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 バインベルクの法律において、ルベルトは裁きを受けることとなった。


 白い石で造られた法廷は、冬の朝のように冷え切っていた。高い天井から差し込む光は弱く、埃の粒子が漂う中、傍聴席には無数の視線が縫い付けられるように集まっている。そのすべてが、被告席に立つ男───ルベルトに注がれていた。


 婚約者の毒殺未遂。

 そして、聖女の殺人教唆。


 その二つだけでも、王国においては十分すぎるほどの重罪だった。さらに、魔国の果実を用い、国交を意図的に破壊しようとした罪までが積み重なる。書類に並んだ文字は淡々としているのに、その一行一行が、まるで鉛の板のように彼の胸に積み重なっていく。


 聖女への暴力や脅迫については、決定的な証拠が足りなかった。証言は食い違い、物証も不十分で、法としては「断定できない」と結論づけられた。だがそれは、ルベルトにとって何の救いにもならなかった。


 民衆は、証拠よりも噂を信じた。

 事実よりも、感情を選んだ。


 傍聴席のあちこちから漏れる小さな囁き声が、湿った虫の羽音のように法廷を満たす。「聖女に手を出した男だ」「国交を壊そうとした裏切り者だ」その言葉は、刃物のように形を変え、確かな証拠がなくとも、彼の首を絞める縄になっていく。


 判決文が読み上げられる間、ルベルトは一度も顔を上げなかった。唇は乾ききり、喉がわずかに上下するのが、やっと分かる程度だった。


 ───斬首刑。


 その言葉が落ちた瞬間、法廷の空気がわずかに震えた。誰かが息を呑み、誰かが満足げに小さく息を吐く。重い扉の向こうにある処刑台の影が、まるで見えないはずの場所から、じわりと這い寄ってくるような錯覚すらあった。


 兄であるヴィルヘルトは、減刑を願い出た。しかし、法はそれを許さなかった。王族であろうと、罪は罪として処理される。ただそれだけのことだと、冷たい声で告げられた。


 その瞬間、何かが決定的に終わった。


 こうして、ルベルトは死刑が決まったのだ。




♦︎




 処刑台の周囲は、朝から人で埋め尽くされていた。朝の空気は冷たく澄んでいるはずなのに、集まった民衆の体温と息遣いで、広場はどこか湿った獣舎のような匂いがしていた。人々は肩を寄せ合い、つま先立ちになり、ひとりの男の最期を見ようと視線を突き立てている。


 ───王太子から罪人へ。栄光の高みから、泥の底へと転げ落ちた男。


 その落差が、民衆の好奇心と残酷な期待を煽っていた。囁き声がざわめきに変わり、ざわめきは波のようにうねる。誰もが、処刑台の上に立つ見世物を待っていた。


 国王も、ヴィルヘルトも、エリシャも、この場に姿を現すことはなかった。

 公式には「必要以上に混乱を招かぬため」という理由が添えられていたが、実際のところ、誰もが分かっていた。彼らには、あの結末を直視する覚悟がなかったのだ。あるいは、直視する価値すら感じられなかったのかもしれない。


 だが───ロエナは来ていた。


 濃い色のマントに身を包み、深くフードを被り、顔の半分以上を影に沈めて。片手には、革張りの双眼鏡を握っている。人波に押されるふりをしながら、彼女はごく自然に、しかし確実に、処刑台がよく見える位置へと身を滑り込ませた。


 双眼鏡を覗けば、処刑台はすぐそこにある。木製の台は古く、乾いた血の染みが、いくつも重なった跡を残していた。洗い流されたはずの色は、木目の奥に沈み込み、まるで何度も同じ場所で命が断たれてきたことを、誇らしげに語っているかのようだ。


 やがて、鎖の擦れる音とともに、男が連れてこられるだろう。

 あの男───ルベルトが。


 ロエナは、誰にも聞こえないほど小さく息を吐いた。


(嗚呼、可哀想)


 その言葉には、涙も震えもなかった。ただ、淡々と事実を眺めるような響きだけがあった。


(誰も貴方の最期を見てくれないなんて)


 父も、兄も、かつて愛した人も、ここにはいない。いるのは、好奇心と憎悪と、処刑という娯楽に飢えた民衆だけ。彼らは彼の「死」を見に来ただけであって、「彼」を見に来たわけではない。


 ロエナは、そっと双眼鏡を握り直す。


(でも大丈夫。わたくしは、ちゃんと見届けるわ)


 その声は、胸の奥で静かに響いた。

 刃が振り下ろされる瞬間も、血が板に散る瞬間も、首が転がるその最後の瞬間まで。逃げ場のない結末を、最前列で観劇する観客のように、彼女は一瞬たりとも目を逸らすつもりはなかった。

 フードの影の下で、ロエナの瞳だけが、冷たく、ひどく澄んだ光を宿していた。


 やがて、鎖で縛られたルベルトが近衛兵に両脇を固められ、処刑台へと引きずり出された。その姿が現れるや否や、群衆のざわめきは一気に歓声と罵声に変わった。


「見ろ、これがあの王太子のなれの果てか」

「野蛮な犯罪者め、王家の恥さらしだ!」

「さっさと殺せ!首を飛ばせ!」


 彼らの口から吐き出される言葉は、憎悪と興奮にまみれ、唾とともに冷たい空気を震わせる。その中を、ルベルトは顔を上げようとしたが、鉄の輪が首に食い込むたび、苦しげに眉をしかめるだけだった。

 靴音が処刑台の上で鈍く響き、彼はギロチン台の前に立たされた。


 処刑人たちは何の感情もない動きで、彼を台へと押しつける。無骨な手で後頭部を押さえつけ、ルベルトの首を冷たい鉄の枠にかけると、重いギロチンの刃が微かに揺れた。


「それでは、刑を執行する」


 兵のひとりが、長い羊皮紙を高く掲げ、冷えた声で読み上げ始めた。


「罪人、ルベルト・バインベルクはエディノース家の令嬢ロエナ・エディノース嬢を毒殺しようとし、聖女であり次期王妃のエリシャ嬢をも手にかけようと謀った。また、魔国の果実を使い、国交を断絶させんと目論んだ。よって、これらの大罪により、罪人は斬首に処す!」


 最後の言葉が冷たく響き、兵がギロチンの蓋を静かに───だが容赦なく閉じる。


 民衆の熱に満ちた視線を全身に浴びながら、ルベルトは首に冷たい枠がかけられるのを感じる。無遠慮に押さえつける手の力が痛いほど強く、髪がざらついた木に押し付けられる。


 ───ルベルトは、処刑台の上から民衆を見下ろした。


 無数の顔。無数の目。期待と嫌悪と好奇心が、どろりと混ざった視線が、針のように肌に突き刺さる。かつて自分に頭を垂れていた者もいるはずなのに、今は誰ひとりとして、彼を「王子」としては見ていない。ただの罪人、ただの見世物として、口を開けて待っている。


 ───俺が、間違っていたのか?


 そんな考えが、遅れてやってきた痛みのように、頭の奥を掠める。

 ロエナを、きちんと愛せばよかったのか。

 それとも、エリシャに、もう少しだけでも優しくしていればよかったのか。

 正室の子だという立場に胡座をかかず、政治を学び、根回しを覚え、言葉を選ぶべきだったのか。

 兄を、あんなふうに見下してはいけなかったのか。


 問いは次々に浮かぶのに、答えはどれひとつとして掴めない。指の間から、砂のように零れ落ちていく。


 ……何も、分からない。


 胸の奥が、じわじわと冷えていく。

 だって、誰も教えてくれなかった。俺が間違っているなんて、誰ひとり、はっきりとは言ってくれなかった。叱られたことはある。嗜められたこともある。だが、それはいつも遠回しで、曖昧で、結局は「王子だから」で終わっていた。


 なんでだ。

 なんで、誰も言ってくれなかったんだ。


 ───お前は間違っている、と。

 ───そのやり方は、いずれ破滅する、と。


 そう言ってくれていたなら。

 そうしてくれていたなら。

 俺も、こんな場所に立たずに済んだのかもしれないのに。


 喉の奥がひりつく。唇がかすかに震える。声に出して叫びたい衝動を、歯を食いしばって押し殺した。


 その時、民衆の波の中に、見慣れた碧眼があった。


 ロエナだった。フードの影から、じっとこちらを覗き込む冷たい瞳。その色は冬の湖のように澄みきり、けれど凍りつくほど冷ややかだ。あの目は、何一つ感情を宿していなかった。憐れみも、悲しみも、後悔も。

 ───ただ、ずっとこの瞬間を待ち望んでいた熱だけが奥底に静かに燃えている。


 ルベルトの中で、何かが音を立ててひび割れた。

 ぞわぞわと肌を這うような怒りと、喉元を焼く焦燥感がないまぜになり、彼は思わず目を見開く。


 ───違う。


 ───違う違う違う違う違う!


 自分は間違ってなんかいない───そう言い聞かせるほど、胸の奥が冷えきっていく。


 ロエナのせいだ。

 あんな目で、俺を見るからだ。

 この女さえいなければ、俺は───!


 ───やはり!俺は間違っていなかった!


 俺の何が悪い!?


 俺はただ、欲しいものを手に入れようとしただけだ。


 愛せなかったのは、ロエナが悪いからだ。

 優しくできなかったのは、エリシャが弱かったからだ。

 誰も俺に本当のことなんか言ってくれなかった。

 俺は、悪くない。


(やっぱり、あんな女なんか、愛さなくてよかった!)


 胸の奥から湧き上がる黒い感情は、もうどうにもならなかった。民衆の歓声、処刑台のざわめき、全てが遠ざかり、ただロエナの目だけが、ルベルトの最後の瞬間まで焼き付いて離れなかった。





 ───ザシュッ。


 乾いた裂け目のような音が、空気を切り裂いた。次の瞬間、鮮血が霧のように散り、冷たい風に押されてロエナの双眼鏡のレンズを薄く汚した。赤は点となって弾き、すぐに重力に従って細い筋を描きながら垂れていく。その向こうで、群衆のざわめきが一拍遅れて押し寄せ、歓声と悲鳴が混ざり合った。


 ロエナは瞬きひとつせず、その光景を見届けていた。

 ルベルトの首が落ちたあとの身体は、糸の切れた人形のようにわずかに震え、やがて静止する。倒れた頭部の表情は、驚くほど穏やかだった。眉間の皺はほどけ、口元は力なく緩み、まるで眠っているかのように見える。


 ロエナは、ゆっくりと双眼鏡を目から外した。

 指先に伝わる革の感触と、レンズに付いた生温かい湿り気。そのわずかな重みが、今しがた起きた出来事を、はっきりと現実のものとして突きつけてくる。


 ───嗚呼、やはり、彼は最期まで変われなかった。


 自らを省みることを拒み、ただ己の欲を正義として押し通し、他者の痛みには目を背けた。愛されたかったのなら、愛されるに値する人間であろうと努めるべきだったのに。

 それすらできず、ただ支配を愛情と履き違え、拒絶を裏切りだと喚き、自分だけを正しいと信じてやまなかった。


 酷く幼稚で、救いようがない愚か者。


(そんな貴方を、誰が愛するというの?)


 最後まで、自分が間違っているとは考えもしなかった。自身の行いを省みる機会はいくらでもあったのに、耳を塞ぎ、目を背け、他人の声を聞こうとしなかった。


「そうやって───ずっと、自分だけが正しいと思える夢の中にいるといいわ」


 ロエナは目を伏せ、深く息を吐いた。


「……永遠にね」


 その声は誰にも聞こえないほど静かで、それでいて鋭く、冷たかった。






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