古典的な催眠誘導とごあいさつ
「きちんと限界の前に手を挙げたことを評価します。CSさんも、わずかながら影響を受けていますね」
「わたし、C'の拍がね、どんどん消えていくのを感じてた……内側のコアに押さえつけられて、沈んでいって、それで私も身体の内側がぎゅってかたくなっちゃった……」
C'は不安がるCSの手に、そっと片手を伸ばした。大丈夫だと伝えたかったが、声が出ない。
数分、息を整える時間だけ貰って、C'は元の姿勢を取り戻した。
「では、もう一つ。こちらから音が出ますから、こちらに集中してよく聞いてください。……スタート」
わずかにCSが首を傾げ、ディーが人差し指を立てる。C'は真ん中で針の代わりのライトを揺らす端末の方を注視して、始まるはずの音を待った。
だが、音は聞こえない。鼓膜も、骨も、魂も、震わせない。CSは肌のひりつきを明確に感じ取ってそわそわしている。
(何も、聞こえない? もうテストは始まっている。秒数の計測も……別のところから、か? 拍は、どこに?)
C'もどこから拍動が来るのか分からない様子で、ちらちら端末に目を向けながら、必死に目をあちこちに配ろうとしている。
口を噤んでいたCSがコアを震わす、かすかな気配に気付いて目を開けた時。
オーインは淡々と音を待っていたC'に『命令した』。
「停止」
「――!?」
どくん:身体の内側にたった一つある鼓動の音。それだけを、昔の人は拍動と言った。
コアが震える。命令のまま、C'は止まった。肉体はおろか、思考が機能停止したと感じるのさえ、一拍遅れた。
「C'、命令反復用意」
「あっ――」
C'の動揺とは裏腹に、C'の中に勝手に蘇るのは一つの拍動だ。散々、自我を振り回してきた「たったったったっ」の駆け足リズムが、的確に、それだけ意識に浮き出てくる。これを認識しろと、命令されている。
思考が動かせない。瞳が青く沈む。戻らない。
オーインは微動だにしない。ただ、それを唱える。
「自我を止めなさい。快楽負荷、最大出力」
「がっ……!!」
ばちん!! 快楽の爆ぜる音が響き、C'の肉体の内側で火花を散らす。一瞬で魂まで電流が走り、C'から処理できない苦悶の声が漏れた。
全身を強ばらせ、何が起きたか分からないまま、弛緩したC'はずるずると隣のCSにもたれかかった。
後から陶酔が滲んできて、快楽負荷の余韻に遅れて、身体が痙攣する。息ができなくて、C'は喉を詰まらせる。
「命令解除」
「かはっ……。ぁ、な、何だ、拍動が、聞こえなかっ、た……」
「CSさん。何か分かりましたか?」
オーインが促した相手は、CSだった。C'を支えたまま、目を見開いたままのCSだけは、それに気付いていた。CSは言葉を探そうと視線と手をさまよわせ、必死に唇を震わせる。
「聞こえた気がした。すごく高くて、からだだけじゃ、聞き取れない……変な、なんか……! あとね、オーイン先生! 最初のテストは『こちらに集中して』なんて、言わなかったよ!」
「しまった。それは、古典的な誘導かもしれない……基礎中の基礎だ……」
C'もぐったりしながら、やっとそこに気付いて額に手を押し当てた。ディーが感嘆に満ちた低い声を漏らす。
「視線を端末に集中させて、聴覚だけに絞るよう促したんだ。でもって、拍動そのものは本当に端末から出てるが音は『可聴域』の外から、こっそり支配権を取ってる。二重の思考誘導だ。えげつねぇ」
「かちょういき?」
「耳で感じ取れる範囲って意味。C'は拍動そのものじゃなくて聴覚に集中して次の指示を受け取るよう、こーっそり最初から『命令されてた』ってわけ」
「……はっ! そうだ! そうかも! されちゃったんだ、しこうゆうどう!!」
最初のテストでは端末に集中しろなどとは言わなかった。そこに、人間が聴覚で聞き取れるより外の範囲の音。意識的な指示と、無意識の干渉。この二つの誘導にC'はあっさりノせられてしまったのだ。
(ま、オーインさんならやるよな……)
ディーもペンを止めて、オーインを見据えて真剣な眼差しで彼を見据えた。ディーはこの強面の男が「やり手」だと再確認して、同時に安心に息を吐いた。
「C'、大丈夫?」
「ああ……大丈夫……」
一発で限界まで押し上げられたC'は、息を整えながらCSから離れて自分で身を起こす。
「怖がらせてしまってすみませんでした。しかし、私はあなたたちに伝えなくてはなりません。『共鳴するかしないかを自分で選ぶ意思がある』……ここに入る条件は、これだけですが、だからといってそれだけでは生き残れません」
オーインは三人を見据えて、怒鳴ることもなく静かに、しかし逃げようのない声でこう言った。
「忘れないでください。あなたたちが立ち向かおうとしているのはニルヴェイズで最も無慈悲なビートダウンや、行政すら追い払いきれない魂の掌握に長けたカルト。彼らは例外なく、快楽による支配、洗脳、そして改造のプロです」
ひりつく感覚に、C'は震える身体でも背筋を伸ばした。
「彼らは我々の対処できないという甘えを、話を聞きたいという無知な誠実さを許してくれません。骨も、肉も、時に拍動が残る空間さえ、使えるものは全て使ってきます。そもそも、ビートダウンには声帯がありません」
CSも、眉を寄せた。身を乗り出すようにして、オーインという男から発される静かな、けれど熱量をたっぷり含んだ拍動を全力で受け止めている。
「我々は、あなたたちを守り、生きる術を教えましょう。ですが――あなたたちがビートダウンとなれば身を挺して防音壁となる覚悟も持つ、百戦錬磨の平和主義者です」
ディーは眉をかすかに動かした。だが、それは嫌悪ではなく、このCoLがどのような覚悟で運用されているかという再認識で、緊張が走ったからだった。
「非政府拍動リスク対抗組織、カウンター・トゥ・ラウドへようこそ。我々は、CoL二期生ディー氏及び、氏が保護するCSさんとC'さんを歓迎します」
それは厳しくて、少しひりひりするけど、まっすぐなCoLという組織の最初の自己紹介だった。
CSとC'がその拍動の熱を接続端子に感じた頃、いかつい表情を崩さないまま、オーインは立ち上がった。
「はあ。では、お茶にしましょう。堅苦しい挨拶は疲れますね」
「へ?」「えっ?」
「私は静かな暮らしが好きです。クソのようなニルヴェイズの喧噪に負けない、拍動遮断性の縁側と平穏な老後のためにここにいます。そこのところを、むしろよろしくお願いします」
CSとC'は、テンポを一切変えないオーインの背中を見送った。彼はまったく雰囲気を崩さないまま、保温されたポットから茶を注ぎ始めている。
二人は顔を見合わせて、頬杖を突いて穏やかな顔をしたディーへ視線を戻した。ペンはもう回っている。ここは彼にとって、もう安全に仕事を考えられる場所というわけだ。
「しーぷらいむ、あのひと! きっと……おもしろいひとだ」
「それは……否定する理由がなさそうだ」
「聞こえていますよ」
ひそひそ話をした二人はそれで背筋を正したが、差し出されるのは美味しいほうじ茶と、ささやかな非拍動性の甘い茶菓子だけだった。それは、『おいしい』拍が宿っていないのに緊張の後にとっても染みる味に満ちていた。
そういう落ち着く味を感じられたから、C'は気がついて小さく「ん?」と、疑問の声をこぼした。
「オーインさん。今更だが。最大出力にする必要はなかったんじゃないか?」
「効率の問題です。初撃で刈り取らないと話が続かない状態の相手も多いので」
「なるほど、わからせてからおはなしするひと」
拍動と支配にまみれたニルヴェイズにおいて、何か起こる前にグーかパーで叩くは今でも一応、有効ということだ。




