王子と中立
翌朝、王宮の「太陽の謁見の間」は、硝子窓から差し込む春の陽光とは裏腹に、凍てつくような緊張感に支配されていた。
王太子の名の下に緊急に集められた貴族たちのなかには、プラムやハイディなどの子女も多く、普段宿老たちがうちうちに決めごとを行う議会とは様相が明らかに異なっていた。
中央に据えられたのは、昨夜サマセット領から強奪された、剥き出しの金貨が詰まった数箱の木箱。その前に立つ王太子アルバーンは、自身を「公平中立たる裁定者」と信じて疑わぬ、傲慢なまでに晴れやかな顔で国王を見上げていた。
「父上。これこそが、サマセット家の不正の証左、そして国を救うための聖なる資金です。私は中立なる立場から、最善の選択をいたしました」
その隣で、アメリアはうっとりと恍惚な笑みを浮かべている。しかし、プラムは動じない。
彼女はわざとらしく扇子を落とすと、震えるような、けれど広間に響き渡る声で告げた。
「……殿下、まさか。ニコラの家から?」
「何の問題があるというのだ、プラム・アプリシア侯爵令嬢。お前がサマセットを親友だと肩入れしているのは知っている。私の中立な行いに、私的な肩入れはやめてもらおうか」
どう考えても自分が正しいと言わんばかりに、アルバーンは忌々しくプラムを睨みつけた。
(…ふふ、自らの正義に酔いしれてらっしゃるわ)
「……殿下。貴方の仰る『中立』は、法を蹂躙した強盗に過ぎませんこと?」
「……何が言いたい」
「だって、ニコラの罪はまだ未確定。『調査中』のはずですわ、ねえ宰相様」
「そうだね、プラム嬢。確かにニコラ嬢はまだ軟禁の身ではあるが__生家であるサマセットの不正については特に報告は上がっていない」
ヘリオスが返すと、ハイディも待っていましたとばかりに手を上げた。
「発言をお許し頂きたく。__父、ブラッサム公爵の王立銀行で事務官をしております、ハイディと申します。サマセット領の資産について、接収の命は特に上がっていなかったように記憶していますが、これは王太子の独断と見てよろしいのでしょうか」
「独断……?」「サマセット領から……?」と、広間に波紋が広がる。ここぞとばかりにヘリオスが、静かに魔導具を起動した。
「プラム嬢の言うとおり、サマセット家の令嬢については『調査中』だ。父王よ__丁度その件で、サマセット領に仕掛けていた調査用の魔道具に、あるものが映っておりました。ご確認願いたい」
王が許可すると、広間の虚空に昨夜の光景が「真実」として投影される。
『開けろ! 王太子アルバーンの命である!』
『やめてください、殿下! これは領民のための……!』
映像の中のアルバーンは、無抵抗な管理人ハキムの胸元を剣の柄で突き飛ばし、あまつさえ地面に這いつくばった彼の顔面を何度も執拗に蹴りつけていた。
『アメリアのためにこれを持っていけ。……ふん、逆賊の番犬が。不遜であろう!』
広間に、絶句したような沈黙が広がる。貴族たちは、自分たちが敬愛していた「高潔な王太子」の、あまりに浅ましく野蛮な略奪行為に戦慄していた。
「なっ……これは、捏造だ! 私は、私は正義を行ったのだ!」
アルバーンが絶叫する。しかし、プラムは一歩前へ踏み出し、冷徹なロジックを突きつけた。
「殿下、貴方の『中立』とはいったい何なのですか? 法を無視し、手続きを省き、王族の暴力で民から富を奪う……それは中立ではなく、単なる『専制』ですわ。貴方が私欲のために振るったその拳で、明日の商人は、明後日の領主は、次に自分が奪われる番ではないかと怯えて暮らすことになる。貴方は、この国の信頼という根幹を叩き潰したのです」
「黙れ! ……お前らは視座が低いんだ!俺は、俺だけが全てを見通している。お前は取るに足らない愚かな友人を救うという、くだらない私的な理由でアメリアを憎んでいるが、私はこの国の利のために、アメリアを、聖女を守るために……!」
「不敬ながら殿下、貴方はご自身を、天秤の支柱(中心)だと思い込んでいらっしゃる。けれど、事実は違いますわ。サマセット領と、アメリア様。その対立が起きたとき、貴方は自らの意思で、その足をアメリア様の側へ一歩踏み出された。中心からズレたその地点に立ちながら、平然と『私は中立だ』と宣う……その傲慢さが、私には理解しがたいのです。貴方が今見ている景色のなかでは、皆が自分から同じ距離にいらっしゃることでしょう。それが『中立』だと信じていらっしゃる__でも実際は、一歩でも足を動かした時点で、私情によって、公平さを欠いているのです」
プラムの言葉は、アルバーンの存在そのものを解体していった。ヘリオスは苦笑いを浮かべながら、王に進言した。
「彼の望む『公平中立』であればこそ、法による手続きが必要です。……必要な手続きを無視し、強奪行為を行い、あまつさえこれだけの人数の前で露見させたとあれば、王太子とはいえ何か処遇を考えた方がよろしいのでは?」
国王の顔は苦渋に歪み、やがて重い宣告が下される。
「……アルバーン。公務に王太子の職務を解き、北方の離宮にて無期限の謹慎を命じる。連れて行け」
「父上! 私は、私は正しいのに! 離してください、私は王太子だぞ!!」
引きずられていくアルバーンの無様な叫びが消えても、アメリアは立ち尽くしていた。
数日後。
王宮の最果ての荒れ果てた一室で、アメリアは暗い瞳で壁を見つめていた。
一応は聖女としての立場は守られており、アメリア自身に被害はなかった。しかし、アルバーンは地方へ追われ、自分を称賛する取り巻きたちもいなくなった。自らを愛され、尊敬されてしかるべき聖女だと信じるアメリアにとってはそれが何より悔しく、許しがたいことだった。
「……どうして。どうして皆様、わたくしの正しさが分からないのかしら」
彼女は、自分が「魔人」と同じ性質を持つ新人類であることなど、夢にも思っていない。彼女の脳裏にあるのは、幼い頃から聞きかじってきた『聖女伝説』だけだ。
(……そうだわ。聖女様が最も輝くのは、魔人が現れた時。魔人を討ち取り、民を恐怖から救い出した時こそ、聖女様は永遠の崇拝を得た……)
アメリアの口元に、狂気じみた笑みが浮かぶ。
「わたくしが今、これほどまでに虐げられ、苦しんでいるのは……この国に、恐ろしい『魔人』が復活した予兆に違いありませんわ。そうに決まっています」
鏡を見ることさえ忘れた彼女の首筋で、黒い焼印がどろりと脈打つ。
「プラム・アプリシア……あの悪女がわたくしを陥れるのは、彼女が魔人に魅入られ、わたくしの光を恐れているからなのですわね。……ふふ、ふふふ。待っていてくださいませ、魔人さん」
アメリアは、壁に掛けられた古びた十字架を握りしめ、恍惚とした表情で囁いた。
「わたくしが聖女であることを、この世界に思い出させてあげますわ。……魔人を見つけ出し、この手で八裂きにして差し上げれば……皆様、またわたくしを、跪いて崇めてくださるでしょう?」
自らが狩るべき「魔人」と同じ血を引いているという喜劇的な皮肉。
「偽りの聖女」は、自らの正しさを証明するための生贄(魔人)を求め、静かに、そして決定的に狂い始めた。




