無徳の救済装置は今
二人がCoLという小さな居場所を見いだした頃、BloomPotはニルヴェイズの郊外を徘徊していた。3m程度の球体は浮遊し、閉ざした人間格納用のポッドから黄金の液体ケーブルをたゆたわせる。
これは基本的に野放しだ。止められる人間がいないのと、今のところさまようのは郊外だけになったからだ。
BloomPotに非拍動性ミサイルを撃ち込んだ人間は、それがまったく無意味だと悟った。それの周囲はいつも拍動に満ちていて、拍を宿さないものは簡単に揺らされて軌道をずらされた。拍動ナシは無力だ。
BloomPotに拍動をコーティングした迫撃砲をブチ込んだ轟音主義者は、そもそもそいつの固さにビビり散らかした。
BloomPotを遠距離から『自壊しろ』との拍を込めて狙撃しようとしたシステムは、あまりに濃厚なしあわせ拍の圧に巻き込まれ、照準を見失って煙を吐いた。
ついでにBloomPotをハッキングしてやろうと息巻いた人間は、システムと共鳴した時点で中に入っていたしあわせに自我をとろっとろに溶かされた。
BloomPotは、そもそも観測しにくい。範囲に入ったり見たりしただけでしあわせになってしまう以上、観測者も観測装置も、甘いしあわせの中に惑わされて機能しない。
しあわせに真っ向から中指を立てられる『完全な観測』。これがなければ、鎮圧の舞台にさえ立てない。
不幸中の幸いは、こいつが基本的に市街に寄ってこないことだけ。
BloomPotは一人の肉体も殺していない。自主的に痛覚を与えたこともない。ただ、やさしく『しあわせ』だけで魂を蕩かし、溺没させる。こいつがどこで作られたか分かっている誰かがいても、それは何の力にもならない。
「ああ、クソッ……こいつも壊れた……次のヤツをその辺の連中から奪わねぇと……でもビートダウンなしでどうやってだよ、あぁ、もう……!」
今日は冷えた郊外の空気に苛立つ、ささくれた轟音主義者のところへやってきた。
彼女は今日、敗北して根城を取られたばかり。傷だらけの身体に、安っぽい服をまとって、壊れた自分の拍動支配装置にため息をついている。
BloomPotはしあわせにしたいから、しあわせが足りない人間を確実に見抜く。しあわせを振りまきながら、静かに近寄っていく。
「なんだこいつ、ビートダウンか――? な、なんだっ!? 近寄んじゃねえ! ひぃっ!? うわぁっ!?」
黄金の液体ケーブルが、優しく伸びて今日しあわせになるべき者を包み込む。手足を絡め取り、今までにそうしてきたように、暴れないよう抱きしめて、優しく背中を撫でてやる。
急にそんな風に扱われた人間は、大抵、悲鳴を上げる。
「はっ、離せ! 何する気だっ、ひっ、いぃぃ!? こいつっ、んぎっ……『しあわせ』持ちだッ!? まさかっ、BloomPot……よりによって、くそが……っ!」
犠牲者の声がうわずる。手から落ちる壊れたビートダウン。ばたつく足。跳ねる指。それがただの抵抗ではなく、ばちん、ばちんと爆ぜる快楽の火花による痙攣に差し替わっていく。
さながら捕食される動物のように、震えの質そのものが変化する。
「誰か! だれかっ、だれっ、ぁ、がぁっ!? あ゛ぁっ、ひぃっ!? た、たすけて、だすけっ――ひぃぃっ! お゛ごっ……!」
犠牲者は頭に浮かぶ幻聴を聞きながら抱き寄せられる。なでなでされ、すりすりされる。表面的には、たったそれだけ。
「たっ、たすけっ、ひぃっ! 入ってくる! 揺れる、ゆれっ、あぁぁ……!!」
はなしをきいて。こわくないよ。BloomPotは柔らかな和解の合図を送る。お互いに拍動を送り合うように促してくる。
あんしんしてね。やすんでいいよ。それは温かいケーブルで身体を撫でて安堵を送り、神経の中まで優しく入り込んでくる。
もう、いいんだよ。ぜんぶゆるしているよ。それは承認する。あらゆる存在を許して精神まで入り込み、許す・許されるの力関係を決定する。
すき。しあわせ。きもちいいだけでいいんだよ。甘い官能は身体と神経を撫でるうち魂まで届き、快楽の過負荷で相手の魂を揺さぶり始める。
「しあわせになるっ、じあわせにされるっ! ぁ、ぜんぶとけるっ、すきになっ、ひっ、いやだぁっ!!」
しゃりん、しゃりん、すりすり、しゃりり。鈴が転がるのに似た優しい音で、魂の根元から抱きしめた相手を愛撫する。しあわせにする。しあわせだけにする。それ以外、なんにもいらない。
どれだけ人が藻掻こうが、快楽にむせび泣こうが、関係ない。しあわせでないから、しあわせにする。全ての液体ケーブルと自分で積み上げてきた機能を使って、一切の手を抜かずにしあわせを注ぎ込む。
「『すき』『しあわせ』『きもちいい』……ひいっ、ぃ、もう反復はじまっ……!」
そうすると、人にあった拍動はそれのしあわせ拍に書き換わっていく。圧倒的な情報の波に、耐えられないからだ。神経の爆ぜる音を魂の内側に立てていれば、そう遠くないうち個人としての拍は完全に溶かされる。
人は、しあわせに鳴るために生まれてきた。
ぱきん。こぽん……。魂は熱量に限界を迎えて、折れて、割れて、溶ける。
「あ、あぁ――しあわせ、すき、きもちいい……。だ、だれか……す、すきぃ……しあわせ、きもちいいぃ……」
声の質が変わる。悲鳴ではない。しあわせ拍が響き始めた、魂からの陶酔の声だ。しあわせに身体が鳴らされていた。注ぎ込まれる拍動の反復学習に敗北した。自我がしあわせに共鳴して、飲み込まれて、消失する。
轟音主義者の泣いている理由など、BloomPotはきっと分かっていない。
「あったかぁい……どうでもいい……」
轟音主義者の脚はやがて力を失い、電気信号で力が入ったり抜けたりするだけになった。液体ケーブルを追い払おうとしていた手は弛緩して、神経に与えられる刺激にだけ反応する。
BloomPotはぎゅっとしあわせになりつつある人を抱きしめて、しあわせで身も心もとろとろたぷたぷにして、しあわせではない全てを排除する。土だらけの指も、汚れた髪も、綺麗に撫でて労ってくれる。
「あぁ、あぁぁ……しあ、わせ、だぁ……えへ、えへへ……しあわせでぇ、いいれすぅ……」
そして、しあわせにしたものを自分のポッドに格納する。青く沈んだ瞳を微睡ませ、喜びに満ちるそれをガラスの筒と黄金の液体の中に抱いて、また夜のどこかへと移動していく。
魂がしあわせになった後の肉体について、BloomPotは改造を施すこともあるし、そのまま置いて行くこともある。今日はきっと、怪我をしていたから連れて行った。傷はしあわせではないから、よりよく修繕をする。
明日、BloomPotにしあわせにされた誰かが見つかるかもしれないし、何かに改造されているかもしれない。ただ、それは外側だけは綺麗に直されて見つかるだろう。
それは結局、何も喋らない。しあわせ拍のささやきも、それが発するものではない。
昼は轟音にまみれるニルヴェイズ郊外の夜は、残響も残さず静かになる時がある。今がその時だった。




