魔界
早朝。春菜が着替えと化粧を済ませて部屋を出ると、廊下の先から騒がしい声が聞こえる。
「ああ、いいからいいから!坊ちゃんがいると邪魔ですから、散歩でもしてて下さい」
「そんな邪険にしなくったっていいだろ。僕だって部屋の掃除くらい出来るぞ」
「ウソ仰い!ならこの有様はなんですか!どうしたらこんなに部屋を散らかせるんだか。呆れるよ」
何事かと近づいてみれば、開け放たれた扉の前に佇む人の姿があった。
「おはよう、ダンタリアン君」
「あ、おはようございます姉さん。随分と早いんですね」
「私はいつもこれぐらいの時間だよ。そっちこそ珍しいねこんな時間に」
「僕は今日からまた外国に向かわないといけないんですよ。それで――」
ダンタリアンはこっそり入口から中を覗き込み、春菜もそれに釣られる。
部屋の中は衣服や大きな旅行鞄が散乱し、チェストの引き出しも開け放たれ、まるで空き巣にでも入られた後の様にぐちゃぐちゃに散らかっている。その中でフールルが一人、鞄の中に衣服を綺麗に畳んで詰め込んでいた。
「おや、お嬢様。今朝も早いね、これから花壇の水やりかい」
「おはようございます。凄い有様ですねこの部屋。フールルさんはこんなに早くからお掃除ですか?」
個人の居室の清掃は春菜の業務に含まれていない。魔王城でこれらは女中の分担になった。
「ご覧のとおり坊ちゃんの荷造りと部屋の片づけさ。世話が焼けるったらありゃしないよ、子供と同じさね」
「むっ!聞き捨てならないぞ!僕は立派な大人だ、取り消せ!」
「大人だったら普段から綺麗にしておきなさいよ!ひっぱたかれたいのかい!」
「ごめんなさい!」
エキドナの尻尾が鞭のように空を切る。問答無用の剣幕に気圧されたダンタリアンは、飛び上がって返事をする。
(まるで子供と母親。そりゃー坊ちゃん呼ばわりもされちゃうな)
「ああ、お嬢様。悪いんだけど坊ちゃんに花壇の水やりを手伝わせてやってよ。それぐらいなら出来るだろうからさ。部屋の中をウロチョロされたんじゃあ邪魔でしょうがない」
「構いませんよ。じゃあ、行こうかダンタリアン君」
「です……」
ダンタリアンは項垂れ、空中庭園までトボトボと春菜の後に続いた。
「天窓を開けてくれる?そのハンドル重くって、男の人にやってもらえると助かるな」
「お任せください。このダンタリアンは頼りになる弟ですよ!」
「いや、弟にしたつもりはないんだけど……」
頼られることが嬉しいのか、ダンタリアンは上機嫌で青銅製のハンドルを回し始める。屋根のガラスが軋みを上げてゆっくり開き、朝のヒンヤリした新鮮な空気が城内に入り込む。
「ありがとう。じゃあ、続いて水やりね。しばらく雨が降ってないから、土が湿るくらいたっぷりあげて」
「わかりました」
ダンタリアンは素直に従い、水汲み場の水槽にじょうろを突っ込む。
(あれ?よく考えたらこの人王族なんだよね。それをこんな風に使っちゃっていいのかな)
ふと沸き上がる疑問。四職の一人でもあり、イスラで相応の立場にあることは間違いない。
「姉さん、水やりの順番とかってあります?」
「ああ、気にしないでいいよ」
しかし、当の本人はそんなことを気にする素振りはまるでなく、楽しそうに花壇に水をやっている。
「面白い?」
「ええ!やることがあるって楽しいですよ。普段周りの人に仕事を言い付けられることなんてありませんから。僕だって少しは役に立てるのになあ」
(うーん。本人の能力の問題か、それとも王族にやらせるわけにはいかないという配慮か。けど、それを本人が望んでいるとは限らないのか)
「だからね、兄上に外国と仲良くなるための仕事を命じられたのが嬉しいんです。それに領地の経営なんて僕には無理ですから」
「ああ、なるほど。サレオスさん色々と考えてくれてるんだね」
ダンタリアンに遠慮することを止め、春菜も花壇の水やりを始める。
(フフフ、いいぞいいぞ、陽桜草。蕾もだいぶ大きくなってきた。あとどれくらいで花が咲くのかなあ)
花咲く時を想像すると、自然と笑顔になってしまう。春菜は上機嫌で花壇の間を縫う様に回っていく。
「姉さんのそういう姿を見ていると、ルクレツィア様を思い出します」
「サレオスさんのお母様、やっぱりこの空中庭園のお世話をしていたの?」
「ええ、毎日。あの頃ここは色々な花がいつも咲いていて、とても綺麗な場所だったんです」
(そっか、やっぱりそうだったんだ。農場のおじさんが言っていたルクレツィア様は、ここで草花を育てて)
「小さい頃、僕や兄上もここで遊んでたんです」
「ダンタリアン君とサレオスさんて、やっぱりお母さんが違うの?」
「はい。父上は沢山の妃に子供を産ませていましたからね。実際のところ兄弟が何人いるのかなんてわからないくらい」
「ええ!そんなに?昔の人は子だくさんて聞いたけど、数えきれないくらいって」
「もちろん、正式に王族として認められた子供の数はわかっていますけどね。妃以外に産ませた子供は記録に何も残されません。酷いもんですよ、父上の女関係はアハハハハ」
(王様の女関係って古今東西、異世界関係無しか。まったく男の人って……)
「そういう僕だって4歳になってようやく王族の一員として認められ、このお城へ引っ越してきたくらいですから。いやあ、イジメられたなあ、あの頃は」
「そっか、あなたにも色々あったんだね……」
気楽そうな普段の姿からはそんな苦労想像もつかない。
「いやあそれほどでも、照れるなあ」
「や、別に褒めてはないけど」
ダンタリアンは何故か嬉しそうに頭を掻いていた。
「サレオスさんってどんな子供だったの?」
「兄上はルクレツィア様と一緒の時以外は、いつも独りで本を読んでいましたね。他の王子をあからまに無視して、初めの頃は僕も口を利いもらえませんでしたよ」
「へー、それなのに今は随分と仲がよさそうだね」
「僕、お城に引っ越して間もない頃に、この花壇でツクレツィア様を見て一目惚れしちゃったんですよ!いやあ、本当に綺麗だったなあ、良い匂いがして優しくて。まさに美の化身!美魔神!僕はいっつも後を付けて回りましたよ」
「相変わらず話が飛ぶなあ……。君その頃、4~5歳くらいでしょ?そんな小さい時から女好きなんだ。ちょっと引くわー」
「否、否、否」
ダンタリアンは心外と言いたげに、首をゆっくり振りながら否定する。
(なんかイラッとくるな今の)
「僕が好きなのは真に美しい女性だけです!心ときめいたのは生涯でルクレツィア様と姉さんの二人だけです!」
「いやいや、それはもういいからさ。その話がサレオスさんと仲が良くなることと関係あるの?」
「はい!ルクレツィア様の後を追いまわしてると、兄上に見つかって追い払われるんです。あの頃は本当に兇暴な人で、僕の上に馬乗りになって鼻血が出ても構わず殴り続けるんですよ!」
ダンタリアンは当時のことを思い出し、自分の腕を抱くようにして蒼白になる。
「裏庭では奴隷の子供達と一人で抗争を繰り広げてましたからね。まさに小魔王!」
「サレオスさんにそんな元気な頃もあったんだね。ちょっと意外かも」
「でも、ルクレツィア様がその度に『仲良く遊びなさい』って止めに入ってくれるんです。で、そんなことが続くいてるうちに、すっかり本当の兄弟のように仲良くなって」
「いやいや、あなたたち実際兄弟でしょうに」
「まあそうなんですけど、魔王城の中って妃同士の争いで真っ黒ドロドロなんですよ。王族同士だと兄弟というより、ただの競争相手って感じです」
ダンタリアンは眉間に皺を寄せる。
(一人の魔王を巡るさや当てかあ。それに、自分の子を王位につけたいとか色々あったんだろうな。確かにそんな環境じゃあ仲良くなり様もないか)
「いや、あの頃の魔王城ってホント最悪、まさに魔界ですよ。僕の母上の所にも父上の兄弟や、貴族なんかがしょっちゅう下品な笑い顔でやって来るんですよ。何の話をしているのか、難しくて僕になんか理解出来なかったですけどね」
(女同士の宮中での闘いに、公爵みたいな連中の権力闘争?そりゃ確かに魔界だなあ。私なら逃げ出してるかも。苦労されたんだろうな、ルクレツィア様も)
「ルクレツィア様は花壇ではいつも笑顔でしたけど、兄上はいつも怒っている様子で『母は俺が守る』って口にしてました。でもそれも叶えられなくて」
ダンタリアンは急に声のトーンを落した。春菜は言葉に暗い響きを感じ取る。
「叶えられなかったって……どういう意味?」
「ルクレツィア様は殺されたんだって、兄上は言ってました」
「!」
心臓を殴られるような強い衝撃に、春菜は胸を掴んでその場にしゃがみ込む。
(お母様が殺された……。亡くなったとは聞いていたけど、そんなことが……だからヴィネアさんも教えてくれなかった)
「姉さん!大丈夫ですか!」
ダンタリアンが心配そうに傍らに駆け寄る。
「う、うん。ごめんなさい。ちょっと、驚いちゃって。サレオスさんのお母様が殺されたって、どうしてなの?」
「わかりません。実際には死因はハッキリとせず本当に殺されたかどうかわかってません。ただ、ルクレツィア様は王族唯一の人間として、色々とあったそうです」
(色々って、そんなのよくないことに決まってる)
「結局、ルクレツィア様は病死と判断されました。けれど兄上はそんなこと信じてません。葬儀が行われないことにも怒ってました」
「王族がお亡くなりになったなら、国葬とか大々的に執り行われるんじゃないの?」
「その人の地位によって規模は違いますよ」
(だからって葬儀も行わないなんて……。もしかして、ルクレツィア様が人間だったこととも関係が?)
推測に過ぎない。けれど、そんな風に扱われて残された者はどう思うか。
(お母様を殺され、その死すら弔ってもらえないなんて、サレオスさんはどんなふうに思ったんだろう)
無念は計り知れないだろう。春菜は唇を噛みしめ、痛みに堪える様に花壇の土を握りしめる。
「だからね、兄上は魔王城をもうそんな風にはしたくないんじゃないかなあ」
「え?」
「僕、今の魔王城って凄く居心地がいいと思うんです。亜人もいて獣人もいて、姉さんもいて。ギスギスもしてなくて、みんな楽しそうじゃないですか。きっとここなら、もう悲しいことは起こらないですよ!」
朗らかな声を上げたダンタリアンの顔は、やっぱりサレオスと少し似ていた。
「フフ、そうだね。なんか私もそんな気がする」
この城の居心地の良さは、唯一の人間である春菜が誰よりも実感している。
「だから、姉さんも安心して僕の姉上になってください」
「いや、だから弟にする気はないんだって」
「大丈夫ですよ、僕って勘だけは鋭いらしいですから!それじゃあ、もう行きますね。次に姉さんと会ええる日を楽しみにしてますよ」
ダンタリアンは水やりを終えると、楽しそうに庭園から去って行った。
「サレオスさんの過去にそんなことがあったのか……」
幼いサレオスにとって、この魔王城の生活はどんなものだったろう。聞いた話から察すれば、ここは母子にとっては文字通り魔界だったに違いない。
「なんだか、このお城がもぬけの殻だっ理由が、わかってきたような気がするなあ」
サレオスは城に人がいない理由に、先王に関係する者を追放した以外もあると言っていた。魔王に即位したサレオスが、例え私怨でこの城から住人を追い出していたとしても、それを責める気にはなれなかった。
「この魔王城が、サレオスさんにとって居心地のいい場所になってくれたらいいな」
春菜は水を浴びて緑を濃くした花壇の草花を見廻した。




