帰還
「ハルナ、魔王城が見えて来たぞ」
龍が滑空姿勢でゆっくりと高度を下げていく。春菜はサレオスのコートの中から顔を出し、風圧に目を細める。遠く、魔王城にオレンジの陽の光が当たり、長い影が丘の方まで伸びているのが見える。
「今って、何時くらいなんですか?」
「お前が城を出たのは一昨日の早朝。今はそれから二昼夜経った夕方だ」
「うーん、じゃあ私は二日半も城を空けてたことになるんだ」
森で意識を失ってから、随分と眠らされた気がする。記憶や時間の感覚が曖昧なのはそのせいか。
龍はみるみる内に魔王城へと近づいて行く。相当なスピードで飛んでいるのは確かだ。それでも丘を発ってからかなりの時間が経過している。
「サレオスさん、さっき私たちが居た場所って」
「イスラの外れ。国境に近い場所だ。どうやってあそこまで移動したかは知らないが、逃げることまで考えてのことだったろうな」
(この龍にも驚いたけど、意識の無い私を運ぶのも凄いな)
勇者が六日で大陸を移動するというのも、誇張ではなさそうだ。
龍が降下を始めると顔に当たる風が強まる。春菜は再び顔をコートの中に顔を引っ込め、サレオスの胸に顔を埋めた。
(この幸せな時間も、もう終わりか)
僅かな時間、温もりを惜しみながらサレオスの心臓の音を聞いた。
魔王城の前庭に龍で降り立つと、辺りは騒然となった。上空にいる龍の姿を確認した歩哨が、慌てた様子で城内に駆け込んで行き、二人は多くの兵や使用人に出迎えられた。
「なんか、大騒ぎになっちゃってますね」
「誰のせいだと思ってるんだ?」
「え?私のせい……ですよね、やっぱり」
春菜の帰還を笑顔で喜ぶ者、巨大な龍を驚いて見上げる者、辺りは騒然としている。
「ご苦労だったな。お陰で助かったぞ」
サレオスが右手を翳して語り掛けると、龍が首を回して巨大な頭部を近づけた。
黒曜石のように光る鱗に覆われた頬を、サレオスは優しく撫でてやった。龍は人の頭部くらいはある目を細め、嬉しそうに喉を鳴らす。その音はまるで上空で轟く雷のようだ。
(あ、ちょっと可愛いかも)
春菜が真似をして腕を伸ばすと、龍はスッと頭部を遠ざけてしまった。
「なんでー、私にも撫でさせてよ。お礼言いたいのに」
「こいつにも好き嫌いがあるんだろ許してやれ」
「それはそれで傷つくんですけど……まさか!」
春菜は龍の全身を見廻す。しかし、どこをどう見たところでオスかメスかわからない。蛇や蜥蜴と同列に考えるのはどうかと思うけれど、よく考えてみれば春菜には爬虫類の性別だって判別つかないのだ。
「ねえサレオスさん。この龍の性別は?」
「女だ」
『雌』と言わないのは、龍を人になぞらえてのことか。そう考えると、頬を撫でられたのが羨ましい。
「やっぱり……種族を問わずに異性からモテるの、止めてもらえませんかね?」
「何をいっているんだお前は」
サレオスが再び龍に手を翳した。徐々に体がぼやけて始め、やがて完全に龍は姿を消す。遠巻きに見ていた人々から驚きの声が上がる。
「サレオス!ご無事ですか!」
息を弾ませながらグシオンが城内から現れた。普段冷静な彼女が焦る様子を見せるのは珍しい。
「ああ、俺もハルナも怪我はしていない」
グシオンは安心したように大きく息を吐き、肩の力を抜いた。しかし、すぐに姿勢を戻すと、今度は眉間に皺を寄せ春菜を睨み付ける。
何を言いたいかは十分わかっている。春菜は深々と頭を下げる。
「ごめんなさい!私の我が儘な行動のせいでみなさんにご迷惑と心配をお掛けました」
グシオンは何も言わず、ただ怖い顔をしたままだ。
「そう責めてやるな。今回は少々相手が悪かった。ハルナには俺がちゃんとお仕置きをしておく」
「お、お仕置きってそんな!」
まるで子供を扱うような言葉に、春菜はガックリうな垂れる。
「サレオスはその子に甘すぎます!きつく言い聞かせて下さい」
「ああ、分かった分かった。だがな――」
感情を露わにするグシオンを、サレオスが苦笑しながらなだめる。しかし、途中から詰問するような口調に変わる。
「――お前も俺に言うことがあるんじゃないか」
「何のことでしょうか?」
「惚けるなよ。お前ハルナが浚われたことを、あえて緊急報告に盛り込まなかったな」
「はい。その必要はないと判断しました」
「何故だ?」
二人の間に沈黙が生まれ、ピリッとした空気が漂う。春菜が言葉を挟もうとした時、グシオンは後ろを向いた。
「どうせ……私が伝えなくとも分かるんでしょう。サレオスとその子は繋がっているんだから」
「お前なあ……」
拗ねたような、甘えたような態度で答えるグシオンに、サレオスは珍しく困った様子で言葉を詰まらせる。気の置けない二人のやり取りに、春菜は堪え切れなくなって咄嗟に口を手で押さえる。グシオンがムッとした様子で詰め寄る。
「あなた、今吹きだしましたね?笑いましたね?」
「そ、そんなことないです!グシオンさん可愛いなーなんて思っていませんから」
「い、いい度胸ですね。大人の女をからかうとどうなるか教えて差し上げましょう」
指先に小さな幾何学模様が展開されていく。
「や!それ、反則ですよ!何をする気か知らないけど、むしろ大人気ないですよ!サレオスさんからも何か言って上げてください」
「お前達、なんだか仲良くなったか?いいことだ」
ズレた感想を漏らし、何故か感心しているサレオス。グシオンは呆れたのか、うな垂れて結界を収束させる。
「はあ、もう結構です」
「それで、公爵領での反乱騒ぎはどうなった」
サレオスに尋ねられると、グシオンはすぐに気を引き締め、いつもの凛々しい顔を取り戻す。
「今朝方、公爵の首を持った兵士が投降し反乱は終息しました。最後は配下にも見捨てられたようです」
「ふん。愚か者らしい最後だったな。それで、奴が調子づく原因になった、『強力な武器』というのはどうなったんだ?」
「奇妙なことに、投降した兵が言うには武器が跡形もなく消え去ったそうです。誰が供与したかも含め、バルバス将軍指揮の元に調査を行っています」
サレオスは苦々しい顔で空を仰ぐ。
「……あの野郎、やはり何発かぶん殴っておくべきだったな」
「誰のことです?」
「ああ、これから詳しく報告する。その前にもう一つの方だ」
サレオスが春菜に視線をむけると、グシオンが頷いて顔を向ける。
「ハナザワハルナ、あなたは確かめなければいけないことが残っているはずですよ?」
「!」
「慌てる必要はありません。長屋の居室へ向かいなさい」
何のことか考えるまでもない。春菜は裏庭に向かって駈け出そうとして、あることを思い出し足を止める。
「サレオスさん、後で少し時間を下さい。見せたいものがあるんです」
「見せたいもの……。わかった、俺は部屋で休んでいるから迎えに来い」
春菜は返事を聞くとすぐに走り出した。
長屋二階へ駆け込むと、部屋はもぬけの殻だった。
「どうして?」
確かめることと言えば、行方不明になっていたコボルト達の安否しかない。あると思っていた姿見当たらず、背筋にゾクリと悪寒が走った時、窓の外から笑い声が聞こえた。
「そういえば」
時計を見れば時刻は夕食の時間。となれば、ご飯の大好きなコボルト達のいる場所は決まっている。春菜は踵を返して階段を下りていく。
人の話し声と、食器を扱う音、食堂は喧騒に満ちていた。入り口から見回すと、テーブルの一角に集まって座るコボルトの姿が目に入った。
トウマを始め遭難していた班の顔がある。みんな何事もなかったようにご飯を食べていた。殆ど会話をせず、食べることに集中し、皿が空になれば舌を出してお代わりを貰いに行く。
つい先日まで目にしていた当たり前の光景が、どれほどかけがえ無く大切なものだったか。春菜は目に涙を浮かべて噛みしめた。
一人のコボルトがすんすんと鼻を動かし、食堂の入り口に立ち尽くす春菜を見つけた。サハリだ。テーブルに座る他のコボルトに慌てた様子で何事かを告げる。全員が食事の手を止めて一斉に入り口に顔を向けた。
春菜が小さく手を振るとコボルト達はテーブルから駆け出し、次々と飛び掛かるようにして抱き着いてくる。全員が耳をぺったり頭に付けて、尻尾を忙しく振っている。
「みんな無事でよかった……心配かけちゃったね」
「ごめんなさい、ごめんなさいー」
「よがったー、帰って来てくれたー、よがったー」
トウマが泣きながら春菜に顔埋めると、負けじとリマも同じことをする。春菜は押し倒されるように尻餅を付いて、コボルトと一緒に顔をくしゃくしゃにして泣いた。
その光景を目にしたブネが食事をよそう手を止め目頭を押さえる。テーブルに座っている使用人たちからは一斉に拍手が巻き起こった。




