この溶けゆくニルヴェイズで
「……なーんもないだろ? みんなどっかに溶けちまうんだ」
BROとの話が終わって、駆け足で三人に近づいて来たディーが、そう告げる。曇っていたCSの顔が、彼の方を向いてぱあっと明るくなる。
「ディーっ! ひさしぶり~~!」
「久しぶりだな、CS。元気にしてたか? 友達できてるっぽいな」
「できてるよ~! お弁当も拍動装置もありがとう~! やっと顔見て伝えられたぁ! えへへ!」
改めて、CSはぎゅっと抱きついた。ディーはこういう時、ちゃんと受け止めて一緒に回ってくれる。その様子を、C'は前よりずっと穏やかな顔で見守った。CSの背中を優しく支えながら、ディーはC'にも視線を投げかける。
「C'、随分『響いて』いたみたいだが出力に異常は?」
「良好だ。ブラッドが共鳴を押さえてくれていたのもある」
「ん、ならいい」
ディーは相変わらずだ。遮断してるが拒絶はしない。C'がその懐かしさに目を細めたあたりで、ブラッドが横から軽やかに出てきてわざとらしく胸に手を当て、かさかさビニール袋を鳴らす。
「先ほどはどうも。親切なCSとC'の友人になりました、CoLの居住エリアも隣のブラッドです。ご高名はかねがね。よろしくどうぞ、マエストロ・ディー」
「なんつーか……面白いやつと友達になったな」
「いやァ、ぼくもあなたとの距離感に困ってるんですけどね! 距離感わかんないなぁ、これ! 敬語? ため口?」
「好きにすりゃいい。俺は特に、一人増えても困らない」
やっぱりブラッドは初手の距離感がおかしい。が、ディーは誰とも共感しない。芝居掛かった態度ともだ。
「CS、C'。彼とはどう付き合えばいいんだい?」
「聞けば答えてくれるけど聞かなかったら答えないからガンガン話すといいよ~!」
「おそらく、敬語を使ってもいつも通り話しかけてもリアクションが変わらない。彼は誰とも共鳴しない」
なるほどねなんてドヤ顔をして腕を組むブラッドは、多分、ディーのことを受け止め切れていない。でも、ディー本人はあんまり気にしていない様子でへらへらした態度を崩さない。
そんなほどよく奇妙な距離感も見守って、C'は視線を下に落とした。彼は今日買った耳栓や小さな音楽集を覗き込んでから、顔を上げた。
「しーぷらいむ!」
その側に、液体ケーブルを片手で触るCSが寄って、二人で自分の瞳によく似た空を見上げる。
「夕方っていい拍が流れるよね。やわらかくって、光りながら、ゆっくり眠っていくの。見てると丁度よく、やわらかくなれそう」
「そうだな……この色は、『すき』かもしれない」
C'とCSの空色の瞳は夕暮れを映していた。早朝訓練の朝とこの時間だけ、空に質の違う黄金があるのをC'は知っている。
目の裏に残る、Cの自我溶解のさなか。それとは違う優しい色。
この願望ばかりは入力されたものでないと願って、C'は一度目を閉じて夕方の空気を吸って、吐いた。
(しあわせを取り戻そう、全てだ)
失ったものは多い。必ずしも取り戻せるわけでもない。一生ものの傷や性質と折り合いも付けなければならないし、これから怪我ゼロなんてこともないだろう。
それでも、CSとC'は間違いなく、自我の壊れた最底辺から這い上がって脱出を果たしていた。
理不尽な轟音から、取り返せるだけ取り返す。そこに願わくば、Cの帰還が入っていることを祈りながら。
死んだものは生き返らない? それは死んだものの話だ。自我溶解は死とは違う。でも、それを彼らが深く知るのはもう少し先の話なんだろう。
(しかし、疲れたな。水でも飲もう……)
とにかくrhymeを唱え続けて疲れたC'は、ペットボトルの落ち着く水でも買おうと、お近くの自販機に歩み寄って作りたての拍動払いシステムで支払った。
ガダゴンッッ!!:ヤケクソみたいな自販機の音。ペットボトルを取り出し口に向けて勢いよく吐き出し、このうるさすぎるニルヴェイズとかいう都市でも商品のお取り忘れのないように轟音で教えてくれる。そして、さっさと取って失せろという圧も無料サービスで差し出してくれる。
「……」
C'は身体に反響する衝撃に硬直した。あまりにも強烈な音圧をまともに受け、フリーズした。ニルヴェイズでは自販機さえC'を威嚇する。
(つらい……)
激しい拍動に共鳴し、身を震わせながら、彼は『この世に穏やかな時間を好む自分の居場所がないのではないか』という痛烈な哲学につま先を踏まれた。が、表面上は何事もなくペットボトルを取り出した。ペットボトルは冷やっこく『落ち着く』拍動を包んでいて、黒い手袋越しに熱を冷やしてくれる。
ボトルキャップを捻って雑に喉に流し込んだ拍動つきの水は、これなら上手くやっていけそうだというクールなC譲りの気分を彼に取り戻させてくれた。もう、拍動つき食品で神経に火花が飛び散ることもない。
「しーぷらいむ、かえろー! 今日買ったやつ、一緒に聞こう~!」
「ああ。今、行く」
CSの呼び声に、彼は振り返る。そして、キャップを閉めて、袋にそれも押し込んだ。CSと手を繋いで、ブラッドと合流して、ディーと歩き出す。
ニルヴェイズのお祭り騒ぎは、夜も通り過ぎて朝まで続く。その騒々しいアーケードを、今日は四人で集まって帰る。今までで一緒に帰る人数の中では、一番多い。
誰とでも分かり合えるからこそ、誰と分かり合いたいかぐらいは選ばないと溶けてしまう街に柔らかな色の影法師が並ぶ。一緒に弾んで、揺れて、重なったり離れたりしている。
敗北を喫したCoLが、紆余曲折を経て立て直されるのも。そう、きっと、もうちょっと先だ。たぶん。
【ニルヴェイズTIPS:拍動汚染で支配を受けた者が犯罪をした場合、その汚染状態も裁判の基準になる。情状酌量の余地はあるか、そもそも意思は正常だったか。ニルヴェイズは自他の存在が曖昧だから、犯人を見つけるまで裁けないケースも多々ある。『わかりすぎていませんか?』】




