最終話「エピローグ」
春菜によって語られるエピローグ
「――」
「きた――わ」
「なつ――しい――」
私の耳に聞こえてきたのは誰かの話し声。
何を言ってるのかわからない、今まで聞いたこともい言語。
けれど意識が覚醒するにつれて、意味が理解できるようになるから不思議だ。
真っ白だった視界が次第に鮮明さを増してくいく。何度も掃除した床、高い天井、見覚えのある人影。
ああ、私は帰って来たんだ。
「久しぶりに見ても、やっぱりその……貧相ではありませんか?」
聞こえてますよ、ちゃっかり告げ口しないで下さい。グシオンさんだって私と大して変わらないじゃないですか。
「なによあのダサイ格好。上下グレー一色でダボッとしてて、ニホンって所はあんなのが流行ってるのかしら」
げっ!そういえば寝起きだった。仕方ないでしょ、これはスウェットです。
久しぶりに見る三人は相変わらず格好よく、貴族みたいに華麗で映画のワンシーンを見てるようだった。
なかでも――
三白眼の冷たい目、緋色の瞳、流れる銀髪、濡れるような唇、とびっきりの美貌を持った魔王。
「おかえり」
「ただいま!」
大好きな人からの呼び出しに、私は満面の笑みで応えた。
スッピンだったけど――
◆
イスラに帰還してから数日後、私は衣装室で服を選んでいた。
「デートのディナーをすっぽかしたお詫びに、二泊三日で南の島とは。サレオスも高い買い物をさせられたもんね」
「デヘヘヘ、羨ましいでしょ?私もまさか還った早々、そんなサプライズが待ってるとは思いませんでした」
「鼻の下伸ばし切って、だらしない顔ねぇ。けど、黒龍じゃそんなに荷物は積めないでしょ。別にして馬車で送るの?」
「大工さんに命じて背中に乗せる鞍を作らせたんですって。旅行鞄くらいの荷物は余裕だそうですよ」
「ふーん。それなら服も色々持って行けるわね。いいわ、私からアンタにプレゼントよ」
ヴィネアさんはテーラーバッグのような大きい袋の中から、何点かの服を取り出す。
「おお、これ新作ですか?これはキュロットスカートで、こっちは……アオザイに似てるな」
「南東の島に行くって聞いたからね。あっちは熱いくらいだから、薄手の服も必要でしょ。アンタのことだからどうせはしゃいで動き回るんだろうし」
たしかにキュロットなんか、見えちゃう心配もなくてありがたい。毎度のことだけど、この人は服に関しては恐ろしく気が回る。
「ねえ、この服ってもしかして前に言っていた?」
「そうよ、私が立ち上げたブランドの試作品。これからはただ綺麗で可愛らしいだけじゃなく、活動する女のための服が必要になる。アンタを見て思ったの」
「いやあ、そんな私のお陰なんて言われると、ちょっと照れるなあ」
毎日忙しく働く私の姿を見てイメージを膨らませていたなんて。知らない間にファッション魔人から高く評価されたもんだ。
「なんであんたが照れるのよ。別に褒めてないじゃない」
「え?でも今私から着想を得たって」
ヴィネアさんは両手を大げさに広げ、やれやれポーズを取る。やっぱり、何度やられても腹立たしい。
「なにを勘違いしているんだか。アンタの超絶ダサい格好を見て、働く女を啓蒙していかなきゃいけないって気付かされたのよ。言うならば悪い見本と言ったところよ」
「ムッ、自分で言うのも何だけど、最近の私は悪くないはずですよ。アミーさんだって褒めてくれるし」
「お呼びになりましたか?」
クローゼットの中で作業をしていたアミーさんが、ひょっこり顔をこちらに覗かせた。
「アンタのファッションが改善されたのは、私が用意する服と、アミーの見立てのお陰なんだから、図に乗るんじゃないわよ!」
辛口評価をオネエがするのは世界共通?けれど、今日のヴィネアさんはふいに穏やかな顔をする。
「でもね……今のアンタなら、サレオスの横に立つのも悪くないって、そんな気もするわ。出来の悪い妹を持った姉の気分て、こんななのかしら」
「姉?ですか」
いいことを言ってくれているのに、ツッコミどころが多くて素直に喜べない。でも、確かにこの人に世話を焼かれ続けたことは事実で、それなのに私はまだちゃんとお礼を言ったことがない。
「ヴィネアさん、私――」
「だからね、精々捨てられないように女を磨きなさい」
殊勝にお礼を言いかけるのを余所に、ヴィネアさんは傍らに置いてあった鞄の中からピンクの布を取り出す。
「まさかそれ……」
一枚一枚丁寧にテーブルの上に並べられていくのは、色とりどりの下着たち。私は必死になって止めに掛かる。
「いやいや、全部有り難く頂戴するから。どれを持っていくかここで選ぶなんて、さすがに恥ずかし過ぎでしょ!」
「何言ってんのよ!ちったあ私にも女同士の会話を楽しませなさいよ!全部無償で提供してやってんじゃないの!」
「逆ギレするなあ!あんたは女じゃないだろ!ていうか、このやり取りは以前もしたはずです!」
断固拒否。見ていい人は一人しかいない。
「いいではありませんか。私もお手伝いしますよ」
アミーさんはいつの間にか私の背後に回り込んで肩を掴む。どこまでが本気
(多分全部なんだろうけど)わからない二人に身の危険を感じ、私はひったくるように服を奪って衣装室から退散した。
◆
「指示は出しておきましたけど、あの子達はとっくに一人前ですから心配ありません」
執務室でグシオンさんと仕事の打ち合わせ。でも何故か――
「確かに。コボルトはあなたが帰還中も、滞ることなく仕事をしてくれていました。ですからあなたは三日と言わず何日でも、休んでもらって構いません」
ちょっと不機嫌?誘拐された不始末はもう許してくれたはずなのに。
「そんなつれないこと言わないで、何かお土産の希望とか――」
「必要ありません。私のことは忘れて、どうぞ楽しんで来なさい」
言葉の端に棘を感じるのは気のせいか。
「なんか、怒ってます?」
「はあ?何故私が怒らなければいけないんですか」
グシオンさんが感情を表に出すとしたら、それはサレオスさんに関わることに決まってる。普段は冷静沈着、凛々しい顔をした彼女が見せる弱点。それはなんだかとっても人間(?)臭く、今では好ましく思える。
私は以前から尋ねたかったことを口にする。
「グシオンさんは何で苗字で呼ばれてるんですか?」
「なんですか藪から棒に。以前話したでしょう、王族としてサレオスを支え仕事をしていく上で、女であることは不都合。あなたの世界ではどうか知りませんが、ここはそういう場所なのです。それに――」
「それに?」
「私の名前は言いにくい」
「それは否定できません……。けど、仕事をしていく上でっていうなら、大丈夫ですよ!サレオスさんの魔王城は、そんな場所じゃなくなります」
「フン、当然です。サレオスこそ真の魔王、彼はいずれイスラとこの世界を変える存在なのですから」
鼻高々とは多分こういう顔を言うんだろう。
「プッ、あははは!ホント、グシオンさんて魔王さんが大好きですよね」
「私のサレオスへの忠義は、あなたのようにぷよぷよとしてませんから」
「なんです、その柔らかそうな擬態語は。私のお腹を見て言わないでくださいよ」
サレオスさんのために出来ることなら何でもする。多分、グシオンさんも同じことを考えたに違いない。もしかしたら彼女が選んだ道は私よりも遥かに困難で、サレオスさんの力になれるやり方なのかもしれない。
そんな気持ちを女としての私の目線で量ることは、とても失礼なことのように思えた。だから私もグシオンさんがその立ち位置にいる限り、詮索したり嫉妬したりすることはしないでおこう。
「ミュルミュールさんて、呼んでもいいですか?」
「あなた――」
グシオンさんは口を尖らせそっぽを向いてしまった。
「言い辛いから、ミュールでいいですよ……ハルナ」
私は彼女の頬が少しだけ赤いことを見逃さない。
「フフ、そういうのをね、私のいた世界ではツンデレっていうんですよ、ミールさん」
「ミールじゃなくて、ミュールです!なんですか、ツンデレって!」
「はは、本気出されたら凄い強敵になりそうなんで、出来ればそのままでいてくださいね」
調子に乗り過ぎて彼女の結界が発動しないよう、私は早々に執務室を退散した。
◆
夕方。私はプライベートダイニングで二人きりの食事を終える。
サレオスさんは仕事が忙しいにも関わらず、魔王城の隣にある政庁にいる時はほぼ毎日、わざわざ仕事を抜け出して私との時間を作ってくれていた。
「俺は戻って残っている仕事を片付ける。明日は朝食を取ったら出発だ。迎えを寄越すから部屋で待っていてくれ」
「分かりました。お仕事がんばってね」
「ああ、行ってくる」
なんて言っておきながら、私は部屋を出て行こうとするサレオスさんに近づき、ちょこんと手に触れる。彼は私の頭優しく抱き寄せ、頭に口づけをしてくれた。
明日の朝まで少しの時間会えないだけなのに、離れているのが寂しい。我ながら情けないことではあるけれど、日本に帰ってからずっとビタミンSが不足している日が続いているので許して欲しい。
ちなみに帰還した日はどうだったというと『疲れているだろ、今日はゆっくり休め』と、心優し過ぎる配慮。正直、期待していなかったといえば嘘になるだけに『え?』と物欲しそうに手を出してしまった。
恥ずかしい……。
その翌日には旅行のことを告げられ、以来、謎のお預けが続いている。そして『ああ、今日もかあ』と、肩を落とすと――
「そんな顔をするな、明日は可愛がってやる」
――耳元で囁かれた。
私の耳は導火線になって体に火を着け、恥ずかしさで思わず飛び退いてしまう。サレオスさんはそんな私の反応に満足したのか、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべてダイニングを去って行った。
このドS魔王。
でもそんなところも大好き。
「高度な楽しみ方をしているねえ、さすがは魔王様だ」
給仕をしてくれていたフールルさんが、食事の後片づけをしながら納得した様子でうんうんと頷いていた。
「『楽しみ方』ってどういう意味です?」
「おや、お嬢様も承知しているもんだと思ったけど、案外ウブなんだねぇ」
フールルさんは実に楽しそうだ。私は後片付けの手伝いをしながら説明を聞く。
「だって、これは二人の初夜に向けて焦らして、気持ちを高ぶらせようっていう遊びの一環じゃないか」
「そ、そそそ、そんな初夜って、露骨ですよ!隣にはバアルさんだっているんですから、聞こえたらどうするんですか」
隣接する配膳室からは、料理の片づけをする物音が聞こえる。思わず小声になって尋ねる。
「ていうかなんで初夜って知ってるんですか!」
「そんなの、お嬢様の態度を見てればまるわかりじゃないか!体から女の匂いをプンプンさせちゃって、私が男ならこの場で押し倒してるよ」
「プンプンなんてさせてませんから!」
それじゃまるで欲求不満みたいじゃないか。まあ、否定はできないけれど……。私は脇に鼻を突っ込み自分の匂いを確認する。うん、お風呂上りのいい匂い。
「かっかか、お嬢様はあの魔王様を見事に落したんだから、もっと誇っていればいいのさ」
「『落した』なんて……いやあ、やっぱりそうですか?」
ごめんなさい。謙遜しようとしたけど無理でした。こればかりは自分を褒めてあげたいです。
「そうだよ!イスラ中の貴族や庶民、若い娘が憧れる魔王様だよ?女冥利に尽きるってもんだ。私だってあと十年若けりゃ、ねえ?」
「いやいや、『ねえ?』じゃありませんから」
エキドナは女性しか存在せず、色んな種族と交配して子を産むことが可能らしい。だからって、そんなおっぱいで参戦されたら堪ったもんじゃない。
「おい、ババァ!てめえは何を言ってやがる、さっさと食器を持ってこい」
配膳室から顔を出したバアルさんが、額に血管を浮かべている。
「あら、まさかヤキモチでも焼いてるのかい?よしなよ、年甲斐もない。愛に人種の壁は無いけど、あんたとお嬢様じゃ並んで歩いただけで討伐案件だ」
「ゴバッ!訳わかんねえことを言ってんな!お嬢ちゃん、あんまりコイツの言うことを間にうけちゃあいけないぜ」
怒ったバアルさんがのっしのっしとフールルさんに歩み寄ると、鞭のようにしなる尻尾が襲い掛かる。こんな光景を最近よく目にする。二人は案外お似合いと思う。
初めてサレオスさんと本格的な喧嘩をした時、二人には凄く励まされた。
あの時『サレオスんさんが使用人達へ持つ心底にある不信』を払拭させたいという、私が抱いた願いはまだ達成された訳じゃない。それは時間が掛かることだということは分かってる。
でも、この二人を見ていれば、城のみんなを見ていれば、絶対に叶えられるって信じてる。
「私バアルさんのこと大好きだよ、もちろんフールルさんも」
バアルさんは尻尾を掴もうとする腕を止め、フールルさんは尻尾を私の体に優しく巻きつけて、二人は優しく微笑んでくれた。
◆
「じゃあ、トウマ後のことは任せるね。サハリは花壇の水やりお願い」
「はい、お任せください」
トウマが二つ返事で頼もしく応え、サハリは寂しそうに私の脚に尻尾を絡ませる。たった二泊三日で留守をするだけなのに、わざわざ見送りに来てくれるなんて、私もご主人様として慕われたもんだ。
魔王城で掃除をするコボルトは日増しに増えて、今では総勢50人近い。
私の立ち位置も以前とは結構変わって、事務処理や業者とのやり取り等で現場に入らない日も増えてきた。サハリなんか最近では私の秘書みたいになって、掃除以外にも色々と雑用を手伝ってくれている。中々に有能な子なのだ。
「ご主人様……」
「なあに?」
そんなサハリが何か言いたそうに私の袖を引っ張り、内緒話をするように口に手を添える。何事かとしゃがみ込んで耳を傾ける。
「二人っきりのお泊り、頑張ってください」
「サハリお前もか!」
姪っ子のようなコボルトから奮起を促される私って何なんだろう。そんなに頼りないのかとちょっと凹む。
「話は済んだか?そろそろ出すぞ」
「うん、お願いします」
今日のサレオスさんは普段と違って軽装。シャツにジャケット、細身のパンツにサングラスというスタイルで――
イタリア人か!
――って言うぐらいに、フェロモン的なものが滲み出てる。とにかく格好いい。
「どうした変な顔をして?」
「してません、地顔です!見惚れていただけです。」
「随分とハッキリ言う様になったじゃないか」
「そ、そりゃあ私だって、ウブな乙女ってわけじゃあないですから」
「そうか、それは楽しみだな。じゃあ、出発するとしよう」
楽しみってなにが?
私はコボルト達に手を振られながら旅立つ。
サレオスさんは私の手を取り、龍の頭をクレーンのように使って背中に上がる。そこには既に馬車と同じような、雨風を凌げる大きな籠が載せられていた。四方には車の運転席と同じで見通し用に窓も設けられている。
「しっかりした足元と壁があると、安心感が違いますね」
「龍には多少窮屈な思いをさせるけどな。少し我慢をしてもらおう」
籠の中には二人掛けの椅子が置かれているけれど、本音を言えば前回のサレオスシートにして欲しかった。
サレオスさんを背もたれにして、私が抱き着くように胸に納まる。極上のクッションで匂いも最高、前回がファーストクラスなら、今日はエコノミー席だ。
でも、それじゃあサレオスさんが疲れちゃうから、我慢しよう。
「出すぞ、捕まっていろ」
「うん」
二人で並んで腰かけると、龍が大きく羽ばたきを始める。
龍は馬車と違い手綱を引かなくても、サレオスさんの意志に従って動いてくれる。飛び始めは大きく揺れるので、天井からは吊り革が下げられていた。私は左手でそこに掴まりながら、もう片方の手を行ったり来たりさせる。
くっ付きたい――
まさか本当にお預け作戦じゃないだろうけど(多分)、ここしばらくは二人っきりになれた例がない。
ようやく個室で二人気になれたんだ。手を触れて、胸に顔を埋め、匂いを嗅いで、思いっきりイチャイチャしたい。不足しているビタミンSを補給してあげないと体が干からびてしまう。
「飛行中は龍に動揺を与えてしまうからな」
「え?」
私の考えを見透かしたような言葉に、伸びかけた手がビタッと止まる。見ていないようでしっかり見ているのだ。やっぱり運転の邪魔をしちゃいけませんよね。
「だから、これくらいにしておけ」
サレオスさんは左手を私の頭に宛がい、くいっと軽く引っ張る。体が傾いて、頭が肩に着地した。
「へへへ」
嬉しくって、照れくさくって、なんだか笑えてくる。私は吊り革を掴んでいた手を離し、両手を彼の腕に巻き付けた。しっかりと筋肉が付いた、太く逞しい腕の感触に私の体は熱くなる。
「凄く落ち着く……」
「そうか、よかったな」
「ん」
窓の外、水平方向には青い空と雲しか見えない。はしたないとは思いながらも、私は顎を突き出し目を閉じて、キスをおねだりする。サレオスさんが覗きこむように顔を近づけ、湿った柔らかな唇が私にそっと触れる。
「今はダメだって言っただろ」
そう言うとすぐに顔が離れ、代わりに指先が唇に宛がわれた。いけずなのか優しいのか、仕返しをするように指に軽く噛みつく。
前言撤回。今日のフライトもファーストクラスだ。サレオスさんが隣にいてくれるなら、それだけで最高の席になる。
◆
「着いたぞ、あの島だ」
「どれどれ」
窓に顔を近づけると、龍がゆっくりと旋回を始めて眼下に海が広がる。上空から見るとコの字になった小さな島に、幾つもの白い波がゆっくりと押し寄せていた。
私達は小高い丘の上に龍で降り立ち、すぐ側にポツンと建つ小さな家に向かう。木造平屋の家屋は周りを取り囲む塀も無く、大きな窓や扉が開け放たれてとても開放的な印象だ。
「可愛い家ですね。屋根が葦葺きで風通しも良さそう。如何にも南国の家って感じ」
「気に入ったか?」
「うん、とっても」
サレオスさんが外から声を掛け、私たちは家の中に入る。リビングで初老の夫婦が私たちを出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ旦那様。遠路、お疲れ様でございました」
「世話になるぞ」
赤銅色の肌と、顔に刻まれた深い皺。いかにも海辺の人らしいおじさんが慇懃に頭を下げた。
「奥様、お荷物をお持ちしますよ」
おばさんは柔和な物腰で私の手にしている荷物を持ち、家の奥へと消えていく。
「お!奥様って!」
驚いて目をぱちくりさせながらサレオスさんを見ると、『沈黙』を促す様に、人差し指をピンと立てた。
「庭に出て見ろ。海が見えるぞ」
「あ、うん!」
サレオスさんに連れられ薄暗い家の中を抜けていく。
リビングの横にはキッチンと並んでいて、他に浴室と部屋が一つ。外からの見た目通り家の間取りは小さい。私は寝室を確認しようと覗き込み、声を上げて固まる。
「こっ!これ!」
部屋のど真ん中。蚊帳を天蓋のように吊るし、キングサイズはある大きなベットが白いシーツも眩しく存在を主張していた。
「あら、お荷物はここでよろしかったですね。奥様?」
寝室にいたおばさんが首を傾げながら、固まった私に声を掛けた。
恥ずかしい、恥ずかしくって嬉し過ぎる。
だって、部屋にベットは一つ。つまり今夜はサレオスさんと二人っきりで過ごすわけで……。そんなことを想像すると顔がくちゃくちゃになってしまう。おばさんへの返事もそぞろに、そそくさとその場を立ち去った。
出入り口も兼ねた大きな窓から庭に出る。薄暗い屋内に目が慣れていた私は、南国の強い日差しに目を細める。
「これは――どこのリゾートですか!」
庭に作られた広いデッキには寝椅子が置かれ、大きな葉っぱの木が優しい影を作る。庭の先は急斜面へと繋がり、パノラマで広がる青い海と、白い砂浜が目に飛び込んだ。
まるで旅行雑誌の宣伝写真みたい。本州から出たことがない悲しい私は、初めて目にする光景に浮き立ち――
「ここは一泊お幾ら万円なのかしら」
などと、つい生臭い考えを口にして、サレオスさんに笑われてしまった。
「何泊しようとタダだぞ」
「は?今なんと?」
「この家を含めて丘全体を買った。自分の家に寝泊まりして、金を取られることはない」
無料より高いもは無い?すると、一泊数千万からそれ以上?
たまに忘れてしまうけど、この人は王族。超大金持ちだった。つまりは見渡せるこの丘そのものが所有物。そのデタラメさに軽い眩暈を覚える。
「中途半端な時間だな。小さな農村や漁港しかない島でも、馬車でどこかに向かうには少し遅い。そこの崖から海に降りてみるか」
「賛成!」
太陽は傾き始め、地面に伸びる影は実際の背丈を超えている。サレオスさんは実に自然な動作で私の手を取って歩き始めた。そういうスマートさに、いちいち感動しては頬を染めてしまう。
階段を下りていくと、海から吹く湿った風が服をばたばたと巻き上げる。
「あ、そうだ!さっき、おばさんが私のこと『奥様』って!」
「魔王の身分じゃ面倒だからな。俺は田舎の領主ということにしてある。ハルナのことは何も伝えていないが、まあ普通に考えればそうなるか」
「『そうなる』って、どうなるの?」
おおよそ想像は着くけど聞いてしまう。この辺りは女の性か。
「お忍びで連れてきた愛人。管理の夫人はそれを察し、あえて『奥様』と呼んで機嫌を取った。そんなところだろうな」
「ええ!私、お妾さん扱いですか!正妻って思われてないんだ……」
ショックだ。期待した応えの斜め下を行っちゃってる。
「ん?『正妻』がどうしたって?」
サレオスさんはそんな私の反応に、例によって口元を歪めた。だけどこれは意地悪過ぎだ。乙女心を傷つけられて、私は繋いでいた手を離し、急ぎ階段を下りようと距離を取る。
けれど、彼はそんな私の手を掴んで引き留めた。
「機嫌を直せ」
「……」
むすっとする私の頬に、サレオスさんの手がヒンヤリと触れる。
自分で尋ねておきながら、意地悪な答えにヘソを曲げて不機嫌になるなんて。我ながら甘えすぎだと呆れるけれど、この旅行中くらいは許してもらおう。なにせこれはデートの穴埋めなのだ。
「俺は妾を取ったりしないし、ハルナをそんな風に扱ったりしない。言っている意味がわかるな?」
「……うん」
サレオスさんは私の額に口づけをし、優しく胸に包みこんでくれた。私の傷は一瞬で全快する。
◆
海まで降りると風が弱まり、寄せる波の音が静かに響いていた。浜の砂はとっても白くてキメが細かい。当たり前だけれど、砂浜にはプラスチックのゴミなんて一つも無い。
「海水浴客なんて誰もいない!完全なプライベートビーチだー!」
「海水浴?なんだそれは」
いそいそと靴を脱ぎ出す私に、サレオスさんが首を傾げた。
「あれ?したことありません?夏に海で泳ぐの」
「何のために?」
「なんのって……楽しいから?」
「ふーん。ハルナの世界ではそんな習慣があるのか」
「え!こっちじゃ誰も海で泳いだりしないんですか?」
「水練や漁で入ることはあるだろうが、遊びで泳ぐってことは聞いたことがない。まあ、他国ではどうかしらないけどな」
「ふーん、意外。こんなに綺麗な海があるのに勿体ない」
「それで、お前は何をしてるのかな」
「何って、波打ち際で戯れようかと」
文化が違うのか、身分が違うのか。サレオスさんは不思議そうな顔をしている。
「サレオスさんもやろ?」
手を差し出すと、一瞬考える素振りをみせたものの靴を脱いだ。私が引く波を追い掛け、寄せる波から逃げていると、サレオスさんが合流する。
「ほらね?楽しいでしょ!」
逃げ遅れた私を波が襲い、白い泡が足の甲をくすぐりながら流れ去る。サレオスさんはタイミングよく飛び退け、着地をしてから私を見て楽しそうに笑う。
「ああ、そうかもな。明日は『海水浴』してみるか?」
「うん、いいね!」
けれど私は大事なことを忘れていた――
「どうした、変な顔して」
「だって、私水着を持ってこなかったんだもん」
正確には『水着そのものが無くって持ってこられなかった』だ。なるほど、海水浴の習慣がなければ、さすがのファッション魔人も作ろうとは考え付かない。
残念がる私にサレオスさんは――
「裸で泳げばいいだろ」
「はい?」
まったくの真顔で、本気か冗談か分からない提案をしてくる。
「誰もいないって、お前がさっき言ったろ」
「いやいやいや、そういうことじゃないでしょ。だって……」
誰もいないんじゃない。他ならぬあなたがいる。
「俺は見て見たいぞ。ハルナの裸」
「そ!」
そんなにハッキリ!でもそう言われると悪い気はしない。というか正直嬉しい……。でも、やっぱり恥ずかしいことに変わりはないわけで、頬を染めてしまう。
サレオスさんは獲物を仕留めるように様にこちらへ迫る。
「お前は俺の裸を見たくないのか?」
「そ!」
そお来ますか!なにそのストレートな質問!見たいよ!これまた正直見たいです。だからって、そんなこと言えないよ。いやでも屋外で裸で過ごす文化もあると聞いた覚えも――思考が駆け巡り、疲れ果ててうな垂れてしまう。
「どうなんだ?」
サレオスさんは私の手を取って、腰を抱き寄せながら優しく尋ねて来た。だからって答えられない。
「答えるんだ」
今日のサレオスさんは優しさもS気もマックスだ。俯いている私の顎をクイッと上に向けさせる。さすが魔王、攻め方が容赦ない。緋色の瞳に見つめられ思考を放棄する。
「見たい……」
はい、敗北。
サレオスさんはとても嬉しそうに笑い。私の頭を抱き寄せた。
◆
陽が暮れて、管理人夫妻の用意してくれた食事を済ませる。私たちはデッキに出て、椅子に寝転んで海から吹く涼しい風に当たる。私はサレオスさんが注いでくれるワインに口を付ける。
「それで、久しぶりに会った母君の様子はどうだった?」
「最初は泣かせちゃった。こんなに心配掛けてたんだって反省。でも直後は怒り心頭でお説教が始まって、今度はこっちが泣いて平謝りする番だったよ」
「それは、大変だったな」
サレオスさんは愉快そうにワインを飲む。
「む、半分以上は私を異世界に召喚した、サレオスさんに責任があると思うんだけどなあ」
「確かにな。でも、選んだのは自分だろ?」
「それはそうですけど……」
しれっと返された。
――勇者一行に誘拐される事件が起きてから数日後。私は全てを清算するために、一度元の世界へ帰った。
日本で私を待っていたのは失踪扱い。帰還したのは清掃会社の裏庭。その足で社長に挨拶へ向かうと危うく110番通報されかけた。別に事件として扱われていた訳ではなく、警察が捜査をしていなかったのは幸いだ。
それから私は『借金取りから逃げるために身を隠していた』と偽り、方々への謝罪と身辺の整理に明け暮れた。口の中に入れて僅かに持ち帰った金貨を換金し、奨学金の返済を終える。引き留めに掛かる清掃会社の社長にはっきりと辞意を伝えた――
「母君になどう説明したんだ?」
「うん、本当のことを話した。お母さんにだけは嘘付けないもん」
「……そうか。お前一人に押しつてしまったな。すまない」
サレオスさんは胸に手を当て静かに目を閉じた。その仕草には真心が滲んでいた。私は初めて彼が謝る言葉を聞かされ、嬉しくて申し訳なくて、全力で頭を振って否定する――
クラッときた。
「サレオスさんが謝ることじゃないよ。私が自分で決めたことなんだから」
そう。私はイスラに、魔王城に永住する決心をした。それはひとえに、愛する人の、サレオスさんの側にいたいから。
「それでね、また異世界へ旅立つことを説明したんだけど、お母さんったら『あんたパスポートなんていつ取ったのよ』って。見当違いを言うの」
「パスポート?」
「あ、私たちの世界ではよその国に行くとき、特別な身分証が必要なの」
その後、何日も掛けて親子喧嘩すれすれのやりとりで説明を続けた結果、母は「事情はわからないけど、娘は地の果てに命がけで旅立つらしい」という認識を持つに至った。テンションのおかしくなっていた私と母は、号泣し抱き合って別れを惜しんだ。
「感動的な別れだな。だが、お前は一つ勘違いをしていないか?」
「勘違い?」
「里帰りしようと思えば出来るんだぞ?現にこうしてお前は――」
「……そうだ!私、行って帰って来たんだ。じゃあ、『実家に帰らせて頂きます』も出来るんだ!あの時の私の涙はいったい」
「お前……そんなこと考えてたのか?」
「いやいや、考えてないよ。今のは言葉のあや」
そうだ。私はもう異世界に移住する覚悟をしたのだ。
「でも、その後が大変だったんだから。その後いっくら待ってもサレオスさんたら召喚してくれなくって」
「それは仕方がないだろう。お前の準備がいつ済んだのか、知ることは出来ないんだ。十分に時間を取って召喚しなければ」
「まあ、そうか。でも、お母さんは『娘は立の悪い男に騙されたらしい』って考え初めて、私はわたしで大泣きして別れを済ませた以上気まずくって――」
「俺は詐欺師か!母君は面白いことを考えるな」
サレオスさんは声に出して笑った。こんなに大笑いするのは珍しい。もしかして初めてかも。
「もう、笑いごとじゃないよ。、なんとも気まずい実家生活を余儀なくされていたところだったんですよ?」
「お前は本当に面白いな。一緒にいると飽きないよ」
「そう思うんなら、ずっと一緒にいたらいいんじゃないですかね?」
私はここ数日のお預けに対する抗議と、これからへの期待を言葉に込める。
本当はもっとちゃんと言えたらいいけど、恥ずかしくってつい婉曲させてしまう。私は多分赤くなっているであろう顔を誤魔化すように、とっくに見えなくなっている海の方へ顔を向ける。
「俺と一緒にいたいのか?」
「もう!聞いてるのは私の方ですよ。それに……こういうのは男の人の方からいうのがマナーなんです。私の国ではそうなんです!」
うん?まあ大嘘とは言えないだろう。やっぱりサレオスさんの口から聞かせて欲しい。目だけ動かし彼の顔を伺うと、口元を緩めるのが見えた。
「分かったよ――俺とずっと一緒にいろ」
「うん!私サレオスさんと一緒にいる!」
「……やり直し」
「へっ?」
満面の笑みの私の答えに、サレオスさんは物調面で返事にダメ出しする。
どうして?
「『さん』を付けるな。せめて二人きりの時は俺を呼び捨てにしろ」
そう、通いの管理人夫妻はとっくに漁村の家に帰った。つまり、この家には私とサレオスさんの二人きりなのだ。
「ま、魔王様を呼び捨てって」
「俺はお前の名を呼び捨てているぞ。それとも他人行儀に敬称を付けて欲しいか?それに、ヴィネアやグシオンに出来ることが、どうしてお前に出来ない?」
「ムッ」
流石に私の扱い方をよく分かっていらっしゃる。ヴィネアさんはともかく、同姓のグシオンさんを引き合いに出されたら負ける訳にはいかない。
「わかった――」
意を決して立ち上がり、サレオスさんを正面から見据える。
火照った顔を潮風が優しく撫で、私の緊張は拭い去られる。
「サレオスが好き。意地悪なところも、優しいところも、いい匂いがするとこも、すんごいイケメンなとこも、実は寂しがりぽいとこも、全部好き。だからずっと一緒にいる」
どうだ、全部言ってやった!
私の言葉に、サレオスは素の顔になって、すぐに後ろを向いてしまった。
むむん?こんなリアクションを見せたことは確か前にもあったはず。乙女にここまで言わせておいて、スルーを決め込もうとはいい度胸をしている――
もしや!
直感が沸き起こり、私は彼が座る寝椅子を飛び越え、向こう側に着地して顔を覗き込む。
そこには少年のように無邪気に笑うサレオスの素顔があった。咄嗟に顔を隠そうとするけどもう遅い。私はしっかり目撃済みなのだ。
「お前!」
「魔王様って、随分可愛く笑うんですね」
サレオスは頬を染めて立ち上がり、何ごとかを言い掛けたけど、すぐに口を閉じて黙り込む。
可愛い。その仕草が愛しくて、私はたまらずに彼を抱きしめる。
「隠さないで。サレオスの素顔が見れて、嬉しかったよ」
「やられた。お前の勝ちだな」
「1勝99敗だよ」
「……いいや、すぐに100敗だ」
私の足に腕が回され、軽々と体を持ち上げられる。いわゆる『お姫様抱っこ』だ。
「もしかして?」
「もしかする」
「お仕置き?」
「お仕置きだ」
「うん、わかった」
私達が初めてキスを交わした夜の続き。私が首に腕を回すと、サレオスは寝室へ歩き出した。
終
お読み下さりありがとうございました。恋愛物は初めての経験です。
「魔王城だって掃除をする人はくらいいるでしょ」ということで始まりました。
少しイチャイチャが足りなくないか?と思いましたが、最後にやらかしてくれました。
語られなかった物語はありますが、またの機会を願っています。
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