王子と前夜
「案ずるな、アメリア。汚らわしい騎士や口の減らない侯爵令嬢ごときに、我ら王家の歩みは止められぬ」
王宮の私室。アルバーンは、青ざめた顔で爪を噛むアメリアの肩を抱き、優しく笑いかけた。
「でも、どうやって?ご令嬢たちにも意地悪をされてしまいましたのに」
「サマセット家は、逆賊の家だ。あの領地は以前から金が有り余っている。それを『公務』として接収し、慈善基金の立て直しに充てれば、誰も文句は言えまい」
「……アルバーン殿下! まあ、なんて素晴らしいお考え!」
アメリアは安堵したように微笑む。その表情は、アルバーンを高揚させた。
アルバーン・エストレイアという男の根幹にあるのは「中立」の心だった。魔力という権能を持って生まれた双子の弟・ヘリオスは国の伝統で継承権を持たない。そのためアルバーンは、生まれながら未来の為政者として、厳しく、しかし一切の理不尽や不自由を知らずに育てられてきた。
全てを手にする彼は幼少期から、争い合う派閥の真ん中に立ち、双方に慈悲深い言葉をかけては「自分こそが公平な裁定者である」という全能感に浸ってきた。
(私は、誰よりも公平だ。ニコラ・サマセットの件も、私は私情を捨ててアメリアを信じた。それは彼女が愛しいからではない。彼女が『聖女』という公共の利益だからだ。友であったトリスタンを切り捨てたのも、それが正しいからだ。……ならば、その利益を維持するためのコストを、逆賊の疑いがあるサマセット領から徴収するのは、当然の帰結ではないか)
アルバーンは、夜道の馬車の中で独り、自身の「合理的な判断」に酔い痴れていた。
彼にとって、取るに足らない侯爵令嬢によるアメリアに楯突く一連の行動は「友人という私的な関係に固執する主観的で愚かなしぐさ」に過ぎない。
自分だけが、王国の未来という大局を見据え、汚れ仕事を一手に引き受けている__その悲劇のヒーローのような自己イメージこそが、彼のガソリンだった。
「……案ずるな、アメリア。私は常に中立だ。だからこそ君を守り、国を乱す芽は摘まねばならん」
深夜。サマセット領、国境近くの巨大な穀物倉庫。アルバーンは直属の若手騎士数名を引き連れ、闇に紛れて現れた。正式な徴収令状も、文官の立ち会いもない。だが彼の中では、これは「王命」に等しい聖戦だった。
「開けろ。王子の命である」
怯える老管理人の胸元を剣の柄で突き飛ばし、アルバーンが倉庫の重い扉を蹴り開ける。
中には、眩しいほどの金銀財宝が山積みになっていた。
「素晴らしい、これだけあれば、アメリアの威信を回復するだけの資金が手に入る!」
アルバーンが歓喜に震え、穀物の山に手を伸ばした、その時だった。
「__おやおや。殿下自ら、泥棒の真似事とは驚きました」
倉庫の影から、聞き慣れぬ低い声が響いた。現れたのは、見慣れぬ無頼な風貌の男__ハキムだ。どこの馬の骨とも知れぬ男に「泥棒」呼ばわりを受けた事実に、アルバーンの顔が屈辱で赤く染まる。
「……貴様、何者だ。不遜であろう、私は王太子、アルバーン・エストレイアであるぞ!」
「名乗るほどのものではありませんよ。ただの『サマセット家の番犬』であり、これら商材の管理人です。……殿下、手続きを無視した略奪行為はただの『強盗』ですが……サマセット家は現在、再調査の身。その資産を勝手に持ち出すことは、法が許しませんよ」
「黙れ! 私は裁定者として、国の損失を防ぐために動いているのだ! これは中立公平な、『正義の徴収』に他ならん!」
アルバーンは激昂し、不遜な男へ一歩踏み出した。
王族として叩き込まれた剣技。そして何より「自分は正しい」という独りよがりな確信が、その拳に容赦ない威力を宿らせる。
「……ぐっ……!」
ハキムはあえて抵抗しなかった。アルバーンの重い一撃がハキムの顔面を捉え、さらに騎士たちが寄ってたかって彼を組み伏せる。鈍い音が何度も響き、サマセット領の「番犬」は、冷たい床に叩きつけられ、ボコボコにされて動かなくなった。
「フン、口ほどにもない。……おい、そこのお前。アメリアへこれを持って行け」
アルバーンは、ハキムが文字通り体を張って守っていた倉庫の奥__領民のために備蓄されていた緊急用の金貨の箱を、無理やりこじ開け、部下に差し出した。
__自分は今、悪を挫き、善を救った。この圧倒的な充実感こそが、自分に相応しい。
「行くぞ。……不審な男を一人片付け、正当な権利を執行したまでだ。文句があるなら王宮へ来いとな」
アルバーンは、倒れ伏すハキムを一顧だにせず、略奪した財宝を馬車に積み込み、悠々とサマセット領を後にした。
静まり返った倉庫。
馬車の音が遠ざかると、ハキムはゆっくりと身を起こし、口の端の血を拭った。
「……全く、人使いが荒い」
倉庫の闇の中から、その魔法光学迷彩を解いたヘリオス・エストレイアと、プラムが姿を現した。同時に、梁からアッシュが飛び降りてくる。
「殴られろとまで命じた覚えはないわよ。大丈夫?ハキム」
プラムは心配そうにハキムに駆け寄る。
しかしハキムは、隣で静かに魔力を収めるヘリオスを横目に見て、わずかに喉を鳴らした。
彼がここにいるのは、プラムが直接「頼んだ」からだ。ハイディから「アルバーンが実力行使に出る可能性がある」という予測を聞かされたプラムは、迷わずヘリオスへ密使を送った。「王家の不始末を、王家の手で終わらせる機会を差し上げます」と。
「彼の言う通りだよ、プラム。……私の魔法まで使わせるとは」
ヘリオスが、ため息混じりにプラムを見下ろす。その距離は、主従や協力者という枠を超えて、わずかに近かった。彼の手のひらに残る魔力の残滓が、夜の冷気の中でプラムの頬をかすめる。
「ふふ。殿下の魔法が一番確実ですもの。……それに今回のことは、貴方の野心のお役にも立つでしょう?ねえ、王子様」
プラムは自分より遥かに背の高いヘリオスを見上げると、にやりと笑って見せた。錦糸のような長い睫毛の下で、ルビー色の瞳がちらりと光る。貴族令嬢として普段社交界で見せるそれとは違う、小悪魔めいた悪戯な笑みに、ヘリオスは胸の奥を掴まれたような心地になる。
「……君の期待には応えたつもりだ。記録は完璧だし、これではまた『宰相』として、仕事をせざるを得ないね」
ヘリオスは、梁から降りてきたアッシュの手の中にある魔導具を指差した。
「ええ。……ありがとうございます、ヘリオス様」
プラムは、普段の傲慢な令嬢の仮面を少しだけ緩め、彼にだけ聞こえる声で感謝を告げた。ヘリオスの瞳に、再度揺らぎが走る。
「……礼には及ばないよ。これは国のための公務だ。……明日、王都で『舞台』が待っている」
「ふふ、楽しみですわね。殿下」
「ああ」
ヘリオスにとって、兄を排して王になるという孤独な野心を他者に肯定されたのは生まれて初めてのことだった。彼は初めて現れた「共犯者」に、胸を高鳴らせた。




