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開花

魔王城の裏庭。春菜は今日から配属されたコボルト達のオリエンテーションを行っていた。


「条件は以上です。さっきも言ったように、ここには暴力による強制労働はありません。頑張れば報われるのが魔王城での仕事。だから安心して働くように」


流石に二度目ともなると、春菜の振る舞いも堂々としていた。コボルト達も説明を聞いていくうちに硬さが取れ、怯えるような挙動も和らいでいった。


「それじゃあ、休憩にしましょう。楽しにして構いません」


コボルトたちはきょとんとした様子でお互いを見廻す。休憩と言われても、まだどうしていいかわからない様子だ。


(そうそう、最初はこんなだったよね。それが今では元気過ぎて注意をしなきゃいけないこともあるくらいなんだから、この子達もすぐに慣れてくれるでしょ)


春菜はその場を離れ、様子を見守っていたグシオンの元へ向かう。


「堂にいってますね」


「いやあ、見られていると思うと緊張しちゃいます」


「謙遜することはありません。サレオスに任されるのも納得です」


「そういえば、初めての顔合わせの時はサレオスさんでしたっけ」


本来魔王城に関する諸々の業務グシオンの管轄だ。


「ええ、『流石に二度目は驚かないだろうからツマラン。お前に任す』と言っていましたよ」


「あ、あの野郎……、やっぱり前回は面白がってたんだな」


サレオスの意地悪な笑顔を思い出し、春菜はこめかみに血管を浮かべる。


「どうですか、新人コボルトたちの様子は」


「そうですね、やっぱりまだ怯えみたいなものを感じますね。でも前の子達もいるから、一緒に働けば安心してくれるでしょう」


新たに十数名が配属され、春菜の元で働く部下も30名を超えるほどになっていた。


「あなたが来たばかりの頃に比べ、今は魔王城も随分と人が増えました。サレオスが言ったように、これからも人は増えていきます」


警備の兵や雑役をこなす女中達、魔王城に出入りする人は依然と比べものにならない。


「組織の形も整えていかなければなりません。あなたも現場ばかりに入っていられなくなることもあると思います」


「任せて下さい。こう見えてもOLしてましたから、事務仕事だったこなせます」


「オーエル?」


「会社で事務などをして働く女性のことです。まあ、私のいた会社は潰れちゃったんですけど」


そういえば、この世界に来てから会社が倒産したことも、就職活動をしていたことも忘れていた。そんなことを考える暇もないほど忙しかったか、毎日が刺激的で楽しくすっかり忘れてしまっていたか、多分その両方だろう。


(でも、いずれは元来た世界に帰る時が来るんだろうな。その時はこのお城のみんなともお別れか……)


そう考えると心の奥底は鉛でも入れた様に重くなる。


(帰りたくない?じゃあ、お母さんとも、もう会わないの?私が突然消えてバイト先の社長だって心配してるはず。それに奨学金の残りだってまだ納めてないのに)


もう一つの世界は酷く現実的な課題を春菜に付きつける。


「聞いていますか?ハナザワハルナ」


「え?はい。すいません、なんでしょう?」


「サレオスの行魔にはバアルも同行します。ちょうどいい機会だから厨房の水回りを修繕します。十日ほどですが、その間あなたの食事は政庁に入っている食堂から届けさせようと思っています。それで構いませんか?」


「ん?グシオンさんはどうするんですか?」


「私も執務室まで届けさせる予定です。もともと一日食しか取りませんし」


「よくお腹空きませんね。私なら耐えられない――あ、そうだ。私、その間は長屋の食堂でみんなとご飯を食べることにします」


「長屋……使用人用の食事ですか。粗末な物が出るような予算は組んでいませんが、普段あなたが口にしている物より質は落ちますよ。構わないのですか?」


「元々庶民ですから私。それに、みなさんと食事をとるのもいい機会だと思います」


グシオンは少し考えてから返事をする。


「わかりました。あなたからそういう希望があるとサレオスに伝えます」


(むむ、なにやら話が大きくなっているような。すんなりOKといかないのは、ヴィネアさん言うところの『立場にあった振る舞い』というやつのせいか)


「私は仕事に戻ります。コボルトの世話を頼みましたよ」


グシオンが城内へと去ると、春菜も休憩を終えてオリエンテーションを再開した。


「今日は1日中晴れて暑かったからね、水をたっぷり上げないと」


空中庭園の様子を確認すると、朝水を撒いてやったというのに土の表面がもう乾いていた。このところ晴天が続いているせいか植物の成長もいい。しかし、その分水やりが大変になるのが困ったところだ。


水汲み場に置かれた水槽にじょうろを突っ込み、ぶくぶくと上がる気泡の音を聞きながらを花壇を眺め回す。


(蕾が膨らんでもう大分経つ。そろそろ花が咲いてもいい頃だ――あれは!)


緑の中に異質の青色を見つけ、慌てて駆け寄り陽桜草の枝先を確認する。


「咲いてる……花が咲いてる!」


松のように尖った葉が茂る中に、火のように鮮やかな赤い花弁が広がっていた。


蕾は日ごとにふくらみ続け、花開くのは間もないだろうと思っていた。それでもいざその時を迎えると、小さな命に対して感謝の念が溢れて止まない。


(ふふ、凛として気高くて、まるでサレオスさんみたいな花だな)


緋色に輝く瞳と、花弁の赤が重なる。他の陽桜草を見渡せば、薄らと赤い線が入った開花間近の蕾が見える。


「満開になるのはいつぐらいだろ。ああ、早く見てもらいたいな」


そう遠くはない来る日を思いながら、春菜は花壇に水を撒いて回った。最後に天窓を閉じようとハンドルに手を掛けた時、フールルが現れる。


「ああ、お嬢様、やっぱりここにいたね」


「何か御用ですか?」


「さっき政庁から伝令が来てね、魔王様からお嬢様への伝言を言付かったよ」


「サレオスさんから?珍しい。なんて言ってるんですか」


「『夕食を共にする、迎えを寄越すから部屋で待つように』ですってよ」


「そうですか、分かりました。じゃあ、厨房に行かずに待ってます。今日は晩餐か、何が食べられるのかなー」


春菜が呑気にハンドルを回そうとすると、その手をフールルが止める。


「何してんだい?ここは私がやっとくから、さっさと湯あみを済ませておいでよ」


「え?いえ、最近私寝る前にお風呂に行くようにしているんですよ。四階は別としても、それ以外のフロアーって人目に触れる機会も多いじゃないですか。お化粧落とすのは寝る前にしようと思って」


王族専用の四階はごく一部の女中しか立ち入りを許されておらず、衛兵も存在しない。しかし、魔王城の他の階は最早公共の空間といってよかった。以前に比べ警備の兵や使用人とすれ違うことも多く、自分の部屋のような感覚ですっぴんで出歩くと思わぬ恥をかきかねない。


「今日の晩餐は三階の食堂じゃない、四階の王族専用室だよ。そこへ食事の準備を整える様に私が仰せつかったんだから」


「へ?あの超豪華な個室ですか?え、それってつまり……」


「そう、魔王様と二人っきりってこと。いいのかい?一日汗水垂らして働いて、化粧も取れかかったその顔で?」


フールルは春菜に代わってハンドルを勢いよく回し始め、屋根のガラスが凄いスピードで閉じていく。


「い、いくないです」


「お風呂の用意をしておくように言っておいたから行っておいで」


「うう、頼りになるお母さんだ」


「湯あみ済ませたら衣装室へ直行、いいね」


「ラジャー!」


「慌てなくていいんだよ!まだ夕食までは時間があるんだからねー」


フールルの声を背に受けながら、春菜は四階へ駆けだして行った。



 以前利用していた三階の浴室は、来客用に開放するとの理由で春菜は使えなくなっていた。変わって利用するようになったのは、四階にある王族専用の浴室だ。


かつては自分で苦労して用意したお湯も、今では女中のエキドナが準備をしてくれるようになっていた。バスタブに沸かしたお湯をバケツで注ぐ重労働を、一日の仕事を終えてからやらずに済むのはとても有り難い。


王族専用と言うだけあって部屋の設えは豪華だ。


床は石造りで壁にはタイルが張られ、部屋全体が湿気に耐えうるように作られている。驚くことに専用の水道も引かれ、青銅製のバルブを捻れば、排水溝を備えたシンクに水が流れ落ちていく。


フールルが言っていたように、すでにバスタブにはお湯が溜まっていた。春菜は部屋の隅で服を脱ぐと、手でお湯の温度を確認してからゆっくりと爪先から浸かる。


「はあー、異世界のお風呂最高!しかも、このお湯の量!」


バスタブに座れば、お湯はへその高さまで上がる。自分がでこれだけの湯量を用意したことは今まで一度もない。


「いや、この量を用意するのは相当な重労働だよ。非力な私じゃ無理だって」


くるぶしまでしかなかった今までのお風呂と違い、時間さえ掛ければ十分に体を温めることが出来た。


「サレオスさんと会うのも久しぶりだな」


近頃は仕事が忙しいのか帰りは遅い。春菜は仕事を明るい内に終わらせるように組んでいた。、午前中に政庁へ出勤するサレオスの姿を遠目に目撃することはあっても、ここしばらくはろくに挨拶も交わせていない。


「にゅふふふ、二人っきりで食事するなんて今日が初めて。なんでだろ、先日約束してくれたデートの穴埋めかな」


春菜は上機嫌で窓の外に目をやる。外には王家所有林の木々の緑、人家などは何処にもなく、窓際にでも立たなければ覗かれる心配もない。


「こんなに贅沢させてもらって、もうしわけないな」


数か月前。まだ魔王城に人が全然いない頃は、裏庭で行水のように湯を浴びていたのだ。


体を洗い終えると、バスタブを洗ってお湯を汲み上げ捨てる。浴室係のエキドナは捨て置くように言ってくれるけれど、かしずかれるようで申しわなく自分でやってしまう。


窓を全て開け放ち外気を室内に取り入れると、湿気が少ないせいか浴室はすぐに乾いていく。髪の毛の水分をよく拭い取り、乾いたタオルを頭に巻いてから浴室を出る。


(さすがに部屋着で出歩くのは控えるけれど、お風呂上りのすっぴんは許してもらいましょう)


三階であれば衛兵と顔を合わせなければならないけれど、四階ですれ違うのは女中のエキドナくらい。あまり人目を意識しないで済む。


自室に戻ればいつもなら寝るだけ。だけど今日はこれからが本番と言っていい。肌の手入れをして化粧を済ませ、三階の衣装室へと向かった。

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