春菜
(……ああ、いけない眠っちゃってる)
夜の清掃を終えた車での帰り道は眠気との戦いだ。
(だめ、話相手をしなくっちゃ)
運転席では社長が奥さんの愚痴とつまらない駄洒落を、独り言のように繰り返している。
(でも昨日も睡眠時間は短かったし、今日くらいは許してもらおう)
溜まりにたまった疲れと心地いい揺れ。これで眠るなというのは拷問に近い。
「おい、起きたみたいだぞ」
(社長の声ってこんなに野太かったったけ?)
まどろむ春菜に聞き覚えのある声が語り掛ける。
「ゴメンよ。もう少し眠っていてくれるかい。体に害は無いから心配はしないで」
目隠しでもされているのか視界は真っ暗。声の主を確認することが出来ない。眼前でスプレー缶を吹き出すような音が聞こえた。
(ああ、やっぱり車って眠くなっちゃう……)
春菜はまた深い眠りへと落ちていった。
「ん……つ」
変な姿勢で寝ていたせいか、肩の辺りが痛む。寝返りを打とうとするのだけれど、上手く体を動かすことが出来ない。
(もう朝かな、起きなきゃ)
どれぐらい眠ったろう。閉じられたまぶたが強い光りを感じて、ぴくぴくと痙攣する。意識を覚醒させようと伸びをすると、手首が引っ張られて痛みが走る。
「ん、ん?何これ」
両手首に鎖で繋がった金属製の輪が嵌められている。
「これって――手錠?」
春菜はスチール製のベットに寝かされ、両手はヘッドボードのパイプに手錠で繋がれていた。
「こ、ここどこ?」
一体何事が起きているのかと辺りを見渡せば、周囲は一面の草むら。遠くには山の稜線と、青い空に白い雲。ピクニックに最適そうな丘の上だ。
「どうしてこんな所にベットがあるのよ!ていうか、私捕まってる?」
自然の中にポツリと置かれた人工物のベットは、さぞやシュールな光景だろう。
(なんかいかがわしい雰囲気を感じるのは気のせい?シュチュエーションが不自然すぎるでしょうが!)
春菜は咄嗟に自分の体を確認する。手が動かせないので詳しくはわからないけれど、どうやら着衣に乱れはなさそうだ。
「目が覚めたかねお嬢さん」
突然、初老の男が頭上から覗きこんで現れた。フードを脱いで禿げ頭を晒し、口元にはいやらしい笑みを浮かべている。どこかで見た覚えのある顔だ。
「あんたが私を?一体なにするつもりよ、いやらしい!」
「言葉に気を付けたまえ。何をするかはお嬢さん次第だ」
男はベットをゆっくり周り、春菜の体を見ながら下卑た笑いを浮かべる。春菜が寒気を感じて眉をよせると、聞き覚えのある声が男を制する。
「悪ふざけはよせよガブエル」
現れたのはアンドラスだった。ベットの春菜を見下し、優しい声で語り掛ける。
「ごめんね、君を危険な目に合わせるつもりはないから安心して」
「どうしてアンドラスさんが……、これはあなたがやらせたことなの?こんなことする人じゃないって、サハリを助けてくれた優しい人だって思ってたのに」
落胆してアンドラスを仰ぎ見ると、バツが悪そうに視線を逸らした。
「ククク、そう責めてやるな。私の指示でやったことだよお嬢さん」
ガブエルは手柄でも誇示するように得意な顔をしている。
「どういうこと?あなた使用人じゃなかったの」
「イスラで動くにはそういう体裁にするしかないからな。だが、本当の主人はワシだ。この男は下男にすぎん」
忌々しそうな目でアンドラスに視線をやっている。よほど使用人という設定が嫌だったのか。
「それで、あんたは何をしたいわけ?あの子達を餌にして私を釣ったって、得になることなんて何もないわよ」
「それがあるのだよ。お嬢さんはただの人間じゃあない。召喚獣だ」
(どうしてそのことを知ってるの!じゃあ、コイツの目的は……)
「理解をしたようだな。お察しのように用があるのは魔王サレオス。お嬢さんはそのための餌に過ぎない」
「だからって普通ここまでやる?コボルト達まで危険な目に合わせて。用があるなら前にサレオスさんがお店に行った時、済ませればよかったじゃない!」
「まさか、あの場にいたのが魔王だったとはな。後でアンドラスに聞いて驚いたよ。しかし、知っていたとしてもあの場でやり合うにはリスクが大きすぎる」
「やり合うって」
「イスラ中央部にある王都の街中。そんな所で魔王と殺し合いをして、無事に脱出できるわけがないと言っているのだよ」
「殺し合うって……あんた何言ってるのよ!ふざけないで!」
「何もおどろくことは無いだろう。魔王は常に人間を脅かし、人間は魔王が倒されんと願う。歴史の繰り返しだ」
「そんな過去のこと知らない!サレオスさんは今だって人間と和平を進めているんだ!」
何も知らないくせに一方的に悪意を向けるガブエルに腹が立つ。春菜の言葉にアンドラスは眉を僅かに動かしたが、何も語ろうとはしない。
「ほう、噂は本当だったか。生憎、本国とは随分連絡が取れていなくてね。だがそんなことは関係がないのだよ。我が教会にとって魔王は悪魔と同義。それを倒すことは正義の執行に他ならない」
ガブエルは喜色を浮かべていた。正義を語る者が、こんなに邪な顔をするものなのか。ゾッとする。
「ねえ、アンドラスさん?この人は何を言っているの?まさか、あなたまで同じことを考えているんじゃ……」
「前に教会の掃除屋をしてるって言ったのを覚えているかい?僕の仕事は教会にとって邪魔なモノを片付けることなんだ」
「それじゃあ、あなたも同じことを考えているの?」
「……」
アンドラスは否定も肯定もせず、目を逸らすだけだった。
「外して」
「うん?」
春菜はガブエルを睨み付けた。
「この手錠を外せって言ってるのよクソジジイ!」
「この!自分の立場と言うものをわかっておらんのか。お前は魔王を呼び出すための人質、拘束を解くわけなかろうが!」
「あんたなんかにお前呼ばわりされる筋合いないわ。こんな丘の上で拘束解かれたって、逃げられっこないんだから平気でしょ!女一人がそんなに怖いわけ?」
「ぬぅ」
ガブエルが恨めしげな声を上げるのを余所に、アンドラスは小さく笑った。
「そうだね、わかったよ」
春菜に向かって右手を翳し、一瞬にして拘束が解かれる。
(今、何したの?鍵を外したわけじゃない、手錠が一瞬で.消えた……。でも手首に残ってる痛みは幻覚なんかじゃない)
春菜の手首は皮が擦り剥け、生々しい手錠の跡が付いていた。一体何が起こったというのか。ようやく体の自由を得た春菜は、体を起こして手首を摩る。
「貴様勝手な真似を――オセ!」
呼び掛けに応じ、ヘッドボードの方から大柄の男の人が現れる。カフェで給仕をしていた人だ。手には金属製の短い筒のようなものを持っている。
「逃げられないように見張れ」
オセは無言で頷くと手にしていた筒を春菜に向け、突端にある小さなスイッチを押した。蟲が飛ぶような音を響かせ、蛍光灯のような光体が飛び出す。
「ちょっと、なにこれ――」
「触らないで!」
非現実的な代物を目にして春菜が手を伸ばそうとした時、アンドラスの張り詰めた声が制した。
「まさか……これってビームソードとかそういうやつ?レーザーで出来た剣みたいな」
SF映画の見た目そのままに、まばゆい光を発する棒状の光体。さすがにこんな物は春菜のいた世界でも空想上の産物だ。
アンドラスは呆れているのか感心しているのかわからない様子で、手を広げて大きくため息を着く。
「まったく驚かされるね、僕が用意する物をことごとく見抜いてしまうんだから。君がいた世界は相当に文明が進んでいるらしい」
「それはこっちの台詞だよ!なんなのあなたは?双眼鏡といい、チョコレートといい、どれもこの世界にはない物じゃない!」
「これが僕の『魔』の力。それほど驚くことじゃあないだろう?君のご主人は異世界から生物を召喚するんだ、似たようなものじゃないか」
「それじゃあ、あのビームソードもあなたが異世界から?」
「そう。もっとも呼び方は知らなくて『何でも切れる剣』をイメージして出て来たのがあれ。今後はその名称を使わせてもらおうかな」
アンドラスは愉快そうに語っているが、春菜はその恐ろしさに目を細める。
「そんなの反則じゃん」
春菜のいた世界はおろか、未来や別次元にあるようなテクノロジーの物まで召喚できるらしい。一体どれほどの力を秘めた魔だというのか。
「いやあ、これでも色々と制約があってね」
「……たとえばどんな?」
「うーん、そうだね。想像できない物は召喚することが出来ないとか」
「おい!貴様は馬鹿か!何を自分から敵に弱点を教えているんだ!」
春菜の口車に乗ったというわけでもあるまいに、アンドラスは大して気にする素振りも見せずに口にした。しかし、ガブエルはイラついた様子で制止する。
「別に、これぐらい語ったところで、どうということはありませんよ」
「チッ!相変わらず緊張感のない奴め。だが忘れるなよ、あの家がどうなるかは貴様の行動如何に掛かっている。それを判断するのはワシだということもな!」
「わかっていますよ、そんなことは。今までだってあなたの言うことは聞いてきたでしょう。今回だってそうだ」
アンドラスは春菜の側から下がった。代わりにガブエルが笑みを浮かべて近づく。
「そういうことでな、さっきも言ったようにお前には魔王を呼び出す餌になってもらう」
「だからお前って言うな。大体どうやって呼び出せって言うのよ。ケイタイでも貸してもらえるのかしら?」
「意味のわからんことを言うな。召喚獣と主は精神の深い所で繋がっていて、お互いの様子は離れていても感じることが出来ると聞いたぞ」
「何それ?誰に聞いたの、初耳なんだけど」
「惚けるか。まあいい、すぐにわかるさ」
(そんな便利な能力あったらとっくに使ってるっていうの!)
試しにサレオスを想像してみれば、浮かんでくるのは意地悪な笑顔と美しい銀髪の髪、綺麗に響く声と手の温もり。今、どこでどうしてるなんて感じようもない。
「何、顔を赤らめておるか!お前はワシを舐めておるな、危機感というものをまるで抱いておらん」
ガブエルは凄むように身を乗り出し、春菜の手首を掴む。さすがにこうなると身の危険を感じる。
「ちょっと、触らないでよ」
「ワシは女に興味はない。だが古くから教会は異端と戦ってきておるのだ。人をどう痛めつければ素直になるかぐらいは心得ておる」
ガブエルは懐から金属製の筒を取り出した。
「それは」
「左様、オセが持っているのと同じ物だ。これの特徴はな、切るというよりも焼くいったほうがいい切断方法よ。どんな金属でも易々と溶断し、人体に使ったら――どうなると思う?」
「……」
ガブエルは涎を垂らしながら嗜虐的な笑みを浮かべた。春菜が身を強張らせると、さらに気をよくして喜悦の声を漏らす。
「キッキキ。こいつで切られるとな、文字通り焼ける痛みを感じるらしい。面白いのは切断面が焼かれて血が出ないこと。つまりいくら切り刻まれようが出血で死ぬことはない」
スイッチを入れ光剣を出し、これみよがしに春菜に見せつける。
「例えお前が魔王を直接呼び出せなくとも、この場所で人質にしていることは便りにして城へ出してある」
「馬鹿じゃないの。サレオスさんが私一人のために、危険を犯してあんたの前に現れるわけがないでしょ」
「おぉおぉ、庇い立てをしていじらしいことよ。だが、お前が謁見式で公爵を殴りつけ、殺されそうになったところを助けられたと調べはついておる。ただの人間を魔王が救う訳なかろうが!」
(そこまで調べて準備をしていんだ。コボルトを行方不明にしたのも私が探しに行くって計算してのことだろうし……。まさか、公爵が反乱を起こしたって言うのも?)
春菜がアンドラスに視線を向けると、申し訳なさそうに頭を下げる。
「すまないね。どうしても確かめたいことがあったから、利用させてもらったよ」
だからといって到底許せることではない。
(私は馬鹿だ。あの子達の心配で頭がいっぱいになって、グシオンさんが止めるのも聞かずこんな事態を招いて)
危機意識がまるでない。春菜は自分の判断の甘さに唇を噛んだ。
「全てはワシの計画通りに動いておる。よしんば魔王が来なかったとしても、またの機会を狙えばよいだけのこと。とは言え、今日ケリを付けてしまうのが一番だ。だからお前には嫌でも協力してもらう」
(これは私の我が儘が招いた結果。責任は自分でとらなきゃいけない)
それだけに、サレオスを危険に巻き込むような真似は絶対に避けたかった。さっき『サレオスは現れない』と言いながらも、本心ではそう思っていない。
(サレオスさんは現れる)
自惚れではなく、優しい彼の心を知るが故の確信だった。
眼前に迫る光の剣。もう覚悟を決めなければならない。春菜はギュッと目を閉じた。
(ああ、こんな風に終わるなら、ちゃんと言葉にして気持ちを伝えておけばよかった。馬鹿だなあ私は……。だけど、サレオスさんにだけは手を出させない!)
恐れで怯みそうになる心に決別して目を開き、頬を力一杯叩いて息を吐き出す。
「生憎ね。私は人質にはならないし、サレオスさんを危険に晒すような真似に協力するつもりはないの。あまり舐めないでくれる」
「ほう、ならばなんとする?この状況でお前に何が出来るというのだ。身の程を弁えるのだな」
「ふん。その台詞をそっくりそのままお返しするわ。女を人質に取らなきゃ何もできないような男がなに格好付けてんのよ。あんたは私が今まで出会った人間の中で、最低のクズよ」
「……口の利き方に気を付けろ。貴様など生きていればいいんだ、鼻を削ぎ落されたいか」
ガブエルは苛立ち紛れに春菜の髪の毛を掴み上げた。
「暴力で脅して言うことを聞かせるしか能がないのね。下の下、本当に下らない男。あの愚かな公爵と同程度の人間がまだいたなんて驚き」
春菜はあらゆる言葉でガブエルを挑発する。幸いなことにこの醜い男を見てれば自然に言葉は湧いてくる。
「あんたみたいにツマラナイ奴、どう足掻いたってサレオスさんに勝てる訳がないじゃない。男としても、人としても惨敗。女に興味が無いのは相手にされないからでしょ。笑わせないで」
「よくもそれだけの憎まれ口が叩けたものだ。謝るなら今の内だぞ」
「誰が。笑わせないで――」
春菜は蔑みを込めた目で吐き捨てた。
「い、いいだろう……望み通り殺してやる!お前のハラワタを引き裂いて、子宮を晒してやる。魔王がお前の死体を引き取りに来て、どんな間抜け面をするか見せてもらうぞ」
唾を拭ったガブエルの顔からは怒りが失せていた。目は焦点を失ったように座り、手にした光剣が頭上に掲げられる。
(ここまでか……。あぁ、ここまでなんだ。でも、本当に私達心で繋がっているのかも。もう、目を閉じなくてもあなたの顔が見えるよ。よかった、幻でも最期に一目会えて――)
春菜は大空を見上げ、めいっぱい息を吸い込む。
「サレオスさん、あなたに出会えてよかった。大好きー!」
ありったけの思いを込めて叫んだ瞬間、光剣が振り下ろされる。春菜は目を閉じた。




