7話
それから、一ヶ月が経った。
六月が終わり、七月になった。
季節は、少しずつ夏に近づいていた。
そして冬月澪が俺の家に来ることも、珍しくなくなっていた。
「お邪魔します」
「どうぞ」
「……今日は、何をしていますか?」
「見れば分かるだろ」
「ゲームですか?」
「そう」
「私もやっていいですか?」
「できるなら」
「……やったことはありません」
「じゃあ、教える」
「お願いします」
最初は、そんな程度だった。
澪は俺の家に来ても、特に何かをするわけではなかった。
ただ、ソファに座っている。
俺がゲームをしているのを見ている。
時々、学校の話をする。
そして眠る。
それだけ。
でも彼女が家に来る頻度は、少しずつ増えていった。
週に一回。
週に二回。
気づけば。
「今日、行ってもいいですか?」
というメッセージが来るようになった。
俺は、ほとんど断らなかった。
断る理由がなかったからだ。
俺は一人でいることが多い。
澪は家に帰りたくない。
なら、別にいいだろう。
そんな程度に考えていた。
「九條くん」
「ん?」
「今日、帰りに寄ってもいいですか?」
「いいけど」
「……ありがとうございます」
澪は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て俺も少しだけ嬉しくなった。
……まあ、それだけだ。
たぶん。
学校でも澪は俺の隣にいることが増えた。
昼休み。
「九條くん、今日も一緒に食べませんか?」
「うん」
放課後。
「九條くん、一緒に帰りませんか?」
「うん」
授業の合間。
「九條くん」
「何?」
「……いえ」
特に用事はない。
ただ、話しかける。
そんなことも増えた。
「九條ってさ」
ある日、篠宮朔が俺の肩を叩いた。
「何?」
「冬月と仲良くない?」
「そう?」
「いや、そうだろ」
「普通じゃない?」
「普通の男女は、毎日一緒に昼食べないんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
篠宮は呆れた顔をした。
「しかも、最近ずっと一緒に帰ってるだろ」
「たまたま」
「毎日?」
「たまたま」
「……お前、意外と鈍いな」
「何が?」
篠宮は深いため息をついた。
「まあいいや」
俺は気にしなかった。
俺にとっては、澪と一緒にいることが普通になっていた。
それだけだ。
そして俺の体調は、少しずつ悪くなっていた。
「……」
朝、ベッドから起き上がる。
以前よりも、身体が重い。
階段を上ると息が切れる。
少し走っただけで胸が苦しくなる。
そして血を吐く回数も増えていた。
「……」
洗面台に赤い色が落ちる。
俺はそれを見つめる。
病院では、薬が増えた。
医者は何も言わなかった。
でも俺には分かっていた。
残された時間は、確実に減っている。
それでも俺は学校へ行った。
澪と昼を食べる、澪と帰る、澪を家に呼ぶ。
それをやめる理由がなかった。
ある日、俺の家。
澪はソファに座り、俺の服を着ていた。
「……」
「何?」
「いえ」
「その服、返して」
「……嫌です」
「え?」
澪は俺の大きめのパーカーを着ていた。
俺が風呂に入っている間に、勝手に着ていた。
「洗濯して返します」
「いや、そういう問題じゃなくて」
「……」
澪はパーカーの袖を掴んだ。
「これ、落ち着くので」
「服が?」
「……九條くんの匂いがするので」
「……」
俺は何も言えなかった。
澪は自分で言ってから、顔を赤くした。
「い、いえ、変な意味ではなくて……」
「分かった分かった」
「本当に違いますから」
「はいはい」
澪は少し頬を膨らませた。
それから俺のパーカーを着たまま、ソファで眠った。
俺はその姿を見ていた。
……可愛いな、そう思った。
自然に当たり前のように。
そのことに自分で少し驚いた。
夜、澪が帰る時間になった。
「送るよ」
「……大丈夫です」
「もう遅いし」
「でも」
「行くよ」
俺は立ち上がった。
その瞬間。
「……っ」
胸が痛んだ。
視界が少し揺れる。
「九條くん?」
「……大丈夫」
「また」
「え?」
「また、大丈夫って言いました」
澪は俺の腕を掴んだ。
「本当に大丈夫なんですか?」
「……」
「顔色、悪いです」
「少し疲れただけ」
「嘘です」
澪は、俺の腕を離さなかった。
その手が、少し震えている。
「……九條くん」
「ん?」
「私に、何か隠していますか?」
俺は答えなかった。
病気のことを話すつもりはない。
まだ澪はじっと俺を見ている。
そして。
「……嫌です」
「何が?」
「九條くんが、何か隠しているのが嫌です」
「……」
「私には、言ってくれないんですか?」
その言葉に胸の奥が、少しだけ痛んだ。
病気のせいか。
それとも別の理由か。
俺には分からなかった。
ただ。
「……ごめん」
そう言った。
澪の目が少し揺れる。
「謝らないでください」
「……」
「九條くん」
澪は、俺の袖を掴んだ。
「私には、言ってください」
その声はお願いというより縋るようだった。
俺は、少しだけ目を逸らした。
「……考えておく」
それが精一杯だった。
澪はしばらく黙っていた。
そして。
「……はい」
小さく頷いた。
でもその日から澪は、以前よりもずっと俺の体調を気にするようになった。
朝。
「今日は顔色が悪いです」
昼。
「ちゃんと食べましたか?」
放課後。
「今日は帰って休んだ方がいいんじゃないですか?」
俺が少しでも咳をすれば。
「九條くん?」
と、すぐにこちらを見る。
俺が学校を休めば。
『今日は大丈夫ですか?』
『薬は飲みましたか?』
『ちゃんと寝てくださいね』
メッセージが何件も届く。
最初は、心配性だと思っていた。
でもある夜。
俺が返信をしなかった時。
スマホには。
『九條くん?』
『寝ましたか?』
『体調、悪いんですか?』
『大丈夫ですか?』
『……』
『返信してください』
そんなメッセージが並んでいた。
俺が一時間後に。
『ごめん、寝てた』
と送るとすぐに既読がついた。
『……よかった』
それだけだった。
俺はそのメッセージを見つめた。
そして少しだけ嫌な予感がした。
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