16話
一週間ぶりに俺は家へ帰ってきた。
玄関の鍵を開ける。
「……」
静かだった。
当然だ、誰もいない。
俺が一週間、家を空けていたのだから部屋に入る。
空気が少しこもっている。
窓を開ける、夏の熱気が入り込んでくる。
「……帰ってきたな」
そう呟いた。
ただいま、と言う相手はいない。
昔からこの家には、俺を待っている人はいなかった。
俺は荷物を置いた。
そしてベッドに腰を下ろす。
「……」
疲れた。
想像以上に身体が重い。
この一週間、移動するたびに休憩が必要だった。
親戚の家に行って昔の友人に会って、ありがとうを伝えて笑って帰ってきた。
でもそのたびに、身体は確実に悪くなっていた。
咳は増えた、血も増えた。
階段を上るだけで息が苦しくなった。
それでも行ってよかったと思う。
「……」
俺はスマホを見る。
冬月澪から。
『今日、帰ってきますよね?』
『何時頃ですか?』
『……』
『九條くん?』
そんなメッセージが並んでいた。
俺は。
『今、帰ってきた』
と送った。
数秒、既読がつかなかった。
そして。
『今から行ってもいいですか?』
俺は笑った。
『いいよ』
すぐに。
『はい』
と返ってきた。
インターホンが鳴った。
俺は玄関へ向かった。
少し歩いただけで息が切れた。
「……」
ドアを開ける。
「九條くん!」
澪が立っていた。
俺の顔を見るなり少しだけ目を見開く。
「……」
「どうした?」
「……少し、痩せました?」
「そう?」
「はい」
「気のせい」
「……」
澪は俺をじっと見ていた。
でもそれ以上は聞かなかった。
「……おかえりなさい」
俺は一瞬、言葉を失った。
「……」
「どうしましたか?」
「いや」
俺は少しだけ笑った。
「ただいま」
その言葉を口にした瞬間。
胸の奥が少しだけ温かくなった。
家に帰ってただいまと言う。
そしておかえりと言われる。
そんな当たり前のことを、俺は久しぶりにした気がした。
「どこに行っていたんですか?」
部屋に入ると澪はすぐに聞いてきた。
「親戚のところ」
「一週間も?」
「うん」
「……」
澪は俺の顔を見た。
「何をしていたんですか?」
「いろいろ」
「いろいろ?」
「昔の知り合いに会ったり」
「……」
澪は少し黙った。
「楽しかったですか?」
「うん」
「……そうですか」
なぜか少しだけ寂しそうだった。
「どうした?」
「いえ」
「何かあるなら言えば?」
「……」
澪は少しだけ俯いた。
「私がいないところで、九條くんが楽しそうにしていたのが」
「……」
「少しだけ、嫌でした」
俺は目を瞬いた。
「え?」
「……すみません」
「いや」
「変ですよね」
「別に」
澪は俺の服の袖を掴んだ。
「一週間、長かったです」
「そう?」
「はい」
その声は思っていたよりも弱かった。
「毎日、九條くんが何をしているのか考えていました」
「……」
「体調が悪くなっていないか」
「……」
「ちゃんと食べているか」
「……」
「帰ってこなかったら、どうしようとか」
俺は何も言えなかった。
澪は俺の袖を掴んだまま。
「……九條くん」
「ん?」
「もう、長い間いなくならないでください」
その言葉が胸に刺さった。
数ヶ月。
医者の言葉が頭の中で蘇る。
「……」
俺は澪の頭に手を置いた。
「分かった」
「本当ですか?」
「うん」
「約束ですか?」
「……ああ」
また俺は約束をした。
守れるかも分からない約束を。
その日の夜。
澪は俺のベッドに横になった。
「……」
「眠いの?」
「はい」
「じゃあ寝れば」
「……」
澪は俺の方を見た。
「九條くん」
「ん?」
「……ここにいてください」
「いるよ」
「寝るまで」
「分かった」
澪は安心したように目を閉じた。
俺はベッドの横に座った。
しばらくして澪の寝息が聞こえる。
俺はその顔を見つめた。
一週間、会わなかっただけなのに少しだけ久しぶりに感じた。
「……」
俺は澪の髪を撫でる。
そして思う。
この子はもう俺がいないと、眠れなくなり始めている。
俺がいなくなることを怖がり始めている。
――そして俺はそんな澪を、置いていかなければならない。
「……」
その夜、俺は眠れなかった。
澪の寝息を聞きながら何度も同じことを考えた。
俺が死んだらこの子はどうなるのだろう。
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