てを守らんとする者は自分に続け』って。」
縋るように抱き締めてきていたギルバートの腕の力が強くなる。
「それについては、自分でも大それた事を言ったと思う。現実はろくに救えてないからね。」
愛する故郷。愛する家族。
その全てを守ろうとするには、信念だけではどうにもならない。
「安寧に生きることは、本当、難しいみたいだ。」
ギルバートが実感のこもった声色で呟く。エリザベスはふっと笑みを漏らすと「ギルもようやく身に沁みた?」と訊ねた。
「ああ、身に沁みたよ。こっちは単にリジーとのんびり暮らしたいってだけだっていうのに。」
日がな一日、ゆっくりと――。
二人でピクニックしてもいいし、邸で読書でもいい。彼女となら政治・経済の話も、自然科学の話も、話を振れば彼女なりの答えを聞かせてくれるだろう。
しかし、エリザベスはふっと目を細めて「あら、ギルったら、大公位は領主以上に権限があるのよ? ゆっくりできるわけがないわ」と咎めるような口調で返答してきた。
「ギルがどう思っていようが、この国の人達には、そんな事、関係ないのよ? この国の人たちが重視するのは『経過』ではなく『結果』が重要だわ。『ギルが大公位を受け継いだ』ってことの方が。」
「随分と手厳しい指摘だな。」
愛する故郷。愛する家族。
その全てを守れないことをエリザベスは身をもって知っている。
だけど――。
「私ね、レジナルドでのギルの演説を聞いて、本当に感動したのよ?」
万歳三唱の声が上がる中、エリザベスはギルバートを酷く遠くに感じたものの、割れんばかりの声の中、あの日、エリザベスは心打ち震えて動けなかった。
「あの日のギルはとても眩しく感じたわ。」
それと同時に自らの無力さを感じた日でもあったが、エリザベスはいつになくひとつの『夢』を抱いた。
「あなたはこの国を率いるために生まれたんだって。」
そう言って微笑むエリザベスは、そこまで言うと「だからね、私も頑張ろうと思えたの」と話した。
「私はあなたの『白百合姫』なんでしょう?」
そう言うと、ギルバートから一旦離れて、腕を絡める位置に移動し「私が居たいのはここよ」と横に並び立つ。
「あなたと同じ方向を向いて、肩を並べて生きたいの。」
ギルバートのお荷物や足枷になるような、そんな大公妃ではいたくない。
彼の横で、彼と同じ先を見て、一緒の目標に向かって生きていける、そんな大公妃でありたい。
エリザベスの所信表明に、ギルバートは無言のまま、大きく目を見開く。
そして、エリザベスの腕に回された手に触れようとして、ふと彼女が何かを握っていることに気がついた。
「・・・・・・それは?」
「え? あ、ああ、これ? さっき、そこで拾ったものよ。」
踏み荒らされて、型崩れした花飾り。
「そのままにしておくには、忍びなかったのよ。レースも繊細なデザインだし、きっと職人も精魂込めて作ったものだわ。」
しょっちゅうドレスを手直ししていたから分かる。この花飾りひとつで、職人の一ヶ月分位の給金が支払われているだろう品だ。
「それが踏み荒らされて、型崩れしてしまったと知ったら、とても悲しむに違いないと思って・・・・・・。」
そう言って、痛ましげに手元の花飾りを見つめ口篭る。
とはいえ、この花飾りの打ち捨てられていた姿が自分自身の姿に見えたことは、何となく口にするのが憚られて、エリザベスは押し黙った。
「これ、貰っても?」
急に黙り込んだエリザベスの様子に思うところがあったのだろう、ギルバートはエリザベスの悴んだ手を包み込むようにして、引き寄せる。
「ぼろぼろよ?」
「ああ、でも、これがいい。」
そう話すギルバートは口篭った理由を察したのだろうか、優しい眼差しを向けてくる。
「君が拾ったのも何かの運命だ。君と同じように大事にするよ。」
その言葉にきゅうっと胸の奥が引き攣れたような感覚を覚える。
「職人だって精魂込めて作ったものが、大公殿下の胸元を飾ったと知ったら、職人冥利に尽きるってもんだろう?」
ギルバートはそっと花飾りを確認すると、金属や真珠で出来た花芯の部分も確認し、「うん、この構造なら直せる。大丈夫そうだ」と話す。
「本当に?」
「ああ、大丈夫だよ。心配ない。」
その言葉に不思議と泣きたいような、それでいて、ありがたくて拝みたくなるような温かな感情が胸の内に湧き起こってくる。
やさしい人――。
彼のこのやさしさに、自分はどれほど救われてきたことだろう。
泉が湧き出でるようにして、温かな気持ちが、心の奥底から染み出るようにして湧き起こり、胸の内を満たしていく。
エリザベスはギルバートの方へと一歩進み出して、再び彼の懐へと入ると、自ら腕を伸ばし、ギルバートに抱きついた。
「リジー?」
当惑しているギルバートの息遣いがすぐ近くに聞こえる。けれど、エリザベスは今の気持ちを表現する言葉を持ち合わせていなかった。
この気持ちを何と表現したらいいのだろう。
愛おしくて、切なくて、ともすれば泣き出してしまいそうで――。
「愛している」だなんて軽い。
「必要」でも足りない。
「傍にいてほしい」とも少し違う。
ただ悲しいくらいに彼のことが好き過ぎて、胸がツキンツキンと痛んだ。
ギルバートの肩越しには、冷たく凍るように輝く美しい月。
月の光は人の心を狂わせるという。それならこのまま気が触れたようにして、この胸を満たす、恋心だが、愛情だかに身を委ねてしまった方が楽になれるだろうか。
「・・・・・・あのね、ギル。」
「・・・・・・ん?」
「私、あなたが好きよ。私が私でいられるのはあなたのおかげ。あなたが私を私たらしめているの。」
エリザベスの吐く息は白く、闇に溶けるようにして解けていく。
うん、この気持ちはやはり言葉にならない。
「愛している」だなんて軽い。
「必要」でも足りない。
「傍にいてほしい」とも少し違う。
けれど、このうまく言葉にできない感情につける名前なんて、そんなのどうでも良いと思えた。
(私はこの人のために生きていきたい。)
エリザベスは、きょとんとした表情のギルバートにくすりと笑ってみせると、口付けを強請るようにして擦り寄った。
◇
人は愚かだ。
月がどんなに満ち欠けして、いつか月に人が立つ日が来たとしても、人は傲慢で、強欲で、嫉妬深くて、憤怒に駆られて我を忘れる。
そして、色欲や暴食、怠惰。七つの死に至る大罪として戒められても、「恋」に溺れて、神への祈りを忘れてしまう。
ランタンの薄明かりとはまた別に、月明かりは白くエリザベスを照らし、その細い髪を輝かせている。
今は十一月も終わりに近い時期、日付も回り、こんな吹きさらしのところにいたら、夜は体温をぐんぐん奪われる。だから、エリザベスを暖かい部屋の中に連れていくのが正解だと、頭では分かっている。
けれど、自ら懐に入ってきて、満面の笑みを見せ、ニンフのように自分を誘惑してくるエリザベスを前にして、ギルバートはちっとも理性的でいられなかった。
『そのままにしておくには、忍びなかったのよ。』
その後の職人云々の話は、きっと言い訳だろう。受け取って確認した花飾りは、ギルバートの目からすれば、中の上か、上の下といった程度の代物で、比較的簡単に買えそうな品に見えた。
(だから、あの花飾りにはリジーなりの別の意味があるのだと思う。)
それは今夜のことについてのメタファーか、あるいは、彼女の半生についてのメタファーか。
いずれにせよ、彼女はその種明かしをしないだろうし、そこはさほど重要じゃない。
『私、あなたが好きよ。私が私でいられるのはあなたのおかげ。あなたが私を私たらしめているの。』
腕の力を強くして深く口付ければ、口の端から「んんっ」と甘い声を漏らすから、余計にのめり込んでしまう。
(・・・・・・ダメだ、もう、止めないと。)
本来、この西の翼棟の跡地に来たのは、エリザベスに話したように、反省するために来たはずなのに。
それがどうしてかすっかり彼女のペースだ。
繊細なところがありながら、時に豪胆。
顔を赤くするかと思えば、時に大胆。
相反する面が共存しているエリザベスは、この腕の中に捕らえておかなければ、不意に消えてしまいそうな儚さも持ち合わせているから、自然と腕の力も強くなる。
唇を解き「これ以上、ここにいたら本当に風邪を引きそうだ」と囁けば、エリザベスも「そうね」と囁き返してくる。
(僕は現金な奴だな。)
父親が生死の境をさまよい「今夜が峠だ」と医者に言われていても、従妹のジェニファーに甘い処断をした結果、叔父のアンリが死んだと知っても、エリザベスに「新しい時代が来る」とか「肩を並べて生きたい」とか言われると、それだけで全てが許されたような心地になった。
『あなた、エリザベスを守るためなら、その命さえも惜しむつもりがないと言うの?』
一国の大公になった今、サラにも指摘されるくらいだ。彼女を全ての免罪符にしてしまいそうな自分を自分でも「危うい」と思う。
リンスター公爵家をはじめ、自分の味方になってくれる者も増えてきているが、依然としてレイ侯爵家を筆頭に自分やエリザベスをよく思わない輩もいるだろうし、アンリやジュリエットの死を知れば、前大公妃殿下であるカトリーヌが反旗を翻してもおかしくない。
(真実を知ればきっと彼女は僕を逆恨みするだろうし、その矛先がリジーに向けられる可能性も高い。)
しかも、グレイ侯爵。
彼がカトリーヌに近づき、ノーランドと結託して、今夜のことを騒ぎ立てれば、どんなに弁明しても自分は武力行使でクーデターを起こしたかのように伝えられるだろう。
(・・・・・・そうなったら、最悪の事態だな。)
以前の自分なら、こんな弱みはなかったし、冷静に処断出来ただろう。けれど、今はこうして命を賭してでも守りたい人ができてしまった。
エリザベスをエスコートして、辛うじて延焼を免れた本邸へと足を運ぶ。
エントランス近くまで来ると、自分たちの姿を見つけたのか、レベッカが足早に近寄ってくる。そして、呼吸も整わぬうちに「大旦那様がお目覚めになりました」と教えてくれた。




