へんなひと
夜の駅前に集まるのは、寂しい大人たち。もちろん密やかに愛をささめき合う恋人たちや一人でいることを楽しんでいる人もいるけれど、一人でいる者の大半は、心に埋めきれない孤独の穴を抱えていて、それを誰かに埋めて欲しいと願っている。
家の最寄り駅から十分と少し電車に揺られて、この地域では大きめの駅で降りた。絶妙な田舎具合の最寄り駅と違って、この駅前は夜でも明るい。連絡先を知っている誰とも連絡がつかなかったときは、深雪は大抵、駅の外のベンチに座って煌々と光る街灯の灯りをもとに本を読んでいる。
手にしていた文庫本のページを一枚めくる。内容はあまり頭に入らない。文字の上に目を滑らせていると、ふたり掛けのベンチの右側に、誰かが座った。深雪は顔を右に向ける。
「お姉さん、一人なの?」
茶髪の男だった。深雪から見える耳には銀色のピアスがいくつかついていて、開いた胸元から、沈んだ色の刺青が覗いている。深雪はぼんやりとした笑顔を作って、困ったように顔を傾けた。
「一人だけど、ごめん。僕、男だよ」
「ウソでしょ? ねえ暇なんでしょ?」
男は引かなかった。食い下がってくる彼に向けて深雪が微笑みかけると、男の表情は硬直した。
「嘘じゃないよ。確かめてみる?」
静かな声で、男の耳朶を低く揺らす。彼の腕を取る。夏日と比べると幾分かスリムな腕を両手で捕まえて、深雪は彼の目を、じっと見た。数秒見つめ合う。惚けていた彼の表情が変わって、目が逸らされた。
「……いや、いいわ。じゃあね」
ぞんざいに手を振って、彼は去っていった。深雪は彼の背中に向けて、小さく息を吐いた。
一人でいる深雪に声を掛けるものの大半は男で、深雪がこういった対応をすると、怖気付いて去っていく。
中性的な容姿の深雪である。見る者によっては男に見え、見る者によっては女に見える。女だと思って声を掛けた深雪が実は男かもしれないと感じた時に、男たちはそのアイデンティティを問われる。具体的には、女性的な容貌の男に劣情を抱けるか、ということである。深雪が夜に出歩く回数が多くないのもあるけれど、今のところは深雪の性別を確かめようとした男はいない。
怖気づいているのは深雪に声を掛ける男だけではない。深雪の方だってそうだ。深雪は心も身体も男で、男のまま、同性の夏日に恋をしている。それに、認めたくはないけれど劣情だって抱いている。その感情がもっと生々しく膨らんでいくのが嫌で男同士の行為については一切無知のままここまで生きてきたけれど、他人の皮膚に触れながら眠るようになってもなおそれを避けているのは、偏にそれが怖いからなのだ。
自分のアイデンティティをねじ伏せて、深雪は普通の男として女性の肌に触れることを選んでいる。けれど、女性の裸に対して、深雪の身体は何の反応もしない。
悪いことをしているという罪悪感に高揚する気持ちはある。しかしそれは、身体の芯を灼くような欲望とは違うものなのだ。
自分の心を慰めるためだけに彼女らの皮膚に性的な触れ方をして、調子が悪いと言って最後の行為を避けて肌を借りる。なんとも身勝手で最低で、みじめな行為を深雪はしているのだ。
「家出したの?」
再び手元の本に目を落とそうとした深雪は、背後から声を掛けられて飛び跳ねた。
「うわっ」
弾けるような勢いで振り向いた先にいたのは、長い髪を一つに結い上げた女だった。女性にしては背が高い。チョコレート色のスカートを尻の下に折り込みながら隣に腰を下ろした彼女に、深雪は小さな声で答えた。
「……まあ、そんな感じ」
敬語は使わない。こういった場合に敬語を使うと、相手によってはなめてかかられることがあることを深雪は学んだ。深雪の不遜な態度を気にしたふうもなく、彼女はハスキーな声で空気を揺らす。
「親子関係悪いとか?――あ、言いたくないよね、ごめん」
深雪は黙って、静かに顎を引いて応えた。彼女も深雪に頷いて返して、それから再び口を開く。
「さっきのって、嘘?」
「さっきの?」
彼女の言葉をおうむ返しにして、深雪はしばし黙考した。どうやら、先ほど自分が男だと言ってナンパ男を追い払ったことの真偽を問うているようだ。
「ああ、本当だよ」
「いいなあ、綺麗な顔でうらやましい」
項垂れて脚をぱたぱたと揺らしながら、彼女。全体的にシャープな雰囲気の深雪とは違って、彼女は目鼻立ちもはっきりとしていて左右のバランスも整っている。深雪の目には十分に美人に見えるのだが、本人的には不満があるようだ。もちろん個人差はあるけれど、自分の容姿に対する女心は難しいと聞く。彼女もきっと、その手のタイプなのだろう。
返答に窮した深雪が喉を詰まらせていると、いきなり彼女のグレーがかった大きな瞳が深雪の視線を捕らえた。視線の逃げ場を失った深雪の目に向けて、彼女は目と眉の距離をぎゅっと縮めて見せた。
「ていうか君、未成年でしょ。帰れないならうち来なよ。変な人とかおまわりさんにつかまるよ」
そう言ってから、少年のようににっと歯を見せて笑う。
「まあ、わたしが変な人かもしれないけどね」
深雪の肩をぽんぽんと叩く。深雪の華奢な体が上下に軋む。
「でもまあ、変態のオジサンに捕まるよりマシでしょ」
それから彼女は顔の全部のパーツをまんまるに広げたり、今度は縮めたりしながら言葉を続ける。
「あっ待って、やっぱりわたし、変態のオジサンかも。でも変なことしないから。未成年に手を出す犯罪者にはなりたくないもん。好きな人いるし」
よく喋る人だ。深雪が一言喋る間に、彼女はその数倍喋る。表情のころころ変わるさまといい、雨音に話しかけている時の夏日を想起する。喋りながらじりじりと近づいてくる彼女の顔を避けるようにのけぞっていた深雪は、尻をベンチの端にずらして体勢を立て直した。
「僕に襲われるとか、思わないの? 未成年でも、その気もないのに男を家に上げるのはよくないよ」
深雪に諭されて、彼女は眉を上げて星の見えない夜空に黒目を向けた。
「うーん、それもそうか」
それからにっと歯を見せて、純粋な笑顔をこちらに向けてくる。
「ところで君、男はいけるクチ?」
彼女の口から放たれた声に殴られて、深雪は目を大きく見開いた。長いまつ毛の奥で、深雪の虹彩が左右に泳ぐ。
「は……?」
乾いた呼吸が漏れる。深雪の拍動に合わせて収縮する視界の中で、彼女が怪訝に顔を傾けた。深雪の脳裏に浮かぶ夏日の顔を、頭を振って霧散させる。
「いや、無理」
嘘をついた。動悸がする。
「じゃあ大丈夫。来なよ」
何が大丈夫なのだろうか。強引に腕を引かれて、深雪はベンチから腰を浮かせた。




