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雨音と夏日  作者: ねさかなこ
2.深雪は夏日が、夏日は雨音のことが好き

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11/22

雨音の愛

  ふたりが家に帰る頃には、空一面を埋め尽くしていた夕暮れの橙は夜の濃紺に染まり始めていた。今日は深雪たちと夕食を摂るという夏日と一緒に玄関のドアをくぐると、台所には制服の白いカッターシャツの上に黒いエプロンをつけた雨音が立っていた。

 扉の音に反応して、うつむくような格好で手元に向けられていた雨音の、深雪と同じ色の目がこちらを見た。


「ああ、おかえり」


 それだけ言って、雨音は再び手元に視線を落として作業を再開する。


「ただいま。今日なに?」


 コートとブレザーを脱ぎながら、深雪が雨音の手元を覗き込む。深雪の隣で、夏日が深雪と同じ動きをした。

 雨音は小さな手で、具材の混ざった肉だねを捏ねている。肉だねの入った金属製のボウルの横には、もうすでに丸く整形されたひき肉の塊が整然と並んだトレイが置いてある。


「見ればわかるだろ」


 雨音が深雪に向けて、目を細めた。


「ハンバーグだ」


「そうそう」


 雨音が適当な感じで相槌を打つ。肉だねを手に取って、指先で器用に整形していく。


「雨音、なんで僕のハンバーグだけハート型なの?」


 雨音の手に乗っているハート型に整形された肉だねを見て、深雪がため息をついた。

 雨音はいつもこうなのだ。深雪のハンバーグやミートボールだけハート型にするし、深雪の餃子だけ肉まんみたいにかわいく包む。別にそれを求めてもいない深雪のためにわざわざ余計な手を掛ける意味は全くない。それでも彼はいつもかわいらしく整形したひき肉料理を深雪のために作る。ちなみに理由を問われた時の返事も、いつも一緒。


「ぼくからおまえへの愛だよ」


 へらへらと軽薄そうな笑顔を浮かべる雨音に、深雪は再びため息をついた。


「重いよ」


「そうだよ。ぼくの愛は重いんだ。なあ深雪。愛してるよ」


 顔の横に雨音の手が伸びてきて、肉だねに練りこまれた香辛料の匂いが深雪の鼻腔に入り込む。よける間もなくひやりと冷たい感触がして、雨音のひき肉まみれの手で顎を掴まれた。「うわっ」反射的に一歩後ろに退くと、斜め後ろにいた夏日の胸に肩をぶつける。


「あっごめん」


「転けんなよ」


 思わず飛びのこうとした深雪の肩を、夏日の大きな手が掴んで止めた。生地の薄いカッターシャツとその下に着たインナー越しに感じる、夏日の硬い指先。深雪は硬直して、真っ白な頭で、そっと夏日の手を捕まえた。優しく払う。


 からからと笑いながら深雪の頬を嬲った手を洗っている雨音。深雪は彼の横に来て、キッチンカウンターに置いてあるティッシュペーパーを三枚程引き出して、顔を拭う。顔周辺から美味しそうな匂いがする。雨音の作るハンバーグは香辛料が効いていて絶品なのだ。


「深雪、顔洗うついでに先にシャワー浴びて来なよ」


 自分からトラブルを仕掛けておいて、何事もなかったかのように雨音は飄々(ひょうひょう)とした態度でそんなことを言ってくる。深雪は彼の自分と瓜二つの造作をにらみつけて、吐き捨てる。


「ああ、うん。おまえ、次それやったら許さないぞ」


「許さないって? 殴るの? 殺すの?」


 深雪をあざけるように笑う雨音。さすがに殺したいと思ったことはないけれど、質の悪いいたずらばっかり仕掛けてくる彼を殴ってやりたいと思うことはままある。まさに今とか。


「笑うな。怒るぞ」


「おまえが怒っても怖くないよ」


 ガラスの粒が跳ねるような声で、雨音が笑う。反論する気をなくした深雪は、逃げるようにして洗面台の方へ向けて踵を返した。



 食卓には、雨音が作ったハンバーグ。深雪のハンバーグはハート形。きっと重たい、雨音の愛の味がする特別な一品。付け合わせには焼いたジャガイモ。茶色い椀に入った卵とレタスのスープ。それと、千切りキャベツにドレッシングをかけたもの。


「夏日、本当によく食べるよね」


 深雪が夏日の食べっぷりを見て、小さく嘆息した。食事を開始するなり夏日はもう茶碗一杯の白米を食べてお代わりをして、夏日用に大きく成形したハンバーグを一つ食べている。深雪も雨音も、まだ彼の半分の量も食べていないというのに。


「成長期だからな」


「僕も成長期なんだけど」


「おまえひとりでぼくたちふたり分食うじゃん」


「だって腹減ってるんだもん」


 そう言って、夏日はおおきな一口で、自分の皿の上にあったハンバーグを壊滅させた。ものすごい勢いでスープを飲み干す。それから、ちらりと深雪の皿に視線を向けた。


「深雪、ハンバー」「深雪から奪うな。ぼくのやるよほら。ていうか向こうにまだおかわりあるんだけど」


 深雪の隣から、雨音が箸で掴んだ丸いハンバーグを夏日の皿に移動した。夏日はにんまりと目を細める。


「雨音サンキュー」


「夏日、僕のもあげようか」


「夏日にやるな! 深雪の分は深雪が食え!」


 まだ箸をつけていないハート形のハンバーグを箸で掴みながら深雪が言うと、隣から肘と叱咤の声が飛んでくる。小突かれてハンバーグを取り落としそうになった深雪は、慌てて身体を揺らしながら、手にしていた皿をテーブルに安置した。


「ちょっと雨音、危ないって」


「だって深雪、ぼくの愛を夏日なんかにあげようとするんだもん」


 深雪に向けてかわいらしく頬を膨らませて見せる雨音。深雪が彼に平らな視線を返すと一転、いつものように飄々と笑った。


「なんかってなんだよ。なんでおれそんなにカスみたいな扱いなの?」


 不満げに夏日が唇を尖らせて、雨音にもらったハンバーグを一口で葬る。雨音から返事がないのを気にしたふうもなく茶碗の中の白米を口いっぱいに放り込んで早々に食事を終えた。


 それから五分後くらいに深雪と雨音が同時に食事を終える。テーブルについたまま暇そうにしていた夏日と三人で手を合わせて、


『ごちそうさま』


 三人で手分けして食器を片付ける。雨音は今日は機嫌が悪くないらしい。夏日に嫌味は言うけれど、この前のように言葉に棘がないし、露骨に彼を避けたりもしなかった。


 食器を片付け終えると、雨音と夏日は再びテーブルにつく。


 深雪はテーブルに戻らず、明日の料理に使える食材をチェックするために冷蔵庫の前にいた。深雪はなるべく次の献立のことも考えて食材を買うけれど、雨音はそうではないのだ。

 放っておくと冷蔵庫の中で雨音の使い残しのにんじんやきゅうりが干からびていたりするので、深雪は料理当番の前日に冷蔵庫の中身を確認するようにしている。


 野菜室には、玉ねぎとじゃがいもがふたつと、使いかけのレタス。冷蔵室の扉を開けると、今日のハンバーグの残りと未開封の袋入り千切りキャベツが一袋。明日は何を作ろうか。深雪はブランデー色の虹彩を上に向けて、しばし逡巡。何も思い浮かばなかったので諦めて、夏日に猛烈な勢いで話しかけられてうざそうにしている雨音に声をかけた。


「雨音、シャワー浴びてきたら?」


「まだ気分じゃない」


 雨音は首を横に振って、夏日に鋭い一瞥をくれた。


「夏日うるさい」


 梅干しでも食べたみたいに口をきゅっと窄めて、夏日が黙る。深雪は思わず、笑い声をこぼした。


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