リアンの帰郷 前篇
本編とベリル篇の間にある物語です。
お盆だから・・・という訳ではありませんが、
リアンが地方都市ルーマに視察兼ねて帰郷します。
旧カリン宮の最上階に位置する自治省長官室。
伯爵令嬢でありながら庶民育ち、王太子妃でありながら大臣職という
異色中の異色の経歴を持つリアンが今日も今日とて執務に勤しんで
おりました。
優秀な次官や秘書官に頼れば幾らでも手抜きできてしまう長官職
…現に前任の某公爵は長官とは名ばかりのグウタラぶりでありました
(もっとも彼の場合、別の長官職で頑張っていたという若干の“言い訳”が
あったりする)。
しかし、両親の死が天災というよりも人災、役人の不作為に依るところが
大きいリアンは如何に信頼する部下たちであっても仕事を他人任せに
したりしない。
むしろ自分からせっせと仕事を増やしてゆくような性質であった。
ファネ国現王太子であり、かつてのミルケーネ公爵であるキリルに押して
押して押しまくられ、甘い婚約時代も新婚時代もほとんどなく、あれよと
言う間に王太子妃となり一子ティリルをもうけることとなった。
キリルに惚れられたのが運の尽き…と言ってしまっては身も蓋もないが、
本人が想像だにしなかった未来が待ち受けていた。
先王の王女を振った父と
先王の王子を振った母を持つ娘がよもや王家に嫁ぎ、
次代の王妃となるなど…!
しかし、この摩訶不思議な現象を先々代王の末子であり、
古王家の引く男が自らの全てを賭け、現実のものとした。
さて、“世紀のロマンス”が生んだ娘であり、王都屈指の貴公子を射止めた
不運?幸運?な娘は自治省長官としても王太子妃としても”一般国民には”
なかなかの人気者となった。
しかし、その一方で伝統第一の貴族保守派層には厳しい評価を受けても
いた。
“自治省の悪臣”という悪名を負う事になり、誹謗中傷に晒されることも
あった。
もちろん、溺愛を軽く通り過ぎ盲愛になっている王太子キリルを始め、
国軍大将ベリル(義理の甥)も宰相レナイド(大伯父)もアギール伯爵
ハリド(祖父)も昼夜目を光らせており、リアン妃の身体が害される
ことは皆無ではあったが。
「リアン、リアンっ!」
藍の双眸に白絹の手の持ち主が、王太子らしからぬ取り乱し方で、
奥方の執務する自治省長官室に飛び込んで来る。
朝、ホウオウ殿で別れてから、それほど時は経っていない。
昼時にはまだ早いし、と、突然現れたキリルにリアンは首を傾げた。
嵐の予感に一緒に打ち合わせをしていた自治省次官モムルは身を翻し
逃亡してしまう。
「これはどういうことです!」
二人きりになるった途端、一枚の書類がバンっと机に叩きつけられ、
キリルが怒鳴る。
彼は大概リアンに甘い
…その上、自分の方が少しばかり年下であることを気にしてか、
平素は余裕たっぷりな態度を見せようとする。
が、時折こうして謎の癇癪を起こすことがあったりする。
「あら、これは…」
書類の表面を目でさらって、リアンは直ぐに何の件か察した。
昨日の夕方に内務省長官レムルに渡しておいたものだ。
大至急のものではないが、レムルが気を利かして今朝の決済案件の中に
入れておいてくれたらしい。
「許しません、絶対に許しませんよ!」
リアンが説明しようとするのを遮って、キリルが叫ぶ。
朝から煩い。
「自治省長官の地方視察、それも行き先がルーマ州、隣国イサと国境を
接する地帯に半月なんて、絶対に絶対にダメです!許しませんっ!」
「や、でも、モムルと相談して執務に支障が出ないよう調整するし…」
そのモムルと言えば、いち早く階下の次官室に逃げ込んだらしい。
他の秘書官たちにも当分長官室に行かないよう忠告したのだろう、誰も
長官室にやって来ようとしない。
「長官職だけじゃありません。王太子妃としての役目もあるでしょう?」
口元は笑っているのに藍の双眸が…ヤな感じである。
結婚して早2年。
キリルはリアンに王太子妃と自治省長官の兼任を認めはしたが、
王都キサラから出ることを一度たりと許さなかった。
もっとも、結婚して最初の1年は“先祖返りの力”を持つティリル出産
のためにリアンは命を賭けることになったし、何とか現世に生還した
後も、普通と違う育児のため(何しろ手も触れずに物を壊し、ぷかぷかと
宙に浮くこともある赤子だったのだ)、悪戦苦闘の毎日だったのだ。
ゆえに現場主義のリアンであったが、口惜しくも今の今まで地方視察には
赴けず、次官以下に任せる日々が続いていた。
「えーと、義母上様にも宰相殿にも内務長官にも
相談して内諾を得ているけど」
この返事がまたよろしくなかった。キリルの苛立ちは募ってゆく。
要するに自分は除け者、もしくは後回しで、周りから固められていた
という訳なのだから。
「地方視察を全て禁止するつもりはありません。
しかし、王都周辺だけになさい。
国境を接する地域、特にルーマは許可できません」
などと偉そうに言いながら、この時、王太子の胸に去来したのは、
実に情けない心配ごとであった。
(ルーマになんか行かせたら、王都にはもう戻ってこないかもしれない)
リアンに逃げられる…他人が聞いたら「ありえん」と一笑に付しそうな
内容だが、本人は至って真面目、妻から提出された「地方視察願」に
暗澹たる気持ちでいる。
自分でも狭量だと思う。
思うが、ルーマは駄目だ、止めてくれ、と叫びたくなる。
彼の地はリアンが故郷と思う場所である。
王家に阿る貴族たちに迫害され、転々と住処を変えざるをえなかった
リアン一家が現国王により保護され、ようやく見つけた安住の地。
しかし、幸せな日々は時ならぬ天災人災によりあっけなく潰え、
今は懐かしい両親が眠る土地となった。
…つまり、リアンは王都に来てから一度も墓参りが叶わないままでいた。
アギール伯爵邸内にある慰霊堂には両親の遺灰と遺髪の一部が移され、
安置されているので、精霊祭の時などの供養は王都でも行える。
但し、“仮の場所”であるという感はは拭えない。
ルーマがリアンを引き寄せる。
そこにはリアンを昔から知る者たち…自治省長官でも王太子妃でもない
“素の彼女”を好ましく思い、味方する者たちが大勢いる。
更に、キリルにとって気に喰わないのは、リアンの初恋相手もいる。
そのムカつく男が中央官職を退いて地方に戻り、最近では父親の
政治基盤を引き継いでルーマ市長に就任していたりする。
復縁した妻との間に新たな子どもも授かり、今更リアンとどうこうなどと
邪推するつもりはない…ないが、やはりリアンには会わせたくない。
更に更に、ルーマの先、国境の向こうにはリアンの留学先であった共和国
イサがある。万一、亡命されでもしたら、簡単には取り戻せない。
…などと、王弟が聞いたら“お前は馬鹿か!”と怒鳴ること間違いなし
のことをキリルはウダウダと考えていた。
「キリル、そんな頭ごなしに言わなくても…」
明らかに落胆した様子でリアンが俯く。
その様子に王太子の胸は痛んだが、彼女を半月も遠い場所に遣ること
など、彼にはできない。
彼女の身の心配と彼女の逃亡の心配で自分が保たない。
(何を失っても…貴女だけは失えない。
貴女は私の“最愛”で“唯一”の女)
ティリル出産の際に一度は黄泉路を下ろうとした命を何とか現世に
引き戻した。
けれどあの時の恐怖や絶望、そして虚無は未だキリルの心に深い傷痕を
残していて、彼を臆病にしていた。
「リアン様、失礼しますよ」
重い空気を拭うかのように入室してきたのは内務長官レムルであった。
キリルの幼馴染であり、守役であり、今は政務の片腕でもある彼は、
ちらっと主の様子を一瞥しただけで状況を把握したようであった。
「リアン様、申し訳ありません。
説明する前に殿下が飛び出して行かれてしまったので…」
主たる自分を無視して、リアンに丁寧に詫びるレムルを見て、
キリルはまたむかっとした。
「リアンの視察なら許可しないぞ。
そもそもルーマ行きが具体化する前になぜ私の所に報告が来ない。
何年、内務省に勤めているんだ」
内務省は国の諜報部を抱えている。
その長官といえば、有り体に言えば密偵の親玉である。
当然、前々から自治省長官の地方視察計画を察知していたはず
…ということで、キリルの怒りはレムルにも飛び火する。
「おや。この度の視察は私からリアン妃に提案したものだったのですが」
「何だと?」
「もちろん前倒しで日程調整は必要ですが、精霊祭の時期
でしたら半月ほど王都を空けることも可能かと。
移動の日数もありますので、さほどのんびりはできますまいが、
1週間ほど視察に費やされた後は数日ルーマで休暇を取られては
いかがかと」
「どうしても視察が必要というなら次官を遣れ。
リアンは許さない」
内務省長官と自治省次官は兄弟である。
しかも、モムルはかつて内務省の兄の下で密偵として働いていた。
もともと地方視察は長官よりは次官が行うのが主であり、
派遣するならモムルにしろ、というキリルの指示は、動機はともかく、
間違ってはいない。
「と、このように“我が君”は仰っていますが?リアン様」
「がっかりだわ。ああ、すっごくがっかり。
折角、皆に協力してもらって、初めてキリルと旅行ができると
思ったのに」
(え?)
「どなたかが婚約も婚姻も常識はずれなほどに急がれたせいで、
新婚旅行もできず、ご両親の墓参も叶わず、王太子妃様におかれ
ましては本当にお気の毒に存じます。
ご多忙な国王ご夫妻ですら、定期的に温泉旅行にお出のに、
王太子ご夫妻は… 折角の機会でしたのに、残念でございますねぇ」
(ちょっと、待て)
王太子を置き去りにして、内務省長官と自治省長官は
向かい合って深々と嘆息する。
「その、地方視察とは、リアンだけではなく、私も行くもの
だったのですか…?」
妻と旅行。
視察名目とはいえ(仕事は仕事できちんとこなさなければならないが)、
結婚して初めての旅行。
向かう先がルーマ州というのは、この際、どうでも良くなる。
国境に近かろうが、リアンに親しい者たちがいようが、この際、
どうでも良い。
大事なことは、リアンと二人、二人で旅行!
キリルの期待がぶわっと膨らんだ。
「自治省長官の地方視察を許可します。私も同行するという条件で。
というより、王太子夫妻のルーマ州地方訪問ですね、これは。
…レムルも人が悪い。そういうことは早く言えっ!」
「説明する前に執務室を飛び出したのは貴方ですよ」
それも、机に積まれた書類を薙ぎ倒し、椅子を蹴倒して出て行った
ものだから、レムルは後の指示を出すため、直ぐにはキリルを
追えなかったのだ。
「私と一緒にルーマに行ってくれる?」
「もちろんですとも!」
黄緑の瞳を悪戯っぽく煌めかせ、にっこり微笑むリアンが
可愛くて可愛くて…(以下、×100を省略)
キリルは白絹の手を伸ばし、愛する妻を力いっぱい抱きしめた。
それだけでは到底足りず、真昼間から濃厚な接吻をしかけ、妻の唇を
堪能した。
一件落着、後は宜しくとばかり、レムルは軽く片手を上げ、
自治省執務室を出てゆく。
王太子が執務を再開するまで…リアン妃が「いい加減にしなさい!」と
怒って、彼を追い返すまで暫くかかるだろう。
それまでレムルが現場指揮を執らねばならない。
(全く、リアン妃のことになると、あの方は…)
いろいろ考えこんではいつもいつも迷走する。
一人で迷っている分には「どうぞ、ご勝手に」と言いたいが、立場上、
毎回もれなく巻き添えになる。
そして、リアン妃と親しくしている、彼の妻フローネも何やかやと
巻き込まれる。
もっとも、今回は良い目が出た。
王太子夫妻が王都を離れ、ルーマに出発する。
内務省長官として、国軍とも計り、夫妻の警備を万全に整えるのは
言うまでもないが、それにしたって、毎度お騒がせの二人が
王都からしばし居なくなり、フッサール伯爵夫妻は静かな日々を
送れるというものだ。
(フローネとフローラを連れて近郊の湖にでも出かけるかな…)
レムル自身も家族とのささやかな休日計画を胸に温めた。
*** *** *** *** *** ***
そうして王太子夫妻によるルーマ州地方訪問(キリルの脳内ではリアンと
二人熱愛☆旅行)が正式に決定すると、王宮・王府内が面白いくらい
キリリと引き締まった。
まず王太子は普段の何倍もの勢いで政務を精力的にこなし、緊急事態や
重要案件が生じて此度の訪問が中止・延期・短縮されることのないよう、
あやゆる手を尽くした。
そして内務省長官も主の意向をよく汲んで(真実は主不在で自分も
家族とゆっくり過ごしたくて)、これまた密偵及び事務官を駆使して、
王太子夫妻の身辺警備網と王太子不在時の王都警備網を念いりに
作り上げた。
それから自治省だが、こちらは長官は元より、長官の下で働く
秘書官たちが精霊祭を前に嬉々として働いた。
長官のことは尊敬している…時々突拍子もないことを言ったりやったり
するが、まだしも許容範囲である。
しかし!長官に漏れなく付いてくる王太子とか王弟とか宰相とかが
怖すぎるのだ。
長官が元長官と旅行!嬉しすぎる。
二人の不在は自治省に“心の平安”をもたらす。
秘書官たちが王太子夫妻を予定通り送りだすため最善を尽くすのは
当然であった。
但し、その中で一つだけ阿鼻叫喚の人選(長官随行を誰がするか)が
行われた…。
彼らはそれを経験値や適性ではなく、公平に札引きで決めることにした。
王都に残って長官代行をする次官が札を切り卓に並べるのを7人の
秘書官は固唾を飲んで見守った。
それから徐に「これ」と思う札に人差し指を付ける。
特に約束した訳ではないが年齢順に、キタラ、トウトウ、リーグ、
サナン、アイル、フェイと各々札を決め、最後の札がミシェラの
ものとなった。
7枚の札。
この中の2枚が「当たり」という名の「大外れ」「最悪」である。
「では皆さん、覚悟はよろしいですね。一斉に札をめくって下さい」
モムルの合図に7人がえいやっとばかり自分の札を表に返す。
「ぎゃぁああ!」
「ありえんっ!」と次官室を轟かす叫び声を上げたのは、秘書官中
最年少(30代に入ったばかり)のミシェラと最年長(そろそろ70
です)のキタラであった。
60代に入ったのに未だ退官が認められないトウトウは目頭を押さえ
ながら安堵の溜め息をつき、50代組のリーグとサナンは互いに肩を
叩きあった。
40代組のアイルとフェイはへなへなと床に座り込み、久しぶりに訪れた
“幸運”に喜ぶよりも呆然自失していた。
「それではキタラ秘書官、ミシェラ秘書官両名に長官のルーマ州視察
にかかる随行をお任せします。
お二人とも暑い中大変ですが、よろしくお願いします」
モムルが任命書にさっそく二人の名前を書き込む。
暑い中じゃなくて、熱い仲の王太子夫妻だから大変なんじゃ、と
フェイが心中、くだらない想像をする傍らで、早くもキタラと
ミシェラが異議申し立てを始めた。
「おいっ!よぼよぼの年寄りを国境付近の辺境州に派遣するなんて
正気か? もっと若いもんを送れ、若いもんを!」
「わ、わたしだって、男爵家の当主として精霊祭の祭主を務めなければ
いけないし、まだ4番目の子どもは小さいし
…王都を出ての長期出張は勘弁して欲しいですっ!」
しかし、高位官職に間違いないながら、その実、誰もやりがたらない
自治省次官職に就いているモムルはさすがであった。
けんもほろろに異議申し立てを却下する。
「キタラ秘書官。よぼよぼの年寄りなど、ご謙遜を。
私は貴方の前科…いえ、前歴をよ~く存じておりますよ。
それに王太子殿下に忠誠を誓っておいででしたよね?
王太子ご夫妻の補佐役に貴方ほど相応しい方はいらっしゃいませんよ」
元内務省・先鋭密偵のモムルである。
キタラがその昔、先代キランサ王の刺客として、ミルケーネ公爵キリルの
命を狙った経歴を持つことなど先刻承知である。
その後、助命と引き換えに死ぬまで王家の為に…正確にはキリルの為に
働くことを誓ったということも聞いている。
ぐだぐだ言わずにキリキリ働け、というのがモムルの言い分である。
「それから、ミシェラ秘書官。貴方のところは男爵家と言っても、
大がかりな祭事はいつも嫌がっていらしたではないですか。
当主不在となれば祭事を中止もしくは縮小する口実に十分なる
でしょう。
それに、お子さんたちについてですが、しっかり者の奥方に任せて
おけば半月くらい楽勝でしょう」
もちろんモムルは各ご家庭の事情にも通じている。
中央の男爵家とは言っても様々で、ミシェラの家の内証があまり豊かで
ないことも、十歳以上年上の奥方が表でも裏でも男爵家の最高権力者
であることも先刻承知である。
はっきり言って、ミシェラが地方出張で半月不在となっても男爵家は
全く困らない。
「嫌だ、あの二人の随行なんて嫌だ~!」とミシェラが泣き叫び、
「ふんっ」と完全に不貞腐れ、職務放棄をキタラが決め込む。
王太子夫妻の熱愛ぶりに砂を吐くだけならまだ良い、まだ我慢できる。
しかし、行く先はルーマ州。あの長官のあの性格を育んだ土地である。
何かの拍子に王太子夫妻が喧嘩を始めたらどうなるか。
例によって王太子が訳の分からぬ暴走を始めたら。
そして対抗するかのように王太子妃が頑な態度を取り始めたら。
生贄に選ばれた最年少秘書官と最年長秘書官はいっそ辞表を提出した
かったが、どちらもそれができない。
方や一家の大黒柱であり、方や文字通り「終身」雇用である。
そして、彼らに同情しつつ、代わってやろうなどという心優しき同僚は
一人として自治省にはいなかった。
*** *** *** *** ***
キリルとリアンも出発前に一悶着あった。
「どうしてティリルが留守番なの?まだ小さいのよ?
可哀そうじゃない!」
リアンはもちろん我が子を一緒に連れて行くつもりだった。
乳離れしているとはいえ、大切な我が子を半月も王都に残して
ゆきたくはない。
「小さな子どもを遠方の視察に連れて行く方が可哀そうですよ。
それに警備の面を考えても今はまだあの子を王都から出すべきでは
ありません」
もっともらしい理屈を並べるも、キリルの頭には最初から“家族旅行”の
予定はない。あくまで“リアンと二人の初旅行”である。
「でもでもシーシェルやフローネも子育て中だし、あまり負担を
かけるのも…」
シーシェルと叔父クロンの間には次男となるシェロンが生まれている。
長男であるイェイルを手元で育てることができなかったため、
二人にとってはシェロンが初の子育てとなる。
現王の姪にあたるフローネとフッサール伯爵レムルの間にはも長女となる
フローラが生まれている。こちらも育児は初めてで、娘を甘やかしがちな
夫を妻が叱り飛ばすという日々が続いている。
普通の子育てならまだしも、ティリルの場合…いろいろ普通ではない。
などと思う側から、父母の諍いを察知したのか、小さな王子が
ぐずり始める。
まだ鼻を鳴らすだけの段階なのに、“王家の塔”自慢の花窓には
ぴしりぴしりと小さな亀裂が入り始める。
「ティリル、いけませんよ」
本格的な大泣きで塔が傾ぐ前に、リアンは我が子をふわりと抱き上げた。
「ほら、それがいけないんだ」
母の腕に包まれた息子を羨ましく…いや、苦々しく?憎々しく?見つつ、
キリルはやんわりとリアンを諌めた。
「泣けば済むと思っている。まだ小さいと言って甘やかしては
いけません。我慢することを覚えさせなければ
…ティリルは今回、母と神官長に預けます」
キリルの母、太王太后であるイルーネは、王家最長老にして“古王家”の
血を引く者である。キリルの父イランサが正妃に据えるまでは神殿の
巫女姫でもあった。
また神官長はイルーネを赤子の頃から知り、“古王家”の力を識る
長老であった。
キリルの言い分はもっともで、地方都市で万一ティリルの力が暴走したり
すれば、小さな王子へ向けられる国民からの温かい眼差しは瞬く間に
恐怖に染まるだろう。
「ティリルのことは心配しないで。
視察はもちろんしっかりこなさなければいけないけれど、その後の
休暇はキリルと二人で愉しんでいらっしゃい」
そう言って、イルーネはリアンを安心させ、優しく送り出してくれた。
「そろそろ第二子を作ってもいいんじゃないか。
キリル似の息子は一人いればいいだろ。ミアン似の娘を希望する」
そう自分勝手なことをリアンに耳打ちしてくるのは勿論、
王弟ベリルである。
国軍大将である彼は、その地位にも関わらず、驚くほど機動力があるが、
今回は王太子夫妻の邪魔はせず、王都に残ることを決めたらしい。
王太子夫妻警護の指揮は侍従長のヴァンサランが執ることになった。
「行ってまいります」
こうしてリアンは王都を後にし、キリルと共にルーマ方面へ向かう
高速鉄道に乗り込んだ。
ちなみに次官時代にトマス州への視察で高速鉄道を利用したリアンは
そのあまりの揺れように酷い目に遭った。
その後、同じく酷い目に遭ったフローネと共闘し、工部省を脅迫…
いや、説得して「安全で」「頑丈で」「静かで」「震動の少ない」
高速鉄道の開発を急がせた。貴族や一部の金持ち用の豪華列車は極力
廃し、一般国民が利用しやすい価格帯や時間帯などを工夫したりもした。
その甲斐あってリアンが王都に上った数年前に比べ、格段に鉄道網は
整備され、かつ快適になっている。
…もっとも、車内でいくらキリルに進められても、リアンは
アルコール類、それが林檎酒などのごく軽いものであっても、
全面拒否した。
二日酔いと乗り物酔いで二重に苦しんだ経験を今も忘れることが
できないでいるのだ。
キリル殿下・・・相変わらずでございます。
さて、二人の結婚初旅行、どうなることやら。
付き合わされるヴァンサラン+秘書官2名が憐れです。
次回後篇、リアン元彼も登場。




