感謝
「先に言ってよ!」
わざわざ上品ぶって攻めて立てもまるで効果はない。戦略的笑顔が空振りに終わった春菜の笑顔は一瞬で般若と化す。
「面白い顔芸だな。また、表現を広げたじゃないか」
「芸じゃないし!もう、そういうことじゃないんだよー。なんで、教えてくれないの?教えてくれたらもっと準備できたのに。服とかお化粧とか、女には他にも色々あるんだよー」
「驚かせようと思った」
拗ねる春菜にもサレオスが悪びれる様子はまったくない。
「十分驚いたよ。もう、私いつもと服変わんないよ。もっとオシャレしてくればよかった……」
いつもの城内でのスタイルは可愛くて気に入っているけれど、折角サレオスと街に行けるのだ。どうせなら特別な格好をしたい。
「同じじゃないだろ?その小さな麦わら帽、俺は初めて見るぞ。悪くない」
「えっ……ホントに?」
「ああ」
帽子のつばを指先で摘まんで、少し体を斜めに構え直す。たったそれだけの一言で、春菜の機嫌は回復した。
「今日は俺が護衛として街をエスコートする。不満か?」
「そ!そんなわけないじゃん!ですよ……」
「ならいい、乗れ」
春菜が馬車に近づくと、サレオスが片手を差し出す。少し照れながらその手を取って片足を馬車のステップに乗せた途端、グイッと体が引き上げられる。
「きゃっ」
予想もしていなかった力強さに、春菜はつんのめるよになってサレオスの胸元に顔を近づける。
(サレオスさんの匂い)
こっそり嗅いだシーツと同じ優しい安心する匂いに、心と体がぽかぽかになる。
「出すぞ」
サレオスが手綱を取って馬車を走らせる。春菜は顔を上げることが出来ない。
(今日は一日サレオスさんと街で一緒。やばい、どうしよ。隣に座っているだけで、顔がニヤけちゃう)
魔王城の裏門を抜け、街道に入ってからも周りの景色を見る余裕がない。
「もう手は痛まないのか?」
「……これデートだよね……」
サレオスが尋ねるのもそっちのけ、春菜は誰に伝えるでもく小声で自問する。頭の中はそのことが気になってしかたない。
「もう手は痛まないのか!」
「え、ええ?何ですか?」
「もう手は痛まないのかって聞いたんだ」
(やばいやばい、変な女と思われてしまう)
既に手遅れのようにも思えるけれど、春菜は大きく息を吐き出し、ぺちぺちと頬を叩く。
「はい、手はもう昨夜から全然痛くないです」
「そうか。ならよかった。馬車の揺れで痛んだら遠慮するなよ」
(優しい……それにいつもより顔が和んでるように見える)
周囲の景色もようやく目に入り出す。それでも、やっぱり一番に気になるのはすぐ側の人。
(距離、超近い。そりゃ二人乗りなんだから当たり前だけど、ちょっとこうすれば)
春菜が手を少し曲げただけで、隣のサレオスに指先が触れる。
(世のカップルが車でデートするのはこういう理由か!そりゃ小さい軽自動車が売れわけだよ)
浮かれるあまり的外れの経済分析をする春菜。
「今日はどうしてサレオスさんが警護……街を案内してくれるんです?」
「この前の礼だよ。怪我の慰労も兼ねてる」
(あれ?確か元々は仕事が上手くいったご褒美でお願いした気が)
「眼鏡屋に行きたいんだったな」
「そうです。あとウェパル通りにあるっていうミカルってお店に」
「その店に何かあるのか?」
「はい。美味しいケーキが評判のカフェだそうです」
「ケーキかそれはいい」
サレオスは目を細めて満更でもなさげに呟いた。
「あれ、サレオスさんもケーキ好きなんですか?」
「まあまあだな。よし、じゃあ観光名所を幾つか回って、お前が行きたがってる店に行ってみるか」
「……絶対デートだよこれ」
春菜はサレオスに聞こえぬよう、ごく小さな声が喜びを漏らした。
初めて訪れた王都は、想像よりも遥かに都会的で洗練された街だった。
片側6車線はある道路には沢山の馬車が行きかい、両側にはオープンテラスのカフェや商店が並ぶ。石造りの建物は高さが一定で、色調も統一されている。街並みは美観を意識した作りであることが伺え、街を行きかう魔人達もどこかオシャレに見える。
サレオスは大通りから石造りの橋を渡り、大きな城塞へと馬車を進めていく。橋の先では槍を手にした兵士が道を塞いでいた。
「止まれ!ここは立ち入り禁止だ」
兵士はサレオスの運転する馬車を止め、険しい顔で詰め寄ってくる。
(あ、城の外を警備している衛兵さんと同じ服装)
「ここは王家の所有する地。一般人は立ち入り――」
行く手を塞いだ兵士はサレオスを見上げると、顔を確認したかと思うと目を細めて凝視し、数秒間硬直してから慌てて後ろに飛び退く。
「失礼いたしました!ご無礼をお許しください!」
「構わん、それがお前達の仕事だ」
恐縮しきりの兵士に声を掛け、サレオスは馬車を走らせ城塞の中へと入って行った。しばらく川上に向かって移動してから下りる。
「着いたぞ。ここがルテシ島だ」
案内された城塞は街を分断して流れる大きな川の中州に建てられていた。岸辺は全て石のブロックで護岸がなされ、高い城壁と化して垂直に切り立っている。
「この先端に立ってみろ」
(あ、手……)
サレオスは自然に春菜の手を引いて、川の上流に向かう城壁の突端へと導く。
「川の水が城壁の両側に分かれて、船の舳先に立ってるみたい。両岸は建物が壁のように並んでるのがよく見える……。立派な街ですね、王都って」
「はるか昔に魔人の祖先は川を遡ってこの中州に住み着いた。ここはイスラの発祥の地だ。1000年以上前から城塞として使われ、王城も元々はここにあった」
「ああ、だから衛兵さんが警備しているんですか」
「歴代の王が住んだ居城だからな。神聖な地として管理していく必要があるんだ。地下には神殿や牢獄、迷宮まで備わってる」
「はは、いかにも魔人の発祥地らしいですね。でも、なんで中州なんでしょう?だって、狩りをしたり畑に行くのも川を渡らないといけないから、暮らすには不便でしょう?」
「守りやすい場所だからだろう。魔人は元々数百人規模の小さな集団だったらしい。長い年月をかけて人間との戦いの繰り返し、今では大陸最強の国家だ」
「それを私に教えたくてここに?」
「魔人を十分賄えるだけの国土をイスラは持っているのに、これ以上版図を広げてどうするっていうんだか」
サレオスは春菜の傍らに立ち、川上を見つめた。その顔は穏やかで、人間と敵対してきた魔人の王にはとても見えない。
「サレオスさんは人間を征服したり、戦争をする気はないんですね」
「ああ」
「そのために王の座に就いた?」
「それが全てじゃあないけどな」
(そっか……。争いを止めたくて、理想があってクーデーターを起こしたんだ)
「昨日、ヴィネアが俺の所に来て、母の名前をお前に教えたことを謝っていったよ」
「そんな、私が無理に聞いたのに」
「顔とやることに似合わず、誠実な奴なんだよ。聞いたんだろう?俺の母が人間だって言うこと」
「ヴィネアさんから聞いたのは、お母様の名前だけでした。ただ、他にも覚えていらっしゃった方がいて、自然とそのことにいきつきました」
「そんなに申し訳なさそうな顔をするなよ。まったく、どいつもこいつも……。別に俺は母のことを隠している訳じゃないっていうのに」
「え、そうだったんですか?」
サレオスは苦笑する。
「ちょっと付き合いの古い奴ならみんな知ってることだ。わざわざ言う必要もないだろ。それに親が人間だとか魔人だとかはどうでもいいことだ」
「そんなことない!」
春菜は自分でも驚くくらいに大きな声を出していた。サレオスは少し呆気に取られたよう口を開けている。
「サレオスさんはこの世界で、それが『どうでもいい』ことになるよう、人と魔人の垣根を取り払うために魔王になったんでしょ?だから、上手く言えないけど、それはどうでもいいことなんかじゃない」
その言葉にどれだけの意味が籠っているのか。『どうでもいい』と言い切れるようになるまで、どれだけの出来事を乗り越えてきたのか。
サレオスは春菜の言葉を聞いて黙りこむと、しばらく思案するように視線を巡らしてから口を開く。
「お前には感謝している」
出し抜けに出た礼の言葉に、春菜は意味がわからず首を傾げる。
「掃除のことですか?あれは仕事ですからね、お礼はいりませんよ」
「そうじゃない、一昨日のことだ」
「一昨日……謁見式、ああ!公爵をぶん殴ったことですか――」
「違う。お前が怒ったことに対してだ」
「怒ったこと……。ふふ、お礼を言われるなんて思わなかった。だって、あれは私が許せなかっただけなんですから」
春菜は笑った。誰かに感謝されることで、こんなに優しい気持ちになれるなんて思ってもいなかった。サレオスは後ろを向き、かつて王族の居城として使われていた城塞の突塔を仰ぐ。
(この人は優しいな……すごく優しい。私がこの人のために出来ることがあればなあ)
背中を見て浮かんでくる尽きることのない感情。春菜はその思いを口にする。
「私、掃除しか出来ないけど、サレオスさんのためなら何だってするよ。今決めた」
城壁に当たる川の水が、心地よい音を止むことなく奏で、二人だけの時間が流れる。
「そうか、心強いな。じゃあ俺はお前、……ハルナが怪我をしないよう、気を付けることにする」
「!」
とても穏やかなサレオスの声だった。けれど、春菜の名を口にしたサレオスの顔は、後ろを向いていて見ることが出来ない。
(名前呼んでくれた……名前呼んでくれた!どうしよう、すごい嬉しい、そしてなぜか恥ずかしい!私は思春期の女子になっちゃった!でもこの気持ちは止めらないよ)
春菜はくちゃくちゃになった顔を手で覆い隠す。今はサレオスが背中を向けていることを感謝するしかなかった。




