伝統的な断食
本日は京都に疎い僕が地元民の先輩からレクチャーを受けている。九州生まれの僕にとって純正の京都人から聞く話はとても面白い。
ぶぶづけや一見さんという有名どころをひとしきり話終えた先輩は僕に尋ねた。
「そういえばコージはラマダンって知ってるか。」
ラマダン。正しくはラマダーンだったか。イスラム教徒が断食する宗教的儀式だったような。
「ラマダンってイスラムの断食ですよね。」そう返すと「そうや、そのラマダンが京都にもあるんや。」と何やら京都ラマダンなるものについて語り出した。
「その昔の山城はかつてない冷害による影響で大規模な食糧難に陥ったんや。当時の京都も観光産業が主やった。商売人からしたら信用が一番大事で命は二の次や。せやから得意先に商品を送れへんことは致命傷を意味する訳やな。やけど味わったことのない空腹を前にした京都人は断腸の思いで売り物の八つ橋に手を出さざるを得んかった。ほんで、その八つ橋のお陰で大飢饉を生き延びることが出来たんや。それがきっかけになって命こそが一番という教訓を後世の京都人に残した。そん時の名残で今でも一部地域は期間限定で八つ橋しか食べへん京都式ラマダンが存在するんや。」
現代日本人は農業技術の進歩や自由貿易により飢饉を経験しない。いくら食材に感謝と標語を掲げようとそいつは言葉以上の意味は持たない。そんな食に困らぬ大量消費時代にこそ生きる教訓なのだろう。雅な貴族が住んでいた町とは思えぬ良い教えを後世に残したものだ。少し感動した。
「センパイ、感動しましたよ。」
シンプルに感想を述べた。
先輩はプルプルと体を震わせ僕の顔をじっと見つめている。
目尻を少し下げた。同時、ニマっと広角をあげ「こんなアホな話あるわけないやろ。」と涙を流して笑い始めた。
急激に体温が上がる。この女謀りやがったな。自身の顔が高潮するのがわかった。
「こん、嘘つきが。」捨て台詞を吐いて喫煙所を後にした。




