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オムライスにはスライムのリズムが刻まれている

 戦勝祝いという最高のバフによって、チキンライスはオムライスに進化した。ディーのオムライスはちょっと焦げ目があるけれど、ケチャップもたっぷりでCSたちにとっても十分においしいものだった。

 自宅でご機嫌な夕食を取り終えて、三人は食器を片付けてから資料を覗き込んだ。


「ごちそうさまでしたぁっ! でぃー、しりょうみせて~」


 CSには資料の内容は分からないが、その資料を作った人や触れた人が宿した拍動は感じ取れる。真剣な話をしていると分かれば、CSははしゃいだりしない。じっと、分からないなりに資料に食い入る。

 


【C/シー : 拍動汚染被害:大規模レイドミッションにて『最悪のビートダウン』の手に落ち自我溶解、CSとC'に分割され発見】

 


 C'はいくらかの資料を見比べて、落ち着いた様子でディーへと口を開いた。


「俺たちがCという存在から作られたのは、把握している。Cを二つに分割したのは、何故、というのは分かっているのか?」


「おそらく程度だな。お前等にはまだ不明な点が多いが、やった相手を考えりゃ多少は分かるって感じだ。しあわせにしたがったのさ」


 何故、Cは二度と自我が回復しない『自我溶解』まで追い込まれ、作り直されたのか。

 それについて、ディーは「実験」という仮説と共に、Cの所属していた組織や警察あたりからこのような説明を貰っている。


『CSは外にしあわせを与えようとする。現状、ブレーキがない』

『外の拍を受け入れて響くなら、C'はこの状態から新規で何かを登録される可能性が高い』

『二人はセットの爆弾で、とても大きなしあわせをもたらそうとするだろう』


 でも、『しあわせ』は二人が選ぶこと。情報を頭の中で整頓しながら、ディーはため息をついて、全部言わなかった。


「んじゃ、誰がやったって話だが。これは言うまでもないな」


 ディーはやはりペンを回しながら、一枚の資料を机に放った。あの場にいなかった自律型のビートダウンがそこには記されている。


 3mほどの鈍い金属質の球体の下に、金色の液体ケーブルを漂わせ、加工用のポッドを包むようにして這ったり浮遊したりして移動する。ややクラゲ似のその姿。

 これは今もニルヴェイズ郊外を徘徊中で、三日前にニルヴェイズの人類は敗北を喫したばかり。


「こいつだ。通称はブルームポット。こいつにやられたんだ……あいつは」


 ディーは最後の言葉だけ、唸るような低い声で呟いた。


【BloomPot:熱狂の拍動時代、最強最悪の被害を出し続ける自律型拍動支配装置(ビートダウン)。『しあわせ』だけを与えて人間の魂を溶かし、『しあわせ』によって作り直し、『しあわせ』以外を全て排除する】



 『人はしあわせになるために生まれてきた』。


「!!」


 その名前と外見情報を見た途端、二人はその純粋でやさしい拍動を思い出した。そして、恐怖した。


 承認。安心。和解。官能。

 それら四つの複合的な拍動を、ひとは最も効率的な支配のリズム――『しあわせ拍』と呼ぶことも。

 

 CSは顔を強ばらせてC'の後ろに頭を隠すように身をかがめた。C'も引っ込まないだけで、眉を寄せて口を引き結んで拳を握った。

 ディーはそれを見て、二人がこれをきちんと脅威と認識していると理解して頷く。


「わたし、へんだった。いま、これに、従わなきゃ、って……思った。自分の、きもちいいじゃないのに、しあわせって分かった……もっと、そうされたいって」


「俺も、コアが反応してる。コアじゃないどこかも、不快に感じている……どっちが自分かは、分からない……」


 ディーは資料と二人を見比べた。CSもC'も、一生懸命何かを考えようとして、ディーに視線を向ける。


「しーっていう人の拍動を、わたしも、もってる?」


「拍動で何でも片付いちまう時代だが、変わらないもんだってある。それはCの身体そのものだ。お前は間違いなく、Cの肉体でできてる」


「C'も?」


「Cが生きてた頃の知識は間違いなくある。それで動けるっちゃ動ける。ただそれは、記録を再生してるだけだ。Cの魂があるわけじゃない」


 ディーはゆっくり、ほんのり疲れた目を閉じた。


 ――またタスクを積んでしまっているのか? 君のよくないところだ。それは明日でもできる。今日は、ゆっくり休んでもいいんじゃないか?


 今日も届くはずだった、はきはきとしたエッジの効いた、それでいて爽やかな声。人が見失わないよう選んだ、白と青の鮮烈なコントラストの燕尾服のコスチュームの後ろ姿。

 規則正しい革靴の音と、後ろからそっと、ハーブティーの入ったカップを優しく差し出してくれる影の入り方。


 Cは拍動に深く共感し、それゆえ抵抗できるやや特別な人間だった。が、それを抜きにしても精神は人並み外れて頑強だった。

 エリートでも15分が限界の幸福快楽漬けに4分33秒追加で耐え、あとは終わらない沈黙を残していなくなった。


(あいつはいない。もう――)


 ディーはそれっきり、いや、昔からかもしれない。彼にとってニルヴェイズの狂乱は、くぐもった防音壁の向こうの刺激でしかなくなった。


 彼は一切、共感しない。右耳後ろの接続端子は、もう何とも触れさせないよう、封鎖したまま放り出され始めている。

 回っているのはペンと、永遠に仕事を終わらせないよう維持する山のようなタスクだけだ。


 かつて、もう一つ回るものはあった。でも、今は止まっている。遅延を何千倍にも重ねて、再び動く気配はない。音は聞けても、拍動は届かない。


「お前たちはCだったけど、Cじゃないかもしれない。それはただちに確定すべきじゃないし、確定する要素もない。コアも、まだ解析中だ」


 自分たちの存在がディーを傷つけているとなんとなく分かっていたCSとC'は、うなだれかけていたけれど、その淡々とした声色ではっとした。


 そこには温度が一切変わらない、ただ見守っているだけのディーがいる。

 本心は分からないが、拒絶はされていない。そんな眼差しと声色が、そこにある。拍動は感じられなくても、音は届けてくれる。


「心配はしなくていい。俺はお前たちが何をどう選んでも、ここにいるつもりだ」


「わたしたちが、ひとつにもどろうとしても?」


「ああ」


「……俺たちが。Cに、戻れなくてもか?」


「そうだ」


 CSとC'は顔を見合わせた。そして、両の拳を握って落ち着かなく胸の前で手を振り始めるCSに、C'は頷いてディーへ視線を戻した。


 ディーは本心を語らなかったが「いていい」とだけ、確かに言ってくれていると感じられたのだ。その身体や魂から一切の拍動を感じ取れなくても。だから二人はそっとテーブルの下で手を繋いだ。


「ありがとう。正直なところ、俺は。君が初日に、部屋にもっていたのを少しだけ、覚えている。だから、嫌じゃないかと、思ってた」


 C'は胸中で震えるコアではない何かに言葉をつっかえさせながら、それでもディーを見続けた。


「『気持ちの整頓(メンタルリセット)』が必要だっただけだ。資料をまとめんのと同じさ」


「あのね、あのね。でぃー。ありがとう、わたし、C'も、すぐふわふわしちゃうから、一緒にいてくれて、嬉しい」


「ま、いるだけ、だけどな。ほら、今日は外に出たんだ。風呂にでも入って、ゆっくり休んでもいいんじゃないか?」


 ディーに促され、CSはくすぐったそうな顔ではにかんで、立ち上がってC'を引っ張った。


「C'! はいろ!」


「一人ずつの方が、君としても快適だと思うんだが」


「液体ケーブルにおそうじしてもらってたから入れ方もわかんないよ。へへ、教えてほしい、かも」


「それなら、分かった。日常動作はできるようにしておくべきだ。液体ケーブル任せはよくない」


「あぁ~。ケーブルちゃんも洗うぅ、おいで~」


 丸まって跳ねる液体ケーブルが足下に近づきそうだったので、ディーは慌てて避けた。

 二人が賑やかに風呂場に行ったのを頬杖を突いて見送ってから、彼はもう一枚、手元の資料を見る。それはCSの資料でも、C'の資料でもない。

 おおっぴらには言われない、魂の現象についての紙の束。


「ま、二人でやらせることならアテはある。あいつらが先に届きゃいいってわけ。なら、それまでの時間は稼げばいい。あいつらの拍動おとが育まれるまで。安いもんさ」



【SynapseBloomシナプスブルーム――拍動を通わせ、限界まで魂を高めた時にだけ発生する、能力強化・拍動共鳴・伝播などを起こす現象の総称。多大なる幸福と快楽を伴い、人は陶酔に華を見るという】



 深く響く魂の快楽。拍動を感じられる人間だけが至れるという、最強のしあわせ。

 ワケありのディーは自分では決してたどり着けない、その限界の果てを思った。


 ある人は脳の受容体(シナプス)に華が満ちたようだったという。ある人は世界が花でいっぱいになったと言ったし、またある人は信仰の始まりだと涙を流してクソデカカルトの礎をブチ立てた。


 でも、ディーにはシナプスブルームの喜びは分からない。彼は誰とも繋がれない。ディーは小さく疲れた息を吐いて、二人の見ていないところで微笑んだ。彼は今日してきたようにペンを回転させ、次のスケジュールを詰め始めた。



「大丈夫だ、C。お前から作られたあいつらは、ちゃんと自分で答えを出せる。そうだろ? 独り立ちなんてあっという間さ……そしたら、今度こそ俺の仕事は終わりだ」

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