生まれたてという時期の終わり
かくして、すっかり快楽に破壊されつくした肉体をどうにかするリハビリ生活が始まった。C'は積極的に早朝訓練に参加し、CSは無理なく、まずは喪失した体力の回復に務め始めた。
「おはよ、しーぷらいむ。今日はなにする?」
「拍動装置経由の汚染軽減だ。椅子に座ってヘッドセットをかぶるだけだが……正直一番きつい」
「あー、わかる。頭もみくちゃになるよね〜……がんばってねぇ……」
扉が開く音。廊下を歩いて行く音。ディーは二人の暮らしに耳を傾けてから、ラボに戻って明日納品する図面の仕上げや合間合間の会議を行っている。
二人に朝、お弁当か昼食代だけ手配して、ほとんど見守るだけ。そんな毎日が穏やかに、けれど確かに続く。
CSはじりじり体力を付けながら、少しずつ言葉を覚えていく。自分たちでもできるCoL内のお手伝いをしてお小遣いを稼ぎつつ、夜は運動能力リハビリ用の拍動装置に液体ケーブルで接続しながら、C'とノートを開く。
「つまり、俺たちがおかしくなってしまうのは、拍動経由の学習で本来の考え方の優先順位を落とされてしまうから……分かるか?」
「んん……と。あっ! 『自分のじゃないしあわせ』が『自分のしあわせ』より上にされちゃうんだね?」
「そう、自分の意思が100あっても、情報を200回300回と繰り返し押しつけられると、そっちに主導権が取られるか、性質そのものがねじ曲がる。これが、拍動汚染の基本だ」
「すごい勢いで流し込まれる、ってことだよね。これが、わたしたちに起きてること……なんだ」
二人でも勉強をしてみて、自分に与えられた最悪の状態について理解もしてみた。二人で並んでノートを開くのは結構、二人とも楽しんでいた。
もちろん失敗だってある。
訓練の最中に、不意にハイになってしまったCSがシャウトし、訓練エリア全体を震わせる重低音を響かせるインシデントも発生した。そして、それは当たり前のようにC'の過敏な肉体に反響し、ふらつかせた。
「ああ~っ! しあわせになってきちゃったぁ……っ!」
「CSさん、出力過多です。それでは一般人も巻き込みます。同じ出力の維持を続けてください」
一発で膝が笑う凶悪なしあわせが、訓練所にいたC'もオーインも巻き込む。が、教官がパワフルでも無秩序な拍動に引っかかるわけはない。
軽く呼気と共にリズムをズラして足を鳴らしたオーインから音の壁のようなものが見えたかと思うと、CSのしあわせ重低音は彼の前であっけなく霧散する。
「おおーっ、拍をずらすとガードができるんだ? よーし、ずんずん……!!」
それでも巻き添えを食うのは根っからの共鳴体質のC'だ。一方で口元に手を当て、溶けかけた意識で絞り出すのは、甘くなりかけた柔らかい呼び声だ。
「し、しーえす……っ、ごほん! CS、拍が大きい。響く。もう少し控えめに頼む」
「はっ、だめだぁ! もう一回お願い! んん、たった五分の出力維持が難しい~……でもっ、楽しい! 制御できるの、思ったよりきもちいい! すきかも!」
とろりと蕩けかけた青い瞳が晴れた空色を取り戻し、CSは必死にしあわせを与えるという植え付けられた本能に抵抗を続けている。拍動を一定に鳴らし続けて、C'や場の安定を意識するトレーニングが続く。
弾む息もそのままに、CSは自分だけのしあわせのリズムを模索していく。
(しあわせなのは大事だけど、『どう、しあわせになるか』はちゃんと選ばなきゃだめだよね! 勝手に選ぶ権利をとっちゃ、だめ!)
みんなしあわせな方がいいけれど、しあわせは決して押しつけてはいけない。これが、CSがリハビリ中に学んだこと。
逆もあった。射撃と肉体制御訓練を終えて、しれっと瞳が青くなるC'もいた。タオルで汗を拭いている時に、CSの呼びかけだけで彼は本当にごく自然に沈んでしまう。
「C'! 訓練お疲れ様! どうだった?」
「万全だ。いつでも命令を受けられる……」
「あっ! ダメだよ、しーぷらいむ! 青いよ! 沈んでる! だめだめ起きて!」
「は……そうだ、この命令待機は違う。違うな……俺が、したいのは。俺は、そろそろ部屋に帰りたい。よければ、君と。構わないか?」
「良いに決まってるよぉー! かえろ!」
逆に自然と道具として振る舞おうとするC'に気付いて、CSが声を掛けてぽかぽか肩を叩いたり、ぐっと拳を握って励ますこともある。
無邪気にたくましさを研ぐCSに負けないよう、廊下を歩きながら静かに器の中の熱を思う。
(戦う力はある。それをどう使うかは、Cになれない俺が決めないといけない、ようだ。それなら好み……『すき』は自分で、感じたい。この、帰り道は……たぶん、好きだ)
訓練後は命令待機をするのではなく、きちんとCSと一緒に部屋に帰る。その帰る時間が、温かくて好き。これが、C'がかろうじて得られた自我の実感。
二人は手を繋いで、一緒の部屋に帰る。
そうすると液体ケーブルが待っていて、疲れた二人を労うようにすりすりと擦り寄ってくれる。
広がった金色の液体ケーブルにくるりと包まれて、訓練後に眠るのも二人の日常になり始めた。C'は無理になったらちゃんと離れられるようにもなった。
甘く蕩けたCSも、硬い表情になりがちなC'も、この時ばかりは同じような穏やかな顔で寝息を立てる。
ディーはたまに様子を見に来て、頑張り続ける二人を見守って、自室へ帰って行く。
――CS、この装置に入った拍動データは何か分かるか?
――あ! なんだっけ、そう、痛いって伝えてる! きゅーじょが必要!
――そうだ。では、これは?
――かなしいぃ……。わかるぅ……。涙でてきたぁ……ケアがいるぅ……。
そういうわけで、二人と一人の日常はしばらくの間はリハビリトレーニングに費やされた。CSはまず、感情を知るための拍動学習。独自性を育てるためにも、小さな基本だけは手に入れなければならない。
そして、楽しめるビートを聞いて、今、どんな音が外にあるかを理解する。
CSという個人にある柔らかい自我の芽を、優しく育みながら、体力と会話するに困らない知識を学ばせていく。
C'は命令に対する反射の緩和と、抵抗。ついでに射撃と体術の感覚を得るための追加訓練。最初からCから知識と体感を引き出せるC'は、それを自分のものとしていくらか扱えるよう、研ぎ澄ます道を選んだ。
――では、次。命令を出します。椅子に座りなさい。
――……問題ない。抵抗できる。
――よろしい。最後、EchoCoreの疑似信号です。『C'、命令待機』。
――う、ぐ……! だめだ、今、命令されると、反射が起きる……!
――がんばれぇ! しーぷらいむぅ! ああっ、そうじゃないの! 頑張れは命令じゃないよぉ!!
そんな日が、そこそこ続いた。
二人がCoLのトレーニングを受けて一ヶ月あたりを過ぎ。ある程度は自力で動けるようになった頃、二人はリハビリ終了時にオーインから呼びかけられた。
二人はこの日を待っていたし、いつか必ず来ると信じていた。無意識に手を繋いで、通い慣れた部屋でその宣言が来るのをずっと待っていた。
「お疲れ様です。CSさんの体力低下は最低ラインまでは回復。基礎的な感情のラベリングも及第点になりました。C'さんの自我制御も許容ライン。リハビリは順調です。お二人が望むなら、継続してCoLでの座学及び活動のためのトレーニングを引き続き請け負いましょう」
「いやっ……たぁぁっ! リハビリ、卒業っ!」
CSが両手を振り上げ、C'はほっとした吐息を漏らした。
「では、基礎的なリハビリの終了祝いです。あなたたちはここに留まる気でしょうから、ご用意しました」
オーインはそのまま、安っぽい会議机の上に二人のための灰色のトランクを差し出した。
「オーイン先生、これなあに? 開けて、いいの? あけるね?」
二人は顔を見合わせて、それぞれのトランクを開く。最初に目に付いたのは、黒を基調としたハイカラーでショート丈のおしゃれなジャケット。
C'には銀のライン、CSには金のラインが縫われている。あとはCoLのバッヂがついていて、どんな最悪な気分になっても拍動をきちんと記録してくれる。
「お二人のCoL規格のジャケットと、活動中の拍動を記録するバッヂ。あとは固有の拍動装置です。拍動装置については、ディーさんが作ってくれていましたのでそのままお渡しします」
「最近顔を見ないと思ったら……ああ。でも、彼のガジェットだ。分かる」
C'は丁寧に作られた拍動装置を手にとった。それは、細身で銃と同じカラーリングに整えた、銀のヘッドセットだった。
頭の頂点ではなく後頭部の方に細いフレームが伸ばされていて、CoL規格の銀の液体ケーブルが付属している。
「ディー! もー、ありがとうぐらい言わせてほしいよー! 今日もお弁当だけ置いていない! ああ、でも……すっごい、綺麗……わたしのために作ってくれてるの、わかる」
CSも、腕輪を手に取っていた。とろりとしたCSの持つ液体ケーブルを思わせる金色の腕輪。それを腕にはめれば、訓練した拍動の送信先が絞られる感じがある。きらきらした最高のプレゼントを、CSはいろんな角度で眺めてご機嫌に微笑んでいる。
自分の足で歩こうとする二人のためだけに作られた、とっておきの装備。それは二人の心を温かく震わせて、目を輝かせる。
「C'! C'もそれ、つけてみて!」
「ああ。少し待て」
C'はヘッドセットを被った。頭の後ろに枠が回って、丁度よく収まっている。自然と、きっちりした服を好む感覚が喜んで表情をほころばせる。
耳の中に収まるイヤフォンは拍動を防いで、ニルヴェイズの熱気を和らげてくれる予感がした。
接続端子にヘッドセットを繋ぎ、たっぷりと息を吐く。銀色の液体ケーブルは標準規格。CSの液体ケーブルのように、快楽を引っ張ってこない。
任務には丁度いいクールな気分を、冷たさと共に身体の内側へ招いてくれる。
「ふーっ……。重量も、感覚も、丁度いい、と。思う。これは……『すき』だ」
目を閉じ、力を抜いて深く呼吸をすれば、ひんやりと神経ネットワークに行き渡って、拍動機器と肉体が接続される感覚があった。あとは好みで口元のマイクの位置を弄れば、完成だ。瞳と同じ空色の光が静かにヘッドセットを通る。
CSの腕輪にもお揃いの、瞳と同じ空色の光が宿る。オーインはC'のヘッドセットが起動したの確認してから、頷いた。
「それはあなたの観測装置であると同時に、拍動を介した通信・制御装置でもあります。あなたが拍を失った時、連携を許可した者は介入が可能です」
「じゃあ、遠くからの拍も届くかな! えいえい!」
CSはそれを聞いてから、急に走り出した。リハビリ室の端っこから両手を振って、小刻みにジャンプしながらC'に集中して拍動を送り始める。
たん、たん、たん、たん。:BPM90、至ってシンプルなメトロノームめいた拍動。チュートリアルめいた音だ。
C'は肉体にも、ヘッドセットにも鮮明に届く拍に軽く目を開いた。
「ああ。聞こえる。かなり遠いが、鮮明だ」
「おおーっ! 離れたのにC'が応えてくれてる! しあわせ!!」
ずぅん。と、一度だけCSの歓喜に空気が揺れた。しばしば、CSはしあわせを抑えきれない。C'はそれだけで身体が心地良い気持ちになりかけて、声を詰まらせて頭を振るう。CSも気付いて、赤くなりながら口元に手を当てる。
嬉しさが溢れてしまうのは、CSだけではない。穏やかなリハビリ施設の光の下で、C'も表情がかすかに緩む。
(うん、『すき』……これは、あたたかい。あんまり強くない温かさが、きっと、俺は、好き)
自分の内側に響く、『すき』という感覚。激しく身を焼くこともなく、魂を蕩かさない小さなそれが、なんだかとても心地良くてC'は肩の力を抜いた。
何かに響くために作られたからっぽのはずの器の中は、身体が温まるようなほのかな熱に満ちていた。




