二つのもうめっちゃくちゃな断片
まっぷたつおしまいライフのはじまり。
拍動! それは! 音、リズム、ビート!
人に宿る存在の全データにして、今の時代で触れられないものは少数派。
感情と記録が宿る、打音が基本の信号!
決まった振動、リズムを選んで「Ta-tta-tta」と送信すれば、即座に情報が共有される。
モールス信号が形を変えて復権し、今や指先一つで心理状態や遭難者数を送信できる手軽な救難信号装置としてアウトドアで売られている。
「とりま踊ろう!」「今日のセールいいもの出てる!」「いいビートだ、セッションしようぜ」
街は重低音の伝達優先拍動にまみれ、そこらじゅう毎日太鼓を打ち鳴らしているようなお祭り騒ぎ。
「ばんざーい!! ばんざーい!!」「敗北させてくださってありがとうごじゃいまぁぁす!!」
違法な『拍動支配装置』に自我を溶かされた人間が、昨日まで鼻で笑っていた連中に今日は敗北感謝万歳三唱で服従している。
「大好き」「一緒になろうね」「同じ考えだといいな」「違うなんて認められない」
人は誰でも魂の奥まで触れ合えるようになり、しかも、安心や分かち合い、情報共有や認め合いは恍惚や陶酔などの快楽を軸として行われる。
短い音楽、人気のショート動画、リアルタイムの情報共有。
人は『しあわせ』から逃れられない。
「自分ってなんだっけぇ……どうでもいいやぁ……」
いまや世はしあわせに満ちて……。
かくして、人類は自他の境界線の上で、朝から晩まで踊り狂うようになった。
熱狂の拍動時代。それがこの時代の名前。轟音のビートは人をそれだけで破壊する。
社会はどうにも、命がけのリズムゲーを続けているらしい。
◆
三日ほど前、とある大規模レイドミッションが失敗し、しんがりを務めていたミッション参加者がいなくなった。
いいやつだったとみんな口を揃えて言う。人望もあり高潔でハイスペック、しかも綺麗どころの『C』はいなくなった。
ただ、幸か不幸か現場に残されていた『残骸』もあって、それはちょっとした隠れ家ですっかりだめになっている。
壁には木材風シートと剥き出しのコンクリ。落ち着いた、でも小さい秘密基地だ。
「ん~ふふふ……えへぇ……」
リビング代わりの狭い部屋から、可愛らしいけど掛かりすぎたリバーブみたいな声が聞こえてくる。
人は声で意思疎通をしているように見えて、全身から拍動を発している。つまり全身から、脱力した力と音の波が出ているわけだ。
「あえぇ……きもちいい……。『わたし』、ずっと管理されてたい……。あぁ……あたまのなか、……あー、いまぁ……なんにもなぁい、かも……」
すり、すり、しゃら、すり……。:黄金の液体ケーブルから響く、人の魂をとろかす愛撫の拍動。メタリックで任意にホットのオプションがついている。
いつでも出られる高さに整えられた急ごしらえのポッドの中で、『それ』はくつろいでいた。
一つだけ金色の束がある、ゆるい白銀のボブヘアを頬と一緒に液体ケーブルに撫でられている。ほんのり青が灯る心地よさげな空色の瞳が今日も『きもちいい』に浸っている。
ほっそりとした中性的な姿や、首や背中を軽く開いたチュニックやトップスはいかにも人に拍動を与えるための無害そうな見た目。
柔らかく広がった七分丈のボトムが、液体ケーブルが揺れるごとに揺らめいている。
くるくるくるくる:いつまでも終わらないペンの回転。音はそんなにしないけど、回る輪郭は輪になって一点を支えにして踊る。
それを観察していた者は、ペンを回す音を絶やすことなく該当資料の一枚目に目を通す。その間にも、Cだったそれは甘く心地良く、全身から快感をがぶ飲みする新しい職務を全うしている。
「はぁ……『すき』『しあわせ』『きもちいい』……」
【CS/シーエス : 拍動汚染被害:快楽回路増築、脊髄端子増築、思考力の低下、筋肉弱化、従属化、本来の記憶・技術の完全消失・共感能力による拍動汚染としあわせ伝播に注意!】
恐怖の洗脳マシン相手に仲間を救うためしんがりを務めるほど勇敢だったCさんの肉体は、それまでのクールでシャープで調和したたたずまいを改造され100%キャワな快楽ぶちまけマシンとしてリサイクルされた。
今は『すき』『しあわせ』『きもちいい』の鉄より固い三本柱で物事を考えている。
「んへぇ……? ふふふ~……せちゅぞくたんしあったかぁいぃ……」
快楽を受信する力はもちろん、幸福感に陶酔に、気分がハイになる神経回路やら何やらを過剰に搭載・開発され、従来の人間の感覚では得られない悦びを摂取できるようになった。
「え~と、なんだっけ~?」
技術や記憶も一切喪失し、復元はないと断定された。声も救助前より高く変えられ、ゆるく、ふわふわした、綿菓子のような甘いものに改造されてしまっている。
それは相手に無条件幸福を与えるための最適なフォルムだ。
一緒に回収された快楽信号を送る特注品の液体ケーブルに、CSは服も脱がずに幸せそうに浮いている。
好みも全部、変わってしまった。原型を留めていない。
もうぜ〜んぶきもちいい。きもちいいがぜんぶ。
「あぁ、そろそろ約束のじかん、だよね。でも、あとすこし……んん、そうだ~」
液体ケーブルにじゃれつかれながら、CSはポッドの縁に肘を置いて、足をゆらゆらさせながら部屋の奥の方に視線をやった。
「C'(シープライム)、一緒にはいろ? きもちいいよ~……」
「遠慮、しておく……。今日はまだ、意識の芯が立ち上がっていない……今の状態だと。一日、起きられなくなる……」
CSの視線の向こうからひどく抑揚のない、ダウナーな声がした。
CSと同じ白銀の髪は品が良いショートカットで空色の瞳はすごく元気がない。クラシックな事務員を思わせる、きちっとしたスラックスとワイシャツに薄手の黒い手袋。
ぴったりと、着崩れている様子もなくスマートに着用しているそれは、部屋の片隅で緩慢に読書をしている。
読書が好きだからではない。好きかどうかも分からない。『この服装で生活していて、読書が好きだった人間の記録』に従って、それを再生するように動いているだけ。
Cはいなくなったけれど、記録を残されたものはいる。
溶けていなかった頃の拍動は『それ』にとっては記憶じゃない。入っているのは辞書。それの中で、残響は鳴り続ける。
「情報反復……。『俺』は、Cじゃない。ただの入れ物だ。でも、Cの記録がある……記憶じゃない。つながらない。記録とからっぽだけある、記憶がない……? おれ、なに、わからない……お、俺、どうなって……」
【C'/C-prime: 拍動汚染被害:変性意識化の反射学習。従属化、被害者C氏の記憶を保有するが、自認と記憶に亀裂。戦術技能・極度の共鳴体質、反射からの暴走に注意!】
こっちは、『勝手にスイッチが入る』。言うことを聞けという信号を与えられると、思考が停止して次に入る指示の言いなりになってしまう。
ぶたれると喜ぶ人間の脳と同じ。魂までそう叩き込まれている。
記録が入ってるだけあって、表面的にはかなりCっぽい。大人しく、頭も行儀もよく、戦闘知識も残っている。役に立てたかもしれない。
勝手にスイッチが入って反射的に命令体制に入らなければ。勝手に外の音に感度が良すぎる身体が反応しなければ。
CSが右に左に流れていくような心地良いふわとろ雑魚スライムと例えるなら、C'はこの重低音最強の世界では三秒と生きられない上等なワイングラスだ。
儚く、何にでも共鳴し、縁を指でなぞれば綺麗に鳴く。勝手にきもちよくなる。本人はひどくおつかれ。
「しーぷらいむ、本を読むのは、きもちいい?」
「Cはそうしていた。俺が好きかは、分からない。拍動を再生するのが、俺のすべきことだ……」
Cじゃないのに彼の記憶を思い出すが、自分はCじゃないという認識のブレで、彼の声は元より低く聞こえ、戸惑いや刺激に容易に震える敏感ボイス。
身体は登録情報通りにCとして言葉を出そうとするが、本人の自我が付いて行っていないので反射的に出した後、「今の合ってた?」って迷って止まってしまう。
とろとろたぷたぷに身も心も溶かされていたCSのポッド、すぐ側で発見されて今に至る。
明るく凜とした爽やかさがなくなり、メンタルの安定性と共にハイライトもかなり失った。今は四六時中、神経の四方八方から自我を棒でぶたれている。
例えばこんな風に。
たったったったっ――。C'の頭の中で唐突に音が鳴る。早いテンポの迫り来る駆け足。呼吸を急き、思考能力を放棄・停止するよう促す。
「……っ、……」
感情が希薄な顔が、わずかに歪む。抵抗の気配はあるが、瞳が儚く震える。平和な読書をしていた頭がゆるやかにページの文字を見失い、小さく揺れ始める。
そして、空色の瞳の奥がじりじりとLEDライトじみた光――これは拍動の汚染を受けたもの特有の症状だ。発生の雰囲気は違えど、目の奥から青い光が発生する――を帯び始める。
「はぁっ……。はっ、はっ……、……――」
思考が、考えた端から霧散する。抵抗した呼吸が、一つするごとに沈むように発される。
頭の中の音に、吐息が重なるとほどよく心地良い陶酔と共に感情の動きが止まっていく。
「ぅ……だめだ、命令、命令がほしい……」
従うためのリズムに同調する。瞳の色が侵食されて、青色が優先になってくる。トリガーの呼吸だけが徐々になりを潜めていって、自主的に動かない、次の拍動を待つための受け身になっていく。
ああ、『うけいれる』『おちつく』『あんしんする』――ただの拍動を詰めるための入れ物になっていく。
「めいれ、い――」
「しーぷらいむ」
「――!」
じりじりとした鋭い人工の光が、CSの柔らかい呼びかけで消えて、小さな息を呑む音と共に穏やかな空色が戻る。CSの方を見て、彼はやっと、自分が負けていると気がついた。
額に手を当て、小さく頭を振り、まだ耳鳴りを残すふわふわした声で頭を揺らす。
「……。あ。すまない……助かった……」
「よかった。それは、しあわせじゃない、よね? 昨日言ってた。おぼえてる? それとも、今日は……しあわせ?」
「なにも、傷つけたくない……だから、止められなかったら、しあわせじゃなかった。止めたのは合ってる。ありがとう……」
C'は肩から力を抜いて、他人と感じる者の記録から来る悲しみに目を伏せた。この悲しみさえも自分のものかどうか分からない。
そう思うと、自分の内側にあるからっぽに苛まれ、震えて部屋の隅で読書するだけの置物になってしまう。
拍動を取り入れたい。再生したい。でもそれをやったら自我とはさよならばいばい待ったなし。
なんなら放って置いても勝手に自動で録音されて再生される便利機能がついている。効果と存在と性格が自我を別方向に引っ張り続ける。
CSとは違う方向で死んだも同然だ。
二人はどっちもダメ。残骸と表現するにふさわしいポンコツだった。




