第四話 日常のそばに、迫る影
「……ん……」
朝。
結は、窓から差し込む朝日によって目を覚ました。
眠たい目をこすりながら、ゆっくりと体を起こす。
「ふぁ〜……。もう朝かぁ……」
浦島と出会ってから、3日が経過していた。
結がベッドから降りると、部屋の隅に置かれた小さな机の上に、一枚の紙が置かれているのが目に入った。
それは、学校から配られた夏季補講の予定表だった。
「そういえば今日、学校だった……」
結が呟くと、部屋の中にいた浦島が振り向いた。
「今日は夏季補講だったな」
「え? なんで知ってるの……? あ、予定表を見たのか……」
結はもう一度、机の上に置かれた予定表へ視線を向ける。
「そうだよ。でも、午前中には終わるから」
「そうか。気をつけろよ」
「うん……。行ってきまーす」
結は少し気のない返事をすると、部屋を出ていった。
浦島は、そんな結の後ろ姿を静かに見送った。
* * *
「おはよー……」
学校に到着した結は、教室へ入るなり、少し眠そうな声で挨拶した。
「あ、おはよう。結!」
声をかけてきたのは、結の友達だった。
青みがかった髪と、穏やかな雰囲気。
彼の名前は――
紫汀 青凪。
結とは、浦島と出会う前からの友達だった。
「青凪、おはよ……。夏休みなのに、補講で学校来るとか……面倒だよねぇ……」
「まぁまぁ。午前中だけなんだし、頑張ろうよ」
「そうだけどさぁ……。夏休みなのにぃ……」
結は机に突っ伏す。
青凪はそんな結を見て、くすりと笑った。
「そういえば、結。夏休みに入ってから何かあった?」
「え?」
「いや、夏休みに入ってから会ってなかったし。何か面白いこととかあったかなって」
「あー……!」
結は顔を上げると、少し考えるように指を顎に当てた。
「そういえば、うちに妖精みたいなのがいてさ……」
「妖精……?」
青凪が聞き返す。
「うん! ちっちゃくて、羽が生えててさ。最初はびっくりしたんだけど、今は一緒に暮らしてるの」
さっきまで眠そうだった結の表情が、少しずつ明るくなる。
「へぇ……。妖精みたいなのが、結の家にいるんだ……」
「そうなの。ただ、そいつ、自分のことを『浦島だ!』とか言っててさ……」
「浦島……?」
「昔話の浦島太郎っているでしょ? たぶん、あの浦島太郎だと思う」
「どうしてそう思うの?」
「うーん……。なんか、昔のことをいっぱい知ってるし、話を聞いてると、もしかしたらって思えてきてさ……」
結は、浦島との出来事を思い出しながら楽しそうに話を続ける。
「それでね――」
結はそこまで話して、ふと口を止めた。
――青凪なら、浦島のことを話しても大丈夫かも。
ずっと一緒に過ごしてきた友達だし、きっと変に騒いだりもしない。
それに、誰か一人くらい、浦島のことを知っていてくれたほうがいい気がする。
「ねぇ、結。今日、このあと結の家に行ってもいいかな……?」
「いいけど、なんかあった?」
「いや、俺も一回、その浦島と会ってみたくてさ」
「……うん。いいよ」
結は少し考えてから、ふっと笑った。
「じゃあ、帰りは一緒に帰ろ!」
「うん。ありがと」
青凪はそう言って笑った。だが、その表情にはどこか真剣なものが残っていた。
* * *
補講が終わり、結と青凪は学校を出た。
「やっと終わったぁ〜!」
結は大きく伸びをする。
「お疲れ。そういえば、課題だったボランティアの活動レポートのほうは終わったの?」
青凪が尋ねる。
「うん。活動日が夏休み初日だったから。早めに終わらせられてよかったよ」
「それはよかった」
「てか話朝に戻るけどさ、せっかくの夏休みなんだから、やっぱ学校なんて来たくないよねぇ」
「結、朝からずっとそれ言ってたな」
「だって本当にそうなんだもん」
「はいはい」
二人は顔を見合わせて笑う。
さっきまでの補講の疲れも、二人で話しているうちに少しずつ薄れていった。
「そういえば、青凪は夏休み何してたの?」
「俺? 特にこれといって……。家でのんびりしてたくらいかな」
「そうなんだ。せっかくの夏休みなのに、もったいないね」
「結だって、今日は補講が嫌だって言ってたじゃん」
「それはそれ。今日は学校だったから嫌なの」
「ふーん」
「だって、夏休みは自由に過ごしたいじゃん」
「それは分かるけども」
二人は他愛のない話をしながら、結の家へ向かって歩いていった。
やがて、見慣れた家が見えてくる。
「あ、着いた!」
結は玄関の前で立ち止まると、扉を開けた。
「ただいま!」
結が玄関で声を上げる。
「おかえりなさい。あら、青凪くんもいらっしゃい」
結の母親が、青凪に気づいて声をかけた。
「お邪魔します」
青凪は軽く頭を下げ、結の後についていった。
「浦島ー! 帰ったよー!」
結は靴を脱ぐと、急いで自分の部屋へ向かう。
青凪も、その後ろをついていった。
* * *
「浦島!」
結が部屋の扉を開ける。
浦島は部屋の中で、結の声に振り向いた。
「おかえり、結」
「ただいま! 今日は友達を連れてきたよ!」
結は、後ろにいる青凪を紹介する。
「この子、僕の友達の青凪!」
「初めまして。紫汀青凪です」
青凪は浦島へ向かって、軽く頭を下げた。
「こちらこそ。私は浦島太郎だ」
浦島も軽く頭を下げる。
「本当に妖精なんだ……」
青凪は、浦島の姿をまじまじと見つめた。
「ね! すごいっしょ?」
結は少し嬉しそうに笑う。
「浦島はね、昔は人間だったんだよ。それで、乙姫様から玉手箱をもらって……」
結は浦島が妖精になった経緯を、青凪に説明していく。
玉手箱を開けたこと。
本来なら老人になるはずだったこと。
しかし、何らかの力が働き、老人ではなく妖精の姿になってしまったこと。
そして、元の時代へ帰りたいと思っていること。
さっきまでの楽しそうな表情とは違い、結の声は少しずつ落ち着いていった。
青凪は、二人の話に静かに耳を傾けていた。
「……そうだったんだ」
話を聞き終えた青凪が、ゆっくりと口を開く。
「浦島さんは、元の時代に帰りたいんだね」
「ああ。私は、母のもとへ帰らなければならない」
浦島は、真剣な表情で答えた。
「それに、なぜ私がこのような姿になったのかも、まだ分かっていない。元の姿に戻る方法も探さなければならない」
「そっか……」
青凪は頷いた。
「大変だね……」
「だが、結と一緒に元の時代へ帰る方法を探している。心強いことだ」
浦島は結へ視線を向ける。
「えへへ。これから一緒に頑張っていこうね、浦島」
「ああ」
青凪はそんな二人を見つめていた。
「……仲がいいんだね」
* * *
しばらくして。
青凪は、突然何かを思い出したかのように立ち上がった。
「あっ……!」
「どうしたの?」
結が尋ねる。
「悪い。俺、ちょっと用事があったのを忘れてた」
「用事?」
「うん。急いで帰らないといけない」
青凪は、少し慌てた様子で鞄を手に取った。
「そっか。じゃあ、また遊びに来てね!」
「ああ。今日はありがとな、結」
青凪はそう言うと、浦島にも視線を向けた。
「浦島さんも、じゃあね」
「ああ。また会おう」
青凪は結の家を出ていった。
結は玄関まで見送り、青凪の姿が見えなくなるまで手を振っていた。
「またねー!」
やがて、青凪の姿が道の向こうへ消える。
結は少し名残惜しそうにその方向を見つめたあと、家の中へ戻っていった。
* * *
夜。
結の家は、静かな闇に包まれていた。
結と浦島は、それぞれ眠りについていた。
窓の外では、遠くに僅かに見える、夜の海が静かに揺れている。
その海は、昼間に結が図書館からの帰り道で見た、あの海だった。
波の音だけが、辺りに響いている。
――そのとき。
海面が、一瞬だけ紫色に光った。
光はすぐに消え、海は再び暗闇に包まれる。
しばらくすると、海面から何かがゆっくりと姿を現した。
それは、人間のようでいて、人間ではない何かだった。
体つきは人間と同じように二本の腕と脚を持っている。
しかし、その頭部は魚のような形をしていた。
暗い海の中から現れたその姿は、不気味な存在感を放っている。
魚人は海から上がると、どこかへ向かって歩き始める。
向かう先は……。
――結の家の方向だった。
* * *
「……ん……?」
結は、かすかな物音によって目を覚ました。
「……あれ?」
結は布団の中で身を起こす。
部屋の中は暗く、浦島はまだ眠っているようだった。
「浦島……」
結は小さな声で呼びかける。
「浦島、起きて……」
「……ん? どうした、結……?」
浦島が眠そうに目を開けた。
「さっきなんか物音したんだけど……?」
結が不安そうに尋ねる。
浦島は周囲を見回した。
「さぁ、気のせいじゃないか?」
「そうかな……」
結は納得しきれない様子で、ゆっくりと窓のほうへ視線を向けた。
そして、窓の外を覗き込む。
「……え?」
そこには、何かが立っていた。
人間のような体。
しかし、人間ではない頭部。
魚のような顔をした異形の存在が、暗闇の中からこちらを見つめていた。
魚人と、目が合う。
「……っ!」
結は咄嗟に身をかがめ、窓から離れた。
「なに、あれ……?」
震える声で呟く。
浦島が結の様子を見て、慌てて尋ねる。
「どうした、結!?」
「い、今……窓の外に、変なのが……!」
結は恐る恐る、もう一度窓の外を見た。
しかし――
そこには、誰もいなかった。
「……あれ?」
海の音だけが聞こえる。
魚人の姿は、どこにも見当たらない。
「私の気のせいだったのかな……」
そう思った、その瞬間。
「結! 後ろ!!」
浦島の叫び声が響く。
「え?」
結が振り向く。
そこには――
先ほど窓の外にいたはずの魚人が、すぐ背後に立っていた。
「なっ……!」
結が考える間もなく、魚人は結へ向かって襲いかかる。
「浦島……!」
結は咄嗟に浦島の名前を呼んだ。
魚人の荒い息遣いが、すぐ近くで響いている。
結は身をすくませたまま、必死に後ずさった。
魚人の手が、結の肩へ伸びてくる。
「いやっ……!」
結はとっさに腕で顔を覆った。
(え、僕……死ぬ……?)
頭の中が真っ白になる。
魚人の手が、すぐそこまで迫っていた。
(まだ死にたくない……!)
結は必死に助かる方法を考えた。
逃げなきゃ。
どこかへ隠れなきゃ。
……無理だ。
恐怖で体が動かない。
(もう、ダメかも……)
結は静かに目を閉じた。
(助けて……誰か……!)
魚人の気配が、さらに近づいてくる。
その瞬間――
部屋の中に、激しい衝撃音が響き渡った。
「浦島さんの里帰り 第四話」を読んでいただきありがとうございます!
第五話以降は元の作品(改稿前のもの)がないため、ネタを一から考える関係で、投稿ペースが遅くなっていきます。ごめんなさい。作品の質を下げないためなんです。許してください…
本来であれば、これを第三話として出すつもりだったんですが、「その前に浦島と結の関係が深まる回を入れたい!」と思い、急遽変更。もとの改稿前のものから流れを変えて、こちらを四話とさせていただきました。
「あれ、元のやつと違うじゃん!」って思った方、いたらごめんなさい…
第五話以降も、読んでいただけると嬉しいです!
今度も「浦島さんの里帰り」をよろしくお願いします




