生徒会会長と副会長の内緒話を聞いてしまった
いよいよ、念願のガレオンを買うためにリスボンへ戻ったが、スティーブさん、さらにはサルヴァトーレさんに自分の正体をいつどうやって明かすかで悩んでしまい、造船所でセーブしてからいったんゲームを抜けた。しかし、リアルの世界に戻ってベッドの上で天井を見上げていても、考えれば考えるほどループに入ってしまい、寝付かれなかった。
(まずい。真夜中なのに目が冴える。どうしよう……)
その後、カーテンの隙間から東の空が白むのが見える頃にさすがに眠くなって布団にくるまったが、これでは寝過ごすコースまっしぐらである。「寝ちゃ駄目!」なんて自分に言い聞かせても、体は言うことを聞かない。
結局、目覚ましの音は記憶になく、窓から差し込む眩しい光で目が覚めて、そのしょぼしょぼする眼が見つめるアナログ時計の針の位置から遅刻寸前の時刻と判明する始末。教科書を鞄に押し込み、頼りにならない母親へ怒りをぶつけ、朝食抜きで転がり出るように家の外へ飛び出した。
さあ、スタートダッシュ! 今日も全速力! でも、すぐにへこたれるから休み休み走ることに。持久力のなさを嘆いて天を仰ぐが、電柱と電柱との間の2倍は走り続けられるようになったので、少しは脚力が付いたかも。
滑り込みで教室に入ると、ちょうど教室から出ようとした大門くんと鉢合わせになってしまった。足を踏ん張って自分の体を停止させ、前へのめりかけたものの、正面衝突は回避する。
「ごめんなさい!」
「!!」
どんなに驚いても声を出さない彼は、私を受け止めるように両手を出したが、慌ててそれを引っ込めた。教室内の級友は「抱きつきゃよかったのに」とか「惜しかったなぁ」とか囃し立てる。満座の失笑を買った彼は目が泳ぎ、私の横をすり抜けて逃走した。
確かに、彼の構えは私の体を正面から受け止める体勢だったので、止まらなければ彼の胸に飛び込む形になっていた。漫画に出てきそうなイベントが惜しくも発生しなかったのだから、みんなが騒ぐのも無理はない。
私は彼が戻ってきたら席まで行って謝るつもりだったが、教室に戻ってきた彼の顔や耳は気の毒なくらい真っ赤だったので、声をかけるのを遠慮した。もし、私が席に近づいたら、彼はまた教室から逃げ出してしまいそうな雰囲気だったからだ。
サルヴァトーレさんのように落ち着いて会話をして、紳士的な振る舞いを見せてくれればいいのだが、アバターを脱いでしまうと、こうも正反対になるのだから気の毒だ。どうアドバイスすればいいのだろう。
放課後になった。私は持って帰る鞄が重いので、学校に置いていく教科書を選別し、机の中へそれらを入れていると、ココがニヤニヤしながら書類を持ってやってきた。
「今日は、会長を追っかけないんだ」
「ちょっと今日は……ね」
今日はどころか、明日もあさっても、当面やめておくつもりだ。
「ならば、このわたくしめが愛のキューピット役を買って進ぜよう」
「何それ?」
「これ? 書類だよ」
ココは書類を揺らして、こちらに風を送る。私の質問をわかっていながらはぐらかすココを半眼で見た。
「いや、それじゃなくて、愛のキューピット役のこと」
「ああ、そっち? おほん。今から会長宛にお使いを頼まれて欲しいのだ」
「お使い? ……まさか、その書類を先輩のところへ持って行けって?」
「大当たり」
「それがキューピットとどうつながるの? 渡すだけでしょう?」
「生徒会室へ行くと、書類を受け取るため、すぐ目の前に会長が現れる。追っかけより良いポジションだとは思わないのかね?」
「まあ、そうかも知れないけど……」
「なんだ。いつもよりテンション低いけど」
「第一、先輩が受け取るとは限らないし」
「それはない。これ、会長宛の親展だから」
「ホントに? それで、どうしろと?」
「ありがとうと言って受け取る会長の手をすかさず握るのさ。偶然を装って、あら、ごめんあそばせって」
「そんなことしたら、絶対怒られるわよ」
「だって、差し向かいの一対一だよ。ベストポジだと思うけどなぁ」
「でも、握りません」
「触れるだけでもいいじゃん、偶然にでも。幸運を祈る」
そう言ってココは私に書類を押しつけたが、私はそれを拒否せず受け取ってしまった。一度は諦めて封印した湖透先輩への思いが、再び沸き上がってきたからだ。
先輩の手を握るというのはもちろんココの冗談で、頼まれても実行するはずはないが、すぐ目の前というポジションは大いに魅力。足がすくまないようにしないと。
私は早速、生徒会室へ向かった。
今いる教室から生徒会室までは距離があって、廊下と階段でいろいろな生徒とすれ違った。もし、その中に先輩がいたら目的を達し得ないので、会わないようにと祈りながら歩く。幸いなことに、その祈りが通じたのか、先輩も追っかけも見かけなかった。
生徒会室は校舎の端にあり、行き止まりなので通り抜ける生徒はいない。時折、遠くから生徒の声が聞こえてくるが、概ね静かだった。この部屋の前で先輩を待つのは、追っかけの間で暗黙のうちに禁止となっていたのが好都合だった。
私は鼓動が高鳴るのを覚えながら、教室の前に立つ。緊張で足が震える。握った右手の拳が宙に浮いたまま、ドアをノックできないでいる。
すると、部屋の中から二人の声が漏れて聞こえてくる。湖透先輩の声と、もう一人、副会長の赤羽橋 海心都先輩の声だ。私の緊張は、数段階引き上がった。
海心都先輩は、私よりも頭一つ分、背が高い。声も少年っぽく、その長身で刈り上げ七三分けの姿がしょっちゅう「男子」に間違われる。ある時、革ジャンを着て黒ズボンを穿いた海心都先輩が、某劇場で女子トイレに入ろうとしたら、係員が追いかけてきて「そこは女性用のトイレです!」と止められたという冗談みたいな実話まである。
私は扉一枚隔てた場所で、部屋の中で向き合う二人の姿を思い描く。
「湖透は、あのこと、妹さんに話したの?」
「あのこと? 話していないわ」
「いい加減、話したら?」
「向こうはどう思うかしら?」
「そりゃあ……嬉しいと思うよ」
「でも、今更って思わないかしら?」
「まあねぇ。そう思う可能性もゼロではないけれど」
「700分の22はあるかしら」
「……3.14%? フフッ、計算好きだねぇ」
「あれを話すのは、しかるべき人にお願いしたいわ」
「それが筋ではあるが――」
「当事者同士が話し合う必要もある?」
「そう」
「それは頭では理解できているけれど、勇気が必要なの。そして聞く方は――」
「覚悟かい?」
「ええ」
「覚悟ねぇ……。確かにね」
「それがないと、こちらもお話しできませんわ」
「妹さんは気づいているのかい?」
「おそらく……」
「おそらく?」
「気づいていないわ」
何の話だろう? 想像すら付かない。
それに、妹さんがいるのは知らなかった。先輩の家族の情報が全くと言っていいほど漏れ聞こえてこないので、凄い秘密を盗み聞きしているようで心臓がバクバクしてくる。
「僕の方で場所を設けようか? そういうセッティングは得意だから」
「面と向かって話す場所?」
「アバターの方が話しやすければ、そっちに場所を設けるけど」
私はギョッとして手から書類を落としてしまった。無理もない。「そっち」とは、あのVRゲーム「グランド・デクヴェルト」のことに違いないだからだ。
物音はしなかったけど、私がしゃがんだときに、ドアに頭をぶつけてしまった。
大失態だった。部屋の中でパタパタと足音がして、引き戸が大きな音を立てて開かれた。
書類を拾った私は、上を見上げる。海心都先輩と目が合った。先輩の双眸が大きく見開かれ、私は盗み聞きの叱責を覚悟した。
「すみません! お届け物の書類を落としてしまいまして……」
「書類?」
「ええ。クラス委員から届けるように頼まれまして。会長宛の親展とか」
すると、海心都先輩の横から湖透先輩の顔半分が見えて、すぐに引っ込んだ。
「ああ、ありがとう」
海心都先輩が書類をつかんだが、私は書類から手を離さなかった。
「直接会長に渡すように頼まれましたので」
すると、海心都先輩は「そっ」と言って後ろに振り返り、「湖透。受け取ってやれよ」と声をかけて横へどいた。ところが、そこには湖透先輩の姿はなく、部屋の奥から「代わりに受け取って」と声が聞こえてきた。
海心都先輩は「何恥ずかしがってるんだか」と笑いつつ、私から書類を受け取ると「ご苦労様。行っていいよ」と言って引き戸を半分閉めた。そして、泣きそうになっている私を見て、「湖透って、結構シャイなんだよ。許してやってな」と言い残して、残り半分を閉めた。
私は足早にその場を立ち去った。
視界に映る廊下がゆがみ、すれ違う生徒の顔が滲む。頬を伝う涙を拭かないまま、私は屋上への階段を駆け上がった。
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