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第三話:レッツゴー水族園!

 二日前のこと。


 父さんに、琴音が学校に行きたがっていると伝えた。

 驚いていたが、すぐに冷静になり、「一応掛け合ってみる。進展があったら連絡する」と言って向こうから通話を切る。


 父さんは、琴音が学校に行くことに反対はしないらしい。


 そして、現在に巻きもどる。

 僕は、琴音の部屋からはしゃぎ声が聞こえたため、部屋の前までやってきた。


 ノックして、琴音を呼ぶ。


「琴音、どうしたの?」


 返事がないため、僕は、ドアを開いた。

 やはり、琴音がチケットを持ってはしゃいでいた。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん、真夏のサンタクロースです!」


「あわてんぼうだね」


「はい!水族園のチケットを貰いました!」


 僕は、「そっか」と返すと、「それ見せて」と自然に有効期限を確認する振りをした。


「これ、今日までだね」


「わっ、本当です!」


 すると、何やら琴音はモジモジと仕出した。

 何を恥ずかしがっているかわからないため、僕が首を傾げていると、琴音は口を開いた。


「お、お兄ちゃんは一緒に行けないんですか!?琴音はお兄ちゃんと一緒に行きたいです!」


 と、まるでデートのお誘いのような誘い文句で、僕を誘ってくる琴音。

 まぁ、そう言うだろうと思ってたけどさ。


「これ」


 僕は、ポケットの中で半分に折りたたんでいたチケットを取り出した。


「お兄ちゃんもサンタさんに貰ったんですか?」


「うん」


「じゃあ、お兄ちゃんも行けるんですか…?」


「そうだよ」


 僕は琴音に嘘をついた。

 でも、琴音は何一つ顔色を変えなかった。


 嘘と気がついていないのだろう。

 それでも、僕は昨日の豊岡さんの言葉がどこか引っかかっていた。


「お兄ちゃん、早く行きましょう!」


「朝ごはん食べてからね」


「はい!」


 琴音は、笑顔を振りまいた。




 琴音が、電車の中から窓の外の海を見つめる。

 前も見た事はあるのだが、それでも場所によってはまた違う見え方なのだろう。

 明石海峡大橋を通り過ぎ、淡路島が遠ざかる。

 その様子さえも、楽しんでいるようだ。

 ちなみに、琴音は五年前に使っていた詞音名義のICカードがあるため、電車での移動も楽々だ。


 そして、海浜公園駅に着いた。


 そこからは徒歩。

 海…、正確には南に向かって歩いて行くと、それは見えてくる。


「とんがりボウシの建物です!」


 ガラス張りの建物。

 それが、水族園。


 そこは、複数の建物に別れている。

 イルカ館やラッコ館、ペンギン館もある。

 琴音が一番楽しめるのはここだろうな。


「まずは本館から廻ろうか」


「はい!」


 人が多いため、僕らは手を繋いで廻ることに。

 夏休み終盤だから、思い出作りに来ているのかな?


「ドクターフィッシュです!」


 どうやら、触れてもいいようだ。

 パンフレットにも書かれていた。

 カピバラもいるようだな。


 嬉嬉として、琴音は水槽に手を入れた。

 すると、ドクターフィッシュが沢山琴音の手にやってきて、角質を啄む。

 さながら、餌に群がる魚だな。

 あぁ、まさにその状況だったか。


「琴音の皮膚を食べてるんだね」


「ひぇ!?」


 琴音は、一気に手を引き抜いた。

 驚いたのか、ドクターフィッシュは散り散りになってほかの子供たちの元に行ってしまう。

 琴音は、手が荒れていないのを見てほっとしたらしい。


「危ないところでした…」


「綺麗にしてただけなんだけどね」


「琴音は、ちゃんと手洗いうがいできてます!」


「それでも取れない汚れを取ってくれてるんだよ」


 実際には古い皮や垢を啄んでいるような感じだろうけど。


「そうなんですね、ふむふむ」


 琴音は、僕の話半分に、ドクターフィッシュの生態が書かれてある解説板を読んでいるようだ。


「これで、受験にも役立ちますね!」


「理科くらいならね」


 その他にも、ゾウガメやヒトデ、ナマコなどもいた。

 それを触ったり突っついたり、琴音は満喫しているようだ。


 そして、次にカピバラのコーナーにやって来た。


「おぉー、カピバラさんです!」


「好きなの?」


 琴音は、「ペンギンさんの次くらいに好きです!」と言った。

 あくまで一番はペンギンらしい。


「おっとりしてます」


「おっとりしてるね」


 うーん、丸まってるとイガグリとかたわしみたいだな。

「おーい!」と、琴音や周りが呼んでも来ない。

 随分と気分屋らしい。


「行こうか」


「はい!」


 その後は、何やら海の生き物について勉強しよう!というコンセプトを生業としているコーナーだった。

 それから、古代生物についてのコーナー。

 色々あるみたい。


 アノマロカリスの原寸大のオブジェを見た琴音は少し脅えていたが、数秒後には何故か「かっこいいです!」と言っていた。

 他にも、オウムガイや今を生きる古代生物の展示などもあり、琴音はますます生物分野に興味を持っていた。


 その次に廻ったのは海を生きるためにカモフラージュや群れで生活する魚についてのコーナー。

 マイワシやカクレクマノミ、その他にも小魚などが居た。

 個人的に、琴音が「何も居ないです」と言っていた水槽で、ニセゴイシウツボがぬっと動いたところが好きだったな。ほんとに見つけづらい。

 ここまでやるのか、と思ってしまった。

 言うまでもなく、琴音は少し驚いたが、ウツボとにらめっこを始め、「あがー!」と「ぐあー」とか言いながら口を開けて威嚇していた。

 ウツボも何故か付き合ってあげているようで、口を大きく開けていた。


 さて、本館の最後は大水槽。

 パンフレットによると、水槽は千二百トンもするらしい。

 一トントラック千二百台分だ。

 エイや小さな魚たちが幻想的な世界を作り出し、それを正面と上、二つの視点から見ることが出来る。


「うわぁ」


「綺麗だね」


「はい、キラキラしてます…」


 先程までとは打って変わって、琴音はうっとりとした表情をした。

 動物園じゃ見られない、この幻想的な光景。

 僕は、この光景をずっと見ていたいと思った。

 よく、水族館デートなどと聞くが、この幻想的な光景がデートにうってつけなのだろう。


「お兄ちゃん」


「…なに?」


「琴音はお腹が空きました」


 琴音は両手でお腹の辺りを抑え、空腹であるというジェスチャーをした。


「じゃあ、食べに行こうか」


「はい、またご飯を食べてから来たいです!」


 僕は、琴音の提案に同意し、コクリと頷いた。

 僕らは本館の近くのレストランで食事をとることにした。

 大水槽から出口はすぐだったため、琴音もお腹がぺったんこになる心配もなかった。


「はむっ、お兄ちゃんの料理も美味しいですけど、こちらの料理もなかなかですね!」


 なんて、ご機嫌な事を言いながら、水族園で魚介類を食べる琴音。

 普通に美味しいけど、僕の料理を引き合いに出すのはやめてほしい。

 向こうは商売としてこれを提供しているのに対し、僕はただ料理を作るだけ。

 模索もほとんどしてないし、ただレシピどおりに作る、それだけだ。


「お兄ちゃん」


「何?」


「今日は、琴音をここまで連れて来てくれてありがとうございます」


 琴音は、少し申し訳なさそうな顔をした。

 そんな琴音を机を挟んで僕が撫でる。


「琴音が喜んでくれるなら、こんなの苦でもないよ」


「お兄ちゃん…」


 それ以来、琴音は何も言わなかった。


 ご飯を食べ終え、次なる目標はもちろん、ペンギン館だ。

 十分におなかいっぱいになった琴音は、ハイテンションで僕の手を引いて駆け出した。

 すぐに歩くだろうと思っていたが、そこは豊岡さんと走り込みをしていた成果か、かなりの持久力を手に入れたらしく、ペンギン館までノーストップだった。


「ペンギンさんー!」


 琴音が手を振ってペンギンに挨拶する。

 ペンギンも察してくれたのか、腰を翼で叩いて音を出す。


「あれ、きっとペンギンさんの挨拶ですよね!」


「僕は琴音ほど詳しくないから分からないけど、きっとそうだろうね、琴音が言うなら」


「ふふふ!」


 琴音がペンギンを眺めている間に、僕はペンギンの餌やり体験について調べてみた。

 どうやら、すぐに餌やりができるらしい。

 僕は琴音の元に戻り、「餌やりができるよ」と知らせた。


「ほんとですか!?」


 と、琴音は先程とは比にならないくらいに目を輝かせた。

 僕は頷くと、琴音に着いてくるように言って、餌やり体験のコーナーまで連れてきた。


 僕は、手に入れた魚の入ったバケツを琴音に渡した。


「ていっ!」


 琴音は、魚を掴み、水槽に投げる。

 すると、一匹のペンギンが、それを空中に飛んでキャッチした。


「凄いです!」


「うん、凄いね」


 それから数分、琴音はペンギンたちと戯れていた。

 いや、本人が一方的に戯れているのだろうが、赤ちゃんも居て、琴音はご満悦らしい。

 具体的には、ペンギンに合わせて、琴音もよちよち歩きをしたりしてた。


「お兄ちゃん、見てください!」


 琴音は、ペンギンの骨格標本を指さした。


「ペンギンさんは、このように氷の上で転ばないために膝を曲げているんです。この状態で足が固定されているから、羽毛に隠れて足が短いように思われるんですよ!」


「へぇ、物知りだね」


「えへへー」


 琴音は、誇らしそうに胸を張りながらも、どこか恥ずかしそうに笑った。


 その後はアマゾン川の生物を集めたコーナーに行った。

 琴音は、「このカエル、綺麗です!」と言っていたが、そのカエルには毒があったらしく、「触れ合いたかったのに…」とショックを受けていた。

 でも、同じコーナーのガラス張りのトンネルを潜る時はいつものようにはしゃいでいた。

 まるで、アマゾン川の中に来たみたいで、僕も楽しかった。

 中でもピラルクの大きさに驚いた。

 世界最大の淡水魚の名は伊達じゃないな。


 その後はイルカのショーを見て、ウトウトしていた琴音の顔にピンポイントで水がかかって、二人で笑ったり、アザラシにタッチしたり、ラッコを眺めたりした。


 その後、僕らは本館の大水槽に戻り、魚を見上げた。

 その前のベンチに座って。


「お兄ちゃん、琴音がなぜペンギンさんが好きかわかりますか?」


「可愛いから?」


「それもありますけど…」


 他にも何かあるのか?

 僕はてっきり琴音は、巷の女子たちと同じでただ可愛いから好きになったんだと思っていた。


「琴音は、ペンギンさんの後ろに歩いている姿を見たことがありません」


「言われてみれば…」


「だから、琴音はペンギンさんが好きなんです。嫌なことがあっても、それを避けて前に歩く。そんなペンギンさんみたいに、琴音も前に進みたいのです」


 普通なら、前に進むのなら真っ直ぐがいいと思うのが人間なのだろう。

 でも、琴音は違った。

 挫折してもいい、間違ってもいい。

 それがいつか正解に繋がるのならば、その時まで歩き続ける。

 ペンギンのように、少しずつ。


 琴音は、ペンギンに可愛さと同じくらいに、憧れに思っていたんだろう。


 だから、今までも勉強していたんだ。

 学校に行かなくなっても、琴音は僕の昔の教科書を引っ張り出して勉強していた。

 学校に行かなくたって、勉強ができる。

 妹が、僕に証明してくれた。


 だが、その先駆者となったのは、人間でも僕でもない。

 ペンギンだったんだ。


「そしてもう一つ。これは、憧れです」


「憧れ?」


 ペンギンに何を憧れるんだろう?

 僕には検討も付かなかった。


「ペンギンさんは、子供の頃は親からの愛情を一心に受けて育つんです。そうしないと死んでしまいますから。そんな過酷な環境だからこそ成り立つような家族愛だとしても…琴音には、眩しすぎたんです」


 僕は、言葉を失った。

 母は他界し、父とは別居。

 正直に言おう。琴音は、自分は父から愛なんてものを受け取ってはいないと断言すると思う。


 父だって、琴音のことを娘としてみているだろう。

 だが、どうしても琴音に詞音を重ねてしまう。

 だから、どこか心の中で受け入れられないでいる。

 証拠に、この前も、「早く詞音に戻ってほしい」と述べていた。

 でも、父さんのお陰で僕らが生活出来ているのも事実。

 琴音は、その事をちゃんと理解している。

 だが、それでは優しさを感じられない。

 琴音はもっと、直接的な優しさを求めているんだろう。


 そりゃあ、僕だって詞音には戻ってきて欲しいという気持ちが無いわけじゃない。

 でも、琴音のままでいて欲しいと願う僕もいる。


 どちらかを選ぶなんて、やっぱり出来ない。

 しかも、これは、ことねが選ぶことだ。

 僕がとやかく言ったところで、何も変わらない。

 だから、琴音が琴音である時間は、琴音に寄り添い、支え続ける。

 そう決めた。

 そして、琴音が詞音に戻った瞬間に、胸を張って、琴音の力になれたと言えるようにしたい。


 僕は、振り絞るように、呟いた。


「僕が着いてる」


「お兄ちゃん?」


「琴音が、『愛されたい』って願うのなら、僕が琴音の兄として、家族として愛を与える。母さんの分も、父さんの分も」


 だって、兄だから。

 今現在、僕が琴音のことを一番知ってる。

 一番長く時を生きて、一番そばで過ごしてる。

 琴音の一番の理解者は、僕であるかもしれない。


 すると、琴音は何故か笑いだした。


「あはは…、馬鹿ですね、琴音は」


「何言ってるのさ?」


「だって、一番望んでいたものは、一番近くにあったんですから」


 琴音は、ベンチに座ったまま、ぎゅっと僕にしがみついた。

 周りから視線が集まってくるのを感じる。


「琴音…」


「もう少し、こうさせていてください」


 琴音はただ、僕の胸の中に顔を填めた。

 それから一分が経過し、琴音が顔を上げる。


「帰りましょうか」


「でも、その前にお土産だね」


「そうですね!」


 琴音は、ベンチから立ち上がって、笑った。

 立ち上がろうとした時、ふと僕の胸の辺りが濡れていることに気がつく。

 イルカショーの時か?

 いや、あの時は僕にはかからなかったな。

 って、ことは…。

 琴音の涙…か。


 僕らはお土産コーナーにやってきた。

 僕は、琴音に、三千円を渡した。


「これで好きな物買っていいよ」


「ありがとうございます!」


 琴音は、僕に感謝の意を述べてからお土産を見て回った。

 その時、僕は琴音の目が少し赤いことに気がついた。

 が、もう琴音は違うところに行ってしまったため、僕は諦めてお土産の陳列された台を眺めた。


 結局、クッキーを三箱買った。

 父は抹茶が好きだったのでそのクッキーと、豊岡さんと魚住さんにはミルククッキーでいいか。

 あ、あと白澤さんたちにも買っておこう。

 確か四人だったよね…、大きめのを一箱買おう。


 それを買い終えて、僕は店の外で待っていた琴音と合流する。


「琴音、それ…」


 琴音の手には、二本の細長い袋が握られていた。

 わざわざ、袋を貰っているのに、それに入れずに力強く握りしめている。


「りょうちゃんとお揃いです…喜んでくれますかね?」


「うん、きっと」


 琴音は、須磨さんのことをりょうちゃんと呼ぶようになっていた。

 なんだか、詞音が帰ってきたように感じるが、まだ完全に戻った訳では無い。


 僕らは海浜公園駅まで戻り、電車に乗りこんだ。

 琴音はイルカショーの時には寝足りなかったのか、寝落ちしてしまう。

 …そうだ。琴音に少しサプライズしよう。


 僕らは、交通費が百円ほど高くなった。

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