快楽の化身、その帰還
「だいじょうぶ? でぃー! おんなのこと買い物袋をおねがい!」
「お? まじ? どこ行くんだ、おーいっ」
CSは我に返った後、少女に声を掛けて、ディーにC'の分まで荷物袋を押しつけた。体幹の整っていないふらふらとした走り方で、CSはC'を追う。
すれ違う人々の中には、液体ケーブルを使った補助アームを装備している人だっている。右を見ても左を見ても、スライム素材に溢れていて、音に満ちている。
(このまま、リズムを保て。それは、拍動維持……という言葉、だったはずだ)
周囲の拍動に飲まれないよう、四拍の頭だけ口ずさんで喧噪のアーケードを進む。この頼りない自己暗示だけが、彼を拍動の侵食と音を受け入れる体質から守るものだ。
「Step……、Keep……」
CSの拍動に乗りながら、C'は前に進む。自我はともかく、記録は肉体とくっついている。コアからの妨害を警戒しながら、C'はCSのテンポに滑り込ませるように口ずさみ、ディーから借りたガジェットを取り出す。
(落ち着いてはいる……この銃で、おそらく対処はできる)
今日の武装は拍動銃。ちっぽけな弾に拍動を流し込んで、ぶつけた相手を一時的に止めてしまう。
それ以上でも以下でもないけれど、暴れてもそこまで被害が出なくて、護身用にもうってつけ。C'の冷えたカラーリングによく似合う鈍い銀色だ。
「ほうっておけない、よね? わかるよ、わたしもなんか、とめたい」
「手伝ってくれるか?」
「んふ、いいよ。きもちよくなってくれる?」
「……少しは」
感覚を肯定すれば、世界は鮮明になる。ぼろっかすのアーケードの柱の傷も、人が歩き尽くして擦れている石畳も。CSのコアから響いてくる、心地よい拍動も。
たんっ、たん、たった……たんっ、たん、たった……:今日のおすすめ拍動リズムはBPM:120。自我がぐらつくC'にも届きやすく、予期せぬ暴走を縛る安全四拍子。
CSが音を鳴らせば、ひったくりをかました全員がつい、足を止める。まるで挑発されたように。事実、CSは気を引くように拍動を投げかけていた。
声帯一つの声より、全身に響かせる拍の方が「こっち見て」と誘いやすい。声、身体、視線。拍動はどこからでも出る。
「おい、そのうるせぇ拍どこで鳴らしてんだ、ガキ!」
「おなかのおくからだよ! たんっ、たん、たったっ!」
音程さえないビートが始まる。引きつけられた一人がCSに近づいてくる。CSの四拍子に乗って、C'は身体を動かしてみる。頭に駆け巡る信号が、そのまま口に出る。
「Swift、Step、……、Shove!」
暴漢の攻撃を軽く避け、三拍目に力を溜めて、四拍目で解放する。その背中に手を押して床に突き出す。
丁度どこかで拍動がキリのいい時間だというアラームを鳴らす。見なくたって分かる。この拍動は、十五時のもの。
もうすぐ人は多くなる。ならば、もっと騒ぎが大きくなる前に、このいざこざは収めるべきだ。C'はそう願って拳を握った。
宣伝広告の車から、たいそう高圧拍動の聞いた曲が聞こえてきて「人に車を見るよう促す」。
「たんたん、たったっ、たんたん、たった――」
でも、二人ともそれを見ていない。二人が繋がった拍動の方が、すでに効果が大きい証明だ。
自分の拍がしっかりしていれば、この世界でも魂は踏みとどまれる。
「なんだあのガキ、身体に装置埋め込んでるのか!?」
「打楽器どころか金管一つ持ってねえ! あんなふわとろボイスで拍動が伝わるかよ! 拍動砲ぶっ放せ!」
勝手に存在を主張するような拍を鳴らされ、喧嘩を売られたと思った男たちはCSとC'に向き、重低音の拍動を届けるだけのメガホンを持ってくる。
こんないざこざが起きている間にも、他のひったくりはと言えば仲間同士で鞄をパスしながら逃げようとしている。
「『動くなぁぁぁぁーっ!』」
大層ディストーションの聞いた響きがCSとC'を通り過ぎる。だが、すでにCSの拍動と暗示に守られたC'の足は止まらない。
ただ、この騒動を見ている観衆はそれで足が止まる。CSも足は止めないが、ぎゅっと目を閉じてなびく銀髪とベレーを押さえる。
「んぐぅ……ッ。おとわれしてるぅ……でぃーが言ってたよ。こういう、ごりおしの拍動を出すのは、えーと」
「『轟音主義者(ごうおんしゅぎしゃ/マグナミスト)』」
「それ! よくないの!」
「いけるか?」
「いきたぁい!」
C'が吐息を震わせ、息を吸って訊ねると、CSはうっとり微笑んだ。
小さくて自分にしか聞こえない、液体ケーブルのわななきに止まりそうにもなる。しかし、手堅く弾む四拍子で、拍動に満ちたアーケードの床を蹴れば、馴染んだ拍動に力が戻る。
「ふぅっ……んふふ、いい……コアが揺れるぅ。たんたん、たった……」
肉体に登録されたその人の、感覚の鋭さが身体に巡ってくる。CSもリズムを身体の奥から鳴らしながら、吐息を漏らして声を出す。
C'が出すのは溢れる他の自我に負けないための自己暗示。
CSが出すのは、しあわせを響かせる純粋なハートの鼓動だ。CSがリズムを刻み始め、C'を響かせようとする。
「よ~し。むふー! Ride、Ride、Run、Run……」
「君が鳴らすなら、俺は沈黙していた方がいいか?」
「ちがうよ。ちがう。C'がしたいかどうか。でも、『拍動を発することそのものが、自分を守ってくれる』って、昨日のC'が言ってた、かも……? 証明は、きもちいいかも」
運動慣れしていないCSはすでに額に汗を浮かべている。あらゆる振動から、快楽という存在意義を受け取り始めている証拠だ。
その声は、拍動として周囲にとろとろ甘く広がり始める。滲む共鳴が、C'の胸の奥でコアを震わせる。
身体がふっと楽になって、自分から出る暗示を受け入れやすくなる。
(そう。この戦い方の名前は、『ライム』だ。自分に命令をして、外の命令を拒絶する……)
C'(C-prime)という器の存在に芽生えた、かすかな魂を守る自己暗示にして人体マニュアル操作ライクな発声戦法「rhyme」が溢れ出る。
(大丈夫。戦える!)
クソダサかろうが幼稚だろうが、溶けるよりはマシだ。ここは、そういうとこ!




