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護衛

春菜は言われた通り掃除を休んだ。


「はぁ、手の怪我だけで、他は健康だからズル休みみたいで気が引ける。やることもないしなー」


魔王城での生活は家事から解放される。その上、娯楽がほとんど無いに等しい。


「ここでの趣味と言ったら空中庭園の手入れぐらい。他にもなんか探さないとなー」


部屋で一日寝ているのも退屈で、結局は空中庭園の手入れに向かった。


周囲の自然から隔離された環境にあるせいか、花壇には雑草が生えることが殆どない。それでも水やりをしたり、どこからともなく発生する毛虫を駆除したりと、やることは色々ある。


花壇には陽桜草の他にも、農場のおじさんからもらった苗を少しずつ植えていたので、今では緑も賑やかな文字通りの庭園と化していた。


「うーん、花はもう少し先かな?蕾っぽいの見られるけど、これは果たして」


「おや?お嬢様かい」


庭園と城内を隔てる塀の向こうに、赤髪の女性の姿があった。給仕のエキドナだ。


「フールルさん」


「珍しいねえ、こんな時間に庭園の手入れをしているなんて」


「まあ、そうですかね。いつもは朝早くとか、日暮れ前が多いですから。今日は怪我をしたんで仕事にならなくて」


包帯の巻かれた右手を翳してみせると、エキドナは愉快そうに口を綻ばせる。


「聞いたよお。謁見式でムカツク奴をぶん殴ったんですってね。見かけによらず鉄火肌なところがあるじゃないか、あんたもやるねえ」


「お恥ずかしい。でも後悔してません」


「いいねえ、そうこなくっちゃ。あの公爵は死んで当然のクソ野郎さ。もし私がその場にいたら、絞め殺してやったところだよ」


フールルはこめかみに血管を浮かび上がらせ、床に伸びたシッポの先をもたげさせる。


(体大きいよなあ。公爵に巻き付いてた召喚獣以上かな。この体で巻付かれたらどうなっちゃうんだろ。ちょっと怖いな)


春菜の視線に気が付いたのか、エキドナはペロリと赤い舌を覗かせる。


「ふふ、まあね。いくらこれが強いって言っても、魔を行使する王族クラスに敵いはしないのさ。私の仲間だってあの公爵に何人も殺された」


「あいつ!そんな酷いやつだったんですか?」


「狩りと称して獣人を殺すような狂人だよ。お嬢様と魔王様に私ら獣人は喝采を送ってるよ」


フールルは豊満な胸で春菜を抱擁する。これは感謝の表れか。


(柔らか!これは別の意味で凶器だわ!)


「あの公爵は魔王様から蟄居を命じられたそうだねえ」


「はい。流刑にして財産は領地も含めて全て没収するそうです。サレオスさん、それはそれは楽しそうに『不満があるならいつでも攻めて来い』って言い捨ててました」


「カッハハハ!ざまあないねえ!ほんと、溜飲が下がるよ……」


フールルは大笑いした後に急に黙り込み、まだ花をつけていない草花を見つめた。その顔は綺麗で、少し寂しそうだった。


「あの、大丈夫ですか?」


「ん?ああ、すまないね。ちょっと思い出してた。なあに、大丈夫さ。せっかく魔王様に助けていただいたんだ、これからもばんばん子供を産んでやるさ」


「子供……」


何が起きたのか聞くのは憚られるように思え、春菜は黙り込んだ。気を使わせまいとしたのか、フールルは明るい声を出す。


「お嬢様、子供を産んだことは?」


「え?ありませんけど」


「そうかい!いい男はのんびりしてたら誰かに取られちまうよ。もっともこのお城にはライバルが少ないから、そんな心配をしてないのかい?」


「そ、そんなつもりは……そういうものですか?」


「ああ。いい男であればあるほどね。だからこっちから誘惑してやんないとさ。私でよければ相談にのるから、あんたもしっかりおやりよ」


「ゆ、誘惑ってそんな!」


「カッハハ、照れない照れない!あんたは良い女だけどね、待ってるだけじゃダメだよ」


エキドナはシッポの先で春菜の顎をくすぐり、笑いながら去って行った。



「ゴフッ!お嬢ちゃん聞いてるぜ!貴族の野郎を成敗したんだってな!」


厨房に入るなり、バアルが作業の手を止め笑いながら尋ねた。


「ええ!まさかここでも?」


「おうよ、もうすっかり噂になってらあ。あの先王の弟を絞め殺したって評判よ」


「はあ?なんで私が殺したことになってるんですか。ぶん殴っただけですよ」


春菜が右手を見せてやると、バアルは意外そうな顔をする。


「そうかい?ちょいと話は違うが、まあ似たようなものじゃあねえか。もっと誇らしげな顔をしろい」


「いやいや、程度に差があり過ぎますって。まいったなあ、そんなに尾ひれまで付いちゃって。どうしてそんなに噂が広まってるんだろ」


「あの貴族は嫌われていたからなあ、そりゃ広まるのも早いやな」


「そっか、フールルさんも問題人物だって言ってた」


「おうよ!先王の頃はこの城にしょっちゅう顔を出していて、我が物顔でふんぞり返っていやがったよ。あの頃の魔王城はああいう、嫌な奴らで溢れていたからな」


「うわ、なにそのお城。よかった、私がお勤めする今はそんな人がいなくって」


「ハッハハ、そりゃあ魔王様が全部追放しちまったからな、この城も住みやすくなったもん――」


バアルは急に口を閉ざし、厨房の入口へ顔を向ける。以前、過ぎたことを口にして、グシオンに叱られた出来事を引きずっている。


「ゴフン。危ねえ危ねえ、嬢ちゃん、今俺が言ったことは内密だぜ」


「ん?うん。けど、私も結構前にサレオスさんからその話を聞かされたよ」

まだ全てを明かされたわけではないとはいえ、今では春菜も過去の事情はある程度把握していた。


「そうか、聞かされてたのかい。じゃあ、もう隠すこともねえやな」


「はは、その節はご迷惑をおかけしました」


「なんのなんの、それはこっちの台詞よ」


気心の知れたバアルは、春菜のために片手で食べられるように、サンドイッチや皮を剥いた果物を用意してくれる。


「ねえ、バアルさん。私、明日街に行くことになったんだけど、何処かお勧めってあるかな?」


「お勧めねえ、生憎と俺は王都には詳しくねえからなあ。おう!オメエ等ちょっとこっち来い」


バアルが一声掛けると、たちまち厨房にいる調理人が集まる。


「オメエ等は王都にも詳しいはずだよな。明日、嬢ちゃんが遊びに行くってんだが、どっかお勧めの場所はあるかい」


「あ、それでしたら少し前に出来たカフェなんて如何です?大陸の南方から取り寄せた木の実を使って、今まで見たこともないうまいケーキを出すって、評判になってるんですよ」


「ふーん、悪くねえな。お前は食ったことがあるのかい?」


「いやー、生憎とまだ。これがいくら食べても太らないって、王都中の女達の評判で。ウェパル通りに行列が出来てるそうです。確か店の名はミカルとか」


「けっ、いくら食っても太らないって、んなもの飯として欠陥品じゃねえか。だが、うまいってんなら、後学のためにオイラも食ってみてえもんだ。オメエ、今度買ってきてくれるかい」


「へい、ですが持ち帰り不可ってことらしいです。それがまた反って評判の一因だとか」


「ふん。上手いこと考えやがるもんだな。どうだい嬢ちゃんは?」


「いいですねそれ!太らないって、それは是非食べてみたい」


春菜が顔を輝かせると、逆にバアルは不満そうに漏らす。


「つれねえこというない。俺が出すデザートはちょっとしか食べてくれねえじゃねえか」


「違うよ!それはバアルさんのご飯がおいしいから、食べ過ぎないようにっていつも我慢してるんじゃない!もう、乙女心わかんないかなあ」


「何言ってんだよ!女の子は太ってるほど可愛いに決まってるじゃねえか!オイラはいつも嬢ちゃんのためを思って、たっぷりと飯を出してるんだぜ」


「ゲッ!そんな思惑持ってたんだ!やだなにそれ、先に言ってよー」


「お嬢様、オークの美的感覚は特殊なので、お気を付けになった方がいいですよ」


「うん、なんか今そんな気がした」


「うるせえ!余計なお世話だ!、話は終わりだ。仕事に戻りやがれ」


バアルにどやされて持ち場に戻る調理人達。その日から、春菜の申し出により食事の量が減ることになった。




春菜は朝食を取り終えると、言われた通りに厩舎へ向かった。そこには既に一頭立ての二輪馬車が用意されていた。


辺りに馬丁ばていの姿は見当たらない。


「お、これに乗って街まで行くんだ。大きさからしてこれは二人乗りかな?じゃあ馬車の運転手さんは護衛と兼任か」


春菜は恐るおそる牛と馬の合いの子のような、少しずんぐりとした大きな馬に近づく。


「よろしく頼むね馬……君、馬でいんだよね?」


「こりゃあ、お嬢様おはようございます」


現れた馬丁が水の入ったバケツを馬の前に置くと、ごふごふと物凄い音を立てながら勢いよく飲んでいく。


「おはようございます。これは馬いいんですか?」


「ええ、そうですよ。こいつは牛馬っていう種類の馬です。見たままに足はそれほど速くはないですが、持久力が有って農耕にも使われてます」


「牛馬……牛なのか馬なのかわからないネーミングですね」


「お嬢様は朝の散歩の途中ですか?」


散歩の途中で物珍しから厩舎を覗くことも多かった。仕事は一緒にしたことはなくともおじさんとは顔見知りだ。


「あれ、聞いてません?今日これに乗せてもらって街まで行くんですけど」


「え?今日、馬車をお使いになるのはお嬢様だったんですか?私は衛兵が使うんだとばかり」


「いえいえ安心してください、運転するのはたぶん衛兵さんですから」


「衛兵と二人でお出かけですか?この馬車はお嬢様が乗るような上等なものではありませんよ。王族用の方がよろしいのでは?」


「あんな派手な物に乗ったら、目立って仕方がない。これで十分だ」


後ろから突然声を掛けられ振り返る。


「サレオスさん!どうしてここに――それにその格好?」


羽織ったジャケットは華美な装飾が抑えられたシンプルなデザイン。カーキ色のパンツにブーツを履いて、ハンティング帽を被ったスタイルは普段とは別人のようだ。


(くぅ、今日はいつもと違ってラフ!これはこれで格好いい!でも)


しかし何故魔王がこんな所にいるのか。誰より慌てているのは馬丁だ。彼は飛び上がるように驚くと、すぐさにその場に膝を着いて頭を下げる。


「よせよ、今日は私事だ。頭を上げろ」


サレオスはひたすら恐縮している馬丁を立ち上がらせ、さっさと馬車に乗り込んでしまう。


予想外の出来事に春菜は首を捻って考える。


(OK落ち着こう私。ここに至っては、もうサレオスさんがいる理由は一つしかない。でもそれならそれで、私は乙女として言わなければいけないことがある。まずは笑顔で尋ねよう。それが反って怒りを表すはずよ)


春菜は勤めて明るい笑顔を作り、上品に訪ねる。


「魔王様。これはいったいどういったことなのかしら?」


「俺が護衛だ」


サレオスはしれっと答えた。

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