正体
「聞こえたぞ」
春菜はサレオスの声を確かに聞いた。
体に訪れるはずの痛みは無い。恐るおそる目を開けると、右手を突き出したアンドラスの姿が目に入った。ガブエルの手からは光剣が柄ごと消え去っている。
3人の男達はたった今の土壇場の出来事が無かったかのように、あらぬ方向を見ていた。
彼等が注視しているのは遥か頭上だ。一体何事が起きているのかと、春菜その視線の先に目をやる。
空は暴風を纏った巨大な黒い影に覆われていた。太陽の光は遮られ、地上に叩きつける突風が草を揺らしている。
(何あれ?雲?ううん、違う。あれは羽ばたいてる、生き物だ)
影はゆっくりと旋回を始め、高度を下げて地上に降り立つ。
それは光を照り返す黒い鱗に覆われた巨大な龍だった。小さなビルぐらいは優にある大きさ。これほどの巨体を持つ生物は今の地球には存在しない。その場にいる全員が目の前の光景に息を呑んだ。
龍が長い首を動かし、頭を地上すれすれにまで近づける。黒い影が地面に降り立った。
「サレオスさん!」
「待たせたな。帰るぞ、ハルナ」
銀髪を風になびかせ、緋色の瞳を煌々と燃やし、サレオスが優しく春菜に告げた。アンドラスは呆れる様に笑う。
「いやはや、まさかこれ程のものを呼び出せるなんて」
「ハルナを浚ったのはやはり貴様だったか。あの時殺しておくべきだった」
サレオスの表情が激変する。眼は細まり、眉間に深い谷が刻まれる。見るだけで相手を凍りつかせる酷薄な表情だ。体からは白い冷気が滝のように流れ落ち、足元の草に霜が降りたっていく。
サレオスとアンドラスは互いをけん制し合う様に、右手を大きく開いて相手に向けている。ガブエルとオセはベットの下をまさぐり、鉄塊を取り出してサレオスに向け構える。
「それ機関銃!そんな物まで用意してたの!」
「ホントに何でも知ってるねえ。僕と君が組めば最強だと思わないかい?」
もちろん実物は見たことはない。けれど、あの形状は他に考えようがない。
アンドラスは惚けた様子で本気とも冗談ともつかない軽口を叩き、緊迫感などまるでなかった。その様子を見ていたカブエルは苛立ちを隠さず、目を吊り上げて叫ぶ。
「何を言っておるか!魔王が来たのだぞ、貴様も曲がりなりにも勇者なら務めを果たせ!」
「えっ――勇者?」
ガブエルの視線の先にいるのはアンドラスだった。
春菜はその顔を改めてまじまじと観察する。無精ひげを生やし、いつも人のよさそうな柔和な表情を見せていたアンドラス。その顔から笑みが消えている。
今まで晩餐の席で散々噂に上った勇者の正体が、目の前にいる青い瞳の魔人だと言うのか。
(勇者は魔王を倒す存在)
春菜の脳裏に不吉な言葉浮かんだ。唯の言い伝え、教会のプロパガンダとヴィネアは言っていた。
「けど、何でも切れる聖剣って……。ならさっきの――」
そんなものが実在するなら、まさしくさっき向けられた光剣がそれだろう。虚像でしかない存在に、こうも自信を持って『倒せ』と命令するものなのか。
その答えを示すように、アンドラスは左手を懐に入れると、銀色の小さな物体を取り出しサレオスに向けて構えた。他の二人が手にする機関銃のような禍々しさはなく、子供が手にする方が相応しいおもちゃのピストルに見える。
サレオスは動じることなくアンドラスを見据えている。
「勇者とは貴様のことだったか。何かあるとは思っていたが、まさか魔人が教会の切り札とはな」
「なあに、僕は所詮は教会に仕立て上げられた紛い物さ。勇者なんてのは性分じゃあない」
カフェでの一場面を再現するように、二人は一見静かに言葉を交わす。しかし、あの時と違うのは、お互いに抜き身の牽制を向け合っていることだ。サレオスの後ろには龍が控えている。
「謙遜するな。俺の召喚がこれ以上行えないのはお前の右手が防いでいるからだ。ここまで力を抑えらるのは初めてだ」
「お互い様さ。こっちも発動はできない」
サレオスは肉食獣が獲物を仕留めんと牙を剥き出すように、兇暴な笑みを浮かべた。二人は互いの挙動を探り合うように視線をぶつけ合う。
「お目にかかるのは初めてではありませんでしたなあ、魔王閣下」
膠着している二人の間にガブエルが割り込んだ。手を大げさに広げ、芝居がかった態度で笑い、主導権は自分にあるとばかりに得意げに演説を始める。
「よもやこれほど早くこの場所に現れようとは。三日で大陸を横断するという噂、あれは本当だったということか。恐ろしい、実に恐ろしい。もっともこの場においては――」
「それで、どうするつもりだ、勇者よ?ハルナを浚っておいて、これでお終いという訳ではあるまい」
サレオスはこれをまるで相手にせず、話の途中で尋ねた。
「うーん。『お終い』と言ったら信じてもらえるのかな?」
「これだけのことをしでかしたんだ、責任は取ってもらう」
「私を無視するな、馬鹿者共が!これで終いなわけがなかろうが!」
ガブエルは苛立ち、手にしていた機関銃を地面に向けて発砲する。辺りには乾いた破裂音が響き、硫黄の匂いが煙と共に立ち込める。サレオスの後ろに控えた龍が唸り声を上げ首をもたげる。
それでも二人は構わず会話を続ける。
「責任ねえ、生憎と僕はその言葉が嫌いでね。どうだろう、今回は痛み分けということにして、これでお開きにするというのは」
「痛み分け?随分と呑気だな。こちらが一方的にやられっぱなしだぞ」
「そうはいっても、おたくの召喚獣と僕のコレ。白黒つけるには危険が過ぎるでしょう」
「用意しているのはそれだけじゃ無いんだろ?足元がむず痒い、何を仕込んである」
二人は春菜をチラリと見た。攻撃をし合えば、周りは無事では済まないということだろう。
無視され続けたガブエルはいよいよ激高する。
「貴様等揃って私をコケにする気か!アンドラス!構わんから魔王を殺せ、こっちには人質がおる!」
ガブエルは銃を春菜に向けた。しかし、アンドラスは呆れた様に首を振る。
「やれやれ。まったくわかってませんね。そんな物をハナザワさんに向けて撃ったら、多分そこの龍に一瞬で黒焦げにされますよ」
「だからお前が魔王を殺すのだろうが!寝ぼけるのも大概にしろ!貴様の飼い主は誰だ、犬は大人しく主人に従え!ガキ共がどうなってもいいのか!」
その一言にアンドラスの顔に陰が差す。
「貴様等捨て子が生きていけるのは法王庁の庇護があればこそ、でなければとうに路地裏で野垂れ死にだ!その恩を忘れるな、己に課せられた責務を果たせ!」
くどいほど急き立てるガブエルに、アンドラスは否定も肯定もせずに沈黙した。
「醜さに加えさらに悪臭までまき散らすか。やはりゴミクズは処分する以外にないな」
サレオスは文字通り道端のゴミでも見る様に、三白眼の目の冷たい目をガブエルに向ける。体から流れ出る冷気がガブエルの足元に絡み付く。
「ようやくこっちを見おったか!忘れるなよ、この場の主導権はワシにある。この女が殺されたくなければ大人しくしておれ!」
ガブエルは嬉々とした表情で命令する。
「やれ、アンドラス!魔王を殺して勇者の使命を果たせ!ワシが法王になれば子供達はお前の望むように扱うことを約束してやる!」
アンドラスの眉間に深い皺が刻まれ、瞳が煌々と青い輝きを増す。体の周りに陽炎が起こり周囲の光を歪め、纏わり付こうとする冷気を蒸発させていく。ピストルを持つ左手が水平に、銃口がサレオスに向けられた。
その動きに呼応するように龍が大きく口を開け、中に青白い発光体が形成されていく。
一瞬の判断と些細なきっかけで、この場にいる全員に死が訪れる。そんな緊迫した空気を感じて春菜は息を飲み込む。
引きつった笑いを浮かべるガブエル。額に汗を浮かべ銃を構えるオセ。瞳の青い光を揺らめかせるアンドラス。平然と銃口を見据えるサレオス。
全員の顔を一巡して春菜は口を開く。
「アンドラスさん、確かめたいことは確認できた?サハリ……、助けてくれた迷子のコボルトがね、あなたのことを格好いいって言ってたよ。私もそう思う――でも、サレオスさんほどじゃないけどね」
春菜は笑った。
その言葉にアンドラスの眉間から皺が消えた。口元を緩ませ身を翻すと、構えていた銃口はガブエルへ向けられた。
おもちゃのようなピストルから無音で青い光線が伸びた。
直後、ガブエルの頭部は消滅し、断末魔も上げずに地面に倒れ伏す。発された光は周囲の空気を歪めながら真っ直ぐに伸び、遠くの山で巨大な爆炎を起こして消えた。
「ああ、確認できたよハナザワさん。僕の仕事はこれで終わりだ」
アンドラスが屈託なく笑った。身に纏っていた陽炎は消えている。どれだけの重荷を背負い、何に葛藤して生きて来たのか。春菜には分からない。けれど、その顔は晴れやかだ。
「これがお前の責任の取り方。そういうことか勇者?」
「そうだな。さっき言ったように、俺の仕事は終わりだ。後はあんたの判断だ」
サレオスが冷静に問うと、アンドラスは構えていた銃を下した。戦う意志は無いと表明しているように見えたが、右手はけん制するように前に構えられたままだ。
春菜は身の危険が去ったことを感じて走り出し、サレオスの懐に飛び込む。
「ごめんなさい、ごめんなさい!心配を掛けて、あなたを危険な目に合わせて。だけど私は大丈夫だから!何もされてない、暴力も振るわれてないから、だから……」
感謝、謝罪、慕情、哀願。色々な気持ちがごった煮になった顔でサレオスを見つめた。二人に戦ってほしくなかった。その手を汚して欲しくなかった。こんな目には合わされたけれど、それでもアンドラスを憎む気持ちは湧いてこない。
死の恐怖から解放された安心から急に体が震え出し、目からは止めどなく涙が溢れた。
(怖くって、寂しくって、もう二度と会えないって思った)
ガクガクと震える肩に手が添えられる。サレオスは春菜の震えを受け止め、
体を温める様に強く抱擁する。
二人は無言のまま抱き合った。
「分かった。これで終わりにしよう」
しばらくして、サレオスは終息を口にした。体から流れ落ちていた冷気は消え去り、張り詰めていた空気が弛緩する。
アンドラスは右手を下し、持っていたピストルも、場違いなベットも、オセが手にする機関銃も全てを消し去った。
「お前はイスラから出て行け」
サレオスが凍りつくような目で睨み付けると、アンドラスは了承を示すように、片手を上げて口を歪める。春菜は尋ねる。
「アンドラスさん!あなたが確かめたかったことって何?」
「……俺はね、半魔の魔王がどうするか知りたかったんだ。女を人質に取られ、助けに来るか見捨てるか」
「どうしてそんなことを?」
「愛する者を見捨てるような奴は本物の魔王だ。本気で人間との共存なんか考えちゃいない。ならいっそこの手で倒すことも悪くはないかって考えた」
「半魔の勇者らしい考えだな」
「え?」
「やれやれ、お見通しとはね。魔王の言う通りだよ、ハナザワさん。俺には人間の血が混じってる。だから紛い物の勇者でも、半分くらいは人間に役立つ仕事をしようと思ったのさ」
「貴様の父親の名は?」
「知る訳ないだろ。俺は孤児、教会の施設で育てられたんだ」
「じゃあ、さっき言われてた子供達の扱いって……」
「人間の国じゃあ、瞳が光るだけで化け物扱い。半魔の子供は殆どが捨てられる。それを育ててくれたのが、教会の孤児院だったというわけさ。もっとも、教会は本気で邪教の子を救おうなんて考えちゃあいない。育てるのはその力が目当て、つまりは俺みたいな掃除屋としていい様に使おうと考えてのことさ」
「それじゃあ、雇主を殺しちゃって、うっ」
春菜は倒れたガブエルへ目を向け、正視できないその姿に顔を背ける。
「そのへんは彼次第さ――オセ、あんたはこの件を国に帰ったら報告するのかい?」
アンドラスは改まって低い声で尋ねた。
「それを言うなら『お前達次第』だろ。魔王と勇者を前にして、俺は無事でいられるのか?」
屈強なオセの腰には、長剣が佩かれていた。しかし、先ほどの戦いを見れば、そんな物が役に立ちはしないことは誰だって分かる。
アンドラスは今までの気安いトーンに声を戻す。
「俺はあんたとは上手くやっていけると思ってるよ。どうだい、今度は王都でケーキ屋を一緒に開いてみちゃあ――」
その言葉をサレオスが鋭い視線で遮る。
「俺はガブエルの護衛として個人的に雇われたに過ぎない。教会への報告義務なんざない。前金は頂いているが、雇主が死んだ今は契約は終了だ」
「という訳で問題は解決だよ。心配をかけちゃったね、ハナザワさん」
さばさばと笑うアンドラスに、春菜は安心して頷く。
「話は済んだか?もう帰るぞ」
「う、うん。ごめんね、待たせちゃって」
恐怖が和らいだ春菜は腕に抱かれていることが何とも嬉しく、同時に気恥ずかしくもある。
「ハナザワさん、また会おうね!」
アンドラスは本気とも冗談ともつかない明るい声で手を振り、サレオスの凍てつく視線ですぐに手を引っ込める。
春菜は手を引かれ、龍の頭をエレベーター代わりにして背中へ上がる。
「しっかり掴まっていろ」
「うん」
横座りになって、後ろから体を支えるサレオスに手を回し体を密着させる。龍は巨大な翼を何度も羽ばたかせ、ゆっくりと体を浮かび上がらせた。
空から見下すと、アンドラスは春菜に視線を送っていた。春菜は別れを言わず、黙ってその姿をしばらく見てからサレオスの胸元に顔を埋めた。
耳をつんざく風切り音が聞こえ始める。
轟音に顔を顰めていると、サレオスは着ているコートで春菜の上体をスッポリと覆い隠した。呼吸が楽になり、騒音が和らぐ。
「辛かったら言え、地上に降りて馬車を拾う」
耳元で囁くやさしい声。サレオスの太い腕は春菜の肩に回され、抱きかかえられた体は少しの不安も感じない。
(サレオスさんの匂いと、心臓の音……。凄く安心する)
ファーストクラスの飛行機だって、これほど居心地がいいはずがない。
(辛いなんて言うわけないよ)
春菜は魔王城へ帰るまで、天国を飛行する気分を味わった。




