13話
夏休みに入って、数日が経った。
冬月澪は、ほとんど毎日のように俺の家に来ていた。
「おはようございます」
「おはよう」
インターホンが鳴る時間も。
玄関を開けた時の会話も。
だんだん決まったものになってきている。
澪は俺の家に来ると、当然のように靴を脱ぐ。
そして。
「今日は何をしますか?」
「特にない」
「では、どこかに行きませんか?」
「どこか?」
「はい」
澪は少し考える。
「せっかくの夏休みですし」
「……」
俺は窓の外を見る。
暑そうだった。
いや実際に暑い。
外に出るだけで体力を使う。
最近は、少し歩いただけで息が切れる。
「……どこに行きたいの?」
「九條くんは?」
「俺?」
「はい」
「特にない」
「では、私が決めてもいいですか?」
「どうぞ」
澪はスマホを取り出した。
そして、しばらく調べる。
「近くに、水族館があります」
「水族館?」
「はい」
「……」
俺は少し考えた、水族館。
前世でもこの世界でもあまり行ったことがない。
「行ってみる?」
「……いいんですか?」
「うん」
澪の顔が明るくなった。
「では、行きましょう」
「そんなに行きたいの?」
「はい」
澪は即答した。
その顔を見て俺は少し笑った。
水族館までは、電車で行くことになった。
駅まで歩く。
それだけで俺は少し疲れた。
「……」
「九條くん?」
「ん?」
「少し休みますか?」
「大丈夫」
澪が黙った。
「……」
「何?」
「……また」
「え?」
「大丈夫って言いました」
「便利だから」
「便利でも、使いすぎです」
澪はそう言って俺の腕を掴んだ。
「少し休みましょう」
「いや、駅はもうすぐ」
「でも」
「本当に大丈夫」
俺は歩き続けた。
澪は、しばらく黙って隣を歩いた。
そして。
「……九條くん」
「ん?」
「無理をしていませんか?」
「してない」
「……」
澪は、納得していなかった。
駅に着く、電車に乗る。
俺は座席に座った。
澪は俺の隣に座る。
そして電車が動き始めた。
「……」
俺は窓の外を見ていた。
夏の景色が流れていく。
蝉の声、青い空、白い雲。
前世ではこんな夏休みを過ごしたことはなかった。
そしてこの世界でも俺にはあと数ヶ月しかない。
「……」
そう考えると今日という日が少しだけ特別に思えた。
「九條くん」
「ん?」
「楽しみですか?」
「何が?」
「水族館です」
「……まあ」
「ふふ」
「何?」
「いえ」
澪は笑った。
「九條くんは、楽しみでもあまり顔に出さないんですね」
「そう?」
「はい」
「冬月は分かりやすいな」
「……そうですか?」
「うん」
澪は少し頬を膨らませた。
「そんなことありません」
「そう?」
「はい」
「じゃあ、今は楽しみじゃない?」
「……」
「楽しみなんだ」
「……はい」
澪は小さく頷いた。
その様子が可愛くて、俺はまた笑った。
水族館は、思ったより楽しかった。
巨大な水槽、泳ぐ魚、暗い館内。
澪は、思っていたよりもよく話した。
「見てください、九條くん」
「ん?」
「あの魚、変な顔をしています」
「確かに」
「ふふ」
澪が笑う。
俺も笑う。
そんな時間が続いた。
でも俺の体力は、少しずつ限界に近づいていた。
館内を歩いているだけで息が苦しくなる。
胸が痛い。
「……」
俺は壁際で立ち止まった。
「九條くん?」
「……少し休む」
「はい」
澪はすぐにベンチを探した。
「こちらへ」
「ありがとう」
俺は座った。
呼吸を整える。
「……」
澪は隣に座った。
「……」
「どうした?」
「何でもありません」
澪は、俺の顔を見ていた。
「……本当に?」
「はい」
しばらく沈黙、俺は少しだけ目を閉じた。
「……九條くん」
「ん?」
「今日は、楽しいですか?」
「うん」
俺は答えた。
「楽しいよ」
それは本当だった。
澪は少し安心したように笑った。
「……よかったです」
その後、俺たちは水族館を出た。
帰り道澪はずっと俺の隣にいた。
俺が少しでもふらつくとすぐに腕を掴んだ。
「大丈夫ですか?」
「うん」
「……」
「本当に」
「……分かりました」
でもその手は家に着くまで離れなかった。
家に帰る。
俺はベッドに倒れ込んだ。
「疲れましたか?」
「少し」
「……」
澪は心配そうに俺を見る。
「今日は、もう寝てください」
「そうする」
俺は目を閉じた。
すぐに眠気が来る。
意識が遠くなる。
その直前。
「……九條くん」
「ん?」
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ」
「また、行きたいです」
「……うん」
俺は答えた。
「また行こう」
澪は、嬉しそうに笑った。
俺はその顔を見た。
そして心の中で思った。
――また、その約束が果たせるかどうかも分からないのに俺はまた、と言ってしまった。
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