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『気持ちの整理』


「そうかしら。あなたはなまじ何でも一人で解決したがるから、話した方がいいんじゃない?」


「……気が向いたら。んじゃ、先に上がります」

 

 一度だけ目をそらした後、誰とも共感しない意思を通したディーに、ミュートは柔らかい笑みを見せたまま、目を伏せた。微笑みは失われていない。ただ、送り出してくれる。

 

「今日はもう製図したり、ガジェットを組み立ててはだめよ?」


「あ~……。あは、働いてないと、おかしくなっちまう性格なんでつい。でも、ありがとうございます」


 へらへらと力なく肩を揺らしてディーは笑った。気が無いように見えて、それは相手の心からの親切に困ってしまった時にも出る。なんでこんな自分に優しくするんだろうって、実は思っている。

 

「今日はやってもちょっとだけっすよ。外回りでくたびれましたから。そんじゃ、お疲れ様です。おやすみなさい」


「おやすみなさい、ディー。忙しくなるけど、許してね」


 ディーは誰とも共感しない。敬愛する静かなご婦人であってもだ。その内側の拍動は相棒のチューナーを失ったあの日から狂ったままだ。本人は仕事の圧を悪用して、知覚の外に押しのけ続ける。

 胸元にチェーンで下げた翡翠の色をしたリングが寂しく音を立てる。


 彼は騒々しいBROの外に出て、行政区に吹く静かめの夜風を受けた。少し離れたところでは、轟音の拍疲れを起こした人間がリラックスのために集まって、みんなでチルな拍を聞いて夜を過ごしている。これもニルヴェイズの一つのお祭りだ。


「……」


 彼らにも聞こえないように、ディーは指輪を耳元に寄せた。指輪に宿るものを、彼は遮断の守れない『頭』の中で聞く。この指輪は、端末の片割れだ。本当の小さな小さな『指輪』は、彼の内側にある。


(来い、《Ring》。観測はしない。音合わせだけでいい)


観束の指輪(オールシーリング)》起動――調整を始めます、ディー。音程を合わせてください。

 

 キィー……ン:ディーの頭の中にだけ聞こえる、澄んだ単音。耳を傾け、目を伏せて共に一つ音を重ねるだけで、すべきタスクのために全部リセットできる。


「……ぁー…………」


 ディーの喉から限界まで絞った小さな音が震えて出る。音の重なりに集中すれば、瞳の奥で緑のシステム光が輪の形に弱く灯る。


 彼は誰とも響けないが、この質素なナビ音声つきのワケアリ端末とだけは響き合える。

 極限の集中。意識が研ぎ澄まされる。


 一瞬だけ肉体のひどい疲労感や、抑えられたままの感情が暴れ回る。眉が寄る。声が詰まりそうになる。それを全て無視して、声を出し続ける。振動を合わせて、揺らして、もみ消していく。


(あー、ぼやけてきた……。そう、そんでいい……)


 音を合わせ続ければ十秒くらいで全ての苦痛は収まっていく。

 止まれば魂の奥底に蹴り込んで遮断で蓋ができる。あとはその処理できないものが勝手に燃え尽きて、情報だけになるのを待てばいい。


 《優先度の低い感情の抑制・削減》《指定した記憶をアーカイブへ移動》《疲労感覚のリセット》《『あとでやる』フォルダへの移動》。

 

 目を閉じる。システムの光が失せる。音が消える。ニルヴェイズの喧噪と、適切な距離が取れるようになる。


 距離感のない拍動への苛立ち、溶けゆく街への疎外感、自分の不甲斐なさ、強すぎるすべての感情。


 夜にもよく見えるFlowerTestamentの尖塔に見下ろされ、ディーはほとんど音のない独唱を誰にも聞かれずに歌い終える。余韻の振動が、頭をかすかに揺らす。


《アーカイブ、『アルバム』内のCと俺の本名を閲覧》


 ころんと零れる、あの日の思い出。CoLに保護されて、しばらく。動けるようになってきたディーに、Cは打ち明けた。二人は並んで、CoLの端っこの方の椅子に座っていた。

 

 ――名前を名乗るのはこれっきりにしようと思う。二期生になる明日から私……いや。これは拍が届きにくいな。『俺』は、ただのCだ。


 ――んじゃ、俺もディーにしよっかな。こんなクソな人生、名前と一緒に棄てちまってさ。はは……でもさ、お前に会えたのは本当に、良かったんだ。


 ――そんなことを言われるとは。光栄だ。俺も、君に会えて良かった。これからも、よろしく。

 

 凜としたCの驚いた顔、そして、過ぎた親愛に向けてくれた柔らかな表情。自分にない青と白のきらめき、ぬくもり、まぶしさ。

 最後にそれだけ思い出して、みんな、燃えないようにしまった。


《閲覧完了。Cと俺の本名を『アルバム』に再保存。ロック。作業完了》


「はぁ……、よし」 

 

 一つ息をこぼして目を開ければ、髪もラフに流したすすけたワーカホリック・エンジニア『ディー』がそこにいる。指揮者。観測者。そんな後ろ指さされて笑われる肩書きの男はいない。


「あいつらとそろそろ顔を合わせるか。最近、構ってやれなかったしな~……飯食ってるかな、だいぶ体調良くなったかなぁ、一人ぐらい友達ぐらいできてっといいんだけど……あー、なしなし。いま調整したばっかりだろ……」


 チェーンを揺らして《Ring》の接続を切り、彼は伸びをしてからポケットに手を突っ込んでCoLへの帰路へ着く。

 その足下を、その辺の轟音主義者に破られたポスターの紙ッ切れが飛んでいく。彼はその文字を流し見た。

 

 ――『あなたはいま、しあわせ?』


 ディーは流れていった本当なら孤独を癒やしてくれるはずのメッセージを見て、鼻で笑った。

 ミュートの指摘通り、ディーはこの『しあわせ』を押しつけて魂を溶かすクソデカカルトを一秒たりとも許したことはない。


(ほんっと、クソな人生だ。だが、俺が燃え尽きんのは、拍を溶かすひとでなしどもを全員焼き払ってからだ)


 ニルヴェイズは誰とでも分かり合える反面、人を癒やす言葉を穢したものにも満ちていて、郊外の方は今日もぞっとするほど真っ暗だ。


「あいつが好きと言った街だ。お役立ちだってんなら、いくらでもべてやる」


 それはいま笑ったディーの瞳の奥の色にちょっと似ていた。

 


【D(Di)/ディー: 拍動汚染被害:現在、表出なし 右耳後ろに旧型接続端末。この接続端末は封鎖されているが、頭部には埋入式の調律・広範囲平行観測デバイス《観束の指輪(オールシーリング)》が存在する。精神調整用の『音合わせ』機能つき】

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