11秒で何ができるってわけ?
かくして、二人は引っ越ししたての部屋から案内を受けてリハビリ施設へと移動する最中だ。地下いっぱいに広がるCoLの施設はすぐには覚えられなくて、CSは積極的に壁についたマップに食いついている。
本当にCSは全ての情報を失ってしまっていた。が、C'から見てもCSは決して学習意欲を失っていなかった。むしろ、積極的に情報を取り入れて、反復する。
「ロビー、通路、訓練所! エレベーターにっ、お手洗い!」
口ずさむ言葉にも、CSのリズムが宿る。
「見て、しーぷらいむ! 布に包まれた人が浮いてるぅ! あの四つの足の生き物、なに?」
「あれは猫だ。いや、そっちじゃない。浮いている人ではなくて、猫とはあちらの四つの足の生き物を指す」
「もこもこしてるねえ。足みじかぁい! かわいい!」
空調の風と空気の隙間に挟まって、拍動装置に身を任せて心地良く浮いて昼寝している人間もいたし、白いふわふわの毛並みにボンッと顔面の真ん中が黒くなった猫もいた。
にゃあん:猫はこんな世界でもあんまり変わっていない。四つの足で歩き、人間の見えない壁際の拍動なんかを凝視したりする。
CSは目に見える全てが輝いていて、右に左にと視線を動かしている。 C'はCSがどこかに行かないように、一歩後ろからついていく。そして、CSが人にぶつかりそうになって頭を下げ、拍を楽しむのを控えて行儀良く歩こうとする様を見守っている。
「君は、知ることは嫌いではないんだな」
「すきぃ。知るのって、きもちいいんだぁ~。あたまのこのへんがね、ぷるんぷるんする」
「そうなのか?」
「そうだよぉ!」
CSは帽子を被った自分の頭をつついて、上機嫌でC'より先に廊下を歩いて行く。C'は記録と照合しながら、一つ一つ、自分の記憶として道筋を登録していく。とはいえ、CSと同じで一度には覚えきれないと、今はリハビリ室へと向かうことに集中した。
リハビリ室を開けると、ディーが退屈そうに椅子に座って図面を眺め、ペンを回していたのがC'の目に入った。
「あっ、ディー! その人は?」
「お前たちの担当。俺と違って、ちゃんとしたCoLの偉い人。ミュートさんと同じ最古参」
「よっ」というシンプルな挨拶で、ディーは二人を歓迎した。その向かいには、いかにも一線をしりぞいたいかめしい男が座っている。
(わぁ……つ、つよそう!!)
CSはまじまじ観察した。
白髪交じりの短い黒髪。がっしりとした体格を制服とロングコートに包み、日に焼けた強面の顔は表情一つ緩めない。
遮光ガラスが収まったリムレスの眼鏡も、拍動を防ぐ何かのような気さえしてくる。歴戦といった言葉が似つかわしく、たたずまいだけで緊張した拍を二人に届かせる。
胸元の名札には『オーイン』と記されていて、その腰には拍動を制御するための装置と思しきグリップとホルスターが見えている。彼は立ち上がり、丁寧にお辞儀をしてから胸に手を当てた。
「お二人の担当となりました、オーインです。CoLにおける基礎学習、及びリハビリのお手伝いをします。どうぞ、よろしくお願いします」
【オーイン :CoLで拍動リスクや装置の取り扱いを教える、いわゆる先生とか教官にあたる人。最悪の拍動汚染ライフから、素敵なリハビリ生活を始めるために必要な人員だ】【CoL所属】
「は、初めまして! CSです、よろしくお願いします!」
「C'です。よろしくお願いします」
二人もつられて、丁寧なお辞儀を返した。今この時点で態度が若干悪いのは、図面の方に視線を向けてこんなところでも仕事について思いを馳せているディーだけである。多分もうお辞儀も全部やった後だ。
オーインは椅子に並んで座った二人を見比べ、メトロノームめいたテスト用の拍動発信装置を取り出しながら、感情の乗らない淡々とした声色で問いかける。
「お二人がリハビリだけでCoLを選んだわけではないと、リーダーから聞いています。テストを受ける前に、事情をお聞きしても? どちらからでも構いません」
「では、俺から」
最初に返事をしたのはC'の方だった。リハビリを受けるにあたって、想定されていた質問を受け答えする。手慣れた動きはCの記録を参照しながら。けれど、瞳はかすかに震える。
「俺は、自分を自分で律したいです。内側からコントロールされていても、それでも、できることがあると。自身の証明がしたい……の、だと思います。ただ、自信はありません。Cもきっと、同じ状態ならそう答えるはずだから」
不安である気持ちも伝えきって、C'は小さく息をこぼしてコアが収まっているあたりの胸の奥に手を当てた。
「では、CSさん。あなたは?」
「あの。えっとねです。わたし、人をしあわせにしたい! そのために、わたしになりたい!」
CSはぐっと前に身を乗り出した。
「ほんとは、C'とひとつに拍動を重ねられたら、シーが帰ってくるんじゃないかって思ってるよ。でも、エレベーターに乗ってゆらゆらした時、少しだけ思ったの。それができても、今じゃわたしたちは消えちゃうのかなって……そしたら、わたし、たぶんさみしい。ディーもひとりぼっちになっちゃう。それ、しあわせじゃない、よね」
それは決して大人びてはいないけれど、CSからはすらすらと言葉が出た。そして同時に全身から、『すべてをしあわせにしたい』という強い願いが溢れ出た。
「だから、『しあわせ』を分けたい! でも今じゃ、わたしもC'もとろとろになっちゃう! わたしもみんなとろとろにしちゃう! だからだから、しあわせ、分けて出したいです!」
「CS。とても素晴らしい回答だが、軽い面接で出す拍じゃないかもしれない」
「あっ! あっ! あ~! あつくなっちゃったぁ、とけちゃうぅ」
C'が落ち着けるように手を上下に軽く動かすと、CSはばたばたとしながら落ち着いていった。だが、CSの本気は誰からも理解できた。
オーインは表情を崩さなかったが、その口元からほんの少し和らぐような拍動が漏れた。この時代、表情に出なくても感じる物事は、意外とあったりする。
「構いません。こちらは保護時のあなたたちの情報をもとに、簡単なテストをするだけですから」
「わ、わかりました!」
「では早速、C'さん。今からあなたから回収した音を鳴らします。無理だと思ったら、即、手を挙げてください」
C'は「分かった」と返事をして、すぐに予測を立てた。ディーは元からここにいた。Cもいた。犠牲者になったCのことを、彼らはちゃんと収集してくれている、と。
オーインが片手に計測用の端末を持ち、かすかに目元を険しくしてテーブル上の機械のスイッチを押す。
たったったったっ――。C'に聞こえてきたのは、この一週間で嫌というほど思考と読書と会話を邪魔してきた、駆け足のリズムだった。
「……っ!!」
全身が一拍目だけで反射を返しそうになる。奥歯を噛みしめ、筋繊維を強ばらせ、C'は意識を反らそうとする。しかし、脳どころか魂の底まで杭で撃ち抜かれているような快楽の衝撃が走って思考が霞む。一秒経つごとに、身体の内側の火花は大きくなる。
「は……っ、はぁ、はっ……はっ……」
合わせないようにと集中すれば、息が沈みたそうに震える。ぎゅっと目を閉じ、身体の震えを止めようとする。自分でも瞳が青に傾くのが自覚できるほど、駆け足の音は重く響き渡る。
頭の位置が徐々に下がりそうになり、拍動と息が完全に重なってしまうと思った瞬間。C'は申し訳なく手を控えめに挙げた。
「すまない、これ以上は、無理だ」
計測は止まり、音も止まる。熱を帯びてきた身体中から力が抜けて、詰めていた息がやっと出るようになる。
「11秒。これが、今のあなたに与えられている『誰かに助けを求める猶予』です。最低限、反復学習と訓練で30秒までは回復してもらいます」
11秒。堪えても自我を維持できるのは、たった11秒だ。C'は膝の上に置いた拳を握る。オーインはデータを見比べ、CSの方へ視線を向けた。




