組織名は略して「CoL(こる)」!
そうすると、規則正しく並んだ四角い行政区画があって、ニルヴェイズの騒々しい雰囲気は急に静かになった。音はアーケードよりずっと静かで、音そのものの立ち入りを禁じているようだった。
「からだがきゅってなったかも?」
CSがはっとして、思わず拍動を身体の内側にしまってしまう程度に、行政区画には緊張感があった。ただ、ディーの行き先は偉い人のいっぱい住んでいそうな建造物ではない。地下街に抜ける階段と、その側にあるエレベーターだ。
「こっちだ。エレベーターで行く」
「地上に建造物がないのか?」
「あっちに入り口はあるんだが、あれは一般の窓口。お前らが行きたがってんのは絶対こっち」
ディーは一点を指さした。CSとC'がそちらを見てみれば、灰色の四角い建物が行政区の片隅にどっしり居座っている。
ただ、件の行政区の建造物とは逆の方に、巨大な尖塔のようなものが立てられているのも二人は見た。行政区ではない。隣の区画なのに、はっきり見える。
「でっかい……でぃー、あれなに?」
「あー……ニルヴェイズってさ、でっけーっ、カルトがあって~その建物の一部。調べりゃすぐ出るけど、深追いはしない方がいい」
CSが指さした方へ、ディーは視線を合わせなかった。それをC'はきちんと見ていた。
――正式名称は、――という。最大の宗教団体だ。俺は――。
(……? またうまく、繋がらない? 情報はある、はずなんだが。君自身も、あまり触れたくない情報だったのか?)
C'の資料漁りはざらざらとしたノイズに覆われて、続行不可能だった。
壊れた機械を叩くオールドな人類のように、右のこめかみを二、三本の指で叩いてC'は再接続を試みた。
骨伝導から『わからない』という拍が自分の中に反響するだけだった。
彼は肩を落としたが、自力で出力する方法も探さなければと、意欲を沸かせて顔を上げた。
「じめんのしたが、わたしたち向け? あっ、このボタンを押せばおむかえ来る?」
「そ。ちょっと待ってな。お利口さんにな~」
「はぁい!」
いかにもお役所仕事で作られた厳つい色のエレベーターが、ボタンを押せば上がってくる。CSはやってきたそれに飛び乗って、閉じる音をじっと聞く。
「わたし、このエレベーターのおと、おぼえてるのかな。なんだか不思議……ブルームコアの音、よく聞こえるよ」
「音は聞こえるが、そこから感じるものはない。エレベーターそのものが、外の拍動から遮断してくれているのか」
直方体に囲まれた箱は、音は通しても拍動をまるで通さない。小さな防音室の中で、自分の音が聞こえてくるCSはずっとそわそわしていた。不安と期待が入り交じって、C'の後ろに隠れている。
C'自身も、周囲のささいな金属の壁が音に宿った力も通していないと、壁に手を触れる。壁の一方に背中を付けたまま、ディーはにやりと笑った。
「ご明察。ここは地下に行くためのクリーンルームと、外の拍動で酔っちまった奴をすっきりさせる拍のシャワールームを兼ねてるってわけ」
「んん、静かだけど、居心地いいね。でも、わたしたち、これでは直らないんだよね?」
ほんのりとトーンを落として、CSは両手に視線を落とした。
「それはそうだろう。あくまでも、ビートダウンの扇動を受けて殺到した暴徒の鎮圧や、拍動汚染を受けてギリギリの人間が転がり込むというケースを想定して作られたエレベーターだ」
事実、C'も自分の胸に手を当てて意識を集中してみたが、微塵も改善した気配はない。
こんなことで改善するなら一日エレベーターで上下していればいいというのももっともな話なので、それ以上については口を噤んだ。
「んー、わたし、ひとつになっちゃったら、いなくなっちゃう? しーぷらいむも、いなくなっちゃう? ひとつになって、しーはほんとにかえってくる? んん、でもそうすると、んー……」
CSのまとまりきらない独り言だけを空気の中に置き去りにして、エレベーターは規則的な音を立てながら、下へ、下へと降りていく。
やがてその動きがゆっくりになって止まった時、二人は扉が開いた向こう側に金属質な光を見た。
全体的にグレーと白と青を基調とした、落ち着いた空間だった。
受付さんにだけ「こんにちは」と挨拶をして、その入り口に書かれたロゴをCSはしげしげと眺める。堅実なフォントは、この組織の名前を記して裏側からライトを灯されて存在を主張している。
「わ、すごく落ち着いたところ。C'、ここがどこか、分かる?」
「……『非政府拍動リスク対抗組織』」
「ひせーふ……拍動! リスク! たいこう、そしき? じゃあ、えっと、あそこに書いてあるのは、別の言葉?」
「Counter to Loud(カウンター・トゥ・ラウド/『うるせえしばくぞ』ぐらいの意味)……で、toのところはCtLだと読みにくいから……通称がCoLだ」
「こる?」
「そう。Cが所属していた記録が、ある」
C'はCがかつてここにいたという記録を確かめながら、CoLのエンブレムを見上げた。警察のそれとは違う。内側の音を守りながら、外からの音の波を遮断する壁を想像する、硬質でカクついた模様。これが、CoLのマークだ。
CSはC'からぴったり離れず、伸びた液体ケーブルにすりすりしゃりしゃりしてもらいながら あたりを見回している。
――CoLは警察の手が行き届かない轟音主義者や、場に残って影響を与える拍動の掃除などを自主的に行う。立ち位置はやや攻性だ。
(ニルヴェイズで警察は善戦しているが、それでも手は足りない。あらかじめ抑えられるところを抑えるのは容認されている。君も、ここにいた)
C'が情報の整頓をしたところで、その視界の端に人影が一つ増えた。空気が深く振動して、静寂が訪れる。C'はその震えで、小さく息を呑む。
「ほら、ディー。やっぱり二人はここに来たでしょう?」
穏やかな年配の女性の声が聞こえた時、C'はその顔をまだ見てもいないのに無意識のうちに背筋を正した。
CSは期待と不安が入り交じったまま、C'と一緒に声の方向を見る。その後ろで、ディーが気のない笑いで手を挙げる。
「へーい、やっぱミュートさんの読みが当たりでした。一週間っすよ、一週間。こいつら、思ったよりやる気あるわ」
「あなたは少し過保護だから、守ろうとしてしまったんじゃない? 『防音壁』は大切だけど、外に出たい拍動まで覆ってはだめよ」
女性は、人差し指を立てて「しーっ」としながら、ディーに微笑みかけた。ディーは軽く肩を揺らして苦笑いして、紙切れを差し出す。女性は受け取って読んで、お近くの隊員に渡した。
全てが初めてのCSはともかく、C'はこの女性を知っていた。
本当に、どこにでもいるような年配の女性だ。ほんのり白髪交じりの髪や、褐色の瞳に非力そうな小柄な身体。質素な婦人服にカーディガンをまとった、制服とも縁が遠そうなこの人物。
この人物こそが、まだ正式に設立して十年しか経っていないCoLを統べる長である。
【ミュート :通称「ミュートさん」。CoLの一番偉い人。局長。社長とか校長とかそういうレベルの、見た目は普通のおばさんだ。彼女が合図するとCoLの人々のざわめく拍動がぴたっと止まる。たまに清掃員に化けてるってウワサ】【CoL所属】
どんなCoL内のどんな拍動も静かにしてしまうこの人を、みんな親しみと畏怖を込めて「ミュートさん」と呼んでいる。
と、物の本こと、C'に内蔵されたCの知識大辞典には載っていた。ありがとうヘルプ、ありがとう世界設定資料集。
「あ、あの、こんにちは! 初めまして! CSです!」
「こんにちは、CSさん。そして、あなたが、C'さんね」
「初めまして。お久しぶりですと、言うべきなんでしょうか?」
「『溶けてしまった』人は、さようならとも言わないけれど、お久しぶりとも言わないわ。いない。それは、決まりよ」
ミュートは少し寂しそうに眉を下げて胸に手を当てた。
「二人ともようこそ。わたしのことは、みんなミュートと呼ぶから、名前はそう呼んでちょうだい。CoLへの御用向きはなあに?」
組織のリーダー直々の呼びかけに、むしろC'は固まってしまった。記録と自我が混線して、振る舞いが分からなくなってしまっている。
こういう時、CSの方が動きは早い。C'の腕に抱きついて、声を上げる。
「えっと、リハビリって、受けられますか? わたし、ちゃんと自分で話して、考えて、しあわせを届けられるようにしたい……です! ここがいいって、お願いしました!」
「立派ね。C'さんはどう?」
「俺も、そうしたいです。自分の足で立って、自分の拍を、きちんと感じられるようになりたい……」
余計な自我を出したC'の中で、じりっとコアがざわめく気配はあった。思考を妨害する兆候に、C'の表情が硬くなる。焦燥はある。ただ、それを拳で握りつぶして顔を伏せないよう、踏みとどまる。
「特に俺は、内側に自我を制限する制御機構があります。対処できる手段は、一つじゃきっと足りませんから」
「あなたも、ちゃんと頼ってくれるのね。ありがとう」
ミュートさんは二人を見比べて、それから見守る姿勢を崩さないディーを見て、それから優しい速度で頷いた。
「改めて……おかえりなさい、ディー。あなたのラボと部屋はそのままだから、そこを使ってね。二人の部屋も、すぐ側に手配するわ」
「予測され尽くして困っちまう。ありがとうございます、ミュートさん」
天を仰いで、わざとらしくディーは呆れたような仕草をした。それから、CSたちに振り返って、手をCoLの内部へと向けた。
ミュートさんは上品に手を振って、穏やかな歩調で先にCoL内部へと入っていく。
「てなわけで、ようこそ。リハビリ、訓練、復旧すりゃニルヴェイズを走り回れるミッション参加も夢じゃない。二人のお望みの施設が詰まった素敵な民間組織、ここがCoLだ。後はご自由にどうぞ」
「入っていいの? どこ行けばいい?」
きょろきょろするCSを止めて、C'は立ち止まる。
「待て。ディー、部屋があるということは、引っ越すのか? 家のものはどうする?」
「あー、もうさっきミュートさんにお願いして手配した。液体ケーブルを入れるポッドは俺たちじゃ運べないだろ?」
二人はここで初めて、ディーがミュートにさっき差し出した紙切れこそ絶え間ないタスクの一つだと気づき、それぞれに口を開いた。
「なるほど、しごでき」「隙あらば仕事をする……」
「何だよ。昔からこうだったぜ。生きがい生きがい」
道案内を始めたディーはやっぱり、ゆるめに肩を揺らしていた。だが、その目元はほんのちょっと疲れていて、日頃の気遣いというものを二人にも理解させる。
拍が感じられなくって、感じられるものはある。ディーの見えない魂の内側は相棒の喪失で今も煙が出ていて、感じられないまま燃えて灰になっている。
それでも自分たちをどうにか守ろうとしてくれている。
そう思った時、二人はディーを挟んで片方ずつに並んだ。
CSは手を繋いで、C'はいつでも支えられるよう寄り添った。
つまり、これは二人の話じゃなくて、三人の話ってことだ。引き裂かれた二つは、痛みもなく燃えてしまう一つを挟んで家族のように並んでいた。




