女王と真実
夜の街が寝静まる、静かな昼下がり。サロン『ラ・キュン』の密室で、二人の「女王」が対峙していた。
主のジュリアは、扇子を硬く握り締め、目の前の令嬢を鋭く睨み据える。
「……お引き取りを、アプリシア侯爵令嬢。うちのラユラが客の情報を売っているなど、根も葉もない言いがかりですわ。そんな真似をするはずがありません」
プラムは、差し出された紅茶に口も付けず、ルビー色の瞳を細めた。
「あら、言いがかりだと仰るの?私、元婚約者の悪癖には、人一倍詳しくてよ」
プラムが冷然と放った事実に、ジュリアの肩が微かに揺れた。だが、その表情が簡単に崩れないのは、幾多の夜を統べてきた「女王」ゆえか。
「元婚約者……? ああ、道理で。貴女のような子が、私やラユラを追い詰めるのね。男は男らしく、貴族の自覚を持ちなさい……そうやって相手を縛り付けておいて、捨てられたからって私に八つ当たりしないでくださる?」
「ええ、そうですわね。裏切られた女の執念と笑ってくださっても結構。ですがジュリア様、これは貴女の店の『聖域』の問題ですわ。客を売る娼婦がいる店に、誰が秘密を持ってくるかしら? 一人の裏切り者を庇うことで、このサロンの歴史に終止符を打つおつもり?」
プラムが目配せをすると、傍らに控えるメアリーが一通の紙束をテーブルに置く。それは、トリスタン・イグレインが排除してきた政敵のリストと、その者たちが『ラ・キュン』を訪れた日時、そして「ラユラ」が接客した記録の完璧な対照表だった。
「っ……こんなの、偶然ですわ。何とでも言える」
「あら? ではこちらをご覧になっても同じことが言えるかしら」
メアリーが追加で差し出した紙とカードを、プラムは汚いものを扱うように指先で摘み、ジュリアへ差し出した。
ラユラがアッシュへ書き記したメモと、かつてトリスタンがプラムへ贈った恋文。そこに躍る独特な筆跡は、ラユラの正体がトリスタンであることを示すには十分すぎる証拠だった。
「……それでも、確証もないのに仲間を売ることはできませんわ」
ジュリアはなおも拒絶する。しかし、プラムは想定内だと言わぬばかりに受け流した。
「結構ですわ。私は強要はいたしません。……ただ」
プラムは優雅に立ち上がり、一冊の綴じられた手稿をテーブルに置く。
彼女が扉を開けると、午後の鋭い陽光が密室へと差し込んだ。逆光の中でプラムの輪郭は黒い影となり、その瞳だけがルビーのように昏く光る。
「ジュリア様。もし貴女が『真実』を知りたければ、これをラユラに見せてみるといい……真実は、隠すものではなく『暴かれるもの』ですのよ」
その日の深夜。ジュリアは一人、誰もいないサロンの最奥で酒を煽りながら、プラムが残していった書簡を忌々しげに睨みつけた。指先に触れる紙の感触が、嫌に冷たく感じる。
「……嫌な女」
脳裏に浮かぶのは、かつて「マイケル・ベルモンド伯爵令息」と呼ばれていた頃の自分だ。
紅を引き、ドレスを纏い、男を愛する。その性質を「病」だと罵られ、実父から家を叩き出された夜の寒さは、今でも覚えている。
だからこそ、数年前、震えながらこのサロンの門を叩いた「ラユラ」に、ジュリアは自分を重ねてしまっていた。
ジュリアにとって、サロン『ラ・キュン』は、自分のような「はみ出し者」が唯一息を吸える聖域。そこへ逃げ込んできたラユラを、彼女は妹のように、あるいはかつての自分を救うように、全力で守り育ててきた。
「……馬鹿ね、私」
巷で「悪事に鼻が利き、それを裁く武に優れる」と噂の騎士、トリスタン・イグレイン。
その体格、情報の出所、そして何より、肩を抱いた時に感じた、騎士特有の固いタコ。
気づいていなかったわけではない。けれど、ジュリアはそれを心の奥底に封じ込めていた。
(……あの子が誰かなんて、どうでも良かった)
ジュリアは目を閉じる。
(あの子が、このサロン(私)を大切に思ってくれていることだけが、『真実』であれば、そのほかに、どんな嘘があっても)
プラムが最後に手渡した手帳を見つめる。__これをラユラに渡し、「助けてほしい」と縋ってみたら……もし、あの子が私を選んでくれたら……この情報を握りつぶして、私の隣で震えてくれたら。
「……お願いよ、ラユラ__いえ、トリスタン」
ジュリアは空になったグラスを置き、氷のような笑みを面に張り付ける。鏡で笑顔の確認をすると、彼女はラユラの待つ控室へと歩き出した。
__それが、彼女が「ラユラ」を愛した、最後の数分間だった。
翌日。侯爵邸を訪れたジュリアは、氷のように冷え切った表情でプラムの前に現れた。
「……アプリシア令嬢。ご指摘の通りでしたわ。あの手記を見るなり、ラユラは一晩のうちにあれを盗んで逃げ出しました」
「やっぱり持ち逃げされましたか?」
「ええ。客の一人があれを持っていたことにして、『このままではプラム様に復讐される、助けて』と相談した途端……その日のうちに、売上金と一緒に姿を消しましたわ」
「あら、あの内容が明るみに出れば、ジュリア様だって危険だというのに。薄情な方でしたこと」
その革張りの手帳の内容は、プラムが囲っている「名もなき美青年」視点で綴られた、不道徳な蜜月の記録__という体の「小説」だった。その青年は密かに夜の女王・ジュリアとも通じ合っているが、ある日彼はジュリアが実は国家への叛逆を目論みていることを知る。巻き添えを恐れた青年は、プラムにすべてを暴露して殺させようと画策する……この世に幾千とある、手垢のついた内容の官能物語だ。
特異なのは、自然に開かれる頁を読んだだけではそれが作り話だと判別のつかない、本当に日記のような仕様になっていることくらいだった。
「目論見通り、ジュリア様の恋人の手記だと思って、まんまと持ち逃げしたのね。……私の不貞を叩ける格好の餌だと思い込んで」
「ふざけるんじゃないわ。ちゃんと手は打ってあるんでしょうね。そうでなければ、貴女は不貞程度で済むかもしれないけれど__私は国家反逆罪で本当に死罪よ」
「大丈夫ですわ、きちんと手を回しておいたから……あの手帳には仕掛けをしてあるし。それに、未婚の侯爵令嬢にとって、不貞の露見は『程度』ではなくってよ」
プラムは満足げに、紅茶の香りを愉しんだ。そこへ、メアリーが静かに入室し、銀のトレイに乗った一通の招待状を差し出した。
「お嬢様。……イグレイン伯爵家より、三日後の夜会の招待状が届きました」
プラムがそのカードを手に取ると、金文字で仰々しく記されていた。
『聖女アメリア様とイグレイン伯爵家合同の、慈善基金設立の夜会』
「慈善基金……。よくもまあそんな名目が立てられたものですわ。……ジュリア様、準備はよろしいかしら?」
「ええ。あの方が王太子殿下にその『偽の手記』を捧げようとした瞬間__私が、あの子の正体を皆様の前で証言して差し上げますわ」
プラムは、ルビーの瞳に昏い光を宿し、招待状を指先でなぞった。
「ふふ、自分の葬儀の案内状を、最高の手土産を持って配り歩くなんて。トリスタン様も、本当におめでたい方ですわね」
窓の外では、満月が夜空に煌々と浮んでいた。




