緊張
今まで鏡張りの衣装室を利用していたのはヴィネアと春菜の二人だけ。しかし、最近になってここに専属の係が配属された。
「お待ちしておりました、お嬢様。魔王様との食事の席に相応しいコーディネートをするように、上長より申し付かっております」
セイレーンが涼しげな美声で春菜を出迎える。
「よろしくねアミーさん。衣装係が女の人だと私も気が楽だよ」
「ヴィネア様のセンスには及びませんが、精々務めさせて頂きます」
アミーは慇懃に頭を下げた。彼女はビキニのような生地の少ない服の上に、自らの背中に生える長い翼を衣服のように纏っている。足は信じられないほど細く、くるぶしから先が鳥の脚と同じかぎ爪になっている。
(うーん、鳩胸を覆う羽毛と抜群のスタイルが醸す妖艶な美しさ。獣人の女の人はどうしてこうも美人が多いんだ)
若干の嫉妬が籠った眼差しをアミーの胸に向ける。
「そのような熱い目でご覧になられたら困ります。これを差し上げるわけにはまいりませんが、ご所望とあれば――」
「や!そんなつもりじゃあ……スミマセン」
アミーはクローゼットを周り、ハンガーに掛けられた服を取り出し壁に吊るしていく。
「僭越ではありますが、三着ほど見立てておきました。魔王様はおそらく公務で着られる式服。砕けたお二人だけの食事でも、春菜様もそれに準じた服装がよろしいかと思われます」
並べられたのは長袖ミディ丈の無地のワンピース。装飾も露出も控えめで、謁見式で着た物とは趣が大分異なる。
「素敵!シックで大人の女って感じ。アミーさんセンスいいね」
「どれもお嬢様の美しい黒髪に映えるお色です。お好みでお選びください」
「うーん……、どれにしようか迷っちゃうな」
春菜はワンピースに近づいて、1着ずつ生地の質感やシルエットを確認していく。
「ふーん、スカート丈はどれも膝下なんだね。首のラインも浅めで……決めた、これにする」
選んだのは肩口から先がレースになった紺色のワンピース。
「なるほど、一番攻撃力の高い物を選ばれますか。お嬢様の今夜への意気込み、承知いたしました」
「ええ!違う、単にこれが一番可愛いって思ったから選んだだけだよ」
慌てて否定すると、アミーは無表情で頭を下げた。冗談なのか本気なのか分からない。
「失礼をいたしました。お詫びに一曲歌わせて頂きます」
「え?なんで?まあいいや、じゃあお願いしちゃおうかな」
何故それがお詫びになるのかわからず、彼女なりの冗談かと応じる。するとアミハーは胸に手をあて目を閉じる。
(うわっ!本当に歌い出した!……綺麗な声。これ冗談のお詫び以上に価値があるよ)
その歌は美しく、乾いた大地に水が染み込むような潤いを持っていた。アカペラで歌っているにも関わらず、どこかでメロディーが奏でられていると錯覚してしまう。聞いたこともない言語の、意味も分からない歌に春菜はうっとりと聞き惚れた。
「ご清聴ありがとうございました。それではお着替えを手伝わせて頂きます」
歌い終えたアミーは春菜の背後に回り込み、着ている服に手を伸ばす。
「いやいやいや、さすがにこのワンピは一人で着られるから、部屋に持って帰るよ」
「チッ、不覚。私の歌もここではグシオン様の結界に阻まれますか」
「舌打ちされた!なんでそんなに残念そうなの?」
「いえ、どうかお気になさらず。私はただ美しい女性の着替えをお手伝いするのが大好きという、ただそれだけのことなのです」
なにやらよからぬ気配に尋ねてみれば、アミーは悪びれる様子も怪しげなことを答える。
「気にしますよ!なんですかそれ、ちょっとHじゃないですか!」
「Hとは?」
「変態と言う意味です」
「心外です。私は純粋に、心から美しいものにお仕えしたい。ただそれだけを歓びとしてしています。そこにやましい気持ちもなければ、非難を受ける行為も存在しません。ただ、美を追い求めるとは時として――」
春菜からの申しでは不当であると、アミーは持論を展開し始める。
「わかった、わかりました。もう結構です。Hと言ったことは取り消します」
「ご理解頂き、感謝いたします」
「ヴィネアさんがあなたをスカウトした理由がわかった気がする……」
春菜は若干の疲れを感じながら、ワンピースを手に衣装室を出て行った。
部屋で着替えを済ませてしばらく後、春菜は女中に呼ばれてプライベート・ダイニングへ向かった。
四階の奥まった所にある小さな部屋は、中央に真っ白なクロスが引かれたテーブルと、二脚のイスが置かれていた。部屋の明かりは四隅に置かれたランタンと、テーブルの上に置かれた燭台のローソクのみ。
ほの暗いながらに落ち着いた雰囲気を醸している。テーブルの上には銀のナイフやフォークが整然と並べられ、橙の光を眩しいほどに反射していた。
(なんかすごく高そうなお店みたい。ちょっと緊張しちゃう)
部屋に飾られた絵画や調度品は、見るからに歴史を感じさせる品ばかり。春菜だって男性と二人きりで外食をした経験はあるけれど、これほど高級な個室でするのは初めてだ。
サレオスは既にイスに腰かけ、春菜が来るのを待っていた。
「ごめんなさい、お待たせしちゃいました」
「気にするな、俺もさっき来たばかりだ」
まるでデートの待ち合わせのようなやり取り。春菜がテーブルに近づくと、給仕を務めるフールルがイスを引いてくれる。
すぐに料理が運ばれて来るが、出されたのは湯気の立つスープ一品のみ。配膳室から物音が聞こえるから、調理人が続けて出す料理を取り分けているのだろう。
(こ、これは、もしやフランス料理?いや、そんなわけないって。作ってるのはバアルさんだし)
大学を卒業する時に、友人たちと記念で行った高級レスランを思い出す。あの時、慣れた友人から色々作法を教わったけれど、今日はどうしたものか。慣れない手つきでスプーンを口に運ぶ。
(うーん、作法はこれであってるのかな?お国によって違うんだろうけど、異世界のマナーなんてわかりっこないよ)
黄金色のスープを飲み込んでも、味がわからない。バアルが今まで作ってくれた料理に不味い物なんてなかったから、きっとこれもおいしいに決まっているはずなのに。
春菜は自分が相当緊張していることを自覚して、グラスに入ったワインに手を伸ばす。お風呂で汗を掻いたことも手伝い、無性に喉が渇いて一息で飲み干した。すぐに傍らのフールルがワインを注ぎ足す。
「今日はどうして食事に誘ってくれたんですか?」
「明日からは行魔で留守にするからな。お前とも忙しくてしばらく話せていなかった」
(そうだよ、お陰ですっかりビタミンSが不足しちゃってます)
『S』とはサレオスのこと。もちろん言う勇気はない。春菜はまたワインに手を伸ばす。
「……これは先日のデートの埋め合わせというやつでしょうか?」
恐るおそる尋ねると、サレオスが悪戯な笑みを浮かべる。
「そんなつもりじゃなかったが、ハルナがそうしたいと言うならそうするぞ?」
「や!そんな意地悪いわないでください。何か別で考えてくれているなら、そっちも期待します」
「いや、何も考えてないんだが」
「そうでしたか……。考えてください、結構期待してます」
大げさに項垂れてみせると、サレオスは小さく笑った。
「出発は明日の何時ごろ?私見送りに行きますよ」
「そうか。別に早い時間に出るわけじゃない、多分お前が午前の休憩を取っている頃だ」
「確か十日位留守にするって聞きましたけど」
「予定通りに進めばな。大所帯だからどうなることか」
二皿めのサラダが運ばれてくる。イチジクに似た木の実にワインビネガーが掛けられ、口に入れると甘さと酸っぱさが広がり食欲をそそる。春菜の味覚も正常運転を始めていた。
サレオスはナイフやフォークを音を立てずに扱い、慣れた手つきで料理を口に入れていく。所作の一つ一つが洗練されていて、外見に負けず劣らず、食べる姿までもが美しい。
「あ、今日ね――」
『花が咲いたよ』と言いそうになり、慌てて口を塞ぐ。できれば陽桜草が満開になるその時までは秘密にしておきたい。
(ああ、でも帰って来る時までに散っちゃうか?いや、いくらなんでもそんなことは――ああ農場のおじさんに花持ちを聞いておくだんだった)
「服を着替えたんだな。初めて見る」
「え?」
言うべきか言わざるべきかと悩んでいて、何のことかと一瞬考える。サレオスは春菜を指差した。
「あ、そう!どうですかコレ?衣装係さんに見立てて貰った中から私が選んだんですけど」
春菜は少し回り始めたワインの酔いも手伝い緊張が和らいでいた。両腕を掲げて肩口からレースになっている袖を、よく見える様に右へ左へと体を捻る。素面だったらここまであからさまに、『見て欲しい』アピールは出来ない。
「うん、いいじゃないか」
「もー、ちゃんと言葉にするのは大事なことですよ。たまにはハッキリ言って下さい」
「なんだその褒められることが前提のようなダメ出しは」
サレオスはフォークを持つ手を止め、目を細めて春菜を凝視する。
「よく似合っているぞ。ドレスの紺にハルナの黒い髪と瞳が映えている」
「んふふふー、ありがとうございます!」
嬉しさで相好を崩し体をくにゃくにゃさせる春菜。横のフールルが小さく笑っていた。しかし、サレオスの攻撃がここから始まる。
「で、そのドレスは俺のために着てくれたのか?」
「え?ええと、それはまあなんというか」
獲物を狙う肉食獣のような目が春菜を捕えて離さない。今更ながら照れる気持ちが沸き起こるけれど、ドS魔王は許してなんかくれない。
「なんだ、違うのかそれは残念だ」
押してダメなら引くとばかりに、サレオスはわざとらしく肩を落す。
「てっきり、お前は俺を楽しませるために、ドレスを着てくれたと思ったんだがなあ。そんなつもりは無いか」
「だって、それは……そんなことわかってるでしょ?」
「言葉にすることが大事、お前にさっき教わった」
ブーメランが直撃し、春菜はいよいよ観念する。
「わー!言いますよ、言います!サレオスさんのためです!サレオスさんに見て欲しくって着替えたんです!だからそんなに苛めないでー」
泣き出しそうな声で懇願すると、サレオスは満足そうに笑った。その後ろでは大きくため息を着いたフールルが配膳室へと姿を消す。
「礼を言うぞ」
「え?」
敗北感でうな垂れていた春菜の耳に、小さくやさしい声が聞こえた。
「あの、今何か言った?」
「……」
咄嗟に顔を上げて尋ねても、サレオスは否定も肯定もせず、何事も無かったように黙って料理を口に運んだ。




