22話
目が覚めた。
最初に感じたのは静かだ、ということだった。
「……」
冬月澪はゆっくりと目を開けた。
見慣れた天井。
見慣れた部屋。
九條蓮司の部屋。
いつもならすぐ隣に九條くんがいるか、少し離れたところに座っているか。
机に向かっているか。
あるいは自分より先に起きて、おはようと言ってくれる。
だから。
「……九條くん?」
澪は小さく呼んだ。
返事はない。
「……」
澪はゆっくりと身体を起こした。
隣には誰もいなかった。
「……九條くん?」
もう一度、少し大きな声で呼ぶ。
返事はない。
澪はベッドから降りた。
裸足のまま部屋を見回す。
机、椅子、窓。
いつも通りの部屋。
でも九條蓮司だけが、いなかった。
「……」
澪は玄関へ向かった。
靴を見る。
九條くんの靴がない。
傘もいつも置いてある場所にない。
その瞬間胸の奥が、嫌な音を立てた。
「……」
澪は部屋に戻った。
そして机の上に置かれた。
一枚の封筒を見つけた。
表には自分の名前が書かれていた。
『冬月澪へ』
「……」
指が震えた。
封筒を持つ。
重くはないのにどうしても、開けたくなかった。
「……」
澪は何度も何度も、その封筒を見た。
そしてゆっくりと封を開けた。
紙を取り出す。
最初の一行を読んだ。
――これを読んでいるということは。
「……」
そこから先はあまり頭に入らなかった。
文字がぼやけていく。
目から涙が落ちる。
「……」
読み進める。
蓮司が自分と関わるつもりがなかったこと。
最初は傘を貸しただけだったこと。
それでも自分と過ごした時間を、大切に思ってくれていたこと。
ありがとう。
ごめん。
生きてくれ。
「……」
澪は最後まで読んだ。
そして手紙を強く握りしめた。
「……」
呼吸がうまくできなかった。
「……九條くん」
部屋の中に自分の声だけが響く。
「九條くん……?」
返事はない。
「……」
澪はスマホを取り出した。
電話をかける。
呼び出し音。
一回、二回、三回…出ない。
「……」
もう一度、かける。
…出ない。
「……出てください」
澪はスマホを握りしめた。
「九條くん……」
それでも出ない。
「……」
澪は立ち上がった。
そして玄関へ向かった。
靴を履く。
外へ出る。
「……」
九條くんは遠くへ行った。
何処へか分からない。
親戚?……違う。
もう親戚のところには一週間前に行った。
じゃあどこへ?
「……」
澪は歩き出した。
駅へ向かう。
駅員に聞く。
意味がない。
どの電車に乗ったかも、どこへ向かったかも分からない。
それでも探した。
スマホを握りしめたまま。
何度も何度も、電話をかけた。
出ない。
メッセージを送る。
『どこにいるんですか』
『帰ってきてください』
『怒っていません』
『怒らないので』
『お願いです』
既読はつかなかった。
数時間後。
澪は駅のベンチに座っていた。
もうどこへ行けばいいのか分からない。
ただ蓮司が、遠くへ行ったことだけは分かっている。
手紙を何度も読み返す。
最後の一文。
――ちゃんと、生きてくれ。
「……」
澪はその文字を指でなぞった。
「……無理です」
小さく呟く。
「そんなの……」
涙がまた落ちた。
「九條くんがいないのに……」
澪は手紙を胸に抱きしめた。
その時、スマホが鳴った。
「……!」
澪は慌てて画面を見る。
九條蓮司ではなかった。
知らない番号。
「……」
出る。
「はい」
『冬月さんですか?』
「……はい」
『九條さんのことで、お伝えしたいことが……』
澪は息を止めた。
「……」
電話の向こうの声が続く。
『九條さんが――』
「……」
澪の手からスマホが落ちた。
その頃、九條蓮司は遠くの町にいた。
駅から少し離れた。
人の少ない場所。
ベンチに座っていた。
「……」
空を見上げる。
綺麗だった。
青い空、白い雲。
遠くで蝉が鳴いている。
俺はスマホを取り出した。
澪からのメッセージがいくつも届いている。
俺は画面を開いた。
『どこにいるんですか』
『帰ってきてください』
『怒っていません』
『怒らないので』
『お願いです』
「……」
俺は返信画面を開いた。
そして文字を打つ。
『ごめん』
そこで指が止まった。
送れなかった。
俺はスマホを閉じた。
「……」
胸が痛い。
呼吸が苦しい。
視界が揺れる。
俺はベンチに手をついた。
「……っ」
咳が出る。
黒い血が手のひらに落ちる。
「……」
俺は空を見た。
あとどれくらいだろう。
一日、半日、数時間。
分からない。
でも澪の前で死ぬことだけは避けられた。
「……」
それでよかった。
そう思った。
そして冬月澪は、電話の向こうから告げられた言葉を何度も頭の中で繰り返していた。
九條蓮司はまだ生きている。
でももう、長くはない。
その事実だけが澪の中に残った。
手紙を握りしめる。
「……」
そして澪は立ち上がった。
涙を拭う。
震える足で歩き出す。
「……」
九條くんがどこにいるのか。
分からない。
でも探す。
絶対に見つける。
今度は私が九條くんを、見つける。
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