伝説と真実
「不自然なすり減り方……ね。どんなだったんだ」
アッシュの工房についてすぐ、プラムはメアリーに命じて「トリスタンの靴の減り方」を伝えさせた。
「ええ……かかとの外側が、斜めに削れるようにすり減っていたのです。古い靴なのかと思い再度目視で確認しましたが、爪先は新品のように綺麗でした」
アッシュが取り出した木型の該当箇所を指差しながら、メアリーはその様子を詳細に説明する。工房にいたアッシュとフローラに加えて、仕入れに訪れていたというアッシュの知人__派手なベストを纏った、いかにも商人といった風貌の男が、面白そうに首を突っ込んできた。
「……重心が極端に後ろに寄って、足首を不自然に固めて歩いてるってことか。騎士ってよりは、ヒールのお嬢様、みたいな減り方だな。しかも、かなり履き慣れてる」
その言葉に眉を潜め、プラムはアッシュに耳打ちした。
「ねえ、あの男は誰? 聞かせて大丈夫なの?」
「聞こえてますよ、お嬢さん」
地獄耳の男がわざとらしくウィンクしてみせた。アッシュが苦笑しながら続ける。
「大丈夫だ、信用していい。コイツの商いは、サマセット子爵家最大の商店だ。出資額も多く、ニコラにも恩義があるし……何より、俺の靴を仕入れられなくなったら取引先のお貴族様たちから突き上げを食らう立場だ」
「左様で。私は被服を主に扱う商人__ハキムとお呼びくださいな。此度の話、私も協力しますよ。あの御しやすいサマセット兄妹がいなくなって、お堅い他家の人間が領主になったら、こっちも商売あがったりですから」
プラムはため息をついた。リスクはあるが、背に腹は代えられない。
「それで__話を戻すわ。トリスタンが、ヒール? 履き慣れて……?まさか」
(……信じられない。彼は騎士だわ。気弱ではあったけれど、剣技の腕前は卓越していた。恋愛感情こそなかったけれど、政略結婚の相手としては誠実で、季節の花や宝石と共に、マメに手紙をくれる男だったのに。あの繊細な彼が、裏でそんな……?)
「その調査、私も混ぜてもらおうか」
不意に、工房の入り口を威圧的な影が塞いだ。その場にいた全員が、一斉に息を呑む。
「……宰相殿下」
プラムだけが、真っ直ぐにその青い瞳を見返した。
(まずい。どこまで聞かれた? 罠? すぐにフローラを逃がして……いえ、包囲されている可能性も……!)
「慄くことはない。君たちが追っている『泥の正体』は、単なる一騎士の不貞以上に、この国の根幹に関わる汚れだからな」
「どういうことですか。宰相__いえ、ヘリオス・エストレイア、第二王子殿下」
宰相、もとい第二王子・ヘリオスは作業台に無造作に腰掛けると、窓の外の空を見上げた。
「君たちは、初代国王が討伐した『魔人』の伝説を知っているだろう。突如この国に現れた__邪悪な異能を持ち、世界を滅ぼそうとした怪物の話を」
「……はい。王国の創始者様__エストレイア王と、時を同じくして国に現れた聖女様が、協力してその魔人を封じた。そしてその2人の血を引く王家にのみ、時折特殊な『権能』を使える者が現れる……ヘリオス王子、あなたのように」
「そうだな。そして、その『権能』__人智を超えた力を持つ強者が権力を持てば独裁が起こりうる__そのため、私のような者は伝統により王位継承権を持たず、宰相として、この国のためにその力を使役する」
「何が言いたいのです」
プラムが問い質すと、王子はあっさりと答えた。
「俺の目的に合致するか、君を試しに来た。プラム・アプリシア」
ヘリオスが作業台から立ち上がり、射抜くような目でプラムを見つめる。
「君がアメリアの『真実』について、何か情報を掴んだことは知っている。この国の泥をすべて検収するのが私の役目だからな。……問おう、君の目的は何だ?」
低い声が、逃げ場を塞ぐように響く。
「そこの行方不明扱いの侍女を救うためか? 友であるニコラの汚名を雪ぐためか?__それとも、この歪みきった『国』そのものを、根底から叩き潰すためか?」
プラムは少し逡巡し__名前を呼ばれてびくりと肩を震わせたフローラをちらと見やると、凛とした声ではっきりと答えた。
「……全てです、陛下。誠実に真っ当に生きているフローラのような民、そういった者の暮らしを守るため貴族の使命を全うしたニコラ……そういった者たちが慎ましく幸せに生きていけるような国であればこそ、私はその臣下としてこの身を捧げましょう。しかし__彼らのようなものが貶められ、虐げられ、奪われるようなら……そんな国にも、それを作り上げる貴族や王族にも、価値などありません」
プラムの答えを聞くと、ヘリオスは満足そうに微笑んだ。
「見込み通りだ。……私を満足させる答えを言った褒美に、ひとつ教えてやろう。君が語った、この国に広く知られる創世記だが__真実は逆だ」
ヘリオスはからからと笑った。同時にその表情が、臣下を試す冷徹な宰相のそれから、いたずらを共有する友人にでも見せるような笑みに変わる。
「どういうことです」
「早い話が、『魔人』とは進化した新しい人類に過ぎないのだよ。彼らはある時を機に次々と生まれ、その力__『権能』で、王国へさまざまな利益をもたらした。しかし、当時の王家は権力の簒奪への恐怖に怯えた末、『悪』のレッテルを貼って彼らを虐殺した。……そして、生き残った女を『聖女』と称して祭り上げ、妻として召し入れ……その異能の血を王家に取り込むための道具として飼い慣らした」
工房の空気が、凍りついたように静まり返る。
「アメリアは……恐らく、魔人の再来だ。我が家系は、薄れかけた権能を再び手に入れるため、彼女という『苗床』を必要としているに過ぎない。つまり、アメリアがどれほど醜悪に振る舞おうと、彼女の血が本物である限り、王家は彼女を守り続ける。……たとえ、その足元に何人のニコラの死体が積み上がろうとな」
嘘だと思いたい。しかしプラム自身の聡明な理性が、これは事実だと脳裏に告げていた。
アメリアは元々愚鈍で俗物的な__王妃に相応いとはとても言えない女である。だからこそ、宿老たちはニコラを庇うような勇敢さこそなけれど、あの夜の断罪劇やアメリアを決して賞賛することなく、白けた目で俯瞰していた。『聖女』であることを差し置いても、今日の平和な世であれば、しかるべき教育と血統を持った上位貴族の令嬢の方が、よほど国母としては相応しい。
そこまで考えて、プラムははっと気付く。
「……では、アメリアを皮切りに、今後またそういった子供達が次々に?」
「ご明察だ。王家はその可能性が高いと見ている__或いは、もう生まれているかもしれないね」
「その子たちは、また王家に搾取され、あるいは『悪』として殺されるのですか?」
「現王が、そしてこの国が『聖女伝説』というまやかしを守り続ける限り、答えは然りだ。危機に先んじて『聖女』アメリアが生まれ、その権能を持って新たに生まれた魔人を討ち取った。そういうことにしてしまえば、めでたく輝かしい伝説の再誕だ」
ヘリオスは他人事のように笑いながら、身の毛もよだつような事実を次々と語る。
「__ふざけないで」
プラムの声が、工房の静寂を切り裂いた。
「そんなのって……。そんなことが許されるはずがない。そんなことを許してしまうなんて、国の……いえ、理性ある人間としての恥ではないですか!大体さっきから何なんですか貴方は!他人事のように……貴方も王家の人間でしょう!そんな話を私にして、どうしたいというの!」
王子は一瞬、驚いたように目を見開き、やがて今日一番の愉悦を含んだ笑みを浮かべた。
「……全くだ。だから私は、君のような『劇薬』を待っていた」
ヘリオスは、未だ自身を切り裂かんばかりに睨みつけるプラムからアッシュ、ハキム、フローラとメアリーへと視線を移し、最後にプラムに視線を戻すと、悪戯っぽく笑ってみせた。
「何がしたいかと聞いたね?プラム。……私はね、王になりたいのだよ。そして、この馬鹿馬鹿しい神話を打ち崩し、私と同じ『権能』を持つ新人類とも手を取り合う、新たな国を作りたい。友を救いたい君と、王家の嘘を暴きたい私の利害は、一致している。共にこの国の嘘を、泥の中から引きずり出そうじゃないか、プラム・アプリシア」
その顔は、あの夜に衛兵に連行されるさなか、ニコラが見せた表情とよく似ていた。
ヘリオスは立ち上がり、懐から一枚のカードを取り出した。
「まずは、君の元婚約者の『化けの皮』から剥がすとしよう。ハキム、君の商圏に一箇所、妙な場所があるだろう。元伯爵令息でありながら裏通りを支配する__『夜の女王』ジュリア・ラ・キュンのサロンだ。あそこなら、トリスタン卿の靴の傷、その出処も分かるはずだ」




